「兄というもの」  ——義姉(ねえ)さんに

「兄というもの」
  ——義姉(ねえ)さんに


有働薫

(聡明な兄です
見事にやってのけました
だまれ、だまれ、だまれ!
わたしを叱りつけたあの兄です)

名古屋の銀行員になった兄が休暇で帰宅していたある日
いっしょに上野の美術館に行きました
小学生のころ図画の先生にいつもほめられて
それからずっと兄は絵が好きでした

いちばん好きな絵を
買ったつもりのゲームをしながら
いちどだけでしたが楽しいデートでした

兄は
ゴッホが嫌いなのだそうで
なぜか
理由は聞きそこなったまま

兄をほめた図画の先生にお前の足は棒だなあと言われたわたしは
ゴッホの絵が大好きですけど

真白に太く
マンモスの牙のように
目前にある大腿骨
ねえさんの親族から囁きがもれる
生活者の骨——まだ十年はもっただろうに

いつもの夕方テレビの前で
野球中継の最中に
つんのめって血を吐いた

昼に竹の子飯の弁当を平らげ
隣家の幼児をあやし
その子が男の子か女の子か
ねえさんと言い争い

愛地球博の折に
兄宅に一夜泊めてもらったわたしに
やがて来る自分の死を
示した
風呂上りの半裸の兄
六年前の
夏の夕方
黙って

=coda=

これまでせっぱ詰まったことがいくどかあったけど

生活費を稼ぐあてもないまま離婚してしまったとか
来月の生活費のあてがどうしても見つからないとか
満を持して有り金はたいて出版した本がまったく売れないとか
長男が第一志望の会社に面接で落とされたとか
中二の次男が家出して十日のあいだ行方がわからないとか
まだまだ言いにくい自分自身のピンチもいくどもあった
ときどきそんな折に
ときどき救世主
経済面では長兄や次兄の助けだったり
思いがけぬ受賞の知らせだったり

崩壊寸前の臨界点で
救われて