第二章 交響曲の当日―ホテルから病院へ―
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第二章 交響曲の当日―ホテルから病院へ―



その日の夜、コンサートの講演が控えていた「真面目な」指揮者は
病院のロビーで汗をかきながら、ある若い女性の診察の済むのを
待っていた
その日の朝、彼女はホテルで彼に何事かを迫った。結果的に女性は
肋骨を折り、指揮者は完全に混乱して、(一部は顔を見られないため)
頭を伏せていた
やがて診察室に呼び込まれると、産婦人科の女医、そして制服姿の
婦人警官と刑事が一人ずつ彼を待っていた
「あの娘が十七歳だと、知ってましたか。」そう問われて
(実は事態が十分理解できなかったのだが)彼は息を詰まらせた
「あの娘は妊娠しています」女医が言った

タクトを降り始める前の瞬間や間合いに、彼の好む無音の世界のな
かで、…次々と警察の刑事・行政的な手続きが手際良く進められる
高まる緊張のなか!ついに彼は妻に電話をかけた…
二時間後、指揮者に泣きつかれた彼の妻は平然とやって来て、病院
の事故係も驚くほどの診療費の知識と口達者で入院の手配を済ませ
さらにベッドの側でかいがしく若い娘の世話をしていた

押し黙るこの娘に何としても聞き出さないといけない
まず自分が病気に感染しているのを恐れて、彼女が主人以外に男性
関係がないか、両親は裕福か、自分たちに都合の良い社会的地位が
あるか
楽団のバンドマスターにはこう伝えよう
指揮者は今朝交通事故に遭い、ピアノの指導をしている女性が怪我
をして入院した。大丈夫、指揮者の妻がその女性に付き添っている

妻は自分の本当の姿を自覚していた。物心ついてからずっと、どこ
に行っても彼女は男性たちに好奇の目で見つめられて来た。隠して
はいたが、彼女の顔つきと表情、丸くくびれた腰と突き出た胸、
そしてなぜ夫がこの娘に溺れたのかも、指揮者の妻は知っていた
さらにこの瞬間にも、ナースセンターの若い看護婦がこの真実に
気がついて、自分の後ろ姿を見つめているのも(知っていた)

指揮者の妻は−自分の記憶から−どうすれば良いか分かっていた
自分が十七歳のとき、そうして欲しかったように、そうだあのとき
も要は解決すれば良かった。愛が無くて、傷ついていることも気づ
かないほども傷ついているのに、あの年上の男と違って私には未来
があると考えた。だけどあの男、
私に烙印を押して行った男のことは、
いまもあの若いときの「体」や気持ちと一緒に忘れはしない



きっと誰にもこの哀しみや「艶(アデ)やかな罪」のようなものは
ある。そして誰も分かっているはずだ
今日、この日は本当に終わり
新しい日がいつかは始まる
それは嫌でも始まる




間奏 挽歌

誰にでもこの古い舗道のようなものはある
そして誰も分かってはいるはずだ

その道に吹き寄せるほこり
情熱の想いよ、火のほこりよ
アスファルトをさまよった魂の最後のうなり
いまはこの舗道に蓄積して
その底面にある舗道の金属疲労とともに
その疲労のうえに遅れて古くなるほこりよ
とどめを刺そうと来たる怪人たち、物悲しい
そう、夕暮れの暗闇という訪問者たち
いまや魂の一粒一粒が道端で苦しい脈を断つ

舗道を覆う夕暮れは思い出させる
それは枝を拡げた大樹のように青空を覆い
群がる飛行隊が涙してせざるを得ないように
雷鳴をともなう白昼夢のように、気を失わせ
そして閃光となり、恐怖の頭脳となり
子供時代の幸福を消し去る

時にむき出しの欲望であり
時に身を捨てた無私の奉仕である
「愛」は乱暴で、代償をともなう
それはこの世の掟が罪を決めても
実は消すことが不可能でないはずの心の障壁
しかし現実には誰も彼れもを傷つけて行く
自然の暴風雨の類いなるもの

誰にもこの古い舗道のようなものはある
そして誰も分かっているはずだ
今日、この日終わった歴史は終わり
古い舗道がいつも見て来たように
新しい日々がいずれは始まる


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