嫁入る狐 旅籠/嫁入る狐 蜃気楼/嫁入る狐 汽車

嫁入る狐 旅籠

海埜今日子

ほんとうにくらい味でしたから、きこえるような気がしたんで
す。宿のほとりで耳をあがない、その分とじながら、中空にま
なうらを点在させる、女たちのつぐないをひらけ。栗色のけは
い、暗緑色のけっそん、いにしえのしらべをまとおうとする、
それは懸命なとおりすがりだったのだろう。宿泊でなければ、
あなたたちの違和、ぬうこともはがすこともできないのだから。
狐火の断片をあつめ、窓にのこった行列を説明したい。とりの
こされたあかりが空耳のなかでねがえり、明滅をやいている、
あの日のとだえをさわぐので、おもいかばん。そんなにおいつ
いてどうするんです? 夜とぎのようなであいがしら、てわた
された宿帳には、にせのあかしがつづられる。銀の関係がうが
たれ、壁、ちいさなひみつをしまおうとしていたのかもしれな
かった。つむった鍵の共有により、まばたきにさしたい、「そう
ではない、わたしたちが そ」、遮断は昼にこそふさわしい。泊
まることで家をぬぎ、にがいような銀のほおずりをおもいだし、
とどまる男の、女の、せめぎあいをくりかえせ、扉。おもいの
ほかやわらいでいたから、もやせるとおもいました。窓のほつ
れるわたしをてらし、ねりあるくあまい水分、攪拌をむすび、
わたしをはじいてわれる土。ちぎったのでそむけたい顔、ぱり
ぱりの下着は、どんな時間をもたげたかったのでしょう。中庭
の池だったかがくろずんだマイマイをちかづけ、月のしょっか
んをいとしんでいる、といったいいつたえに似つかわしい、銀
の点在は、きっと忘却ぶんさしひかれていた。そのあかるさを
まちがえ、つまずいて、夏のあたしをいだく男は、きっと到着
しているだろう。狐の点滅がやりきれない。つんださきからは
じまる話に、客のひとりが日々をほうる、銀のしせんがにぶく
かえって。灰緑のめくるめく受粉、褪色をたばねてあざやかな
肖像画、それは季節をはじく参加だったのかもしれなかった。
つないだ家をだれもがはなれた。ふりかえっても前方でしたか
ら、水がもえているような気がしたんです。行列たちがほどい
た平行線を、ちりのなかであらっている、なら、あれはきっと
さいごの影絵。とじこめた合図がわずかにすれあう、だからな
されなかった旅装をわたしになげよ。しきたりを遠出させよう
と、宿をおきる。遮蔽は狐たちにこぼれるわなだ。くいちがう
一周をみつめあう、男はあたしをでたかった。窓をつむったマ
イマイが女たちをしばしつめたい。


嫁入る狐 蜃気楼

キツネのような距離をあおぎ
おとこのなかでながしてみる
ころがること、ねがったことがくちてゆき
しじまのましたでうねるだろうか
くぐもって さけんだ息にぬれるおんなだ

すべすべの表面でしたね
触感をたばねながら移動する
あれは乗りこむひと、びとだから
わたしをよぎろうときめたんです
はなれたあかつきに
きっとこすれる
うそのすきまにいそぐ寝息
そのまたたきをおよぎたい
もぬけの殻をおとこのみだれる

ふりむく陰影にゆだんさせ
おんなたちの粘液
かなでてみたかったのだと
ひもをひきずり、はぐれては
貝あわせのささやきに
しずんだほんとうがあふれだす
きこえてくるのは いつもおくれてくる雑踏
あるいは希望にたりない誤差だった
心音にさかしまになった都市の
いとしい

「きつねの森」ともいうそうです
とつぜんのいぶき
はねるようにさってゆくのは
いつでもしらない住みかだからかもしれません
その先端でうしなわれた木々をうずめる
ふたにちらめく、もどかしいあえぎ
あの印象はどこでしたか
ちゅうとでまさぐる気候でした

すれあう動悸ははんぶんだけ
まどろむようにかわくだろう
貝の殻がしぼるようです
しんから角度をかえるおとこもいた
けっしてうつしてなんかなかったのに
おんなの息が地形をくぎっていた
街をとりまくよどみによせて
わたしのような殻をつむる

狐にゆだねた二枚たち
きっとかえそうとしたんです
だれもがふまれ、森をそそぐ
きしんだつがいがうまれるのだろうか
もえあがるおとこの貝を
ついだ息が、いっそ
もとの傾斜にますますめざめる

たぶん、のまれる住みかなら
つくろうとしていたんです
体温のおりて、またはころんだのだから
おとこをつんざく季節もおわればいい、と
たくしたものは都市をけっして
しりません、ききたかった
消息のなかでうすらいでいる
あるざらつき、あるとじた
まうえにたなびく貝によせて
わたしはきっとはしらをほうる
なんどめかの距離のゆがみに
みなかったものたちであふれる呼気だ


嫁入る狐 汽車

距離がすくんでいた、あの基点を雨にするのだ。かきなぐった
会話をかかえ、かわいた掟をきざんでいる。雨足になびくしか
けが口ごもり、晴天のなか一粒をうけとめたい。かつてわたし
は無言をよこぎり、街のかたえをあたためていたのだから。は
がゆさが杖をつくり、かげるくるぶしをささえていた。脇をひ
く潮として、通りの声をわすれてしまう。予感たちをつめこん
で、流れた雨がひととき線路をたずさえて。めりこむわたしに
彼をなじませ、ほどいた手でたぐっている。あとさきばかりが
むすばれて、積み木のようにうすれる角だ。
とどこおり、街、近隣をたちきるので、やましいほど緑の丘、
ぬれた郷愁をもらしていたかった。まちわびた新芽たちが、枯
れた線路をはぎとって。女をすぎた枕木が、雨をつたえ、のが
している。ざわめくホームに、男のしずくがききました。むれ
なす影が無人をくぐり、駅のふところをかぞえていたので、す
こしの往来。女のすぎた枕木が、日々にうつぶせ、亀裂にあら
がいふるえよう。あなたのこぼれた目覚めに芽吹く、うねるし
ずけさが彼をゆきたい。
指の木陰でわたしのさされる。街路樹のおわりでかかげた生が、
かげろうよりもなお落ちるのを、さわれるような気がしたのだ
った。しずくのかたえで指、とてもしげって。ざらつく舌をゆ
ききしては、うかんだ樹々にかかる想いは、きっとやさしい、
にがかった。晴れわたったしたたりが、うずいていた。つみあ
げた会話を風がたわめる。日差しのなかで波うつ肌は、彼をし
ずみ、きっとうかび、街をさわる無言なのだ。ぬれた喪失が見
えかくれする、日々のこだまがまがった角にて。
くつがえった詳細は、男の湿り気をたもっている。うけいれが
たい、みつめてしまった彼らだった。くっきりと雲、あらい飛
沫をつくっている。緑の速度をつたえてくるのが、ふいだった。
あおむけになった基点をそむけたい、うめたくなる。遠浅のよ
うな晴れ間なのですね、といったわたしもまた距離だから。天
気の雨はらせんをつきたて、駅舎をまたぐとききました。昔の
かげがあつめた女に会話がときおり虹をうたう。近郊があおあ
おともどり、はなれてゆく。線路のきしみがますますはげしい。



初出:『something 5』