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TISATO日記

2005年9月

韓流オールスターサミット 2005/9/28(水) 02:46:01
3回目 クォンサンウ氏が見たくて 埼玉まで 出かけていった。
巨大なスタジオなので ホント 見えても豆粒 ということはわかっていたのだけれど。

サンウ氏ひとりではなく 他に イビョンホン チャンドンゴン キムスンウ など 4大スターという表示で あと 歌手の人が何組か 昼夜 それぞれに歌う というものだった。4大スターは ひとり15分当てで まさに この15分のために 出かけていった。

韓流 全般が 好きなのだけれど 中でも サンウ氏は特別である。
「天国の階段」ではまり ソウルに行って 握手をし 今回は会うのは3度目だった。3度目 といっても 中野での距離は200メートル
今回は300メートル ソウルでは 握手をしたので 1メートルの距離だったろうに 不思議なことに よく見えてないのですね。サプライズで 会場の後方からでてきてくれて その時5メートルで見たのが一番印象に残っている。その間5分くらいだったろうか。



見たい 近づきたい 触りたい これは 愛するもの 好きなものへの本能的な願望である。 そこには としもない 状況もない 愛は盲目 とは よくいったものだ。しかし 私達には 理性はある。許される範囲内で 夢中になるのは いい と思う。それが 心地よいものであるなら。


(ロビーのお祝いのお花)




私は 午後1時開演 昼の部を見たのだが 掲示板を見ていると 昼も夜も 見た人が何人かいらっしゃるようだ。願わくば 私も両方見たかった。4人のビッグスターのうち サンウ氏が登場したのは3番目だった。それぞれのスターは 登場の仕方に 工夫をこらしていたが サンウ氏は 紙のようなものに シルエットをうつし それが バーッと燃えて 消えたら その中から登場した。登場の前には かなり長くビデオが流れた。バックミュージックとともに。そのビデオが また カッコイイ のですねぇ。



登場してきた時 おひげがあったので 「あれ?まだ野獣の撮影終わってないのかな?」と思っていた。サングラスをかけていて 望遠鏡でのぞくと 髪の両サイドにそれぞれ2本の編みこみがあり白いエクステンションをつけているようだった。グレイのタートルにクロっぽいサテンのスーツに見えた。自分の格好について 「新しい役の キャラクター作りのために こういう格好をしている」と説明された。次の映画は「青春漫画」というもので 女優志願の女性と テコンドーをならっている学生との恋愛物 と聞いたが 少しイメージは違うような気がした。昔 大学生が わざと きたない格好をしたヒッピー というのがあったが 服装がスーツでなければ まさに そんな感じだった。
サングラスのしたの目が 腫れているように見えた。
結局 昼の部では サングラスははずされなかったが 夜の部では 会場からのコールで はずされたようである。ネットにアップされている その時の写真を見ると その目は いつものサンウ氏の目だった。腫れていないので ホッと 安心!


(一番最後に写った写真)




舞台に登場された わずか15分ほどの間に いくつかの質問がされた。私は きまってしている ペンダントの中身が知りたかったが 他の人も 同じように思っていたみたいだ。中身は お母さんの写真なのだそうだ。やっぱり・・・・。
質問の内容とか回答とか は よく覚えていない。ボーッとして過ぎた という感じである。ただ 頭に残っていること といえば「わたし ひとりでは こんなに人は 集められない」とか「みなさん ここにたってみてください。どんなに緊張するかわかります」とか 「年明けから写真を撮り 写真集を出す。 撮影は日本かもしれない。」とか 「目がさめると 小川のせせらぎが聞こえる所に 住んでいる」とか そのくらいしか 覚えていない。
なにしろ 入り口近くの 舞台から300メートルの距離。言葉も聞こえにくかった とも言えるかもしれない。
夜のほうが はるかに サービス精神旺盛 だったようである。しかも2度目なので 落ち着きもあるかもしれないし それに テレビ放映録画も意識していたかもしれない。




立ち去ったあとも少しビデオや写真が流れた。


(イベントが終わったあとのグッズの販売。この頃には かなり雨が降り出した)



<05・9・24>
 









やっと 帰宅。 2005/9/26(月) 23:53:07
今日 夜 東京から帰ってきた。
のぞみで 3時間40分。
疲れて 列車内では ほとんど寝ていた。
だけど 車窓を流れる 雨上がりの雲は 山の端を夢色に染め 美しすぎて 目が覚めてから ずっと 外の景色を見ていた。

夢のような出来事から 夢のように帰宅する。
夢色を眺めながら。
そんな 夢のように 流れた日々だった・・・。


潮風に包まれて。 2005/9/23(金) 08:23:31
22日木曜日 しばらく 我慢していたが とうとう 再び パソコンを電気屋さんに持ち込んだ。
サイトからサイトに移動するのに ものすごく時間がかかり 時にはとまったりするので。それが だんだんひどくなるので また 壊れてはいけない と 焦る気持ちで 電気屋さんに持参。
メモリーをアップすると 嘘のように スムーズに動きはじめる。
ストレスが解消された感じ。スムーズに動く というのは なんと気持ちのいいことだろう。パソコン操作についても いろいろとおそわったが メモったパンフレットを 電気やさんに忘れてきてしまった。ドジだなぁ・・・。





昨日のお話の続き。
鞆の食べ物やさんで おなかがふくらむと いよいよ目的の場所茶房セレーノへ。鞆の家々の路地の間を車を走らせ 海辺の近くの駐車場へ入れる。海岸がすぐ近くなので ふたりとも それぞれデジカメで鞆の海を撮る。撮影旅行(旅行というほどのものじゃないけど)のようである。私達はふたりとも デジカメも趣味 というところもある。




























細い坂道を しばらく歩いていると 石垣に綺麗な花が咲いていた。




そこから、民家の間を看板に沿って歩くこと5分あまり。茶房セレーノに着く。山の中腹あたりにあり とても景色がよくて海を見渡せるところ。オーナーの話によると 朝から晩まで 2階のデッキから海を眺めていると 刻々と景色の色合いや感じが変わるのだそうだ。
まさに ゆっくりと ゆったりと 「時」が過ぎてゆく。



コーヒーとケーキを頼む。
潮風に吹かれながら 至福の「時」。
展示してある絵や絵手紙や 焼き物 皮細工などを見ていると オーナーの奥さんが「ゆっくりしてくださいね」といちじくを持ってきてくださった。ここで しばらくの 「時」をすごす。




「まだ 元気がある?」と彼女が聞く。
ついでに 医王寺まで 登ってみよう という。「いいよ」とわたし。
さらに 上へ上へ。大変見晴らしのよい 医王寺からの景色。
私達は ここでも デジカメ パチパチ。







医王寺の鐘を 鞆の海に向けて ふたりで ゴオォ〜〜ン と鳴らし私達は 駐車場のところまで降りてきた。



ふたたび 海で遊ぶ。
潮風に 思いっきり包まれた1日だった。

















ゆるやかに 流れる「時」 2005/9/22(木) 02:29:19
昨年から ひまわり畑を見に行こう と言いながら もう夏もすっかり終わり 忘れかけていた。鞆にある ステキな喫茶店に行ってみようという話も のびのびに なっていた。



友達から 突然電話がかかる。「ひまわり畑 見に行きたいんじゃろ?」うんうん 行きたい。「もしかして もう終わりかも」「じゃぁその場所だけでも」なんていう会話が続く。ふたりとも 忙しい身の上。「では お互い 予定が入らなかったら行くことにしよう」と言って携帯が切れる。



当日 雨。朝再び携帯に電話が入る。「雨だけどどうする?」「場所だけでも知りたい」「じゃぁ 行こう」ということになる。
昼前 彼女と待ち合わせ。笠岡に向けて車が走る。彼女は運転がうまい。だいたい 人の車は怖くて乗れないのだが 彼女はゴールド免許の持ち主。地図を辿りながら 車で遠出をする人。車は 私が通ったことない道をひた走る。



こんな道が あるなんて知らなかった。そこは 道の幅こそ広くはないが どこまでも一直線で 広大な領域の道 北海道を想像させた。
着いてみると ひまわりはなかった。しかし その広さに咲いているひまわりを想像すると それは見事なものである。
「おかしいな。今年は植えなかったのかな」と彼女。傍では 背の低いトウモロコシ畑が 刈り取られたあとのように 少ししなびて 風に揺られていた。雨は止んでいた。やはり わたし 晴れ女である。


全く方向違いだったのだが 今度は折り返して 鞆に向かう。
入り江大橋を渡り、まだできて真新しい大橋を渡り 分譲地を通り抜けて やがて鞆に着く。



釣り人が 釣り糸を垂れていた。鞆では 珍しくない風景。なんとなくのどか。海辺に沿った 食べ物やさんに入って昼食を食べる。勿論 いきのいい お魚料理。舌鼓を打つ。

                        (あしたへ続く)





サンウさんのニュースを少し。
サンウさんは新しいanycallのCF撮りのため また オーストラリアシドニーに向けて 20日 ソウルを発たれたのだそうです。21日にはCF撮りをされているらしい。24日 日本で行事があるため ファンの人はできれば空港お出迎えをしたいと ざわめきたっています。
この様子だと もしかして オーストラリアから 直接日本に入られるのかも。空港は 福島かもしれない といううわさも。





これは チェコ プラハで撮られた サンウ氏のCFの写真です。
本当は もっと大きく載せたいんだけど。
大きく載せてもいいのかな。
よく考えてみれば 大きくても小さくても載せることには変わりないか?
では もう1枚。


























中秋の名月 2005/9/20(火) 01:33:17
9月18日日曜日は 中秋の名月だった。
ススキを白い陶磁器に飾り 白いお団子を白木の器に積み上げて みんな 縁側で満月を見上げただろうか?



満月 というと 魔女は13歳になると ひとりだちをするため 満月の良く晴れた日に 親元から旅立つのだそうだ。そして どこか知らない街に住みついて 1年間の修行をする という。
宮崎駿雄の「魔女の宅急便」によると。


満月の夜 月を見ると 狼男は狼になる。


満月の夜 かぐや姫は 月に帰った。


満月 というと なにか幻想的であり あるいは 衝撃的であり 夢のような ちょっと怖いような それでいて 憧れるような そんな想いが湧き出てくるのは 私だけだろうか。



クォンサンウ氏の掲示板では スタッフの人が サンウ氏に向けて「月を見てください」とメールを送る。私も 同じように 「月を見てください」とメールを送った。
そのメールは サンウ氏の事務所宛に届くものだが 果たして サンウ氏 本人には 届いているのだろうか?
もし本当に 届いているとしたら 私はエンジェルから翼を借りてきてもしくは 魔女からほうきを借りてきて 丸くて大きな 月の回りをグルリと ひとまわり するだろう。













「恋する神父」?もしくは・・・。 2005/9/18(日) 20:06:55
今日は 友達と一緒にサンウ氏の映画「恋する神父」を見に行く予定。
実は 出かける直前。この映画は 東京で見て岡山で見て 今回見るのは3回目である。福山ではシネマモードという映画館でよく韓国の映画を放映する。サンウ氏の「火山高」も以前ここで見た。


1回見ているのに 何回も見たい。
小学校の頃巡回映画(いつの頃の話なんだ?)がきて 涙が出るのがはずかしくって 我慢していると いつも頭が痛くなった。暗くて閉鎖的な場所も嫌いだった。
だから ほとんど 娘になるまで 映画は見たことがなかった。
娘時代になると やはり 友達に誘われて 行くようになったが 自分からすすんで行ったことはない。しかし 高校1年の時の友達は 洋画のとても好きな子で 彼女は試験明け よくひとりで映画館に行っていた。私が行きたい といえば きっと一緒に行っていたのだろう。


サンウ氏の映画は何回も見たい。
そして みるたんびに 涙が出る。今は やっぱり ちょっと恥ずかしいけど 涙が出るのを我慢しない。そうすると 頭痛もおきない。
「恋する神父」は ソウルに行った時 偶然見つけて DVDも 日本語訳されていない韓国版のを 私も友達も持っている。それなのに 目の前(地元)に来ていると 行きたくて うずうずして 行ってしまうのです。


韓国ドラマにはまっている 別な友達が言った。
まるで 魔術にかかっているようだ と。
まさに そうかもしれない と思う。
でも そんな状態を 別にいいんじゃない と止める人もいない。
それどころか 私の周りには ますます増えつつあるようである。
私がいたるところで クォンサンウ氏のファンだと公言してしまうことにも関係あるかもしれない。サンウ氏のファンは 中野に行った時もひとりファンが多い と聞いた。みんな こっそりと サンウ氏のファンなのだった。しかし きっと今や そうではない。
私のように 普及者も増えているはずである。


(これは東京で撮って来たもの)

では 行って来ま〜す。
サンウ氏について 友達とまた 熱ーーく語ってきま〜す。(^^♪







(「同い年の家庭教師」の一場面より)



映画を見に行くスケジュールについては 彼女の方が一段と詳しいのでそれについては 彼女にまかせっきり というところがある。
で、今日はてっきり「恋する神父」のつもりが 彼女に会って行ってみると「同い年の家庭教師」だった。グッズも売っていて クリアファイルをまた ひとつ 買ってしまった。


福山シネマモード というところで「同い年の家庭教師」は9月17日から9月30日まで。「恋する神父」は9月24日から10月14日まで。「マルチュク青春通り」は10月8日から10月21日まで。放映時間については お電話で映画館に尋ねるかパソコンで検索してみてください。


日本では比較的「恋する神父」がいい という声をよく聞きます。
友達も「恋する神父」が一番好き と言っていました。私は「マルチュク青春通り」が一番ズシンときます。1970年代の軍事政権下の韓国の学校事情を 監督が体験した事実にもとずいて創られているらしいのですが 訴えるものがとてもあって サンウ氏の演技も光っている と思います。


「恋する神父」と「同い年の家庭教師」は まるで正反対の役柄で「マルチュク」の役柄は 最後には戦うものの その中間 というかんじでしょうか。サンウ氏は1本1本 心に残る映画にしてゆきたい と言っていますが まさに その通りになっています。


友達も私も 何回もサンウ氏の映画を見にいきます。

















高速を走る。 2005/9/15(木) 23:58:50
車で 今日は80キロ走った。
隣県の岡山まで。文化史研究会がある時は いつも車で行く。久々に高速を走る。高速の入り口でもたついていると 後ろの車が高速に先に乗り ライトを光らせて エスコートしてくれた。

高速はみんな100キロ以上でとばすので 好きな音楽をかけていると
ついつい 気持ちも大胆になり メーターを見ると100キロになっていた。好きな音楽・・・。今は「マルチュク青春通り」のOST(オリジナルサウンドトラック)の8番 クォンサンウ氏が劇中で歌っている「叶わぬ恋」という曲。優しい音域で フォークソングのようである。
訳詩は結構せつないが サンウ氏の声は とても素朴で 心地よい。


私は「天国の階段」「恋する神父」「マルチュク青春通り」の3枚のOSTを東京の高島屋から買って帰ったが 特に「マルチュク」の8番のサンウ氏の歌がお気に入りだ。


文化史研究会では 今日は少し出席率が悪かった。
私も ソウル行きと重なったりして 久しぶりの参加だった。
昨日も月1回の 友達の家でのお料理会だったが いつの場合も 私は詩の普及を忘れない。
今日の集まりも 昨日の集まりも 詩人のひとはひとりもいないのだが
彼女たちは わたしの詩の 批評者 もしくは よき理解者だと 私は思っている。詩のフロアーからでた 詩人でない人たちの感想も 私は大切なことだと思っている。ひとりでも多くの人に 詩を読んでもらいたいから。


ビデオ屋さんで借りて サンウ氏の「太陽に向かって」という物語の中には ポケットから取り出して 詩を読むシーンが2個あった。
韓国では 日本よりも詩が浸透していて 若者たちが 本屋さんに立ち寄って 当たり前のように 詩の本を買っていく と友達から聞いた。
物語の中ででも 詩 ということに関しては 私は異常に反応するようだ。劇中で読まれた詩は 少し 格言めいていた。


パソコンと格闘の日々・・・。 2005/9/13(火) 23:31:59
9月12日 パソコン屋さんが 新しいアドレスを入力に来る。
今までのアドレスを停止し 新しいアドレスに。
そのあと ウィルスブロックをインストール。会員登録は個人情報なので あとからご自分でしてください と言われて帰られた。


忘れてはいけないので 帰られてすぐ自分でしようと試みてみる。
機械には弱い。なかなかうまくいかなかった。予想外に時間がかかる。
送信しようと思っても ボタンがない。なんでないんだ?
パッケージの電話番号に電話してみる。確認 を押したらいい という。そうすると 瞬間だが 登録されました という字面が出て 1秒で消えた。それがまた不安で もう一度今度は 別な所へ電話してみる。そうすると 確認の方法がある という。右隅のV3をクリックしてください というのだが それがないのですね。もしかして 完全にインストールできてないのでは?と言われ 一旦消して もう一度入れなおす という。そして 私の了解を得て 遠隔操作をする という。拒否してくれてもいい とは言われるが 一刻も早く この状況から脱したい私は OKをせざるを得ない。



それから 奇妙なやりとりが始まった。
パソコンの上を 魔法のように矢印が動く。パソコンが勝手に生き物のように動く。時々 電話が入り こうしてください と指示が入る。
そんなやり取りが えんえんと2時間あまり続いた。


電話の向こうのサポートセンターの方は とても丁寧に応対してくださったが 疲れ果てた。


再び 会員登録の場面が出て 「それはどうしたらいいですか?」とたずねると 「登録しないと いつまでもその画面がでる」という。なので その時は疲れていったん休憩はしたものの 自分ですると 再び新たなアイコンが右隅に登場する。
なんだか不安だ。どうしよう と思う。






メモリー増設のため 再びパソコンを電気屋さんに持参しなくてはならないので その時に聞いてみよう と思っていると 今みたら そのアイコンは消えていた。わからない・・・。どうなってるんだ?


ウィルスブロックを入れて そのあと パソコンの動きがものすごく悪くなった。と、さっき 友達から電話が入る。動きが悪いことを伝えると ウィルス関係をインストールすると そうなるのだそうだ。様子を知って 少しは安心。


新しいメールアドレスをいっぺんに知らせる方法もあるのだろうが アドレス帳にあるところへ 毎日少しづつ 届けようかな と思ったり。
機械に弱いものが 機械と格闘するわけだから 並大抵のものではない。ひたすら 努力あるのみ。





9月10日には 詩脈の集まりがあり 詩脈99号が出来上がってきました。9月11日には 岡山エッセイストクラブの集まりがあり エッセイの勉強をしてきました。どちらも 岡山で でした。
エッセイストクラブの集まりでは 「思いは とにかく文字にすること」とTさんが言われた言葉が大変心に残りました。
そうすると 私がこうして せこせこと 文字にしているのも 少しは効果があるのかな と思ったりもします。
「みなさん 文章がじょうずになりたいんでしょ?だからここへきてるんでしょ?」と言われた司会者の言葉も 心に残っています。



そうなんです!じょうずになりたいんです!
詩や文章が。そこには限りない夢が詰まっているんです!
きっと みんなそうなのだと思う。それが たとえ カタルシス だとしても。そして 「読み手を意識して書く」と言われたYさんの言葉も
私は 大きくうなづきながら 聞いていた。






角川春樹氏 来福 2005/9/8(木) 23:50:56
8月21日 日曜日 のことである。
福山 天満屋ポートプラザ店の 啓文社には 長蛇の列があった。
しばらくの間見ていたが とても収まりそうにないので ついに私も その長蛇の列に並んだ。
待つこと30分。やっと 私の番が来る。
初めてお目にかかる人 見る人 と言ったほうがいいかもしれない。
角川春樹 という人は こんな感じの人なのだなぁ という感じである。



数日前 家の近くの 本屋さんに行った。
「角川春樹 福山に来る!」という広告。
あっ これは見に行かなくては。私のミーハー魂は健在である。
角川さんは お忍びで よく尾道に来られるそうだ。今回は句集「JAPAN」の出版記念サイン会を兼ねたものだったようである。
前日 そこで 本を買った。その時は整理券がいるようだったが 当日は それはいらなかった。角川さんの脇を固めている 出版社の人らしき人に「個人誌をわたしていいですか?」と聞くと「いい」と言われる。で 私は サインをもらう時 「Rose of Fukuyama」を渡す。
その詩誌が どんな運命を辿るか しっかりと予測されたのだけれど。










以前 何年も前 福山そごう が健在の時 そごうの本屋さんに五木寛之氏が来られたことがあった。勿論 行って見た。私は その時私の作品も載っている 「ふくやま文学」を持っていた。サインをもらう時「帰りの新幹線の中ででも読んでください」といって 手渡した。
それを あとで 同人のひとに話すと 笑いながらだけど「よぅ 渡すなぁ」と言われた。別な同人が「そりゃぁ 新幹線に乗る前に ゴミ箱に捨てられとるわ」と言った。やっぱり そんな運命を辿るのかなぁ・・。「書く」という行為は 私は 魂の切り売り のような気がしている。ことに 小説 という分野となると 長く書く分 並大抵な労力では書けない と思う。
だから どんな小さな文章も 書いたものはその人自身の宝物であり だから 私の書いたものは 私自身の宝物である。
まぁ あんまり 理屈をこねて 深く考えるのはよそう。
本は差し上げたら その人のもので その本が どういう運命を辿ろうと口をはさむことはできない。


角川春樹 句集「JAPAN」の中から
     <尾道にひとりの漢(おとこ)花得たり>
啓文社の社員のひとが示してくれた 1句 だった。


(Weblog のほうへ 写真を載せます。見てください。)















8月20日のこと。 2005/9/5(月) 23:57:51
広島県詩人協会の 夏の行事が 尾道で行われました。
尾道市立図書館で行われました。




今回は愛媛県から お客様が数名来られました。
棹見拓史さんの 講演が行われました。
お話の中で 印象に残っているのは 蜂のおしりが あまりに美しくて嫉妬した というところです。
当たり前のことですが やはり 詩人 というのは 特別な感性を持っているのだなぁ と感心したことでした。
自分も もっと 感性を磨かなければ と思いました。

詩の講義が終わりますと みんなで 尾道の海岸通りをぶらぶら歩いて福本渡船に行きました。尾道の海岸通りには 詩の碑が いくつかあります。それらを見ながら 向島へと。
「男たちの大和」の映画のセットがあるすぐ傍のホテルで 懇親会がありました。そこで2時間ほどの歓談です。
会が終わる頃には 来年は 広島県の人たちが 愛媛県に行こう と話がまとまっていました。



なんか 小学生の作文のようです。
やはり 時間を置くと 感激が薄れてしまって どうも うまく書けません。うまく?というか 自分が納得いくように と言ったほうがいいかもしれません。


おもしろかったことは あの内海を2往復したことです。
船員さんも 岸に着いたこと教えてくれなくて いつのまにか 船が逆戻りしているのですね。
人は たくさんいたのに 詩人たちは みんなほろ酔い気分で おまけに夜の暗さがプラスされ 誰も向こう岸に着いたのに気づかなかったのですね。船が逆戻りしてる時 私も どうも 岸から離れているようにみえて。誰かが 「おいおい 岸から離れてるんじゃないか?」と言えば 別な誰かが「大きい船だから 方向転換してるんじゃないの?」と言って。気づけば船は逆戻りしているのだった。
ちょっとした ハプニング!
広島の人は 列車に乗り遅れる と言って ちょっとあせっていました。ちゃんと 帰れたかしら?





写真を また Weblog のほうへアップします。
そっちのほうが もしかして わかりやすいかもしれません。
流れが よくわかると思います。



台風14号が近づいています。
みなさま ご用心してください!









8月末 歴程夏季合宿 2005/9/3(土) 09:04:41
パソコンが 壊れていたので 行事のご報告が 前後するところがあります。どうぞ ご容赦ください。(ぺこり)

8月 26・27・28日と福島県いわき市で 歴程主催の夏季合宿があった。私は 昨年に引き続き の2回目の参加である。当初3日間申し込んでいたのだが やむおえない事情があり2日目からの参加になった。台風11号が去ったあと 台風の足跡を追うように ひとり 福島へと急いだ。


27日夕方到着して 古滝屋のソファーで待っていると 長谷川龍生さんがいらっしゃった。私が話し掛けると「よくわかったね」と言われた。長谷川さんは 昨年も2日目からの参加で 昨年エレベーターのところで 私は握手をしてもらった。先方は覚えていなくてもこちらは覚えている。40分くらい待っても みんな 草野心平文学館から帰ってこないので フロントに尋ねてみると「先ほど 到着されましたよ」と言われる。急いで部屋へ。行ってみると 昨年と同じ部屋だった。ただし 同室の人は違う。4人相部屋である。


すぐに夕食。大広間に行く。
行くとすぐ ヤリタミサコさんが声を掛けてくれた。こんなのって嬉しいんだなぁ。でも 席が離れていて眺めていると 遠くから こんどは 広島のKさんが 「こっちへおいで」と大声で声をかけてくれる。そちらへ行く。配膳されたお食事は 大ご馳走である。ひとしきり食べ終わると 自己紹介がはじまる。スピーチは1分すぎると 鐘が鳴り 鐘がなる度に 1000円を支払う というおもしろいもの。
これは 歴程合宿の 昔からのルールなのだそうだ。
私は 最近創った個人誌「Rose of Fukuyama」の宣伝を多いにしました。



(これは お宿の窓から見た紅葉です。色づくと とても綺麗でしょうね)



お食事が終わると 朗読会 です。朗読をしないひとは 別室2箇所で連句の会をしていて これらは自由参加です。
私は 今回は朗読の為の詩をたくさん持参していました。こちらも昨年と同じ部屋です。部屋に行った時には もう ひとりのかたが朗読したあとでした。私は今流行の 韓流(はんりゅう)に関する詩を2篇 詠みました。私が朗読したあと 誰かが小声で 「昨年より うまくなってる」という声が聞こえたので 胸のうちで ひそかに喜んでいた。
そりゃぁ 場数 踏んでるモンね。この頃 ほんのちょっぴりだけど ドキドキ感から 卒業しつつあるのです。
朗読もライフワークのひとつで 修行してるのです。


伊武トーマさんが朗読されると ヤリタさんが自然に掛け合い朗読された。ぶっつけ本番だったのに 絶妙なぴったり感で みんなびっくりしていた。和合亮一さんが恋愛詩を読まれる。地元の新聞か何かに頼まれて 連載しているのだそうだ。飛躍の多い 和合さんの詩をいつも見ているので 新たな一面をみたようで とても新鮮だった。
20人ほどが詠み たいへん盛況で勉強になった。


午後10時半頃 朗読が終わる。
部屋に帰り温泉に行く人もいるのだが そのあと 有志のひとが集まり座談会がはじまる。これが おもしろいのですね。詩の現状とか 詩の展望とか 詩の世界の問題点とか論じられて 別な意味で 勉強になるのです。みんな お酒とかワインとか呑みながら。ドンペリがある と言ってたけど どれがそうだったんだろう。呑めない私はわからない。結局 午前1時半まで 語っていた。
お開きになって 午前2時までの屋上の露天風呂に Kさんと一緒に行く。4人相部屋の中で 私が一番遅かった。他の3人は もう寝ていた。



(これは28日 講演が行われた和室です。いい掛け軸と壷です)





翌日の8月28日には 和室で講演のようなものがあった。
銀座でママをしている山口真理子さん 福島在住の伊武トーマさん 近藤洋太さん 関富士子さん 最後に 長谷川龍生さんが講演される。
演題は 勿論 みんなほぼ 草野心平についてである。関さんの講演される声が震えていた。講演の最後に「初めての講演で慣れてないので」と言われた。関さんでも そんなのだから 私が震えてしまうのも しごく当然のことだ と妙に納得していた。
長谷川さんは 竹田の子守唄のルーツなどについて話される。学生時代を思い出した。



古滝屋で お昼ごはんを食べて 解散 となる。
古滝屋のマイクロバスで 湯本の駅まで送ってもらう。駅に着くと 合宿に参加した たくさんの人がいた。
入沢康夫さんが「ホームページの報告 楽しみにしているよ」と言ってくださる。入沢さんは いつも とてもいい笑顔で話し掛けてくださる。私のようなものに。嬉しい限りである。
そういえば 昨夜の座談会で 和合さんが言っていた。和合さんは今活躍中の旬のひとだが まだ 駆け出しの頃 「新参者の人にでも とても丁寧に接してくれる人は 大切にしなくてはならない と親が言った」といっていた。とても 納得のいく言葉である。







































(こちらは 上野 カフェテラス)
列車の中で 同席の人たちが 上野で下車して エジプト展を見よう というので その話に乗っかる。上野は初めてである。
上野で古代芸術をみて カフェテラスで コーヒーを飲む。
ここでも 詩についての論議を聞く。そして プライベートなお話も。
地方では カフェテラスでコーヒーを飲む というようなことはない。
やっぱり 東京は都会だ。
「また 来年会いましょうね」と言って別れる。
1泊2日だったが 中身の濃い時間だった と思う。


帰りの列車の中で 財部鳥子さんがすぐ近くにいらっしゃったので いろいろと疑問に思うことを質問した。丁寧に答えてくださる。この答えを聞いただけでも 福島までやってきた甲斐があった と思ったものだった。


(Weblog のほうへ 写真をアップしますので 合わせて ご覧ください)














パソコン 少しづつ 再稼動!!! 2005/9/2(金) 17:26:07
9月1日 パソコンが一時退院。
8月9日 入院予告をされ 8月10日 パソコン 電気屋さんに入院。ほぼ 3週間の入院である。
でもまだ 本調子ではなく 通院の日々。
その間 パソコンのない 寂しい日々だった。
勿論 サンウ情報もまったく わからない。なんか 叶えられない恋を胸に抱えて 悶々としている感じだった。

それでも その間 行事は淡々と実行されていく。
パソコンが戻った今 たまった情報を どう輩出するか が思案のしどころである。


実はパソコンが戻っても アドレスが消滅していて メールは受けることも出すこともできない状態です。
なので ホームページに書き込んでいるのに メールがこない なんて思わないでね。まだ 病み上がり状態です。


パソコンも少しづつ 元気を取り戻していくでしょう。
そして 私も ネッ!!! (^^/





Weblogのほうへ 「KSJ」の様子を載せました。
この写真は 表玄関ですが ちょっと写真が大きすぎたかしら?
まぁ いいよね。よく見えて。



これは 渋谷の雑踏です。



久しぶりに パソコンをさわると 忘れていて まったく 要領を得ません。試行錯誤を繰り返しながら 行ったり来たり で非常に手間ひまがかかっています。試運転にも時間が大変かかります。
四苦八苦・・・・−−; (汗 タラタラ)


(このホームページに載せている「KSJ」関連写真は お店の人の許可を得て すべて 私がデジカメで撮ったものです)



















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