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TISATO日記

2008年11月

「地球」の主催者   秋谷豊さん   ご逝去。 2008/11/24(月) 13:44:55
昨日 11月23日 東京から帰ってきました。
2泊3日のスケジュールで 行きました。
詩の行事に 参加するために 上京していました。
11月22日土曜日には いろいろな場所で 詩のイベントが行われていたようですね。
いつも見かける人を見ないので 聞いてみると ほかのイベントに出ている というお返事が 聞いた人から返ってきます。










私は 「地球」というグループの同人なので 地球祭に参加してきました。
ところがです。
福山を出かける前夜 大変なことが 電話連絡されてきました。
「地球」の主催をしていらっしゃる秋谷豊さんが お亡くなりになったというのです。
本当に エーーーー!と 電話先で 叫んでしまいました。
1月の合評会に お会いした時には あんなに 若々しくて おシャレで お元気だったのに。




詩祭当日の 午前中  お葬式に参加してきました。
棺の中の お顔は とても綺麗で 誰かが 「サムライのようなきりりとした お顔だ」と 言われていました。
秋谷さんの メインスタッフとして 詩祭のおもな用事をしていた Sさんが 花をたむけるとき 棺の中の 秋谷さんのお顔にさわろうとしていました。
きっと 彼は 人前では泣かないけど 誰もいないところで 号泣されているんじゃないかと思いました。





私も含めて お葬式に出た人は あわただしく 午後からの詩祭に 移動しました。
地球賞の表彰は 予定通り 行われましたが 詩祭の内容は 変更されて 壇上には 秋谷さんの遺影を飾り 秋谷さんの追悼会となりました。
それぞれが 秋谷さんの 思い出を語り そのあとは 5月に行われた 韓国での詩の行事の 再現となりました。











地球賞は 中村不二夫さんの 「コーラル」(土曜美術出版)でした。
いつもの詩祭よりも ハプニング続出の とても 人間深い 血の通った詩祭となりました。秋谷さんが 空中で さまよいながら なんとなく指揮をとっていたのでしょう。
秋谷さんは 11月18日 午前1時51分 上下腸間膜動脈閉塞のため 86才で お亡くなりになりました。
また ひとり 詩の世界の 生き字引のようなかたが お亡くなりになりました。




心より ご冥福を お祈りいたします。








朝日新聞 「ひととき」へ  エッセイが掲載される。 2008/11/18(火) 12:56:36
11月17日 朝日新聞 朝刊 「ひととき」欄へ 投稿したエッセイが掲載されました。^^。




大阪の新聞社から まず 掲載の旨を お電話で連絡を受けました。
ちょっと投稿してみようかという気になり 初めて投稿したのが 掲載の運びになりました。
でも ここで安心してはいけません。
毎日新聞の時だって 投稿してすぐに掲載してくださったけど そのあとが いけません。
以後 ポシャッたままで いまだ 立ち上がれないままです。
一番最初に 投稿したのを載せてくださるのは 「よく いらっしゃいました」との意味で 歓迎を祝して 載せてくださるのかな? と ふと 思います。
それは 毎日新聞のことが あるからです。
これから ずんずん 投稿して 数回載るようなら 多少は 実力があるかな?と 思えるのかも しれませんね。




いずれにしても 新聞に 自分の作品が掲載されるのは とても
とても 嬉しいことでは あります。
くどいようですが 嬉しいのでありますよ。^^。
ふふふ・・・・・。^^。




私は ずっとずっと以前 読売新聞 「ティータイム」へもエッセイを掲載してもらったことが あります。^^。



東京   歴程  授賞式へ。 2008/11/11(火) 20:34:36
11月7日 金曜日。
東京の メトロポリタンエドモンド に 行ってきました。
ここは 中央での 主な 詩の授賞式が行われるホテルです。
何回も 行っているのに 一度行ったら次に行くまでに かなり間隔があくので いつも 迷ってしまいます。




東京駅から 地下鉄東西線に乗って 飯田橋下車。
一応 改札の駅員さんに聞くんですが こう行ったら近いよ と教えてもらっても やはり 記憶の中の回路に沿って 東京駅から出て 長い長い地下道を通り 東西線の乗り場まで やってきました。
飯田橋について 地上に上がると そこからは 徒歩5分くらいです。
夜になると メトロポリタンエドモンドのホテルの周りには 一年中 クリスマスイルミネーションのような 灯りがともっています。




つい5日前 神戸で会った人たちが たくさんいました。
「ふたたび お会いしましたね」なんて 声をかけあって。





今回の受賞者は 北川透さんなんですが 今年は 北川さんが 受賞しっぱなしです。
一度賞をとると 賞の道ができるのか ひとつとったひとが 再び とる とのようなことが あるようです。
いいですね。ひとつでもとるの 大変なのに ふたつもとるなんてね。
中国新聞のかたも 取材に来られていました。
聞いたような お名前だったなぁ。





北川さんが 写真を集団で撮られている中に ヒョイと 入りました。
うん!これで 証拠が残りました。
会場の席が自由だったので 舞台がよく見える空席をゲットして座りました。
若い女の子がふたり。
イベントの間 ふたりの女の子が 場所を移動しながら しきりに写真を撮りまくっていたので 私は てっきり 新聞社の女の人だと思っていました。





すべての過程が終わり 立食のだんになって 「どちらのグループに属していらっしゃいますか?」と 私が話しかけると 「北川の 娘です」と 名乗られてビックリ仰天!
アッ 写真写真!と言って さっそく 一緒に写真を撮らせていただきました。





大きな受賞をされるような詩人とは 過去の個人的なことについては あまり わからないものです。
それを 解説をされる佐々木幹郎さんが 昔話を交えて語られました。
この部分を 聞き得ただけでも 東京まで 来たかいがあったと思いました。




二次会は ぐるぐるぐると回って ホテルの裏にある 居酒屋のようなところ。
思えば ここも 何回か来たことがありました。
伊藤比呂美さんが 高見順賞を 受賞された時の 二次会も ここでした。
あの時は Sさんと 一緒だった。
時の経過とともに 人間関係も変わってきます。
仲良くなれるのはいいんですが 疎遠になるのは悲しいですね。




高見順賞の 事務局のひとも来ていて 「また 案内 お送りしますね」と言われたけれど。
いつの日にか 受賞者を見守る人ばかりでなく その当事者になりたい と思うのは 私の はるかなる夢です。
きっと 参加している すべての人が そのように思っているでしょう。
ずっと続けていたら そういう日が やがて やってくるのでしょうか。
私は 地方では ちょこちょこ賞はもらいますが 中央ではひとつだけ 小さな賞をもらったことが あります。
ちょっと 呟いてみました。




その日は 東京に泊まりましたが 帰ったら翌日は 岡山の出版記念会の予定が入っていたので なるべく早く 東京を離れました。





ちなみに 北川透さんがとられた賞は 歴程賞 というものです。中原中也の研究集大成 の本に対して 送られました。
思潮社から。6800円です。





神戸で 詩の朗読! 2008/11/4(火) 03:23:35
11月1日〜3日まで 三宮の 神戸女子大学教育センターで 詩のイベントが 行われた。
本当だったら 連続3日間 出席したかったけれど いろいろ事情もあり そうもいかなくて 2日目 日帰りで参加した。




神戸女子大学は 以前 中也の会が開かれたところで 1度行ったことがあったので 迷わなかった。
三宮の駅を降りて 徒歩10分くらいなのだけど 行く途中 新井豊美さんが あちこちしていたので 声をかけて 同行した。ちょっとだけ お話ができて よかった。




行くと すぐに 分科会になっていて 私は「女性詩の今」のタイトルの分科会に参加した。
いろいろと 討論など行われたのだけど 20代の詩人の しっかりとした発言に びっくりする。
20代で あのような意見が言えるのを 見習わなくては と思ったものだ。
ちょうど 新井豊美さんも この分科会の講師だった。
神戸は近いからだろう 岡山組 広島組の知り合いも数人参加していた。
集まりに参加して 慣れた顔に出会うのは 安心して なんとなく 心強いものだ。




そこが 終わると昼食。
みんなで 近くの中華料理屋さんに 食べにいく。
細見和之さんが エスコートしてくれて 一緒に食べた中に 佐々木幹朗さんも いた。
佐々木幹郎さんは たばこを吸うひとだったんだな と どうでもいいことが気になった。




午後の始まりは 1時からだったんだけど こんどは2つに別れた分科会だったので 大きな教室に 結構な人数だった。
きりきりの時間に行ったので 一番後ろの席しか 開いていなかった。
討論のテーマは「詩の 読む自由」というものである。
北川透さんが 最後の頃 中国新聞の 詩壇について 紹介していた。北川さんは 中国詩壇の選者をしておられるので。
私も 10回くらい 選んでもらった。そのうち3回くらいは 詩壇賞を もらった。
今は 投稿していない。




出版社のひとも 数人きていて 詩集を売っていた。
私は 新井豊美さんの 女性詩について書かれている本を1冊買った。
すると イベントの終わる頃 出版社の方が 「参加されているひとに 今持ってきている本の中から 1冊ずつプレゼントをします」と言われた。
持ってこられている本の中には 買えば 結構なお値段のするものも あったのに。
誰かが 出版社の人に 「ヨッ ○○! 太っ腹!」と 叫んでいた。みんな 我先に と詩集を選んでいた。
私は この時は 佐々木幹郎さんの 「悲歌が生まれるまで」とタイトルの付いた詩集にした。2800円です。
本を完全に手にした時 すぐそばに 佐々木さんがいたので サインをお願いすると こころよく応じてくださった。
ヤッターーー!^^。
勉強のあとの 懇親会にも出席してみた。
ものすごい人数だった。





三次会まで ちょこっと 着いていったんだけど 三次会の会場は 随分前 1度行ったことがある「カルメン」という スペイン料理屋さんだった。
ここは 年に1度 ロルカ祭という 詩の朗読会が開かれる場所である。
三宮の地下鉄のすぐそばだ。




あれあれ・・・肝心な朗読のお話が あとまわしになりました。午前と午後の分科会が 終わった後に 予定時間をすこし過ぎて階段教室のような教室で 朗読会がありました。
伴奏に ベースを 即興でつけてくれます。
18人中 私は4番目でした。
久し振りだったので とても ドキドキしました。
第一詩集のなかから 「空と道が 交差する場所」を読みました。
一番最後に 佐々木幹郎さんも 朗読されました。
12月には 佐々木さんは フランスでも 朗読されます。




朗読は いつまでたっても 慣れません。
いつも 読む前は ドキドキします。
今日も 明日も あさっても 毎日朗読すれば ドキドキしなくなる とは思うのですが そんなに機会もありません。
1回朗読すると 次の機会は リセットされるくらい間があくので また最初からという雰囲気で いつまでたっても 最初 の感覚です。
なんとか 楽しんで朗読できるよう なりたいものです。




ひとつ行事に参加すると なんとなく それが自分自身の血肉になるような気はしますが だんだんと いろんな事情があり むずかしくなってゆくようです。
私としては 常に このようなイベントには参加したいですが。久しぶりに お会いする顔もあり 少しでも お話できて よかったです。
1日目のみの参加の人もあり その方たちとは 擦れ違いでした。
その点については お会いできず残念でした。
 



アッ 灰皿町のかたとも お会いできてよかったです。^^。
個人誌の交換をしました。
読ませていただきます。
ありがとうございました。





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