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TISATO日記

2010年3月

パリャーソ  &  谷川俊太郎さん。 2010/3/24(水) 18:17:07
菜種梅雨が降りしきる 寒い夜 友達とふたりで 尾道まで
でかけた。
目的は 谷川俊太郎さんの 朗読ライブを聴くため。
友達は 8年前 倉敷で聴いて以来 という。
教えてもらわなければ あることさえ 知らずにすぎた。


場所は なかた美術館。
奥山民枝さんの 絵画展示とコラボレーション。
谷川さんの息子 賢作さんが ハーモニカのひととふたりで創っている「パリャーソ」というグループの演奏もあわせてあった。
詩の朗読と 賢作さんの演奏と そして 奥山さんと谷川俊太郎さんの対談と。それが かわるがわるの感じで。


谷川俊太郎さんの詩の朗読も さることながら。
息子さんの賢作さんは ジャズピアニストなんだけど。
100人くらいが入る会場で 2列目の席をゲットできた。
賢作さんの演奏が 若干1メートルの場所で聴くことができた。
それは 私だけのために演奏されている という感じで。
谷川賢作さんの演奏が こんなにも 至近距離で 生演奏として聴ける機会は もう ないのではないか と思われるとさらに感動的で 迫力あるすばらしいものだった。


谷川さんたちは 前日は 大阪だったらしく 若干 すれ違い気味の 親子の会話もおもしろく 楽しめた。
つぎは どこへ行かれるのだろう と 気になった。


ライブが始まる前 絵画の展示場におかれた 中央のソファーに
谷川さんが ひとりで おられた。
話しかけようと思ったら できないことはなかったんだけど
眠っていらっしゃったから きっと疲れていらっしゃるんだろうな と 話しかけるのはよした。
でも 友達は サインをもらおうかと谷川さんが書いた本を持参していた。
が 不発に終わってしまった。
岡山のオリエント美術館?であったように 本を売っていて
買った人がサインをもらう とのようなことがあれば 難なく
サインはもらえるんだろうけど。
今回は そのようなのは なかったから。


賢作さんは 尾道の向島の洋ランセンターでも 演奏したらしく
わりと 尾道には 来られるんだなぁ と思った。



やっぱり 谷川さんは 詩の神様なんだな と 実感できた。
賢作さんを気遣う 父親としての一面を目にする時 やはり
なんとなく ホッとする。
偉大な詩人も ただの父親の面もあるんだなぁ と思うと。
賢作さんには 小4の男の子がいて。そうか 谷川さんも
お孫がいる おじいちゃんなんだぁ と思うと それも 新しい発見だった。



ライブは なか15分の休憩をおいて 2時間あまりあった。
帰る時も 菜種梅雨は しとしとと降っていた。
雨が降ってさむくても 心の中は ほっこりとしていた。






参加したい と思う場所。 2010/3/15(月) 18:20:04
心地よくて 楽しい場所には ひとは いつまでもいたいと思うだろう。
そして だれも反対する人がなく なんでも あいづちを打ちながら ふんふん と聞いてくれる場所では 話し手は 安心して 喋れるだろう。



韓国スターの集まりの会では そのようなことが見られる。
もしかして 心の中で それは違う と思う人がいたとしても
それを あえて 口にはださない。
じゃぁ しゃべってるひとが 絶対的存在か というと
その部分も そうでもない。


詩の世界に 入りたてのころには 同じようなことを感じていたが この頃は ちょっと そうでもないな と思うようになった。



私は 基本的には 韓国俳優 クォンサンウのファン なんだけど この頃は リュウシオンの 集まりにも 出入りしている。
サンウと シオンくん(ファンの人は そう呼ぶ)は アービング といって 日本での所属事務所も一諸である。
1カ月に1度 お茶会 といって 集まって喋る会がある。



サンウの会も そのようなのがあるのだが サンウが結婚して
ファンの心は 微妙なずれを 生じるようになった。
でも 古いファンは 別として この頃 サンウには
新たなファンが 増えているようである。



その点 シォンくんは まだ 結婚していないので なんの
波風もたたず ファン意識は 進行しているようだ。


ほかに なんの共通点がなくても ただひとつ そのひとの
ファン との意識が より 人と人とを 近づけている。



なにごとも 楽しくすごしたい。
笑える場所では ナチュラルキラー細胞(免疫力)が活性化して
病気もふっとぶ。



鏡を見て 口角をあげて 笑ってみれば それだけで 脳が
楽しいことしてるって勘違いして 体には 良い影響をあたえるらしいよ。



だけどだけど 韓国では 女の人は 男の人に むやみに
笑っては いけないんだって。
誘ってる と思われるらしい。
お国柄の違いだよね。


今日のお茶会は フレンズさんの 独演会のようでした。^^。


書のグループ 40周年記念パーティに参加。福山で。 2010/3/4(木) 16:42:40
2月28日 日曜日には 私が属している「書」のグループの
40周年記念パーティが 福山の某ホテルでありました。



広島県 広島市や福山市の 政財界のひとたちメインメンバー
400人 福山市長さんも出席されて 大々的なパーティでした。


こういう大人数のときには 立食とか オードブルが多いにも
かかわらず ひとりひとりに お料理を運んでくれる形式で
お料理もおいしく 大満足でした。
裏方のほうは 400人分のお料理をつくるのに さぞ 大変だろうな と思いながら 食べていました。
創作料理でした。



もう 終わってしまったんですけど。
天満屋8階にて 150人ほどの生徒の作品。(ここに 私は
「瀉の中」という作品を展示してもらいました。)6階では
先生の作品。福山美術館でも 有志の作品を 1週間にわたって
展示してありました。
その 締めくくりにあたる パーティ でした。
先生は 涙ながらに あいさつされていましたよ。




パーティの中で 先生は 書の パフォーマンスをされました。
さすがに 先生です。
なまの太鼓の演奏をBGМに なかなか 迫力あるものです。
先生の字 いいなぁ と思いましたよ。
畳 3畳くらいの紙に 書かれました。



この日は 倉敷でも 谷川俊太郎さん 佐々木幹郎さんの 詩のイベントが あったんですね。
私は以前 大原美術館で されたのを 見に行ったことがあります。
詩人のかたは たくさん 行かれたでしょう。



書の 40周年記念パーティは 1回しかないので こちらのほうを 優先しました。
ことしの私は 少し書のほうに力をいれなくては と思っています。
いままでは さんざん 詩のほうに 力をいれてきましたが。



書も詩も 両方 私にとっては 大切です。








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