ミシャ・メンゲルベルクの音
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ミシャ・メンゲルベルクの音



 2003年のことしの横濱ジャズプロムナードの初日(10月11日)は、赤レンガ倉庫のホールでミシャ・メンゲルベルクと豊住芳三郎のデュオの、なんと言ったらいいのか、まあ、インプロヴィゼイションとプログラムには範疇分けされている演奏を聴いた。メンゲルベルクは約四十年前の、エリック・ドルフィーさいごのアルバム『ラスト・デイト』における印象的、というよりはその鮮烈さでもって私などがヨーロッパのジャズピアノ・スタイルというもののある側面を否応なく認識させられたピアニストだけれども、ドルフィーと共演したそのとき彼が二十九歳であったことを、ふつつかながら今回初めて知った。ふつつかついでに申せば、デュオの相方の豊住芳三郎というひとのプロフィル、略歴など、これも初めて知るところとなったのは甚だしい不徳の致すところではある。
『ラスト・デイト』を知ったのは、あれは、私が十八、九の頃だから、アルバム収録のリアルタイムからすればたかだかその七、八年後にすぎない。当時のことはちっともなつかしくないが、東京や京都や金沢の街のあちこちで、フリーやらフュージョンやらの音が鳴っていて、その音の極端な不快さに堪えていたりあるいは逆に脳天を突き抜けるような痙攣的な快感に見舞われたりしたけれど、セシル・テイラーや当時のチック・コリアなどとは異なった、私に言わせれば韜晦をふくんだ透明感とも言うべきものをメンゲルベルクに感じたのは事実で、それは極端な不快さや痙攣的な快感とははっきり違っていた。それはなにも、このアルバムにおいて高名な「YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS」における、天上からやって来るかのような冷酷さ、かぎりなく明晰な酩酊、みたいなピアニズムに収まりきれるものでないことを、ことし、あの場所で確認できたのはなによりも私にとって幸いだった。
 メンゲルベルクのポートレートを一葉だに目にしていない私にしても、初めて見たその風貌は意外だった。上体のいかつい白猿という印象だが、一目よれよれの老人と言ってよく、手にストローを挿したジュースのパックとミネラル水のペットボトルを持ち、巨顔のせいか装着すると極端に小さく見える風邪用のマスクを顎にひっかけた姿は、六十八歳とは聞いたが、同年代のニッポンのおじさん、おばさんたちと比べてみても、頽齢という言葉が浮かんできて仕方がない。登場して最初、駅で配られたとおぼしきティッシュほか、手にしたものを用意されたグランドピアノ上のどこそかに置こうとして果たせず、けっきょく足許の舞台板上にゆらゆらと立てて、それからいきなりはじまったインプロヴィゼイションという名の音楽、そして音楽という名の無私の祝福はわれわれを幸せにした。
『ラスト・デイト』の印象が強いせいか、(またプログラムを精査していなかったこともあって)恐らくはピアノがメインであるはずにもかかわらず、ほかに楽器はドラムスがあるだけで、最低は存在するはずのベースがないのはなぜなのかとふと思ったりしたが、はじまった演奏そのものの導きによって疑問は氷解した。ベースに意味がないのだ。デュオというのは正確ではなく、これはコラボレーションと言った方がよい。決められた一定の調性もなく、ベースによって支えられるべき決まったリズムもない。ドラムスが(のちにピアニストも)いろんな、まあ、パフォーマンスに類することをおこなうけれど、それは、あたりまえだが視覚的肉体的表現ではない。私が目撃もふくめてそこで立ち会ったのはあくまでも音の顕現である。いま調性もリズムもないと言ったが、それは「決められた」それらがないということであって、音楽の専門家がよく口にする「まとまりのない音」、往々にしてフリーや前衛がそれと誤解されがちな非・音楽とは異なる。一音一音、また響きあう音の塊から塊への繋がりには微妙な連続と快活な非連続とが存在し、生演奏でしか感じられないおどろくほど鮮明な音の強弱は、この場で鳴らしている彼らが凡庸でないステージに達していることをうかがわせた(弱音がときに耳を聾するばかりに聞こえることがある、ということからも明らかなように)。
 豊住芳三郎の音も愉しかったが、メンゲルベルクのピアノはさまざまな色彩と絵柄を展げたつづれ織りのようで、とりわけて愉しかった。そこには、海の底に沈んだ寺から鳴り響いて来るみたいな重厚な鐘の音や、子供たちが樅の木を伐りに行く新年の唄声や、伽藍にたちのぼる祈りの声、アフリカ系アメリカ人の木綿畑や娼館での物憂いあるいは軽快な声、大洋を渡る奴隷船の銅鑼の音、深夜のアムステルダムのシガーと霧の匂いといったものの存在を私は感じた。つまりこの世のじつに賑やかで多彩なことどもが夢のように浮かんでは消えるのであって、私たちの目が聴いているのは舞台上の、十月の陰影にみちたプレイヤーが発する音の数々の現象ではあっても、同時に耳が見ているのはほんとうは亡んでは生起する前の千年、次の千年のきらびやかな中空の軍勢たちだったような気がする。
 演奏の頂点でピアノから離れて立ち上がり、聴衆にむかって咆哮の声をあげたピアニストは、舞台が終わる去り際にふたたびよろよろとティッシュペーパーやペットボトルをかき集め、去ってゆく後ろ姿の右手指をたかだかとあげて、剽軽な天使みたいにガーゼのマスクをくるくると回しながら消えた。さいきん思うのだが、次のごときは、ある希望の言葉として読まれるべきだと、私は考えるのである。


 音楽は演奏とともに中空に消え去ってしまい、二度とそれを取り戻すことは出来ない。             (エリック・ドルフィーによる『ラスト・デイト』録音中さいごの発言)


ゆぎょう五号 2003・11月


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