トライアスロン

トライアスロン

南原充士

力強い泳ぎで先頭集団にはいったアンヌの手足はのびやかで続くバイクを漕ぐ足腰の筋肉の強さとしなやかさは観衆の目を奪うばかり。最後のランは飛ぶように走り、一着でゴールイン。

朝から体調を崩していたメアリーは水に沈みそうになりながら腕を搔き最後尾でバイクへと移ってよろけたりほかの自転車と接触しそうになりながらの走行でランもスピードが上がらないままようやくゴールイン。

アンヌは、幼少のころから健康優良児。身長も高く体重もバランスがとれていて筋肉は強靭さと柔軟さを併せ持ち飛び跳ね走る投げる打つ泳ぐ乗る漕ぐスポーツ万能。

メアリーは子供のころは虚弱体質。水泳に励んで次第に健康を回復。身長も体重も驚くほど伸びて競泳の地区代表選手に。やがて走るのも早くなりトライアスロンがやりたくなって自転車のトレーニングを積み始めるとめきめき頭角を現した。

今度の大会ではアンヌとメアリーの一騎打ちというのが大方の予想だったが、終わってみれば大差がついた。トレーナーやスポーツ医学の専門家が徹底的にふたりの健康状態を分析してレポートを提出した。

アンヌは、大会前の健康診断ですべての項目で異常なし。かつ大会翌日の簡易検査でも異常なし。

メアリーは、大会前の健康診断では、血圧が高めで脈拍も多めだったうえ、赤血球が少なめだという所見があった。大会当日は感染症によるとみられる発熱があった。大会翌日の簡易検査ではほぼ回復して異常値はなかった。ということで、メアリーの健康状態の悪化は一時的なものだと結論づけられた。

数か月後、次の大会でアンヌとメアリーはまたトップ争いをすると予想された。
関係者はもちろんメディアも注目したので、多くのスポーツ観戦愛好者がふたりが万全の健康状態で競争すればどちらが勝ってもおかしくないと思うようになった。

大会が始まると、二人がトップ争いをしたが、結局勝ったのはアンヌだった。それは専門家を含めた決着と言えた。メアリーは潔く負けを認めたが、レスリングとかテニスとか一対一で対戦する競技なら自分のほうが有利だと主張してアンヌを挑発した。

アンヌはメアリーの挑発に乗ってレスリングの試合をやることを受け入れたが、これまでにあまりレスリングの経験がなかったので、半年先の試合に向けてコーチについて特訓に入った。

メアリーはレスリングの経験が少しあったが選手として試合に出場したことはなかったので、さっそくコーチについて本格的なトレーニングをはじめた。

レスリングの選手としては未知数だったが、二人がトライアスロンではトップクラスであるということで、ニュース性があったのだろう。いつのまにかマスコミでも二人のライバル関係が取り上げられるようになった。

半年後、リングに上がった二人を見て驚きの表情を示した観客は多かった。アンヌは一回り体が大きくなったうえ筋肉がはち切れそうな張りを示していたし、メアリーも色白の肌が赤みを帯びて輝くばかりだったからだ。アスリートとして極限の美を現していたと言えるだろう。

エキシビジョンマッチにしては異例の観客動員数だったし、マスコミの中継もなされる中で二人はスーパースターのようにリング上を華麗に動き回った。タックルをし押さえ込み裏返しバックをとり…と目まぐるしい戦いの中で二人ともほとんど決め手を与えることなく試合時間が過ぎていった。延長してもフォール勝ちとはならず、判定は僅差でメアリーの勝ちとなった。

アンヌは納得がいかなかったが、もうレスリングはやめてトライアスロンで戦おうと言うと、メアリーももちろんと言って応じた。レスリングであれ勝利したということはメアリーに大きな自信を与えてトライアスロンにも前向きに取り組めるような気がした。

レスリングの試合後専門家の間で妙な噂が立ち始めた。あんなに急激に筋肉量が増したのはドーピングのせいではないかというのである。検査をしなければ確実なことは言えなかったので、それはあくまでも噂のままであった。

三か月後、トライアスロンの大会でアンヌとメアリーは顔を合わせた。事前の健康診断でもドーピング等の異常はなく、当人たちも最高の仕上がりだと自信をのぞかせていたが、試合が終わってみれば、優勝したのは、アンヌでもメアリーでもなく無名の新人だった。

アンヌは敗因を考えてみたが思い当たることはなかった。ただ合法的な範囲とはいえ徹底的に栄養学的な観点から食事やサプリメントの摂取方法を研究したチームとしての取り組みが見かけの筋骨の張りと内臓や循環器系等とのバランスを崩させた面があったのかもしれなかった。

メアリーは実際のところ、医学的な最先端の手法を取り入れていた。それは、再生医療に類するもので、全身のあらゆる部位の強化方策を個別に検討し可能な限り実行に移すというものだった。健康に有害なことは避け、明確に違法とされる薬剤の処方も行わなかった。それでも、筋肉シートや膜の貼り付けなどの手術をはじめ、視力回復、聴力向上、反射神経鋭敏化、平衡感覚鍛錬、高価なトレーニングマシンの導入といった金に糸目をつけぬ人体投資に努めたおかげで、メアリーの身体条件と運動能力は短期間にめざましい発展を示したのだった。

それにもかかわらず、アンヌとメアリーは新人に敗れてしまった。アンヌはある意味で回復不可能な体力強化法をとっていたわけではなかったのでショックはさほど大きくはなかったが、メアリーは科学の粋を集めた手法を導入していたということで、チーム全員文字通り打ちのめされていた。

メアリーはしばらくひきこもっていたが、あるとき現役続行を宣言した。もちろんトライアスロンの選手としての。アンヌもまた同様な発表をした。次の大会で、あの新人選手に対してのリベンジを誓うのだった。

さらに半年ほど時間があったが、三人はそれぞれ独自の練習方法をとった。それは秘密裏に行われたので第三者から見ればどのような方法をとっているかは推測するしかなかったが、どうやらアンドロイド的な手法も取り入れようとしているらしいといううわさがまことしやかに流れた。一体、この大会はなにを目指しているのか、参加選手はなぜそんなに勝ち負けにこだわるのか、トレーニング費用をだれが負担しているのか、謎だらけであったが、そんなことはおかまいなしにマスコミは大会を煽り立て、熱狂的ファンは激増し、参加選手も異常な興奮に襲われるという点は相変わらずだった。トライアスロンほど人間の身体能力と技術と精神力を要求する種目はないとなぜか信じ込むひとたちが世界各地で後を絶たなかったのだ。