せめて塵無く
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せめて塵無く



 小樽の杉中昌樹さんの慫慂で何か写真論のようなものを考えていたところ、朝日の夕刊に次のような歌が出ていた。矢部雅之という、ほんらい報道写真をなりわいとする人のものだ。
 真実を写せるなどとは思はねどせめて塵無くレンズを拭ふ

 うまい歌であるかどうかは読み手の判断に委ねるとして、歌にそなわる誠実さから滲み出る品格のようなものは賞するに足るであろう。けれど私がここに引いた理由は歌の内容であって、こういったことは誰しもが抱く実感に近いのではないだろうか。
 いきなり原則論からはじまるけれど、私たちの目の視覚というものとネガに定着された現象(像=イメージ)というものは同じではあり得ない。前者が心というものを通過したうえで、すなわち時間というものを一度くぐったうえで得られる像であるのに対し、後者はそれ自体としては純然たる空間に示された像にすぎないという違いがある。ことは精神心理的なことがらに属するが、目の視覚にとって心の了解が無ければ視覚像そのものが成り立たなくなる。言い換えれば心をファンクションとしない映像それ自体というのは存在しない。(じつに、あたりまえのことだが)同じように、写真に定着されたものは厳密に言って、影や色むらや線の集合にほかならず、それが像となり現象となり現実を写したものとなるためには、心の形にかなり似た、方法性や画面(ファインダーからの)の切り取り方や処理の仕方などが必要となってくる。それが、一首の「真実を写せるなどとは思はねど」の意味である。
 いっぽうで写真について、絵画があるぎりぎりの地点までその性能を伸ばし、成熟しきったところで写真にバトンタッチした「記録」としての側面が重要であることを、今まで述べてきたことで否定しているわけではむろんない。実際に砲弾が飛び交い、酷暑の砂漠や寒冷な海、血や屍体の臭いが立ち昇るなかで切られたシャッターの画面のそこここに、その現実のなかでしか存在し得ない鋭いディテールを、私たちはある迫力とともに認めることができる。絵画や録音や、それどころかときとして映画、ビデオさえも超えることがある写真表現というものを考えるとき、私たちはカメラマンが「現場」に立ち、映画撮影やビデオカメラを扱うより可成り自由に立ち居振る舞う、ということの意味について、(その頽廃的ともなりうる側面も含めて)しばし沈思せざることを得ない。歌の下の句「せめて塵無くレンズを拭ふ」が圧し出す、ひそかな沈黙と厳粛の味わいはこんなところから来るのかも知れない。
 「記録」性ということからいえば、写真よりもその特徴が突出したものとして、例えば設計図や地形図、人体模型図あるいは遺跡の発掘図みたいな図面類が考えられるだろう。写真が発明される以前は、画家や職人がそのうえに肉付けや彩色や陰翳をつけていったのである。著名なところではレオナルド・ダ・ヴィンチやレンブラントらが挙げられ、次いで博物学の時代である十八世紀の東西の画工人たちが思い浮かべられる。円山応挙なんかの鳥や動物、植物を描いた画帳類もこのムーヴメントに入ると考えられる。それらはまさに「写真のような」表現と言っていい。ちなみに、楽譜と演奏の関係、脚本と演劇そのものの上演の関係も一考に値するが、今は措く。
 写真表現が、それらの精巧な模写とやや異なるのは、写真が目の視覚像にあたう限り似通う性格を有していることで、ひとことで言えば画面のなかに時間が持ち込まれたということなのである。私たちは、極端な話、リンゴの写っている写真をまえにして、リンゴという物質を見ているのではなく、リンゴという事実を見ているのだ。リンゴという事実は何を意味するかというと、リンゴの硬さ、味、色(モノクロでも同じ)はもとより、それにまつわる神話や産地や歴史、経済関係などを無意識のうちに前提してリンゴの写真にむきあっているということだ。写真が示すのはそれらけっして単純ではない連関や多義性そのものなのである。逆に言えば、(報道写真など)写真の映像だけを取り出して見せられても、それだけでは何のことか(すぐには)わからないだろう。その連関や多義性そのものの位置づけとしてキャプションというものが必ず添えられるのだと思う。まあ、それがなければ何を歌っているのかわからない(客観化されない)、日本の詩における詞書のようなものであろう。
 これ(キャプション論)には異論もあろうかと考える。では芸術写真やポルノグラフィーに類する写真類はどうなのかと。前者の場合、タイトルそれ自体が機能としてキャプションも兼ねていると思う。「記憶」とか「仮面」とか「無題」とか、適当に考えてみても、タイトルの裏側にぴったりと張りついたキャプションという側面から、どんな芸術写真でも逃れ得ないのではないか。同じ「視覚的なもの」を用いているとしても、絵画表現とは明らかに異なると思う。絵画のタイトルからは、コンセプチュアルなものを除けばどんなに逆さに振ってもキャプションという性格は出てこないはずだ。ポルノグラフィーについてはそんなに詳しくはないけれど、その画面における、誰でもがポルノグラフィーと判断しうる「約束事」自体が、連関や多義性のなかの独自の位置づけ、ある種無形のキャプションとしてそこにただちに現前しているのではないだろうか。ある特定のものを露出しなかったり、あるいは表現しないポルノというのを思い浮かべるのは、実際むつかしい。
 このキャプション論に至る一連の叙述、私にとっては前置きのつもりが本文そのものになってしまったのだが、じつは一昨年に見たセバスチャン・サルガドの『EXODUS』という写真展について書きたかった。エクサダスとは移住、脱出の意で、ほんらい旧約の「出エジプト記」におけるユダヤ人のエジプト脱出の連想を伴う言葉のようだ。東急のBunkamuraでおこなわれたこの展示会は、圧倒的な迫力をもって私を襲った。八〇年代のある一時期、二十世紀までの人類が課題としてきた、貧困の撲滅、飢えの解消、社会正義の確立というものが実現されかけたかに(私はそうは思わなかったけれど)語られた、それらすべてが、そんなものは虚妄であったことを示す三百枚を越す影像が、私を打ちのめしたのだった。そこにあるのは、貧しさから脱出しようと農村部から大都会に出て、さらに貧しくされ難民化した人々、西欧列強や米ソがいきなり手を引いて荒んでしまった国々の、虐殺や飢えからネイティヴの地を追われ、さまよわざるを得なくなった老人や女子供、伝統的な農耕地のすぐ近くに迫る高速道路や高層アパート、遺棄されたストリートチルドレンたちの絶望の眼、世界の圧倒的な部分をなしながら生存すら危ぶまれる貧困層と、世界の圧倒的な富を寡占する富裕層、それに属する階層によって為される徹底的な非正義、不正、悪夢のような暴力……。十五年前に誰が想像し得たであろうかと思うほどのヒエロニムス・ボッシュのごとき夜行図をまえに私は立ち尽くしたのだが、二年後の今、イラク、パレスチナあたりを坩堝としてもっとずっとひどいことになっていて、今後さらにひどくなってゆくのだと、思いを致さざるを得ない。

「ロックと詩の輪」掲載


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