神秘主義的音楽会
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神秘主義的音楽会



 04年7月25日の昼、三軒茶屋のキャロットタワーにある世田谷パブリックシアターに「イスラームの神秘主義の音楽」とされるカッワーリーという、まあ、ritualというか祭礼というか、そういった催しを見に行った。酷暑のなかである。
 イスラームの儀礼だから当然、コーランの祈り上げからまず事は始まる。サイヤド・サダーカット・アリーという人の朗唱なのだが、やはりこの人はたんなる歌い手というよりは、さだめて何階層か何十階層かあるイスラームの宗教的なヒエラルキー、職分の、いずれかに属するのであろうかと思う。コーランの肉声による生の朗唱を聞いたのは初めてであったが、これはうっとりするようなものだった。私のなかでは多分に異国趣味(エキゾティシズム)であり、文学的ととられてもしようがないかと初めは感じつつ、でもこの音や文節、節回しは、虚心坦懐に考えれば、けっして人の心を煽るものでない鎮静的な側面を持つ「宗教」というものの普遍的な性格と無関係ではないと思い至る。この朗唱の裏側にあると直ちに感じたのは、岩山やその稜角から降りそそぐ光線、羊や没薬の匂いのほかに、スペインあたりのロマ族が奏でるフラメンコ(男声の歌を含む)の音階の震えであった。声質の野太さもどこかそれに似ている。
 これはイスラームを奉賛する帯域で幅広くおこなわれているはずのコーランの朗唱だから、当然カッワーリー(北インドやパキスタン発祥の大衆歌謡)ということには限定されない、インド・ヨーロッパ語族というか、さらにユーラシア単位で考えられるべき「文化」というものの交錯の結果なのであろう。イベリア半島やラテン地帯、バルカンあたりにいるロマがインド北西部起源の民族と言われると、ある種奇異の感覚を抱かされるけれど、ほんらい地域と宗教の区別は、一人の人間が他の人間には物理的には成り得ないというほどの絶対性を持つものではなく、長い目で見ればAがBになり、CにもDにもいかようにも変容しうるという、融通性のただなかに置いて一度眺めてみてもいいのではないかと、そんなふうなことをふと思った。
 融通性とはいってもそこは宗教である。われわれは見に聞きに来たのではあっても観光に来たのではない。例えば奥三河の花祭を拝見させてもらうとき、社務所に一升奉納するように、料金を払って来たのではあっても祭祀にはそれ相応の敬意を示さなければならない。コーラン朗唱の後はカッワーリーほんらいの儀式であるけれど、この儀式が聖者の霊廟でもともとおこなわれる性格のものであり、イスラーム聖者の霊的実在に捧げられる歌舞であるため、おそらく聖者の霊のヨリマシとして司祭が座に呼ばれる。ドールという首から掛ける太鼓と、チャルメラみたいなシェヘナーイーという笛、それから二本の剣のような金属板を打ち鳴らすチムターという打楽器が露払いの役割を果たす。このときと、それから聖者たちの名前が連呼される最も神聖な「ラング(色=喜び、昂揚、満悦の意)」という演目のときの二回、聴衆は起立して礼を示すことを求められる。
 司祭が座につくと、主唱者(シェール・アリー)と、副唱およびハールモーニヤムというオルガンともバンドネオンの原形とも見える楽器の奏者(メヘル・アリー)を中心とした、この二人以外は全員若者である唱者たち(男性)が設えられた舞台に乗る。カッワーリー本体であるところのメフィレ・サマー(神秘主義的音楽会)の出現であるが、歌舞・歌唱は以下のプログラムとなっている。

1 カウル(聖句)/マヌ・クントー・モウラー
2 少女よ、私のこの糸車は何にも増して大事なもの
3 あの人が我が家を訪ねてくれたのだから
4 ラング(歓喜の歌)
5 ダンマール(陶酔舞踊)/シャハバーズ・カランダル

 概ねは主唱者のシェールが口を切り、腕を振ってコンダクターみたいに全員を取り仕切るなかで男たちが声を合わせて、実に韻律・屈折に富んだコーラスを歌う。場内は演奏時暗いので、歌の内容を対訳詞カードで追うことはほとんど不可能だったが、歌の詳細な意味を追うことは、場内が明るくてもあまり意味のないことだったのかも知れない。一連の音楽の醍醐味は、言葉の意味さえ超えて表情豊かに語りかけてくる、言葉に似た、ほとんど言葉そのもののような、音節であり掛け合いであり、けっして機械的な均一さを持たない、有機体固有のリズムと矛盾しない躍動感だといえる。厳密ではないけれど、私たちはそこで「何」が歌われているか(語られているか、掻き口説かれているか)、「判る」のである。歌う側にしても「何」を歌うかが問題であって、それのあらゆる分析に堪えうる牢固たる意味体系というものに厳密だったわけではあるまい。こんな言い方は、まあ、厳密ではないのかも知れないけれど。いっぽうわれわれは、その「何」かについて、語るべき多くの言葉、夜を徹しても語りうる豊饒さを感じずにいられないのである。
 特徴的だったのは全員の律動のなかでの、主唱者と副唱者、あるいは主唱者と別の若者との掛け合いなどが挙げられる。それはほとんど万歳の、太夫と才蔵のあいだでおこなわれる、もどき、おどけに似ており、純化・洗練以前の芸術のある幸福な状態を思わせるものだ。また、全員の律動と掛け合いがベースとなったなかで、突然高音で詠唱されるパートがあるが、あれなんか、昔のお笑い浪曲歌謡の、エレキギターやテナーサックスで伴奏される浴衣姿の男衆の渋い声を割って、「カネもいらなきゃ女もいらぬ、わたしゃも少し背が欲しい〜」という高い歌声を思い起こさせて、なんだかなつかしい気にさせられた。
 余談になるけれど、もともと浪曲は説経祭文を源流とするもので、軍記や唱導文学や盆踊り唄と深い関係を持つという意味でも、聖者の霊廟でおこなわれるカッワーリーと、鎮魂という強い共通項で繋がると思う。これは意外でもなんでもなくて、ヒトのケの部分を深いところで支える宗教というか他界観が、人類にとっていかに普遍的であるかの一証左にすぎないのである。もどかれ、詠唱されて聞こえてくるのは生者のあいだの死者の声であり、それを呼ぶためにヒトの狂熱がえんえんとつづくのだと思う。時に恋の歌に限りなく酷似して。
 『シンボルの哲学』の著者、ランガー女史の孫引きだが、言語や文法やその表現能力は部分の構成・組み上げから始まる、例えば石という要素要素を積み上げて出来上がるゴチック建築のごときものではなくて、ある表現したい・表現されるべき一全体の分節、卵割、分化によって成ったのであろうという説がある。音楽にもまさにこのことが言えるのであって、カッワーリーのなかに聞き取れる、それはほとんどアフリカの太鼓のリズムと考えていい力強い複雑さ、ともいえる律動感は、一度区別したものが要素としてふたたび再構成されうるという同質性を前提する近代西欧的な範疇には、どうしても収めきることが出来ない、なじまないものがあると思う。そのいわば全体性のことを、信仰心と申せば身も蓋もないけれど、「表現」を根拠づける幻、ヒトの心を深部から支える死者も含めた人間的な環境(milieu)みたいなものを想定してみる。私はこのカッワーリーに、数年前にはやった『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の音楽の俤をかなり強烈に覚えたが、後者の律動感はあきらかにブードゥーの神秘信仰を背景に持つもので、やはりアフリカがここにも顔を出していることを興味深く感じる。思えばそこに源流を持つ北アメリカにおけるジャズというもの、その現在に見る衰退も、最盛期の六〇年代初頭に兆していた楽典的な理論化、純粋化、合理的説明の適用によって、つまり、音楽が部分から構成されうるという意識に始まったのではないかと私は考えている。
 純粋化といえば考え方のひとつの在り方として、音楽で言えば例えばアフリカの音がインドに来て土地の音楽に影響を与え、トルコの音がウイーンに来て発達して現在の完成形となったというほかに、例えばユーラシアやポリネシアとかの全体の音楽の伝播ということを考えて、長い無時間のモデル(右肩上がりではなく円周運動のようなもの)のうちでの仮の座として、今の西洋音楽があり、雅楽があり、フラがあり、カッワーリーがあって、それらが発生から始まって発展し、高度化し、さらに高く発展して行くのではなく、われわれのヒトの臭いのする(同時にそれは没薬の香りでもあるのだが)根拠づけとして、そのままの位置で変幻・変容を許すものであってはならないものだろうか。言い換えれば、あるままの今一瞬が希われた「実現」であってはいけないか。私は純粋化ということにどうしても、ある種の頽廃を嗅ぐ気がするのである。
 純粋といえばこのときに集まった聴衆には純粋な人がずいぶん多かったようである。薔薇の花びらを司祭や演奏者に振りまき、痙攣して踊っていた、若かったり中年だったりする、イスラーム風にスカーフを巻いたりその衣装をまとっていた男女は、しかしトーキョーのひ弱なインテリたちで、その痙攣や熱狂は、信仰の存在というよりケの生活を根拠づける他界観や形而上学の、つまり信というもののあまりにも深く抉れた欠落を見せているように、私には感じられた。なんでみんなこんなに疲れているのか、ほとんど堪えがたいほどの疲労の表情を彼らは見せていた。
 舞台がはねたあと、トロワ・テ(三茶)住人の駿河昌樹夫妻と連絡を取り、家内と私と四人で昔のにっかつ映画の世界みたいな路地裏で呑みかつ食った。終電まで河岸を変えながら宴はつづいたが、カッワーリーみたいな、こういう濃さがもうちょっとほしいね、というのがその夜のわれわれの結論である。


ゆぎょう     二十一号     2004・9月


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