ぷらいど/敗北

ぷらいど

岡田すみれこ

よくある事です 気にしないで下さい と短い添え書きがあり
選別されてわたしはひとりになる

むかし誉められたときも
いま外されたときも
怯える小動物のように 心臓の音をきいた

プライド たとえばロッカールームで
強引に抱きすくめられキスをされても
傷つかないようだ じぶんは

苦い嫌悪だけが舌先に残る
吐き出すか 飲み下すか
カップに残ったインスタントコーヒーと同じだ

きのう返された原稿用紙の中で
ことばがひどく窮屈そうにみえたから
さらに引き出しの奥にしまいこんできた
窒息させる気かもしれない

今朝は意味ありげな上司の腕に捉ってしまったけれど
たぶん鎧よりも遥かに軽い制服を着てデスクに戻れば
いくらでも笑顔はつくれる

「あたしはなにも知らない」

そのとき降り注ぐ枯れ葉がガラス窓に誘いにきて
記憶の中の原稿用紙と からだに触れる制服を
ゆらゆらと比べはじめる
「ほんとうは知っているよね」

湧き上がる囁きに耳を塞ぎたいのに出来なくて
つよく握るボールペンのさきから 意味のない文字が重なっていく



敗北

「取り返しのつかない」ことはいつもこっそりやってくる
静かな衝撃にそなえて足音をたてずに
かならずおくれてついてくるのだ

真夜中
閉め忘れた蛇口から滴る音にようやく気がつき
慌てて戻ろうとするときにはすでに
床に水溜りができていて そこへは近づけない
暗闇に広がるつめたい悪意の予感に 素足がおののく

あれほどにつつましく輝いて
誇らしげに夢を叶えた花嫁のようだった自分は
ひとり、ふたりと去った宴に取り残されて
虚ろに木のテーブルを見つめている

物語はそのまま置き去りにされ
言葉たちは寝台のように黙り込み
小賢しく取り繕っていたことを見破られたような敗北感が
ひたひたとそこまで忍び寄ってきている

手のほどこしようがなく遅いから
もう蛇口を閉めにいかないのか
それともスカートの裾をたくし上げ
切れるほどに冷たい水を渡って行くつもりか

重ねてきた歳月が 夜に滑り込んでいったから
このさきはずっとまだくらいかもしれない
きっとどこまでもくらいのだ
だがすでに 爪先は何かにさわっている

ふとその生ぬるい感触に気がついて
わたしはやっと「取り返しのつかない」意味を知る
閉め忘れた水道水さえ もはや体液のように自分だ
孤独なシミを 僅かに広げているのにすぎない