黒いシミ

黒いシミ

おかだすみれこ

夜勤明けで帰宅した夫が
洗面所で何やらごそごそしている
ようすを見に行くと胸ポケットにボールペンをいれたまま仮眠したらしく
シャツについた黒いシミに洗剤をかけてこすっている

今回のヨゴレはひどくて彼の手に負えず
あとで染み抜きを買いに行くと言い残し自室に引き上げ寝てしまった

ところで わたしたちは三十年も一緒に暮らしている
どこから見ても仲の良い中年夫婦で
夫は執拗にわたしと一緒にいることを望み 
思いつくままに
料理もすれば皿洗いもする 洗濯物も自分で担うようになって何年だろうか

わたしはしばらく午後の時間をひとり穏やかに過ごしていたが
ふと思い出して洗面所に行き
放置されていたシャツを洗ってみた
広げてみると黒いシミは小さいながらも頑として黒く
わたしは夫のこころに触れたようでふいをつかれる

わたしたちは 棘のある礫をそれぞれのポケットに隠し持つ夫婦だ
わたしはずいぶんと長く夫を裏切ってきた
夫はわたしを取り戻すためなら手段を選ばなかった

そしていまは嵐に身を投げ入れるのがこわいので
危うい岩場にニセモノのシートを広げて暮らしている
そこが思いのほか居心地のよいときがあり
素知らぬふりをして潮風に髪を遊ばせていると
空高く海鳥があざ笑っていくのが見える

黒いシミの形相に慄きながら
わたしは夫が寝ているあいだに洗濯をして
雨の午後にシャツを広げる
帆のように翻るわたしの反旗
わたしは夫を裏切り続け 夫はわたしのプライバシーを侵し続けるだろう

ニセモノでもシートがあるから暮らしていく
ごまかしながら仲良くしていくことに馴染んでいた昨日だった
今日はあなたを濡らして雨がふっている