オペラ「同級生夫婦」第3回

オペラ「同級生夫婦」第3回

有働薫

第2幕第1場
モーツァルト邸の居間: (テーブルの花瓶に赤いチューリップが活けてある。夫婦は寛いだ様子で初夏の午前中を過ごしている。やや太った中年のモーツァルト、陽気で身のこなしもゆったりしている。マリーも同様、往年の気品に加えて飾らないややしどけない様子、二人とも髪が乱れている)
アントワネット(ソファに寝そべって): すごいことよね、街の娘も王女も同じ曲を弾いて毎日の午後を過すなんて。
モーツァルト: だからさ、ぼくは王様と同格、いや、王様にアドバイスする立場だったんだよ。そのことで、無能な貴族たちからねたまれたんだね、黒人たちを妬んでリンチを繰り返したアメリカのプア・ホワイトたちのように。命を奪われなかっただけぼくはラッキーかな。
アントワネット: わたしの一番上の兄さんが、もうしばらく生きていてくれたらね! 兄の死であなたははしごをはずされちゃったのね…
モーツァルト: ヨーゼフ2世陛下がぼくの世間的存在の土台だった。ぼくたちはウマが合ったんだよ。
アントワネット: 兄はあなたの音楽が好きだったのね、きっと…
モーツァルト: 音符が多すぎるなんてクレームもいただいたけど、ぼくも負けずに「いえ、適量にございます、陛下」とやり返したさ… ご自分で演奏なさるにはちょっと難曲だったかなあ(ひざでピアノを弾くしぐさ、首をかしげて困惑した様子の陛下の真似をしてみせる)
アントワネット:ある意味では幼馴染だったのですものね!
モーツァルト:母上の女帝陛下には乞食だって言われた…そう、芸術は乞食の仕事だよ、詩人だって、通りで言葉を拾って歩く、モク拾いだもの…だからさ、いま小鳥屋の親父がぼくの相応の身分だろうね。
アントワネット:はは、面白い…再婚したからわたしは小鳥屋の女房ね!
モーツァルト:パパゲーノとパパゲーナ、ぴったりのカップルじゃないかね! もうこの世の人間の義務は果たしたんだから、お互い、熾烈な……もう好きでいいんだよ!
アントワネット:もう死ぬこともないしね!
(二人で顔を見合わせて楽しそうに微笑み合う)
(しばらくピアノコンチェルト第27番k595第2楽章が流れる)


(暗転)
(やややつれた様子のモーツァルトが机に向かって手紙を書いている)

モーツァルト:(書きながら書いているものを読む)
オーストリア大公フランツ閣下  1790年5月
閣下
オーストリアウイーン宮廷楽長サリエリは有能な音楽家ですが、ここウイーンにおいてドイツ人たる土台の上に音楽を創造するについては、幼少より教会音楽に親しんでまいりましたわたくし、モーツァルトがご治世に適った音楽の創造に関しましてより適任かと日頃考えてまいりました。むろんサリエリ氏の指導力に異を唱えるものではなく、わたくしを副楽長にお任じいただければ、楽長サリエリの更なる活動を補強すべく協力してウイーン宮廷に創造的なる新しい音楽をもたらし得るものと拝察いたします。わたくしはサリエリ氏と同様イタリア音楽にも精通しておりますので、ともに壮大な音楽世界の構築に邁進しえますことをお約束いたします。なにとぞドイツ人の魂の表現のために、同国人の才能をお引き上げくださいますよう、伏してお願いいたす所存でございます。閣下の音楽芸術に対する深甚なご賢察を祈りつつ…ウイーン室内楽作曲家、僕ウオルフガング・アマデウス・モーツァルト
(書きものをやめてつぶやく) 
そうだ、サリエリもぼくを正当に評価してくれているのだから、協力してウイーン宮廷のために働くのがいちばん良い方法だ。何とか皇帝を説得したい、わたくしを正当な地位におつけくだされば、ウイーン音楽界に素晴しい成果が生れるだろう……
(ややあって…絶望的な気分に襲われて、頭を抱える)
けっきょくのところ、ぼくはほとんど自力でぼくの天命を証明しなければならなかった、結果から見れば、この世に稀な音楽を自力で産み落として……力尽きた。死の年、1791年の作品の数々は痛ましいほどにも美しい…二度とは到来しないだろう奇蹟的な仕事…筆舌に尽くしきれない困窮の中で……
(暗転)
(湖畔を散歩するアントワネット、クラリネット協奏曲イ長調k622第2楽章のメロディーが遠くから微かにかぶる。暗い舞台に3つのスポット。それぞれに姿が映る)

アントワネット:(つぶやく)ああいい気持!
テークラ:(庭先の井戸で水汲みをしながら)ウオルフ兄ちゃん!
コンスタンツエ:(70代の未亡人の姿でモーツァルトの銅像のレプリカを調べている、無言)
(第2幕第1場終)