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TISATO日記

2004年12月

2004年 今年最後の・・・。 2004/12/31(金) 23:56:49
日本全国 雪・ゆき・ユキ・・で、2004年が暮れてゆく。
で、わたしも 雪!

福山では、初雪です。




























朝 起きたら 雪!さっそくデジカメを持って外へ。玄関の硝子が雪の照り返しを受けて明るい。一面銀世界。ステキ!滅多に雪が降らないので、雪が降るとたいてい写真をとる。デジカメを使用しだして、アップしたくてデジカメで撮る。



12月28日、今年最後の詩の集まり、詩脈の会 があった。「詩脈・冬・97号」が出来上がってくる。私は、福岡の国民文化祭入選、中国新聞に詩とエッセイが載せてもらったことなど、裏表紙の編集後記に書いてもらえて嬉しい。
私は、4日連続の外出で、少々疲れ気味だったので、午後8時には失礼した。でも帰れば午後10時。道中2時間かかるので。
詩脈の集まりは、いつの場合も楽しい。司会をされたSさんが冗談を交えながらされるので、おかしくて笑いっぱなしであった。昔の恋談義にも話が飛ぶ。帰り際、私がホームページをリンクさせてもらっている瀬崎祐さんから「風都市 第12号」をもらう。この誌には、ゲストで、同じ灰皿町の海埜今日子さんの作品が載せてあり、実はいただくのを楽しみにしていた。おふたりの作品は私にはとても勉強になっている。私の詩の中にも いつかああいう雰囲気を取り入れてみたい。今後の課題。実は 一番最初読んだ時には よくわからなかったのだが、この頃は充分理解できる。そして良さもわかる。これは、鑑賞力がついた ということか。

今年の私は、きっと3歩ほど進めたのではないかな という気がしている。中国新聞には1月4月10月と詩を載せてもらい、うち4月のは2度目の詩壇賞だった。(選んでくださっているのは北川透さんです)10月27日にはエッセイを依頼されて稿料ももらえた。(そうだ、1月には現代詩手帖で佳作をもらった)3月には、昨年の入選に引き続き、福山文学選奨の最優秀賞がもらえた。そして、11月、福岡国民文化祭での入選。詩がイタリアにも行く。5月「ラ・ビータ」8月「ベレッツェ」の本がイタリアへ。12月「あなゆな」もできる。すべて、詩と短歌と俳句のアンソロジーではあるが。これらは本屋さんで販売している。朗読にもできる限り挑戦してきた。なによりも8月11日、このホームページができ、こうして、皆さんにお伝えできるのは至福である。


私は占いが好きで、ことあるごとによく見るのだけれど、昨年、今年に知り合った人は、わたしの生涯にわたって関わってくださる人だそうです。わたしは、皆様に育てられているような気がしています。
アッそうそう この頃誘われて、岡山エッセイストクラブに入りました。
どうぞ 来年も よろしくご指導くださいますようお願いいたします。


大晦日に雪が降るのは昭和58年以来、21年ぶり だそうです。
もうひとことだけ、言いたりないのだな。
ん?まだ言い足りないの?
それは、午前0時近くになってからね。
2004年が終わる直前じゃなくっちゃぁ言えないのです。
ウフッ 実は・・・・??? お楽しみに!(^^


現在時刻、23時52分。
2004年8月11日以来 私のホームページを見てくださった
4700人の方々、どうもありがとうございました。2005年もよろしくお願いいたします。(^^ 実は、このこと。「なぁんだ」 ってガッカリしないでね。(^^

除夜の鐘が鳴っています。(^^




















余韻が抜けない・・。 2004/12/30(木) 23:56:19
着々と、年内にしなきゃぁならない用事はすみつつあるのだけれど、
年内 といっても あとほんの1日になってしまった。
昨日の日記で、「天国の階段」は、「冬のソナタ」以上 なんて書いてしまったが、やはり 好みの問題だと思う。
今日、「冬のソナタ」の名場面ばかり、抜粋してやっていた。見てしまって、涙・・涙・・だ。せりふがいい。これは 脚本家が考えたのだろうが。なんか、流行にどっぷりとはまっている感じ。やはり。
さりげなく、流行には乗りたいほう。
今日も、終わり。1日が忙殺されながら過ぎてゆく・・。
今日の日記 短いなぁ・・。年末だから ね。(^^


はまる ^^ 「天国の階段」 2004/12/29(水) 23:46:32

これは、クリスマスの時期に福山駅の構内にあったオブジェです。




この忙しい時に、「天国の階段」の前半総集編を4時間も見てしまった。「はまる」というのはこういうことを言うのだろう。用事があっても、街での用事を急いで済ませ、ドラマが始まる前にテレビの前に待機していた。ドラマを見ている間、少しも見逃すまいと、コマーシャルの時、テレビから離れて用事をする。
私は、「冬のソナタ」の時も、尾道の友達からおそわり、途中から見始めた。外で用事があっても、このドラマを見たいがために、急いで帰っていた。最終回などは、再びみてみたい。しかし、韓国ツアーまでは行こうとは思ってはいない。この頃、「韓流ブーム」なので、韓国のドラマには注意していた。そして、先週の土曜日に偶然 というべきか「天国の階段」を見た。1時間、身じろぎもせずみていた。すると、今回の、前半総集編 に出くわした。4時間息つく暇もなくみる。見終わったあとの この余韻・・。わたし的には「冬のソナタ」以上のものがある。「冬のソナタ」とストーリー的には似た所はある。記憶喪失になってしまう所や、事故にあうところ、別人だと思っていたのが、当の本人だった所など。
そして、どちらの物語も、婚約パーティにいく直前、昔愛した人とうりふたつの人をみかけてしまう。それを見かけた瞬間の場面から 追っかけていくシーン。このシーンは、どちらの物語も劇的である。特に「天国の階段」の場合は、男の人のほうが女の人を追っかけるので、よりダイナミックに描かれている。胸を打つ。
この前ランチした友達が、主役の男の人が 綺麗に泣くところがいい と言った。出会ってしまったあと、男の人は うりふたつのその人に、行き場を失ってしまった つのる愛の悩みをストレートにぶつけていく。(本当は、その人なのだけど、記憶喪失していて、当人も、誰も、その人だとは気づいていない。やがて記憶が戻る)
今、女の人の記憶が戻ったところ。でも、ふたりは、愛し合いながらもそれぞれの道を行こうと決心している。予告編で、男の人の「婚約」の場面が出てきたが、一体誰と婚約するのだろう。どうも、主役の女の人ではないようだ。メリーゴーランドに乗っているシーンでも男が女に言う。「僕達は 今 こんなにも幸せなのに 別れようとしている」
この時、女には記憶が戻っていて、真実を告げようとしているのに、男のこの言葉で 言い出せない。
女優は「冬のソナタ」のチェ・ジウ、男優はグォン・サンウである。

年末はせまっていて、いや、迫っているどころか すでに真っ只中であるのに、私は4時間も韓国ドラマにはまって、終わったあとも酔いしれて、ここに書かずには いられない。
いただいた同人誌とか、そちらのほうを記さなければならないのに、
「はまる」とは まさにこういうことをいうのだろう。
今回は前半総集編だったが、次が見たくてたまらない。
2005年の楽しみ である。(^^


気持ちを切り替えて、本来の自分に戻り、やらなきゃぁならないことにせいを出そう!
今年も あと2日と少しです。
今日、東京に初雪が降ったそうですね。いいなぁ・・・。(^^








今年も あと4日! 2004/12/28(火) 08:54:22


まだ、春になるには、雪の降る寒い冬を通り越さなくてはならないけれど、いつの場合も お花はいい。ひとの心をなごませる。

今日は、今年最後の詩の集まり、詩脈の会があります。
この前、「大朗読」があった場所と同じところ。20年前、福間健二さんが、まだ岡山に住んでいらして、岡山大学の先生をしていらした頃、その頃も、ここでひんぱんに朗読会が開かれたそうです。そうしてみると、ここ「未完成」は詩の拠点となるような場所だったのですね。
ほかには、どなたがいらしたのだろう。興味あるなぁ・・・。20年前が再現されたビデオなどあればみてみたい。が、その頃は ビデオなどはないよなぁ。Yさんが、20年前の「中央公論」を大朗読の時持参されていて、そこから、読まれました。
詩を介して、こうして延々と ひと同士が交わっていく。もしかして、それってすごいことかもしれません。新幹線で、たとえば隣あわせにすわったとしても、ひととして、交わることはありません。知らん顔をしているか、視線があったとしてもチラリと一瞥するか、もしくは喋ったとしてもきっと一期一会である。私は新幹線に乗ったとき、隣のご婦人が話し掛けてきて、乗ってる間中 お話したこともある。が、きっとこのかたとも、一生会わないだろう。勿論、住所や電話番号交換などもするはずもなく。「では、旅 お気をつけて」といって笑顔で別れる。
やっぱり 詩 ってすごい。知らない同士がお話しても、名刺交換もするし、詩の集まりに行けば再び会うこともある。詩 を仲介にして、どんどん人間関係が広がっていけば、詩 はきっと世界をつなぐだろう。
そんな場所にいられること、やっぱり それは幸福なことなんだと思う。だって、ひとは、決してひとりでは生きていけないもの。(ひとり暮らし という意味ではない)人同士が交われば、人生はひとりで生きていくよりも何倍も楽しくなると思う。
ひとりでいるのが、そのほうが好きなひとは別として。そんなひとでも、ときには人と話してみたい瞬間もおとずれるだろう。
おおげさではなくて、詩 は世界をつなぐ。ひとを つなぐ。(^^


ことし、最後の詩の集まり、いってきまーーーす。(^^
いくまでに、雑用をこなさなくては。セコセコ・・せこせこ・・
暮れは、何かと忙しい・・といっても、今日入れてあと4日で
2004年も終わりです。みなさーーーん!今年はいいとしでしたか?来年も、いいとしでありますよーに。
まだ、ちょっと、このご挨拶はほんのちょっぴり早い?
かしら?(^^








名残?クリスマスの。 2004/12/27(月) 23:52:51

パソコンが、19日間入院してて、退院してきた時、「写真で詩を語りたい」 と言っていたOさんが再び3枚の写真を送ってくださいました。小さくしなければ、もっと綺麗ですが、小さくしないとアップできないのが少し残念です。


3枚目の写真は、サンタがいっぱい! と私が写した場所と同じ所の敷地内にある建物の内部だと思います。教会で、結婚式もできます。
上2枚は、クリスマスの期間中、福山美術館の前にクリスマス用に創られたイルミネーションのオブジェです。特に一番上はペットボトルにライトがあてられています。
材料はペットボトルですが、とても綺麗 なのですよ。(^^


このホームページを見てくださる人の中には、若いひとですが、写真を見るのを楽しみにしてくださっている人もいるようです。そうすると、私自身もつい写真を入れようとします。












連続の外出 2004/12/26(日) 23:34:55
詩の行事 となると、事情が許せば、どこもかしこも行ってみたい と思ってしまうので始末が悪い。同じ日に3つくらいの詩の予定が重なると、どれを選ぼうか さんざん迷ってしまい、そのうちのひとつを選ばざるをえない。行かなかった あとふたつのことを思うと、体が3こあればどれにも行くのにと考えてしまう。しかし、実際のところ、それらがとびとびにあれば いいのだけれど、連続してあると 実はちょっぴり体のほうがきついのだ。私は、活動の拠点はほぼ岡山で、そこへ行くのも片道2時間は要してしまうので、連続してあるとやはりきつい。が、それを、ノルマのようにして、こなそうとしている。



昨日は、朗読会だった。夕方から夜にかけて。春夏秋冬にある朗読会、「大朗読」の年末版だった。ちょうど、クリスマスの日。クリスマスの日に、大勢集まって、ワイワイやるのは楽しい。レギュラー8人に、オープンマイク12人、計20人が、趣向を凝らし、間に10分休憩をはさみながら、3時間に渡って朗読した。私は、クリスマスにちなんだ詩ともうひとつ別の2篇を読んだ。耳からはいる詩も勉強になる。そして、何よりも、じっと自分がよむ詩に、みんなが耳を傾けて聞いてくれる というのはとても嬉しいことだ。観客を含め40人くらいが「未完成」に集まっての朗読会だった。朗読会のあとは、そのまま そこで懇親会となる。この頃、再び詩を始められている加藤健次さんが、いままでとは趣きの違う、ハードボイルドな詩を読まれた。



そして今日は、午後から、福山「輪」の勉強会 兼 忘年会だった。
茨木のりこ の詩をみんなで鑑賞する。そして夕方から、「コンフォート」という、蔦の絡まるレトロな喫茶店の2階で、みんなで忘年会。といっても、お酒はない。レディースディナーのコースを頼んだのだけれど、前菜からデザートコーヒーまで、ひと通りのものはあり、しめて1380円なり。安い。昨年もここでした。ここの2階は、朗読会でもできそうである。


あす、あさっては、再び岡山へ。特にあさっては詩脈97号ができあがってくる。私は前回、詩の行事のため東京に行っていて出席が遅れたので、今回 きっとみんなに批評をもらうことになる。タイトルが「パンドラの箱」。恋の詩なので ちょっと恥ずかしい。ま、いいか。



そんな調子で、2004年が暮れていく。まだ、やりのこしたことがたくさんある。はて、こなせるかしら。こなさなければ。
実は、年賀状もまだ 書けてないのです。毎年、賀状のやりとりをしているひと、元旦に届かないかもしれません。そのかた達は、きっとここは見ていないだろう。ここを見てくれなければ、この言葉は、届かないのです。
パソコンは、開けて見てもらわなければ 届かない。そこが、パソコンの不自由な点です。電話は声で届く。その場で確実に相手に伝わる。手紙は少し暇がかかるがきっと届くだろう。でも確認には不明瞭な点が残る。そしてパソコン。これは何よりも早い。が、パソコンを開けない人には伝わらない。相手からの反応が届く とは実に心地よいことである。そんなことを考えると、もっと自分も相手に届けなければ と思うのだけれど、今回みたいに連続4日続けて外出 となると、ちょっぴりしんどくて、眠りこけながら、めざめてはパソコンのキーを打つ、というような感じなので、反応が瞬時に という具合にはいかないかもしれません。
申し訳ありません。ご理解ください。


大掃除のほうは、どうなってるんだ???
大丈夫よ、普段からしてるから、なんちゃって。(^^



そして、クリスマスの今日。 2004/12/25(土) 12:00:59


サンタ が いっぱい!
























そりではなくて、フィンランドから、空飛ぶ ロールスロイス に乗って やってくる。BGMは鈴の音・・。ボリュームをあげて。
あなたのところには、やってきたかな?
それとも、今夜 かな?










今日は、イブ。 2004/12/24(金) 23:58:49

サンタが街にやってくる!
たくさん
     たくさん
       やってくる!!














「天国の階段」 2004/12/23(木) 00:18:05
パソコンが壊れて、バックアップもとっていないのに、かなりな詩が消えてしまったのだけれど、記憶を辿って、ひとつ詩を起こしてみた。
「ふくやま薔薇しゃ」に記入した<眠れない夜は>。簡単な詩なんだけれど、わたしは自分でこの詩がかなり気にいっている。
昨日、別な友達と このまえいったレストランで 再びランチした。
やはり、ここでも韓国ドラマの話題。わたしは「天国の階段」がいい、と話していると 彼女も同じ。しかもふたりして 主役の男の人のこと、 いい いい と語っていた。どこがいいのか。きれいに泣くところがいい という彼女。「冬ソナ」となんとなくストーリーが似ていて、今度は「冬ソナ」と逆バージョンで、男の人のほうが恋しいひとを失っている。そこへ現れたチェ・ジウがあまりにも失ったひとに似ている。「ちょっとだけ、このまま 居させて」と ピアノの前で、女の肩に顔を寄せて、男がスーッと涙を流すシーン。男が女をあきらめきれず、悩むシーンがいくつも出てくる。きっと自分が、そんなふうに思われたらいいだろうな と思うのだろうか。惹かれる理由は。どこがいいのかはっきり わからないまま、ただ無性に 惹かれてしまう。
なんか、また 詩とは関係ない、どうでもいいようなこと 書いてるような気がします。韓国の「冬のソナタ」が撮影されたヨン様の家は1日500人あまりの人が訪れ、持ち主の私生活に支障をきたしだし 閉鎖されたそうです。
熱狂的な 日本人 です。(^^
いったい わたしは?



冬至 and 現在・過去・未来? 2004/12/21(火) 22:25:56
この頃は、外出すると、午後5時半になると、もう外はとっぷりと暮れている。デパートの中に居ると、外の様子はわからない。帰る時、車で地下の駐車場からスロープをあがって地上に出た時、始めて外の様子が見えて「あぁ、もうこんなに暗いのか」と思っていた。
そして、今日は冬至。1年のうちで1番昼間が短い日だ。明日からは少しずつ昼間が長くなっていく。日暮れが遅くなっていく。
午前4時から起きて、芸術にいそしんでいた。で、今、ちょっと休憩。TISATO日記を記す。現時間、午前7時半。
昨日は、友達が急に電話をかけてきた。「冬のソナタ」を教えてくれた友だ。彼女は、韓国ツアーまでした。はまっているもの同士、韓国ドラマの話題はつきない。新しい場所にランチにいく。イタリアンレストラン。彼女は、私の 韓国ドラマの指南役である。なぜ、みんなが惹かれるのか、についても討論。ツアー中のこぼれ話、もう中毒状態のファンのひとの話も聞く。今、私は、新たな韓国ドラマ「天国の階段」にはまりつつある。
なんか、詩とは、関係ない記述だなぁ。



クリスマスが近い。灰皿町の地図が雪景色になった。しかも、「メリークリスマス!」の文字入り。桐田さんが、余興で作ってくださったものが本格化した。灰皿町の住人は大喜び。雪景色の家がクリックできて嬉しい。TISATOの家の赤い屋根の上にも、こんもりと雪が載る。灰皿町は、ホワイト クリスマスだ。当日はきっと雪の空の上から、シャンシャン・・と鈴の音が聞こえてくることだろう。




昨日、中堂けいこさんから、個人誌「縞猫 VOL・9」をいただいた。不思議な雰囲気をかもしだす作品は魅力的。彼女とは、会うのは3回目だろうか。「夜の鳥取砂丘で詩を叫ぶ」のイベントの時、しっかりとお話できてよかった。
砂丘から帰って大広間でのフリータイムの時、私たち3人は午前2時まで詩について語り合っていた。そのあと、私たちはそろって温泉に入った。
ときが過ぎれば過ぎてゆくほどに、心地よい時間は さらになつかしさを増していく。この時、行きの道中で、ハプニングなどがあったものの、思い返せば、とても貴重な得がたい体験だったと思う。このイベントでは、若い人と、溝を感じることなく楽しくすごせたのもよかった。

上の写真は、私が撮りました。Yさんが砂丘で朗読しているのを、NHKの人が、録画しています。






右の写真は、ミキさんが撮りました。やはり、砂丘朗読をNHKがビデオ撮りしています。写っているのは、兵庫のIさんです。










家にかんずめ? 2004/12/19(日) 22:00:52
12月18日はハピヒピの朗読会、19日今日は大阪の合評会に行く予定だった。それが、年末特有の用事が、急に入ってしまい、結局どちらへも行けなかった。数日前に、手作り詩集を作るため、2日間徹夜したのが少々体には響いていた。結局、神様からの指令で、少し 休憩しなさい っていうことか?などと考え、行きたくてしかたないのを 我慢している。詩の行事 となると どうしてこういきたいのだろう。心がざわついて、まさに お祭りに参加するようだ。詩祭はお祭りではある。そして、そこから いろいろと知識が得られるのがいい。そして、いろんなひととお知り合いになれる。これも詩祭に参加する 醍醐味でもあると思う。家からは出られないが、こうしてメールを書く時間はある。その用事、足止めを強いた 用事 とはなんぞや。
ウフッ 出ました、「ウフ」が。ウシッ ではない。
わたくしに 会って、「TISATO日記に書いてあった、あれは 何だったの?」なんて 聞いてください。
私はきっと 説明いたしましょう。ちょっと もったいぶっちゃって。ウシッ。今度は ウシッ でした。
ウシッ詩誌史・・・・・です。パソコンって便利だね。「し」を変換したら、いくらでも「し」がでてきちゃう。


年末は、きっとみんな忙しいのだろう。微妙にカウント数が全般的に減っているようだ。
私は、暮れが迫って、25・26・27・28日と詩の行事があるんだよ。急に用事が入って、ドタキャンにならないことを祈る。

忘年会も込み ね。
参加できたら、また TISATO日記で 報告しちゃうかな。
また、見てちょうだいね。(^^




これは、福山美術館の正面玄関です。中央に「火の鳥」があり、両脇には、イルミネーションがあります。ここの広場は、きっとクリスマスまで、夜でも人でにぎわいます。
 


12月17日、夜 出かけた。 2004/12/18(土) 01:27:39

福山美術館の広場でライトアップが、今日、12月17日から始まりました。クリスマスの日まで、あるようです。隣接の博物館では、午後6時から、コンサートがあるようです。この写真は、「火の鳥」です。





















福山博物館のほうで行われていたコンサート。
12月18日午後6時からもあるようです。











手作り詩集 四コ目。 2004/12/17(金) 01:30:16

竹原の土蔵。白の格子がステキ。





手作り詩集 四コ目を創るために、2日間ほど徹夜した。
3日目はやはり調子が悪い。夢中になるとわき目も振らない。一直線。
1日休んだら、回復。大丈夫。(^^。
パソコンが故障して、その中の詩は全部消えてしまってバックアップもとっていない。メモを頼りに再び詩を起こす。「眠れない夜は」の詩が消えてしまったのが一番残念!あの詩 自分でも好きだったのに。メモもない。メモがないものも、かなりある。そういうものは、記憶を頼りに起こすしかない。起こしたとしても、きっと もとのようにはならない。
手作り詩集4冊目のタイトルは「空と道が交差する場所」。。「しあわせの処方せん」以後の新しい詩ばかり、26篇とエッセイ1コ。<詩>となると、無理を承知で無理しちゃうんだよなぁー。
<詩> とはなんぞや?魂がとりつかれている?? (^^






アンソロジー「あなゆな」 2004/12/16(木) 01:32:55

これは、広島県竹原市の美観地区です。鞆や神辺の街並みに似ています。



今日、「あなゆな」が届きました。評論つきの詩・短歌・俳句のアンソロジーです。1260円。アンソロジーですが、本屋さんに並ぶ本です。わたしは、ここへ<いづこへ>という作品を載せました。1冊しかありません。本屋さんに立ち寄ったら見てみてください。
ささやかな宣伝でした。(^^





こんなに 流れ星! 2004/12/14(火) 08:10:23
流れ星が流れる時に、シャラララリン〜と、オレンジ・レンジの「花」と言う曲のイントロのような音がすればいいのに と思って見ていた。
流れ星を、きっともう こんなに見ることはないんじゃないかな とも思った。
7コまでは数えていた。そのあとは、数がわからないが、きっと20コはみている気がする。いや、もしかしたら30コかもしれない。
南西の空だった。月明かりがないのできっと星がよくみえるはず とテレビでアナウンサーが言っていた通りだった。範囲は広範囲に渡っていた。方向性はまちまち。それも予告通りだった。1メートルから3メートルほどの光の帯を引く。なかには5秒くらいゆるやかに流れるのもあった。方向性が一定していないので、どこに飛ぶかわからない。ひとつ流れると3分ほどおいて次の星が流れる。で、シャラララリン と音がしたらいいのに と思ってしまった。
最初の7コくらいまでは、流れると アッ と口の中で 無意識に声がでた。感嘆した極地である。




午前3時から6時までの間、外気温1度と室内温20度のところを出たり入ったりしていた。外で、フーッと息を吐くと白い。顔の肌がぴりぴりと痛い。首がおかしくなるんじゃぁないか と思うくらい、夜空を見上げていた。家の前には道をはさんで大きな森があり、私はそれを自称「トトロの森」と呼ぶ。そこへも星がいくつか放射状に落ちていった。



午前7時、すっかり明るくなって 星たちはどこかへ行ってしまった。
さっきのことは、うたかたの夢のようだった。



ふたご座流星群がやってくる(@@)/ 2004/12/13(月) 22:06:40

これも、同じ場所ですが、詳しくは広島県竹原市の島の頂上から撮った写真です。近くに住む 大学の時の友達が是非行ってみたい といったのでつきあいました。車で福山市から2時間くらいかかったかなぁ。地図を見ながらの 道中でした。きのえ温泉清風館 といったかな?お部屋からは、瀬戸内海がみごとに見えていました。きっと都会の方は喜ばれるんじゃないかな、と思いました。しかし、おつきあいで行ったので、自分ひとりでもう一回そこへ行ってみ といわれると行かれません。今流行の、ギター侍ではありませんが、残念!!! ですぅ。




今夜、ふたご座流星群がやってくるらしい。
しし座流星群の時には、自宅の庭から、3コほど流れ星をみた。お願い事をする暇もない。一瞬にして消えた。あちこちの友達に聞いたら、堪能するほど見た、もしくは毛布持参で見に行った というひともいた。
流れ星 と聞くだけで わくわくしてしまう。
今日は、午後十時頃(あっ 今だ!)から明け方にかけて多ければ1時間に50コほど流れるという。ことあるごとに、庭のほうにはせ参じることになりそう。見れるかな?



今日は短めで。詩とは関係ないなぁ・・・。
たまには、こんな日も。(^^




いいわけ のように。 2004/12/12(日) 23:45:24

これも、瀬戸の内海。同じ場所で。





今日は、何を書こうかな と考えていた。
そうだ!手作り詩集のことを書こうかな・・・と。
私は、昨年(2003年)パソコンで3冊の手作り詩集を創ったのですね。1冊目は「内在する表裏一体のプロローグ」(2003年4月)
2冊目は「インディストラクタブルLOVE」(2003年8月)3冊目は「しあわせの処方せん」(2003年11月)です。そこには詩が25篇、25篇、26篇と入っています。3冊目は、1冊目2冊目の特に気にいったものに、新たに創った詩を加え、批評のようなもの2篇、それに自分で撮った写真3枚を加えてみました。
ちゃんとした出版社に頼み、本屋さんに並べられるものを創るのが勿論ベストなのですが、それには莫大なお金が要ります。つたない詩にそれだけのお金をかける勇気も余裕もなく、私は自分で、せこせこ詩集を創りました。これは、結構な労力とやはりちょっとしたお金を要するのですね。本を出版するほどでもないのですが。で、必要に応じて必要な部数だけを創ってきましたが、ほとんど世間には出回ってはいません。私の、このようなつたない詩集でも、名前を載せてくれそうなところだけに配っているのです。
そして、わずかなコンクールに。そうしますと、最終選考の一歩手前まではいくのですね。まぁ、本当に生粋の手作りですので、私は 目下 それだけでも満足しています。いろんなところから、しきりに出版を勧められますが、やはり、最終的には お金 です。わずかなお金なら出せますが、まとまったお金 となると難しい。出版社がほれこんでくれて、出版社がお金を出すから 出版しないか といってくれれば それがベストですが、そんなにうまいお話はあるわけはなく、それには、まだ力不足です。でも たぶん、Mさんや、Kさんはそれで出版されていると思います。コンクールに応募して、そこで入賞(1番いい賞)して、そして出版社がお金を出して出版です。その場合印税はどうなるのか わからないけれど、まぁ、詩の印税は 小説ほどすごいものではないような気がします。詩集がでるだけでも、詩人には嬉しいはずです。
だから、私は、この頃わりとたくさん詩集をいただくのだけれど、下さった方に、「詩集を発行されているのに、何故くださらないのだろう。私はあげたのに」と思われるととても困るのですね。本屋に並ぶ詩集ができたあかつきには、くださった方にはきっと差し上げることにしておきますので、どうぞ そのように思っていてください。
なんか、また 言い訳のようになってしまいました。でも、これは是非知っておいていただきたいことなのです。


ことしは、アンソロジーですが、本屋に並ぶ本が、正確には5冊でました。うち、2冊はイタリアへ行きました。それらも、1冊しか手に入らないので、コピーして、作品だけは会う人に配っています。
コピーですみません。m(_ _)m。。。




きっとそのうち、詩集を発行する日が訪れると思います。(^^














記念日!ホームページ立ち上げ4ヶ月目(^^ 2004/12/11(土) 23:39:30

写真を貼り付けるのに、ちょっとまごまご しました。
貼り付け方とか、パスワードをノートにメモしててよかった。
感覚がにぶっているので、なかなかスムーズにはいきません。
こちらも、再び慣れるために、しばらく修練ですね。
これは、瀬戸の内海です。貼り付けるの、慣れなきゃ・・・。
思い出すのに苦労した。(^^
修練、修練・・・。せこせこ・・・。




<断簡風信 vol.191>
拝受。桐田真輔さんが16年ほど続けていらっしゃる 新刊走り書き読書メモ、書評。バランスよく、いろんな書物を読まれている。書物から得た知識は体の周りにオーラとなって表出し、歩く生き字引へと変貌する。その付記の中、北村太郎さんの言葉「詩は一種の直撃力、受け取る人がいるかいないか。もしくは、一般大衆に向けられているという相矛盾した2面性を持つ」を引用され「今という儚い時間の意味に関わるささやかな営為」といわれる。わかるような気がする。
さてさて、書かれている書評の中の、何を読んでみたいか。
トンマーゾ・ランドルフェ著「月の石」⇒1939年イタリアで刊行された、主人公が詩を書く大学生ジョバンカル。不思議な体験、詩情豊かな幻想小説、というところに惹かれる。私は、今年5月「誕生まえ」8月「壊す」という詩がイタリアに行った。とうの本人は行ったことがないのに詩のほうが、海を越えて行った。少しでも、イタリアのひとに読まれれば、と思うが、そういう意味でも惹かれる。
ジェニー・エルペンベック「年老いた子どもの話」⇒14歳の不思議な少女の物語。ドイツの小説。長編詩のようなファンタジードラマ。「カフカ的な強烈なインパクトをもつ作品」とあるので、カフカ という言葉に惹かれる。8月の福島での歴程合宿の時、近藤洋太さんだったか、カフカの物語の足跡を求めて旅された、とそのことを講演された。カフカがより身近に感じられる。
嶋夕陽「きょろきょろ目玉とうさぎの耳」⇒この本は私もいただいた。
私は、こんど、岡山エッセイストクラブに入る。しっかり読んで勉強させてもらった。このかたは、詩では苅田(かんだ)日出美さんといわれ、あざみ書房の同人誌のコーナーにも個人誌を寄せられている。
シルヴィア・プラス著「ベル・ジャー」⇒詩人が訳した長編小説。奨学金を受けながら名門女子大に通う19歳の女の子が主役。詩のコンクールで入賞した副賞としての、1ヶ月のニューヨーク暮らしのことが書いてあるらしい。その後のことも書いてあり、魂の記録のような自伝小説で、別名「自殺志願」と言うタイトルで、74年角川書店から刊行されたという。その昔、「二十歳の原点」と言う本がベストセラーになったが、この作者も自殺してしまう。ひとの命に関する小説や詩はそれだけで読者の心をとらえてやまないところがある。みんな、無意識的に この世の儚さを自覚しているところがあるのかもしれない。
黒井千次著「日の砦」⇒連作短編小説集。定年退職者の現実に突き刺さる視線や観念のように生きている高太郎が主役。定年退職者の日常が集中的にクローズアップされている ところが気になる。
他にも、同じ巣で暮らした動物の協力行動をかいた「吸血コウモリは恩を忘れない」(リー・ドカトキン著)。「僕は痴漢じゃない」(鈴木健夫著)。1980年代にはありふれていたことが、今では斬新な「ロサリオの挟」(ホルへ・フランコ著)。スペイン人の元精神科医が書いたミステリー小説「イデアの洞窟」(ホセ・カルロス・ソモサ著)。詩をよむようにじっくり味わえる哲学的エッセイ集「イデーの鏡」(ミッシェル・トルニエ著)。漫画「ジュリアス・クニップル、街を行く」(ベン・カッチャー著)。30年ぶりに初恋のひとと会ったときのことをかいた表題作が入った「再会 女ともだち」の短編小説集(山田稔著)。どんな体質のひとがどんな水をどのくらい飲んだらいいのか、というレシピ集まで収録されている、藤田紘一郎著「水の健康学」。平和について考える講演集「戦争と平和」(吉本隆明著)。漱石の、旅に関する作品を集めたアンソロジーの文芸評論「漱石の巨きな旅」(吉本隆明著)など。
今頃、こんなことに感心しててはいけないのだけれど、いろんな本があるものだなぁ。
感想 と言えるほどのものではないのだけれど、なんとなく、書いてみました。


今日の日記、まだ、終わらないよ。ひとつ、わたしにとって大事なことを書いていないのだな。それは、午前0時に近くなってね。おはこの「乞う、ご期待!」出ましたね!!!
ちょっと、休憩・・・・。(^^



ほんの数日前まで、パソコンは19日間も入院してて、(予定は10日ほどと聞いていたのに)まだ、病み上がり状態ですが、今日は実は、ホームページ立ち上げ4ヶ月目の記念日なのですね。私は自分の誕生日などには、今頃密かに自分で自分にお祝いしたりします。いくつになっても、誕生日は誕生日です。おおげさに言えば、ここまで生きられたことに感謝、なんちゃって。(^^。カウント数、23時47分現在、4096 であります。紆余曲折ありますが、楽しく、パソコンライフを続けていきます る。(^^ (カウント1日100 というのは、一番多い時、が だよ。)) カウント数に励まされるぅ・・。(^^
がんばるぞーーー。。。(^^
















パソコンの 徒然。 2004/12/10(金) 08:28:51
12月9日、夕べはTISATO日記を書かなかった。
パソコンが故障する前は毎日書いていた。8月11日にホームページがスタートして、最初は3日間だけ、続けて書こう と思っていた。それが1週間になり10日になり、そして1ヶ月になった。カウントを数えていると、多い日には1日100のカウントがある。これは見てくださっている人のためにも毎日書かなくては と思ってしまった。そして11月20日、パソコンが故障して電気屋さんに駆け込む日まで、3ヶ月と1週間、毎日TISATO日記を書き続けた。その前から、パソコンがもしかして故障するんじゃないかな という前兆はあった。が、特に使うのにさしつかえがなかったので、そのままにしておいた。まさか、本当に故障するなんて日が訪れようとは夢にも考えていなかった。
そして悪夢の11月19日。実は、人のホームページを見て、次の見たいところに移動させる時、なかなか移動しなかった。いわゆる、パソコンが重過ぎる という状態だと思う。ここで、立ち上がるのが待ちきれなくて1回強制終了。こういう状態が続くので、この時3回続けて強制終了をした。そうすると、まさに、パソコンが怒ったのか、どうやっても動かなくなり、デスクトップにはアイコンの表示さえ出なくなった。アイコンが登場してくれなければ、まさにお手上げである。何もできない。翌日、パソコン持参で電気屋さんに駆け込んだ。「たぶん、ハードディスクを取り替えることになると思います」と言われた。
パソコンをし初めて丸3年。ほとんど24時間、パソコンはつけっぱなしの状態 といってよい。しかも、パソコンの中にいろんなものを入れる一方で、容量を減らす ということはまったくしてこなかった。いつかは、こういう時がくるのではないだろうかと、密かに不安は感じていた。しかし、それがよもや現実になろうとは、それこそ夢にも思っていなかった。機械なのだから、永久に動く ということにはきっと限界があるだろう。そう思いながらも、プロッピーディスク保存も機械から拒否されてしまうので、保存 ということもしてこなかった。
そうすると、ある日突然予測もなく、それが現実となって出現してしまった。携帯で連絡のとれるひと、会うことのできる人、などにはすぐに様子を知らせた。しかし、パソコンのみでお付き合いのひとには、知らせようがない。毎日書いていた日記がある日突然書かれなくなってしまう。事情がわからず、どうしたんだろうと思ってくださった方もきっといたと思う。故障する前に、TISATO日記が書かれない時には、疲れて眠りこけているか、詩祭などでお留守にしているか、と思ってください と少しは それらしきことを予告しておいてよかった と思ったものだった。


パソコンがリニューアルされたのを機会に、今度は「毎日」というところにこだわらず、マイペースで書いていこうと思う。
「保存」ということについては、のどもと過ぎればなんとやら でどう保存していっていいのか 何を保存すべきなのか 迷っているところはある。全部保存 となると それは膨大なものになってしまうので、どうしても消えては困る というものだけ 最低限保存 という路線にしなくてはならない と考えている。本当は全部 すっかり保存したいのだけれど。私自身が書いたもの、それは私にとって 私自身の宝物でもある と思っているので。綴る ということは 紡ぎ出す ということで それはある意味 命を紡ぎ出す ことだと 私は思っている。体内から生まれ出でた 子供のようなものなのだ と。それに 共感してくださる方がいるとすれば、それは まさに 同胞 くらいに思ってしまう。大切な人たちだと思う。



ちょっと硬いお話になってきました。「パソコンが壊れたので当分TISATO日記が書けなくなった」と友達に話したら「あれだけ毎日書いてたんだから、ちょっと休めばいい。休みなさい、いうことよ」と言われた。でも私は ある日突然パソコンが消えてしまって 随分空虚だった。パソコンが戻ってきて、今まで以上に、いろいろと ここから発信していこう と思っている。
パソコンが壊れている間、手紙をもらっていた。それはそれで嬉しかったが、やはり 発信 という面では 手紙は電波には劣る と思う。
ただ、生の筆跡のお手紙は これはこれですごく貴重なもの だとは思っている。


12月8日  再び!!! 2004/12/8(水) 21:58:10
12月7日と8日 今日、電気屋さんに入りびたりだった。
訪問を待っていたら いつきてくださるかわからないので、機器の いっさいがっさい を電気屋さんに持ち込んだ。12月6日に 電気屋さんから 「修理が出来上がりました」とお電話をもらった時には「できましたか!」と声がはずんだ。12月7日にパソコンを取りに行って再び愕然とすることとなる。再度インストールしないと何もできない状態なのだ。しかも、インストールするには、機器についていた ひとつひとつのCDロムがいるという。初期設定は電気屋さんにお願いしていたので、そのCDロムが果たしてあるのかどうか。帰ってみて家捜しをする。7日の夜は、パソコンがあっても 何もできない状態。せっかく戻ってきたのに、と虚しい口惜しい時間。それよりもCDロムを捜さねば、とこれまた必死だった。ひとつを除いて、あとはあったのでホッとする。朝から、電気屋さんに再び駆け込む。まず、メールとインターネットの接続インストールをしてもらう。それから、プリンター、デジカメ。スキャナーを除いて、すべて一応できるようにはなった。しかし、状態は、まだ違う。なにしろ、いままで入っていたものがすべてなくなっているのだから、また最初から入れていかなくてはならない。しかもその前から少々パソコンの調子が悪かったので、バックアップを全然とっていないのだった。なので、パソコン内に保存してあったメールアドレスもすべて消えてしまって、ない。もし、私のパソコンに1度でもメールをくださったことのある人は、どうぞ、1通メールをください。そうすれば、再び登録できますので。こちらから、お送りする、というのは、場合によってはできないかもしれません。よろしくお願いします。




パソコンは、まるで生まれたての赤ん坊のような状態です。もしくは長く入院していた病み上がりの病人のよう。確かに パソコンは電気屋さんに入院はしていたのだけれど。病院から退院してきても、かなりしばらくの間、どうもリハビリを必要としています。少しずつ 元の状態に戻していこう とは思っています。生まれたての赤ちゃんは何も着ないで生まれてくるので、服を着せたり食べさせたりいろんなことをしなくてはなりません。まさに、そんな状態です。落ち着くまでには時間がかかりそうです。



ある日、突然パソコンが動かなくなると(消えてしまうと)心にポッカリと穴があいたようでした。いかに パソコンに依存して生きている自分がいたか。この頃は、癒しロボットが密かに売れているそうです。その数、100万人らしいです。これは、ラジオで聞いたお話ですが。話しているアナウンサーが「100万人の人がそのロボットを持っているってすごいよね」。パソコンを失ってみて、その気持ちがわからないでもありません。だけど、パソコンの場合は、そのむこう側にはひと がいる。そこにはきっと、本当の心も存在すると思うのですが。




少しずつ、ペースを戻していきます。
ここを見てくださっている方、また、ホームページを見てくださいね。(^^♪〜〜♪


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