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TISATO日記

2005年10月

秋の夜長に考えることは・・・。 2005/10/28(金) 01:16:28
以前は 1泊の旅でも 2〜3日前から支度をし 緊張して旅に備えていたが この頃は旅慣れてしまって 直前にならないと支度をしない。それだけ することも増えた ということもあるのだが でかける直前まで 詩に関することをしている。

旅をするとなると あれもやっておかねば これもやっていかねば とたった1泊のことなのに思ってしまう。
いつぞや ソウルに行ったときも わたしは一睡もせず 旅に臨んでしまった。そして彼女も 3時間しか寝ていないといっていた。この時の旅は2泊3日だったのだが。

少し前の旅では 本当に出かける直前に 旅行バッグに荷物を詰めて
結果的に 大切で必要なものは すっかり忘れてきていた。つまりは埼玉スーパーアリーナに行った時。望遠鏡は 絶対必要だったのに 忘れてきて現地で調達。お化粧道具の大切な部分も忘れ なにやら もうひとつ 忘れていった。

かなり前 それは 個人的な旅行ではなく 何かの集まりの旅行だった。この時はおこずかいの現金をすっかり忘れていって お友達に お金を借りた。
切符に関しては 幸い 忘れたことはない。

詩をやりはじめて するべきことが たくさん増えていることは確かである。いつも 何かに追いまくられているように することが多い。それでも 対応しきれず 失礼している部分もある。人間関係だけは 大切にしていかなくては とは思っているのだけど。






これも いつぞや 街ですれちがった高校の同級生に「今 何をしているの?」と聞かれ「詩をしているのよ」と答えると「一生 退屈しないわね」と言われた。それを聞いた時には ちょっとムッとしたが 時間がたって 落ち着いて考えると まったく彼女の言うことは ほぼ 当たっている と気づく。ちなみに 彼女はフリーのアナウンサーをしている。本当に 詩には やることが多い。

詩に はまりながら 韓流にも はまりながら 私の日々は 忙しくすぎてゆく。






以前吉原幸子さんが人から「なぜ詩を書くの?」と聞かれ「締め切りがあるからよ」と答えたらしいが 今頃の私には それも なんとなくわかるような気がする。

これも かなり前わたしがまだ そんなに詩について知らなかった頃 谷川俊太郎さんに「詩ができるのは どんな時ですか?」と私が尋ね すると谷川さんは「心を静かにして 詩が降りてくるのを待つ」と言われたが あの時の私は それが何を言われているのか さっぱりわからなかったが 今となっては よく理解できる。あれから 数年がたって 今年の6月? 私は倉敷で 谷川さんに会った。朗読コンサートで 佐々木幹郎さんとのコラボレーションだった。数年前の私を 谷川さんは覚えてくださっていただろうか?私は 100パーセント 覚えてはくださっていない と思い あえて数年前のことは 話題には出さなかった。

さまざまな 思いが去来してくる。
これも 詩をしていればこそ。
私は これから どうなってゆくの?なんて。
細く長く ずっと詩を続けて行きたい。

この前の出版記念会で 「あなたは吸収力がいいから 旅をして どんどん吸収すればいい」と私に言った人がいた。旅も (私の旅は ほぼ詩に関する旅なのだが) 状況が許す限り そうしたい とは思っている。


秋の夜長には いろんなことを考える。















新聞では興行成績 もう1位? 2005/10/26(水) 00:00:27
例のごとく 今日は水曜日 映画1000円の日だったので またまた
例のごとく 彼女と映画を見に行く。

昼前に待ち合わせ どこでお昼を食べるか 迷った挙句 この前お茶したところへ行こう ということになり 本通りを歩く。
通り過ぎて 逆戻り。みつけて 確かめると なんと 火事のため 休業!本通りのど真ん中で 火事!3軒並んで 火事の為休業 の表示。
なんで こんなところが・・・。どうやら火元は 一番左の店らしい。
ほとんど建物が焼けて すっぽりとビニールがかぶせてある。
しかたなく 違うところへ。中華料理やさんにはいる。


彼女相手に サンウ氏について 喋り倒す。
彼女 うんうん と聞いてくれる。だから 彼女って好きなんだナァ。

午後1時前 映画館へ。
何を見たのか? またまた 韓流! でも 今回はサンウ氏ではありません。「私の頭の中の消しゴム」というタイトルで 27歳にして アルツハイマー にかかってしまう女の人 とその夫の物語。
夫のほうの役の人は サンウ氏が憧れている チョン・ウソン。妻の役のほうは 今話題の「四月の雪」のヨン様の彼女役のソイ・イェジンです。
病気がわかったあたりから 会場ではすすりなく声が。私の隣にいる彼女も かなり泣いていました。私は というと 何故かあまり涙は出ませんでしたが 自分の夫がわからなくなり 「どなたですか?」と尋ねると 夫のほうが「はじめまして チョルスです」と挨拶したところあたりから じわりと涙がではじめました。





この物語は 以前 「きみに聞かせる物語」だっけ?なんか本で 同じようなモチーフのものを見たことがあります。年こそ違え お話のストーリーは似ています。だから 私はあまり 涙が出なかったのかな?

昨晩 夜中の3時まで見てしまった「天国の階段」の最終回のほうがよっぽど 泣けてしまった。どちらも 病気 なのだなぁ。


やはり 健康が一番!なんて言っておきながら 夜な夜な DVD見たり ネットサーフィンしたり 詩を書いたり 体にいいこと 全然してないよなぁ・・・・。

ちょっと 心を入れ替えねば と思いながら あいかわらず 韓流にはまったままの私です。

心を入れ替えるのは 韓流 ではなくて 夜更かし のほうです。






物思い の秋。。。でも 食欲はある。 2005/10/24(月) 22:36:02
昨晩 サンウ氏の夢を見た。
倉敷の美観地区のメインとなっている ような橋の欄干で 私とサンウ氏が 座り込んで話をしていた。なにやら ヒソヒソ という感じで。
サンウ氏の様子は 2006年のカレンダーの表紙の服装や雰囲気で 私の話に 耳を傾けてくれる。
何を話しているのかと言うと 20代のファンの子がいて その子がサンウ氏にプレゼントしたリースは 木の実や植物など そのリースを創る材料を手に入れるのに とても苦労した と。それほどその子は あなたのファンで だからお礼を言ってあげてほしいと 頼んでいた。かくて その場から サンウ氏の姿は消えて いつのまにか いなくなっていた。サンウ氏が去ったあと 夢の中で 私が考えていたことは? 私もサンウ氏の すごくファンなのに なんで 人の中継ぎをしてあげているんだろう と思っていた。私だって そうそう会える人ではないのに と想いつつ 割り切れないものを感じつつ 夢から覚める。


































何故 こんな夢を見るのか?
きっと今 「天国の階段」を見直しているからだろう。
そして ソウルでひんぱんに行われているサイン会に 行きたくても行けないジレンマが こんな夢の形で現れているのかもしれない。
ツアーに参加しないで たとえば友達2〜3人で このサイン会のみに出かけていかれれば 日にちも 日帰りか1泊ぐらいで行けるだろうし 費用もツアーに参加するより はるかに安い金額で行ける筈だ。
だけど そういうことを実行するには 韓国の地理に詳しく しかもハングルが堪能な子が一緒でなければ。そういう手づるや手立てが 何一つない ので 思うだけでおよそ 実行にはいたらない。そして 同行する子は 勿論 サンウ氏の熱烈なファンでなければならない。

face shop, any call の次は ビルトモアのサイン会があるが 行ける可能性など 0パーセントである。個人的には行けないし ツアーとなると費用と日にちがかかりすぎる。結局 実行したい気持ちと 実行できない気持ちがぶつかり合って じりじり するだけである。
自分の中で いつまで こんなことを思うのだろうかと いささか 自分の気持ちを もてあまし気味である。





(2006年 カレンダー)



しかし 四土詩集の出版記念会で 私は他にも 韓流のファンの人をみつけた。ところが 彼女たちは 韓流は韓流でも ファンはサンウ氏ではなかった。ただ そんな人がいただけでも 私としては嬉しい気分ではあった。


10月22日土曜日には 喫茶エクサンプロヴァンスで 四土詩集の出版記念会があった。参加者は30人くらいで ほぼ岡山の人だった。 県外からのお客様はいなかった。

三沢浩二さんの司会が とってもおもしろくて うまい司会だなぁ とは きっと誰もが思っただろう。
秋山基夫さんは 「家庭生活」という詩集が富田砕花賞をとられたようだ。みんながおめでとう を言っていた。私も秋山さんに おめでとう! と言う。秋山さんが 新しい詩画集「岡山詩集」を出されていた。1600円出して購入。サインをもらう。

その日は瀬崎さんがいなかった。
学会かと思えば ERAの合評会で 東京だったのね。
私は来週 東京です。また サンウ氏のグッズのお店に寄ってみようかな。






久々に川井さんがきてて お話できてよかった。
会が終わる頃 みごさん到着。なにやら 用事に手間取ったのだそうだ。でも みごさんが二次会の手配をしてくれる。二次会はワインバーのような所だった。私は 呑めないんだけど 好奇心で お味見だけはしてみたいのだな。たくさんは呑まないけど少しは呑む。正直 ワインくらいは呑めるようになりたい。
そこで呑んだワインは カルフォル二アワインで 赤だったんだけど
ワインの味もよくしらない私でも とてもおいしいワインだった。
あの 岡さん宅で 一番最後に出してくれたワインと同じ味がした。
二次会は テーブルを囲んで 10人くらいだった。みんな それぞれ雑談 という感じだった。


比較的 早めの解散だったが 私は翌日 鞆に用事があったので この時間帯の解散でちょうどよかった と思っていた。
帰りは坂本さんと一緒だった。喋りながら帰ると ホント いい締めくくりになる。充分な満足感 が得られるのである。
私って やっぱり 寂しがりや なのかもしれないなぁ・・・。


満月や 月をながめつ 気分はかぐや姫 
               TISATO作 字余り。


















この頃は 満月が大きくて とても綺麗です。(^^ 2005/10/20(木) 23:00:31
今日 車で70キロを走った。
車に乗っている時間は片道 約1時間。
高速に乗る。普段は せいぜい40キロで走る私も 高速ではみんなが早く走るので ひとりでに速くなる。気がつけば 110キロ出ていた。速すぎる と自分で判断し 90キロまでおとす。

一緒にソウルへ行った友達は 女の子なんだけど 四WDに乗っていて
彼女の助手席に乗ってメーターを見ていると 常に130キロから140キロである。しかし 高速では そんなにメーターを出していても 少しも速く走っている気がしないのは不思議である。周りの車がもっと速いからか?それとも すっきりとしている道路事情のせいだろうか?
私が110出していても みんな追い越し車線をどんどん抜いて行っちゃうもんね。
今日は良く晴れていて青空がとても綺麗に広がっていた。そして 道路の斜線上の両脇には 黄色い花が満開だった。


(この車は 私の車ではありません。私の車は 萌黄色のスターレットです。これは ムイドの海岸に留めてあった車です。つまり ソウルの車です。)



岡山県の金光まで行ったのだった。
今日は文化史研究会の例会の日。金光の本屋さんの3階が会合場所である。文化史研究会とは 全国のお寺や文化財 宝物などを見て回る旅のグループである。
私は 始終 詩のほうで旅をするので そういうグループの活動をスケジュールの中に入れると ますます 私の旅は拍車がかかる。その上 韓流のソウル行きまで加算されると まさに人生は旅ばかり というふうになってしまう。
実をいうと 詩の旅だけで手一杯 というところが なきにしもあらず
ではあるのですが。


高野山まで 出かける予定だった。が ひとりの人が都合が悪く 来年に見送りになった。その代わり 近場に行くことになる。
金光つながりの集まりは ずっとずっと 続くから これも不思議のひとつである。まるで 自分たちの高校の集まりのように続いていく。
人と人とのつながり。ずっと続いていけば心地よい。
だってね 友達がいるといないとじゃぁ 随分人生の楽しさが違うと思うのよ。
いえいえ 無理に とは言っていませんよ。ひとりが とっても好き という人もいらっしゃるでしょうから。


今日は 詩 でもなく 韓流 でもなく。


寒くなりつつありますので どうぞ みなさま 風邪にはくれぐれも お気をつけてね。








































(ソウル ムイドにて撮影)

なんていいながら わたし 昨晩は 午前4時まで「天国の階段」のDVDを見てしまいました。見始めると止まりません。そして 涙ポロポロ・・・です。初めて見るのではないのにねぇ〜。
車を運転するときは 「天国の階段」のOST(オリジナルサウンドトラック)です。
結局 韓流(ハンリュウ) サンウ氏 で締め になりましたねぇ〜。


(サンウ氏は 同性にもとても人気の高い人で 一度接触を持った人は男性でも サンウ氏のことを好きになるようです。当人も バーにいくより 男同士でも 喫茶店でお喋りをするほうが好きらしいです。
お酒はワインを2杯呑むと もう顔が赤くなるらしく お酒もタバコもしないようです。でも 天国の階段で 酔っ払う演技は とても じょうず です。まぁ 俳優だから 当たり前 といえば そうですが。

ファンミにいけば 1000人いれば 男の人は2〜3人です。サンウ氏のファンの奥様に だんな様がついてきているのですね。当人は 男性にも?もてたい らしいです。美しき野獣 は それに叶うでしょうか。乞う ご期待!ですね。上演が待たれます。)

























思い込んだら 一途です。まさに 韓流! 2005/10/16(日) 22:07:37
私としては 珍しい!
6日も TISATO日記を書かないなんて。
この頃は ビデオを借りることにはまっていて 火曜日の半額の日に
5本ほどのビデオを借りると これを消化しようと そちらに時間をとられてしまう。これは ソウルに同伴した 彼女の影響である。
運勢的に見て 私は 傍に居る人の影響をとても受けやすいらしい。
だったら 友達も 気をつけて選ばなくてはならない と言うことか?
彼女はビデオをいっぺんに10本ほど借りる人で 韓流にはまっているこの頃は 韓国のビデオを片っ端から借りてみている。で 私と会った時「あのビデオが良かった このビデオがよかった」と指南してくれる。
この頃は サンウよりもピ がいいのだそうだ。それは困る。彼女もサンウのファンでいてくれなければ 私はサンウについて語る人がいなくなってしまう。
私がサンウについて語りだすときりがない。一晩中でも喋っていられそうだ。その内容は ほぼ掲示板で得る内容なのだが 掲示板はあまり見ない彼女にとっては 初めて知る内容である。
「よう 知っとる」と言いながら 聞いてくれるので助かっている。



(これは ソウル ロッテワールド内のメリーゴーランド。「天国の階段」の撮影場所。以下もそうです。)





ビデオは 1本が3時間もするのもあるので これを5本も借りると
どう時間を捻出して見るか も課題のひとつになっている。外出の多い時には 結局2本ほど見ないままに返してしまうこともある。


テレビで放映している時 録画済みなんだけど つい 貸し出しのビデオは 新しい場面があるのではないかと 借りてみるのである。
ソウルから日本へ入ってくるテレビ番組は しばしば ソウルで放映されたぶんより 場面をカットしてある場合が多いので。
私がはまった 入り口である「天国の階段」を1巻と3巻を借りた。その時2巻はなかった。わかっているようでも やはり新鮮である。


















(ここは チョンソが事故にあった場所。留学から帰ったソンジュが 手をふっていて 近寄る直前に 忽然とチョンソはいなくなる。まるで 神隠しのように。ふたりの長い別れが始まる。撮影現場)



(ムイドの別荘。撮影現場。この画像入れるのに 非常に苦労しました。タイトルを短くしたら 入りました。汗・・・)




韓国の映画は 何回も繰り返して見たくなるのが特徴でもあるんじゃないだろうか?特に画面上に出てくる 舞浜(ムイド)の別荘など ソウルへ実際に行って見たので あぁ あそこの場面だ と確認しながら見れるのでなおさら思いは深くなる。そして 身近で握手をしたサンウ氏がテレビの中で 演技をしている。まったく架空の雲の上の人 ではない感覚なのである。(本当は雲の上の人 なんだけど)



借りたビデオの中に「ニューシネマパラダイス」がある。
ビデオ好きの彼女は もうとうに このビデオを借りて見ていたが 私は やっと である。これは サンウ氏が15回も繰り返し見た映画である。映画を見ると なんとなく サンウ氏の実生活とも 共通する感覚の場面が多い。サンウ氏の実生活に通じている。イタリアの映画である。サクセスストーリーだが 愛には恵まれなかった。ただひとつの愛に 結局辿り付けなかった。運命のすれ違いで。


(撮影現場。チョンソの実家)



サンウ氏の「マルチュク青春通り」は10月21日まで福山シネマモードで上演中である。11時30分〜 14時〜 18時30分〜 の3回上演。2時間10分あります。見ていないかたは 是非見てください。サンウ氏の魅力にはまります。


私たちは 今度は「頭の中の消しゴム」を見に行く? なんて話しております。

話題のサンウ氏主演「美しき野獣」は2006年2月の放映予定らしいです。



(「美しき野獣」のポスター。サンウ氏は恋愛もの もさることながら
日本でいう西部警察のような それにまさるアクションの演技もすごい。特にこの映画はスタントを必要とするような危険なアクションも多いのに サンウ氏はみずから それをこなしたようです。小さい頃からテコンドーを習っていたので そんなことも演技に役立っているかもしれません。「マルチュク青春通り」を見てください。最後にすごいアクションがありますが 「美しき野獣」はそれ以上のようです。放映が楽しみです。ソウルでは12月放映 日本では2月あたりの放映です。広島県福山市 に来るのはいつでしょう。)



(これは 美しき野獣 のサンウ氏です。)




今週は 他にも 高校の時の 福山支部会の学年幹事役員会に出席しました。私は 高校の3年間は まさに沈黙の3年間。なのに 幹事役員になるのは その会への出席率がいいからです。地元だし なぜかいつも 詩の行事と重ならないので 出席しています。そして まとめるかたが とてもいいかたなので そのかたに惹かれて出席もしています。
その高校の歴代の卒業生の集まりです。いろんな年令のかたがおられるので おもしろいですよ。今回は卒業生で県会議員のかたがおられました。中原中也の会も いろんな年令いろんな職業のかたがいらっしゃっておもしろし 勉強になります。おもに 大学の教授のかたが多いですが。年齢層の幅が広いです。若い方は院生が多い。)



今日の日記 長ーーーーいですね〜。
1週間 書かなかったもんね。
大儀がらずに 読んでね。(^^












(美しき野獣 のサンウ氏。みんな この 涙にやられてしまう。涙が水晶のように美しい。)
























岡 隆夫さん宅 訪問! 2005/10/10(月) 22:11:15
岡さんの「詩脈」が100号で終刊を迎える。年3回の発行だから なんと30数年という長きに渡っての 同人誌だった。
で 100号掲載の最後の 作品批評会を 岡さん宅で行う と
かなり前から 予告があった。


長く同人をしている人は 何度か 岡さん宅に お邪魔したことがあるようだが 私は 一度もお邪魔したことがないので 予告があってからずっと この日が来るのを楽しみにしていた。


かくて その日がやってきた。
金光へは 馴染みが深いが 鴨方駅に降りるのは初めてだった。小さな駅である。わたしが着くと すぐ数分後には 逆方向の岡山組数人がすぐに鴨方駅に到着してきた。さらに数分後 岡さん登場。それから 続々と参加者が登場してきた。
タクシーで岡さん宅に向かう。8分くらいで着いた。


一番手に到着した私達は岡さんの応接間に通される。
まさに 学者の部屋である。私達は談笑していた。
全員がそろうと 岡さんは ご自分のぶどう園に みんなを案内される。ぞろぞろと5分くらい山道を登る。岡さんがハサミで切って ぶどう園から葡萄の房をみんな渡してくれる。ピオーネである。みんなは葡萄の大きな粒を食べながらあるく。房が順番に回ってくる。どの房も同じように甘くておいしい。岡さんが丹精こめて作られた葡萄である。
さらに歩いて もうひとつのぶどう園へ。そこには大きな豆や大きなイチョウの木もあり 岡さんの 小さな隠れ家もあった。





もと来た道と別な道から引き返す。
お宅に戻ると 今度はお庭でバーべキューの準備がしてあった。
綺麗に切りそろえられた野菜、たくさんのお肉 おにぎりやフランスパンもあった。私はバーベキューはしたことがない。もっと若い頃 キャンプなどに参加した時は 経験はある。がそれは 何年前のことか。
Sさんをはじめ 何人かの人が どんどん ドラム缶に入れた炭の上の網に 野菜やお肉を載せるので 私は もっぱら 食べる方に専念した。あまり こういうことには慣れていないので すみません と思いながら。
































バーべキューが終わると みんな家の中へ。
ふた部屋をつっきって 長い机が並べられていて そこに みんな座る。全員で30人はいるだろうか。
ワイン通の岡さんが どんどんワインを運んでくる。これは 何年もの といろいろと説明を加えながら。ご挨拶なり 乾杯なりすんで たくさんのオードブルとワインで まちまちに歓談。原稿を提出している人はそこで 朗読の時間となった。十数人の人の朗読。わたしは3番目くらいだった。


秋の大朗読には 東京に用事があり 休んでいた。
しばらく間隔があくと 朗読するのに また 震えてしまった。
朗読で震えないためには 間隔をあけず 朗読し続けなければならないのだな と胸の内でのひとり思い。いつになったら 押しも押されもせず 堂々と 貫禄たっぷりで 朗読できるようになるだろう。
私は そうなりたい と思うのだけど。
「第三の扉へ」という詩を読んだ。


岡さんが家族を紹介する。
奥様 娘さん そのお婿さん お孫さんふたり。特に小六のゆうだいくんは みんなの人気者で かいがいしく みんなのお世話係をしていた。娘さんは他にもふたりいて お孫さんは5人だそうだ。
こんなにもたくさんの人が自宅に来る為には 場所そのものもさることながら 家族の協力がなくてはできないことである。お客に慣れていなくてはできない。  


それから くだものや さらにおつまみなど登場して みんなそれぞれに歓談した。みんな ワインを飲み放題である。私は少しづつお味見させてもらいながら ジュースやウーロン茶を飲みながら いろんなワインを試飲した。だれかが「私はオールドパー しか家では飲まない」なんて話題も出て「そうそう 私もなんよ」って言う。オールドパー??? オールドパーって何だ? 呑めない私には わからない。




お客様の中には知らない人もいた。
岡さんのエミールディキンス研究の 関係者の女の人は ピアノをひきながら 独唱をされた。集まりに花を添えられた感じ。

すでに時間は午後八時 となり お開きが近づく。
岡さんは とっておきのワインを持ってこられて みんなに振舞う。
そのワイン 私でも呑める まろやかな呑みやすい優しい味のワインだった。誰かが「おいしいーー!」と叫び そのワイン「悪い女」と命名する。それはどういうことか?悪い女には 悪い と想いながら どんどんのめりこんでしまう それほどおいしいワイン ということか?
詩人の集まりは 不可思議な言葉が 飛び交う。それがまた もうひとつの魅力でもあることも確かである。


帰りに 手土産に 全員にピオーネをくださる。
いたれり つくせり だった。
岡さん ありがとうございます!
ご家族様も ありがとうございました。(ぺこり)


帰って ピオーネを一粒ほうばると 岡さんの丹精こめた味がした。
「詩脈」の味がした。
とても 楽しい ひととき だった。(^^

<05・10・8 Sat.>












中四国詩人会 徳島大会。 2005/10/5(水) 08:42:26
家を出たのは午前7時だった。
それでも 現地の四国 徳島県徳島市 会場の東急in に着いたのは午後1時 始まりへの滑り込みセーフだった。
乗り換えがない 高速バスで行ったのだが 途中高速で事故があり 高速を通れなくて 違う道を行ったら 運転手さんが迷ってしまった。
運転手さんは「誰か このあたりの 地図に詳しい人はいませんか」と言い出す始末。そうこうしていると 事故解除になり もと来た道を引き返し もう一度高速に 乗ることに。予定時間より1時間遅い到着だった。
バスに乗っていた 同行の人たちは10人ほどいたので それほどの不安はなかった。
機転のきくひとが すばやく連絡をとってくれて ほんもとには 連絡は行っていた。なかなかの連携プレーだ と内心 感心していた。
スゴイ! やっぱりこうでなくっちゃ。参考になったが 携帯の番号を知っている など 親密さがないと できないことである。






現地に着くと 会の流れは ほぼ 総会が行われるのと だいたい同じ流れである。
私は 正式に 中四国詩人会理事として承認されました。役目は書記です。任期は2年。微力ながら みなさまのお力のなれるよう がんばります。


講演は 原 子朗さん(宮沢賢治イーハトーブ館 館長・花巻市)。
宮沢賢治 「春と修羅」から<真空溶媒>という長い長い詩を 解説されながら 輪廻 とか お坊さんの説法のようなお話をされながら 最後は とてもうまく 賢治の詩のところへ 着地した という感じの講演だった。


中四国詩人賞の表彰、(鳥取県 井上嘉明さんの 地軸に向かって)井上さんが ご自分の受賞詩集から2篇読まれ そして 各県からの朗読もあった。


徳島からのアトラクションは 群読と人形浄瑠璃だった。
群読したのは 詩脈 というグループ。エッ 詩脈? 私が属している同人の詩脈と 字も読み方も同じ。エッていう感じです。


(中四国詩集の解説をされる川野圭子さん)





今年 発行された 中四国詩人集 についての 解説コメントもありました。
中四国詩人会の会員は 約300名くらい。今日の徳島大会には 約120名ほどの人が集まりました。
来年は岡山県倉敷市で行われるようです。


Weblog のほうへ 写真をアップしますので 合わせて ご覧ください。(^^ 





(香川県 代表として 朗読される 夏田七重さん)

<2005・10・1>
















ショボン とする日もある。 2005/10/1(土) 02:01:42
水曜日は 映画が1000円 と安いので わりと 友達と映画を見に行くことが多い。東京より 1ヶ月遅れで今 サンウ氏の映画 例の3本が 福山シネマモードにきている。「同じ年・・」を4回目見に行き「神父」の3回目見にいく予定だった。





ところが 出かけようと思うと鍵がない。おかしいな。ここへおいたはずなんだが。どこを見てもない。約束の時間が どんどん近づいてきてあせった。鞄をひっくりかえしても 歩いた道筋を探してみても どうしてもない。連絡をとり 結局 今日会って 映画に行くのはやめた。


それから 再び家の中を捜す。捜してさがして また捜す。
これだけ捜してもないのだから 諦めて 次の方法を考えるしかないと思っていた。まさか 開けたまま 出かけるわけにもいかないし。

その鍵には サンウ氏のキーホルダーがついていた。
朝から 家を開けたこと といえば ゴミを出しに行った位である。
まさか ゴミ出しに行った わずか5分ほどの間に・・・とよからぬことを考える。もしかして サンウ氏のキーホルダーがほしくて テーブルの上に投げ出していた鍵を持ち去ったか なんて ありえぬ妄想が働く。


家にいれば することもたくさんあるのに しょぼんとした じめじめした気分の1日だった。
友達は 予定通り 映画を見た。そして 翌日 問題が解決したあかつきに 再び映画を見に行った。
無くした鍵はでてこないまま。家のどこかにあると思うのだが。それとも ひょんな感じで ゴミ箱の中にでも落ちたのだろうか。
それとも 鍵が 勝手に 家出したのか?


アクシデントは 突然やってくる。
遭遇して 腐ってばかりいないで どうあっても解決しなければ 次の手を考えなければならない。夢は諦めたら そこで終わりだけど 事柄によっては スパッと 諦めた方がいい場合もある。どうやら 今回はそのくちらしい。









明日は といっても もう午前0時を過ぎているので 今日だけど
大きな詩の行事があります。勿論参加する予定です。
報告 お楽しみに! 報告は 数日先に なりますが。



岡山エッセイストクラブのクラブニュース通信が届く。
この前エッセイを発表しているので デカデカと写真と名前を載せてくれている。
ちょっと 恥ずかしいけど 恥ずかしがってはいけないと思う。
載せてもらえることに 感謝しなくてはならない と思っていた。
(^^

ショボン・・・ 解消!









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