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TISATO日記

2007年3月

詩を ロンドンへ。 2007/3/28(水) 12:16:12
今度は 詩を イギリスのロンドンへ送ります。

ロンドンで行われる 「ロンドン国際文芸展」に 詩作品を展示してもらいます。ポストカード展です。4月の半ば頃です。


私は今まで 海外に詩を送ることに興味があり 2005年には 5月と8月にイタリアへ。
そして2006年の昨年3月には スペインでの詩画展 12月にはニューヨークへ詩を送りました。
2007年4月には ロンドンへ詩作品を送ります。
いずれも 翻訳されます。


世界中の 何処かで 誰かが 少しでも 私の詩に 共感してくれればと思い そのために 詩を書きます。
きっと ずっと 書き続けるのでしょう。

詠んでくれる人の 心の奥底に いつまでも鎮座できる そんな詩が 書けたらいいなぁ・・・。






ポエムの旅 2日目3日目。 2007/3/24(土) 05:41:41
2日目は 新幹線で 東京から京都へ移動。
仁和寺での朗読は午後2時からだった。
京都駅からバスで40分くらい と聞いていたので 午後1時20分のバスに乗れば 充分 間に合うはずだった。
ところが 実際には 1時間25分ほどかかった。
旅は 予測不能なことが多い。
なんと 京都の民家が火事で 消防自動車が次々と行き 渋滞に巻き込まれたのだ。



(消防自動車が10台は いた。)



1時間しかない朗読が 最後の15分しか 聞けなかった。
でも 遅れて行ったにもかかわらず 出版社の人が 入り口で待っていてくれた。
それから 専用バスで 京都国際ホテルに移動し 夜は 晩餐会があった。
朗読は3日間あり でも 私は次の日は 大阪だったので その日だけの参加 だった。
2日目には あの俳優の 辰巳琢郎が来て朗読をしたようである。



(朗読会場)


朝 京都国際ホテルのレストランで朝食をとっていると 硝子張りの日本庭園に ちらちら雪が降っていた。
京都の雪。
それだけで風情がある。
雪の金閣寺を思い出した。



(仁和寺;にんなじ と読む。境内)



3日目は 京都から新大阪まで 新幹線で移動。
新大阪から目的地まで これが又 ややこしい行き方を JRは 教えてくれたものだ。
3回乗り換えた。


ところが ここでもハプニング!
道中が長いので 列車の中で 詩が思い浮かんで 書き留めていたら 降りるべき駅を3つ 乗り越してしまった。
それから 逆に戻ったり 違う列車に何度も間違えて乗ったりで 同じ場所を行ったりきたり。
永久に 目的の場所には辿り着けないんじゃないか というような錯覚が襲った。
やっと八尾の駅に着き タクシーで会場に急いだら ここでも15分の遅刻だった。

同じ駅から4つの列車が行き来し しかも 大和路線も 行き先が2個あるのだから 乗客の人から「緑の電車に乗りなさい」と教えられて やっと 八尾の駅まで辿り着いた。
その間 約1時間 同じ場所を 行ったり来たりしていたのだった。






合評会に入って 私の詩を批評してもらえたのはよかった。
新たな見方を発見!
自分では気づかない部分を指摘してもらえるのが良い。
合評会のあと 近鉄の近くのお店で 懇親会。
大阪の人と 懇親を深める。
帰りは 近鉄に乗って帰ると 1回 鶴橋で乗り換えただけだった。
いや 違った。大阪から新大阪に行く時 もう1回乗り換えたかな?
しかし 行きよりも 随分簡単に帰れた。
<行きはよいよい 帰りはこわい> じゃなくて <行きはダメダメ 帰りは簡単> である。






福山に帰ってくれば 午後10時頃で いつもよりは 幾分早い 帰宅でした。
フ〜ゥ お疲れ様でした。


こうして 私の 東京 京都 大阪 の 詩的行脚は 終わったのでありました。
まる。
いつも でこぼこ の旅です。
それも 又 楽し。^^。
















連続 詩の行事。 2007/3/20(火) 02:37:32
だいたい ひとつの旅行には ひとつの詩の行事だが 今回は 連続3日間 詩の行事を はしごした。


3月16日には 夕方東京 高見順賞の授賞式に参加した。
3月17日には 京都 仁和寺であった 朗読会を見に行った。
そして 3月18日 Sun.には 大阪の 同人誌の合評会に参加して帰ってきた。
3日間で 東京 京都 大阪 と巡った。
行事がうまく 3日間 続けてあったので できたこと。
しかし こんなことは 初めて してみた。してみた というか たまたま タイミングが合った というか。


高見順賞の授賞式は 有名人の宝庫である。
横を向いても 後ろを向いても 有名人だらけで どの人とお話したらいいのか かえって し そびれてしまう。
昨年 お話した 盛岡の女医の人と お話した。そのかたは 高見順が生前 一緒に 旅などしたことも ある人だ。
高見順賞授賞式の 常連らしい。
盛岡で タウン誌など 発行している。
本当は 高見順のことを もっと聞いてみたかったが 広島のことのほうに興味を持たれ しきりに 広島について聞かれた。そして 自分の広島についての思いなど 話されていた。




(ホテル メトロポリタン エドモンド。歴程の授賞式も ここで行われる。)



授賞詩集は 岬多可子の「桜病院周辺」(書肆山田)
帰りながら 全部読んだが わりと 短い詩の 集まりである。
あくが濃い。
授賞詩集は そんなのが多い。
やはり インパクトがないと いけないのかな?

私は 花椿賞の 授賞式には出たことがない。
夏の歴程の合宿の帰り 詩人同士で 汽車の中で雑談した時「1回 花椿賞の授賞式に出てみたいわ」と話したら 「自分がとればいいじゃない」と言われた。
私は 言葉につまってしまった。
私の周辺で 誰かとられたら 私を授賞式に誘ってください。


授賞式のあと 福山の友達が たまたま東京に来ていたので 連絡をとって会った。
同じ友達なんだけど 東京で会うと なんとなく 地元で会うのとは感覚が違う。
よそいき の感じだ。
新宿の中村屋で 閉店間際まで 話した。
Sangwooの話で 盛り上がる。
彼女は 私の話をよく聞いてくれるので 彼女と話したあとは とてもすっきりする。やはり 彼女は 最高の友達である。


こうして 旅の1日目が暮れた。








初めての講演依頼。 2007/3/14(水) 01:59:07
初めて 講演依頼 のようなものを受けました。
といっても そんなにかしこまったものでなく ざっくばらん なもののようです。
というのは 東京で 詩の教室をしている詩人のひとから 秋か冬頃に
何でもいいので 話に来てください というものである。


私の中では このようなことを言われるのは初めてのことで 自分の中では これは小さな講演依頼だな と解釈したわけ。
でも 今 もうお手紙をもらって 考えているうち 1ヶ月たち。どうも私は決心するまでに 時間がかかっていけません。


以前も 詩の教室をやらないか と声をかけられ 決心するのに半年かかり いざ しようと申し出てみると もう立ち消えになっていました。チャンスはすばやく つかまえないといけませんね。反省すること しきりです。なのに また 同じことをしています。早く「行きます」とお返事をしなくっちゃ。







私はまだ 詩の世界に入りたての頃 詩の世界では 朗読は不可欠なものなのだなぁ と思い NHKの朗読教室に通ったことがあります。そこでは みんな 先生が決めた文学作品を読みましたが 私だけは 自分が創った詩をいつも朗読していました。
朗読教室のほかに 話し方教室もあり そこも見学させてもらいましたが そこでは 自分の思う事を 何でもいい 5分か10分 みんなの前で喋るのです。
私は 話し方教室の方がよかったんだけど 先生が朗読教室にしなさい と言われるので そちらにいました。
ところが その講座は土曜日にあり 詩の行事に参加する私は なかなか その講座に出られなくなり 1年余りで やめてしまいました。
しかし こつ のようなものは つかめたと思っています。


かくて 私の講演たるもの ここから初まります。
いったい 何をどのように どれくらいの時間で話すのか。
これは 私の これからの 新たな課題になりそうです。
いつの日にか たくさんの人の前で 魅力的なお話ができるようになるといいですね。


人前で話すのは苦手 震える なんて言っていられません。
がんばるぞぃ!(^^/。




沖縄の詩。ザッと。 2007/3/6(火) 01:03:50
ゆるゆると書いていくうち どんどん日にちは経ってしまいますね。
そうしているうちにも ほかの詩の行事が入ってきたりして。
書くのが 追っつかないほどですね。


沖縄の詩について ザッと感じた事を書いてみましょう。
同じ日本でも 東北のほうの言葉は 方言がきつくて 同じ日本語でも通じません。
沖縄でも 似たようなことがありました。
沖縄の人同士でも 4つある島には それぞれ方言があり 同じ沖縄なのに 言葉が通じない ということがあるようです。
ましてや 外から入ってきたものが その方言が わかるはずがありません。「おもろ」と言って 何かの行事の時 唄われる歌があり それが 膨大な資料として残っているそうです。その解釈も さまざま あるようです。






特に心惹かれたのは 朗読 でした。
みなさん とても声がよくて 意味わからずとも その声に ほれぼれします。
レジメ として配られた 朗読の詩には 方言と その解釈と 2段に分けて書いてあり 朗読する時 「私は上の段を読みますので みなさんは 下の段を見ていてください」と言われ いわゆる 紙版の 同時通訳のようにして 朗読されたので 意味もとてもよく理解できました。
そのようなことが ひとつめの講演でした。


ふたつめの講演は 演題が「沖縄 現代詩の挑戦」というもので 新しさを追及して どんどん 開拓をしていこう というような内容のものでした。勿論 沖縄の詩の歴史も話されます。
沖縄の詩が そのように斬新な方向を目指して行っているなんて ちょっと 驚きでした。
講演をされるかたの 声がとても大きくて ほとんど前列で聞いていた私は 昨夜の2時間半の睡眠もなんのその。眠気に襲われる余裕などはまったく ありませんでした。






立食の懇親会の時には 琉球舞踊や 古武道の模範演技など 見せてくださり 沖縄に来たんだなぁ なんて実感しました。
なんか 外国に来ているような そんな感じがありました。


かなり アバウト に書いています。
すんません。^^。



私の頭の中に 沖縄の詩のコーナー というのが できたのは確かです。








飛行機のお話の続き。 2007/3/1(木) 23:20:14
私の自慢の友達は もと 国際線のスチュワーデスである。
彼女と一緒に飛行機に乗ると 飛行機のほうも かしこまるのか 何事も起こらない。一昨年 Sangwooに会う為に ふたりでソウルに飛んだときには何も起こらなかった。



(ソウル インチョン空港。写真はSangwoo)



それより以前 一緒に北海道に流氷を見に行った時にも 飛行機は順調だった。











心のうちでは 海外旅行をするなら彼女と という感覚が 私の中のどこかにある。
いつか ヨーロッパに一緒に行けたら良いな。(言ってみるだけ。エへッ)    (上の写真は 北海道の流氷)




(雲海)



飛行機は 上昇することによって気圧が変わるので 耳の奥がキーーンとなる。その時も彼女は「唾を飲み込んでごらん」と注意してくれる。
今回の沖縄行きには 私は飛行機を降りた後も 耳の奥がおかしくて あくびをしようとすると 右の耳の奥が ぺキッと鳴った。まさか 鼓膜が破けた音では?と真剣に心配した。



だけど 悪いことばかりではない。
確かに 離陸着陸する時には 体が 大気中に投げ出されるように 実に心地悪いが いったん機体が安定すると 丸い窓の外は別世界である。飛行機は 雲のその上を飛ぶので 真下に雲の海が見えるのである。よく 童話なんかで 雲の上を 飛び石のように飛ぶ光景があるが まさに それができそうである。
雨上がりの 空の上は 晴れの時とは また光景を異にする。
雲は盛り上がり その間に ちょこっとの青空。そして 沈みかけの夕日が まぶしく美しい。
行きの時は 通路側の席だったが 帰りは窓側の席がとれた。
この点はラッキー!
地球の丸さなのか 黒とオレンジと青の 宇宙の競演。
美しい うつくしい ウツクシイ と3回は叫びたい。



(那覇空港内)



俳優の誰だったか 日本からニューヨークに向かう飛行機の中からオーロラが見えたと言う。
オーロラ!これも 私が 今後見てみたいと思う自然のうちの ひとつだ。フィンランドのオーロラ 見てみたい。寒がりのくせしてね。
(まぁ 言ってみるのは タダである)



で 詩のお話は いつから始まるの?
って 質問が飛んできそうですね。
ハイ!次回こそは。


ハイ!(^^/。

























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