第一章 古い舗道の歴史と家族の人々
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第一章 古い舗道の歴史と家族の人々



古い舗道、それは世界中のどこにでもある舗装道路、
新しい道が出来て行き止まりになり、修復もされず、いまは廃屋に
なった私の祖父の家と一緒に、大きな建物の造る暗がりのなか何も
語らずに、汚れたまま、都会の片隅に忘れられている

しかしそんな舗道にも、かつては強い陽が照り、私たちの祖父や
祖母たちの家族写真のなかに写り込み、たくさんの私が知らない
古い人々がセピアの色に染まりながら、若々しくも、幼く笑って
いる。そしてその背景の舗道の姿は鮮明に真新しく、敷石と欄干
だけは、いまも何も変わらない

その舗道を祭りの行列が通り、人波で賑わったこともある。その道
に沿って、綺麗な水のゆったりと流れる水路があり、上品な屋形船
が浮かんでは揺れながら、舗道の脇を流れるように下って行った
またあるときは、歴史学者だった祖父が、自宅の小さな講堂に学生
たちを集め、若い人たちが詰め掛けて来た、騒がしくも、幸福な
時代もあった

長い長い時間のなかに起こったことは多く、いまは戦死者の墓碑銘
に刻まれている、つまり殺された兵士たちが駆け抜けて行った、あの
戦争の日々は忘れ難い。頭上に敵国の爆撃機が飛んだこともある
そしてその後ろを優雅に低空を舞い、戦闘機が追いかけて行った

まだ少女だった私の母は真面目そうで、冷静に前方を見つめる操縦
士の横顔と姿に、一瞬憧れを抱いた。そして見て、聞いたそうだ
そして…、何度も話していた
そのあとに起こった閃光と振動をともなう大音響を

そうして祖父は戦争の終わる前に亡くなり、母は戦後の混乱のなか
戦闘機に乗るべく学徒動員されていた父と知り合い、さらに何年か
して、二人の子供をもうけた

子供のころ、祖父の家、母の実家で育った私は、背の高い浩瀚で、
革や表装の施された書籍の並んだ書庫のなかで、弟とビー玉遊びを
して遊んだ。祖父の発掘した瓦、発行していた研究誌の図面に使っ
た鉛の版木、陵墓や遺跡を測量するための、ドイツ製のコンパスや
カラス口などは、彼の知らない孫たちの格好の遊び道具になった
あるとき他の子供たちの家には無い、これらの重苦しいものが
何故自分たちの家には有るのか、疑問に思い始めた
ちょうど、そのころ

その舗道と水路の向こうに在った、病院の焼け跡で遊んでいた私は
ある日曲がりくねったガラス管の塊を見つけて来た
あとでそれが人間の脳髄の模型であると分かったとき
私は震えた…
それは底のない真実だった

その病院跡もいまは公会堂になり、毎日「美しい旋律」が洪水に
備えて水位を低くされ、異臭を放つ「排水路」に流れている

家族の思い出と遠い時代を秘めたまま、あの舗道は廃屋とともに
仕事を終えて、ひっそりと記念碑となり、眠っているのだろうか
いつの日にか、それは一つの歴史となり、蘇り、
人に知られることにはならないだろうか

遠い幼い日に母やその姉、伯母たちと兄弟、祖父の書生の人たち
そこに住んでいたたくさんの人々から聞いた
そこで起こった多くの出来事を、そのすべてを
私は立ち去って来た、あの舗道と祖父の家とともに
いつまでも、決して忘れはしないだろう


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