謡曲
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謡曲



 これは、諸国一見の乞食(ほがい)にてそうろう。空という者を供として、北の荒磯にうなじを灼き、春の終わりのはてなし山に地吹雪に似し幾万朶の花々を浴びたり。やよ里人、この木の下陰に夜を明かすこと許してたべ。これはかの中将にゆかりする里にてそうろうや。シテ/さんぞうろ。蜀魂が深き夜半、人のこころにいたつきのわざを仕掛くるほかは、われらにとりては苦しからず。この物凄の塚の前をねんごろにとぶらいたまえ。イッセイ/夢の裡にてさまよえる、夢の裡にてさまよえる、夏山にこひしきひとや入りにけむ、こゑふりたててなく郭公、なく郭公、と秋の名をもつ人は言いたまい、こころのいとの音にふるえ、胸にみつねの恋しきに、無常の刃もつらゆきと、花に明け行く神の顔なお見まほしく、草鞋の破れ徒裸足(かちはだし)にて、夢の裡なる五百里を、つえをひくこと僅かに十歩、ありはら寺に着きにけり、ありはら寺に着きにけり。ワキ/そのかみ山にほの語らいし灯も遥か、こよいさみだれは茫々として、伊勢斎宮のあと問いしみづぐき、集や日記のあれこれを、いましひろげん。クセ/さみだれや、夜の田づらに鳴く五位の、夜の田づらに鳴く五位の、なかぞらにのみ恋ひわたるかな、とこうして恥(やさ)しや烏鷺の身の、脛うつ水も涼しくて、没骨の墨青々と、后の恋の罪おそろしく、みやこのくらしも物憂きに、なでうかわれも吾妻へと身を八橋の、かきつばたなる裂(きれ)の傷、名にし負う鳥ならばこたえてむいとしき人のありやなし、見よ蜀魂の乞食となって、さまよいゆける海道の、ワキ・シテ/たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに。ワキ/こは幻か、醒めてみれば、かの物凄の塚の奥なる鏡に白き狩衣が映るは。シテ/恋しきを、たはぶれられしそのかみの、いはけなかりしをりの心は、をりの心は。われ閻浮にありしとき、賤しきも貴(たか)きも、をみならのことごとく、水の如く風の如く、六波羅蜜をたっとぶ如く、あわれ経歴せし罪障によって地獄の業火に責められておりしが、こよい同じき魂魄の、遠きはらからの御身にとぶらわるるはずかしさに、法(のり)の救いはありはらの、まどかに望む夏の月、青き榊に木綿(ゆう)つけて、翁の舞のひとくせを、顕形(げぎょう)さすこそ嬉しけれ、顕形さすこそ嬉しけれ、昔の人も今はなく、大原や、小塩の山もけふこそは、神世のことも思ひいづらめ、神世のことも思ひいづらめ。……/横笛の後シテ去る。(やがてワキ、囃子方、謡いの衆も退場し、舞台にひとつだけ、暗い萱で出来た小塚の幻が茫々として残る。)


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