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高田昭子日記


2005年5月

2005/5/27(fri)
失踪日記  吾妻ひでお


  


 漫画を読むのは何年ぶりだろう。なんだか奇妙な気分だ。表紙には「全部実話です。」という但し書き付きでした。仕事に疲れた漫画家が失踪し、ホームレス生活に入る。その後は土方仕事、最後は「アル中病棟生活」と、約三話に分かれていますが、主人公(モデル)はすべて「吾妻ひでお」ということなのだろう。「描けなくなった」漫画家の状況の悲惨さと、絵の可愛らしさとはなんともアンバランスなのですが、ここにあまり登場しない「奥さん」が、一番悲惨だったのではないかしら?と思ってしまう。
 この「アル中病棟生活」を三度も繰り返した経験をもつ詩人から「幻覚」「幻聴」「脅迫感」など、こうした病気の現状や生活ぶりを聞いたことがありますが、この漫画と酷似しているので、なんだか読みながら疲れてしまった。わたしは「アル中」ではありませんが、それ以来お酒がまずく感じるようになった。これは困るのだ。


 これと並行して、高橋和巳の「邪宗門」を読む。旧い本ゆえ、二段組、小さな活字がびっしりとある。まだ途中。なんだ、この読書の乱れ方は?この高橋の本を読んで、眼鏡の新調の必要を感じて、昨日注文する。なんだ、これは?新しい眼鏡は来月の七日に出来る。ついでにサングラスを兼ねた外出用眼鏡も新調する。楽しみではある。高橋の本はなかなか進まないが。。。

2005/5/17(tue)
小人の世界


  


 メアリー・ノートンの「床下の小人たち=The borrowers」「野の出た小人たち=The borrowers A field」は、この原題からわかりますように、「小人たち」は「借りる人」なのですね。この小人たちは普通のサイズの人間の世界の片隅で、人間の暮らしからさまざまな、暮らしに必要なものを借りて生きているのです。ひっそりと。 たとえば糸巻きは椅子に、マッチ箱は引き出しに、安全ピンはドアーの錠前に、編み上げ靴は野の家に、切手は額縁に入れて壁に飾る絵画に、石鹸箱の蓋は舟に、という風に。そういえばわたしが失くした、たくさんの「まち針」は小人の仕業だったのかしらん?
 「借りる」と、小人たちは言っておりますが、実は普通サイズの人間社会では「盗む」ということになりますね。でもほんのわずかですから、ほとんど人間は気付かれないし、影響もない。そうして人間の家の床下で暮らしていたのですが、ある日みつかってしまう。そして野に出て暮らすことになるのです。床下の暗い生活から、陽の明るい、しかし風雨も雪もある暮らしが待っているのです。
 この小人たちは、なんの魔力も霊力もない、普通の人間が小さくなっただけなのです。読みながら同じ気持でドキドキしたり、ほっとしたり、おなかをすかせたり、疲れたりしている自分がいるのです。この小人たちにもしも触れることができたなら、きっと体温もあるのでしょうし、時には汗くさいかもしれません。これを書いているわたし自身も実は小さいのです。しかし体重は40キロあるぞー。小さいがために、スチュアーデスと女優とモデルの職業は断念せざるをえなかった。あ、断念の事情は他にもありますが、細かいことは聞かないで下さい。ゆえに、ジャイアント馬場と並んだら、きっと世界の見え方が違うはずだよーと思ってしまう。ちなみに、かつて東京駅の新幹線のホームで、ジャイアント馬場とすれ違った実体験があるのです。あの時のわたしの感覚としては、彼のお腹のあたりとすれ違ったような・・・・・・。わはは。


 この二作を何故読みきることができたのか?と思う時、「ハリー・ポッターと賢者の石」を思い出します。わたしは「ハリ・ポタ」は実は楽しくなかったのです。後で言い知れぬ不安ばかりが残った。そしてあの魔法使いの少年少女たちは、この先もわけのわからない魔物に遭遇し続けるのだろうと思うと不安でならなかったのです。不安や恐怖の対象がなんであるかわかるということと、わからないということの違いはとっても大きい。わからない面白さを楽しむという人は多いかもしれませんが。


 わたしが子供時代に読んだ物語の代表は、フィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」でした。真夜中に十三時を告げる時計、現在の少年と過去の少女が時を超えて逢うお話です。トムと少女のどちらが幽霊なのか?そうでないのか?物語の楽しさはきっと、ほんの少しだけ日常を超えることのできる楽しさなのでしょう。そして「ほんの少し」と思うことが実は「途方もなく遠い」ということなのでしょうか。

2005/5/9(mon)
みすゞ


  


 パソコンを新しくして、初めてのDVD鑑賞はこの映画でした。今まで一度もDVDを観たことがないというわたしにあきれてというか、哀れんでというか、ともかく貸して下さった奇特なお方のお陰で観ることができました。深謝。


 この映画は、詩人金子みすゞ(1903〜1930)の二十歳から二十六歳で自死するまでの約六年間のドラマです。本名は「テル」、山口県大津郡仙崎通村(現・長門市仙崎)で産まれています。ここは日本海に面した漁港で、向かい側には青海島があり、海にかこまれた土地です。そしてまた、みすゞの生活は少女期からずっと本にもかこまれたていたようです。母もみすゞも書店を営んでいたので、書籍が多く映像として出てくるのですが、夏目漱石の「こころ」がそこに見えた時にちょっと驚いた。今わたしの書棚にある「漱石全集全十六巻・1965年〜1967年刊」の装丁と全く同じものでした。それは布張り、燈色の上にうすい緑色の旧漢字(多分。。。)が並んでいるものでした。ううむ。我が書籍は復刻版だったのかしらん?


 この金子みすゞの短い生涯を思うとき、同時に思い出すのは、シルヴィア・プラス(1932〜1963)です。時代は三十年ほどずれていますし、日本と米国との違いもありますが、ほぼ同じ年齢で結婚し、夫の生き方に翻弄され、子供を残して自死したという共通点は、どうしても見逃せないものになってしまいます。シルヴィアについては「高田昭子日記・二月」「愛の詩を読む」に書きましたので、そちらをお読みください。


 金子みすゞの人生は、日本のその時代の女性の例にもれず、みすゞの母親もふくめて、親族や周囲の状況に合わせるように、流れに逆らわずに生きてゆくことでした。ましてやみすゞの産まれた土地である長州は「男尊女卑」の根強い風土です。「家」という形を整えるためにもっともふさわしい場所に女性は配置されてゆくのです。そこでひたすら心やさしい者として生きてゆかなくてはならない。しかし、みすゞの置かれた場所はあまりにも不幸だった。そこから救済される時間が、みすゞのいのちの時間に間に合わなかったというしかありません。


 みすゞは、病院から処方された薬を半分だけ残して、それを自死のためにためておいた。死はゆっくりと準備されていたのです。それをとうに知っているかのように、執筆しているみすゞの後姿を見ながら、おとなしく一人遊びをしている小さな娘。この光景は、岡本かの子が執筆のために息子の太郎を柱に繋いでおいたという話を思い出したりもしました。映画の最後には「星とたんぽぽ」が引用されていました。これはきっと小さな娘への遺書なのだと思えてなりません。


   青いお空のそこふかく、
   海の小石のそのように、
   夜がくるまでしずんでる、
   昼のお星はめにみえぬ。
     見えぬけれどもあるんだよ、
     見えぬものでもあるんだよ。

2005/5/1(sun)
大人の素敵な嘘


  


 桐田真輔さんからお借りして、メアリー・ノートンの「床下の小人たち」を読みました。貸してくださる前に桐田さんも再読されたようです。この本は「岩波少年少女文学全集・全三十巻」の十巻目にあたり、刊行年が昭和三五年となっている貴重な古書です。お父上が真輔少年のために買い揃えて下さったことなどを勝手に想像すると、なんだか微笑んでしまう。数箇所紙面が破れていましたが、破れているだけで千切れてはいませんでしたので、物語の欠損はありませんでした。少年がヘンな(^^;)おじさんになるまでの四十数年の時間がこの一冊に流れているわけですね。この時間のどこかで少年はお父上の背丈を越えられたのでしょう。これも不思議な物語(^^)。


 このシリーズはにまだ「野に出た小人たち」などなどの続編があるのですが、これだけを読み終えた時点で、今メモしておきたいことを書いておきます。このお話を書いたのは「ケイト」であり、ケイトにこのお話をしてくれたのは「メイおばさん」ということになっています。
 このお話がいつどんな時に語られたのかといえば、それはメイおばさんがケイトに編み物を教えながら、なのでした。この編み物は鈎針編みで、小さなモチーフをいくつも編んで、それを繋ぎ合わせて大きな毛布にする作業ですから、時間はたっぷりかかります。その時間が同時に二人のお話の時間だったわけです。女性の単純な手仕事の楽しさは、手は忙しくても、空想したり、考えたり、会話したりする時間もあるということです。この時間のなかで、メイおばさんはケイトにたくさんのことを伝承したはずです。編み物と物語のほかにも。これはメイおばさんの素敵な本当と嘘のお話と、ケイトの想像力が産んだ物語なのかもしれません。


 大人は時として幼い子供に楽しい嘘をつきます。それを受け止める子供の感性によって、その嘘は楽しい物語になったり、哀しく残酷な物語になったりするのです。ちなみにわたしは「拾われた子供」でした。これは父の楽しい嘘でした。
 広い草原にたった一本の樹がたっていた。(これはおそらく、今の内モンゴル自治区だろうと想像しています。)お父さんが馬に乗ってそこを通りかかると、枝に小さな小さな女の子が腰掛けていた。あんまり可愛かったので、馬に乗せて連れて帰った、というのです。二人の姉たちは母から産まれたはずなのに、年子の姉たちから三年遅れて産まれたわたしだけが「拾われた子供」だったのです。この父の嘘をわたしが一度も哀しいと思わなかったのも不思議でした。わたしは広い草原や、馬に乗って走る小さなわたしや、草原のかわいた風まで想像して楽しんでいました。時には友達にまで話していたのです。その感覚は今でも色褪せることがないのです。そしてそれを語ってもらった時の父の胡坐居の上の安定した座り心地とか、わたしの頬にしてくれたキスなども。



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