鳥と名を

鳥と名を

海埜今日子

 男と池の周りを歩いていた。「ああ、あれはキンクロハジロ」と、うたうように声をだす。黒白に金の目、鴨に似た鳥。それはわたしに語りかけるでもなく、自分に語りかけるでもなく、おそらく両方だった。ミコアイサ、スズガモ、カイツブリ。水辺の鳥ばかりなのは、当時、一緒に出かけたところがそうだったからだろう。
 その頃、わたしは鳥の名前をあまり知らなかった。だから男のことばで、目の前の鳥たちと名前が一致するのが、魔法のようで、心地よかった。男は小さな鳥の図鑑を携帯していた。彼もまた合わさるのを、口に出して確かめていたのだろう。鳥と名と書物、そして。
 男と離れ、引っ越した先で、以前よりも鳥が気にかかるようになった。水辺があり、緑が比較的多い場所だからと思ったが、それだけだったか。名前たちが呼んでいる、読んでいる。合わさらないと、彼らを知らない。
 だから一致するのは、いつもうれしい。わたしも鳥の図鑑を手に入れ、鳥たちを探した。いや、名前を知らない、呼べない、彼らと近づきたかったのだ。
 水辺をゆくコサギ、アオサギ、カワウ。マガモとカワセミは知っていた。人の家の庭にヒヨドリ、ムクドリ、ジョウビタキ。鳥と名と書物。ハトはドバトが正しい。
 ハクセキレイは、かつて男に教えてもらった。空高く、鈴のように鳴いている鳥はなんだろう? あれは白黒のシジュウカラ、子どもの頃、ウグイス色のメジロといっしょに家にいたっけ。鳥と名と書物と記憶、そうして?
 ケ、キョ、ホ、キョ、鳴き声がたどたどしい春のウグイス。水に浮かぶカルガモが空を飛ぶと、いまだに驚いてしまう。今年もツバメが高架下に。記憶の水が、名前と姿を濡らすようです。図鑑は、写真より絵のほうが、特徴がわかりやすい、筆が滲みるように。
 水辺をひとりで歩いていた。ここに池はない。知らない鳥をまた見かける。昨日、男の夢を見た。今、記憶と書物が、名を読むよ。