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TISATO日記

2005年1月

不明瞭 2005/1/30(日) 00:00:21
ここ3日間ほど 詩に関して 自分自身に小さなノルマを課していた。今日午後過ぎ 合評会に行く前に それを達成した。郵便で送って完了。
用事以外の時には それにかかりっきりで 寝てもさめても それにかかっていた といってもいい かもしれない。
そんなことをしたって ある意味 無駄な抵抗で むしろ 損をしているのではないか というアドバイス もある。でも きちんとした詩集を発行しない以上 こんな形でしか 自分を発信するしかない。
私は 何を言っているのか。核心を避けて記述しているので 何を言っているのか わからない というのがおおかたの見方だろう とは思う。私は 目下 自分の名前を知ってもらえるだけでもいい と思っている。そして、もし 詩作品が読んでもらえるなら と。


本当に何を言ってるか わからないでしょ?
わからないほうが いいのです。


目が離せない。「天国の階段」 2005/1/29(土) 20:33:05
別に 泣きたいわけでもなんでもないのに、このドラマを見ると水道の蛇口をひねったように、(といったらおおげさか)涙が惜しみなくポロポロとでてしまう。そういう場面が1ヶ所だけではない。今日は5ヶ所もあった。
ビデオを 勘違いして 消してしまったか と思って ちゃんと入っているか確かめる為に 今日放映されたところを もう一度みた。
さっき見たばかりなので あらすじはわかっているはずなのに、1回目と同じように 変わりなく 涙が出る。そばに置いているティッシュの箱がからっぽになった。
今日のタイトルは「友情の証し・初めてキス」というものだった。お互いが好き同士なのに、がんじがらめな状況で 思いがとげられない。
恋人でいられないなら せめて友人でいよう と自分に何度もいいきかせ、一生懸命 そのように振舞おうとするソンジュ。
ソンジュ(男の主役;クォン・サンウ)がチョンソ(女の主役;チェ・ジウ)のことを好きでしかたないのに、チョンソの前ではなんでもないように振舞っている。友情でいよう とさりげなく でも いつもチョンソ を見ている。ハンチョルス(義理の兄)も、すごくチョンソのことを思っている。ソンジュとチョンソの間を後妻の娘で義理の妹のユリと継母が策略を凝らせて邪魔する。実の父は この継母の本性や実の子へのいじめを全く知らない。ここらへんが ちょっと不自然だが それも 物語のねらいだろう。物語の最後で、ソンジョが側近に つぶやく。「辛いんだ。すごく苦しいんだ」
全22回のうちの今日は13回目。
わたしは、偶然に しかも途中から見始めたので 最初の頃は知らない。クォン・サンウのすっかりファンになってしまって 写真集を3冊も買ってしまった。日韓経済効果に協力。私の友達もクォン・サンウのファンなので、もし日本にきて イベントが開かれたら 見に行く?なんてこの前会った時 はなしてた。まさに、ヨン様を追っかけている奥様族とこれでは同じじゃぁないか と思いながら、心地よい熱度に はまったままだ。
土曜日が みのがせない。本当に 機会があればクォン・サンウに会ってみたい。彼の私生活での生き方も共感できる。



明日は福山 輪 の会の 合評会がある。


宣伝!「言葉のちから」上梓!!(^^ 2005/1/28(金) 20:08:10
2004年年末に出来る予定だったエッセイのアンソロジー、日本文学館刊「言葉のちから」が届きました。お値段1260円なり。発行が遅れた といっても、第1刷発行は2005年2月15日になっています。
以前岡崎葉さんが送ってくださった「Moderato(モデラート)」も手元に届いた時、発行以前の日にちになっていました。岡崎葉さんの所には膨大な量の詩書や同人誌が届きます。私は 「感想をどうしているの?」 と聞いたことがありますが、お答えは「自分独自でいい」ということでした。
「言葉のちから」の めぼしい販売場所は、紀伊国屋書店、三省堂書店、ジュンク堂書店 などだけど、あえて上げるなら、紀伊国屋書店では、新宿南店、渋谷店、横浜店 仙台店 松戸伊勢丹店など。三省堂書店では、大丸札幌店、新宿西口店、八王子店など。ジュンク堂書店では、三宮駅前店、西宮店、福岡店、そしてフタバ図書GIGA広島駅前店など、全国で50ヶ所の本屋さんに置かれるようです。ネットでは「楽天ブックス」などで。
日本文学館のお電話は03−3524−5208、Faxは03−3524−5208 でホームページもあるようです。事務所ビルは東京銀座にあるようです。
わたしは、原稿用紙2枚くらいの量で、「詩の海峡をわたってゆく」というエッセイを載せています。たとえ、アンソロジーでも 自分の作品が本屋さんに並ぶ ということは とっても嬉しい嬉しいことです。
わたしはまだ、個人の詩集とかエッセイ集とか、本屋に並ぶ本はもちませんが、(私家版なら詩集を4冊つくりました。パソコンなので、本屋さんには並べられません)もし、個人の詩集やらエッセイ集やらできたなら、それこそ、天が突き抜けるくらいに嬉しくて飛び上がってしまうかもしれません。まだ 機 が熟してはいないようですが。数年うちにはきっと・・・ という希望はあります。


みなさん、興味がおありのようでしたら、本屋さんで立ち読みでもいいので 見てみてくださいね。よろしくお願いいたします。
ペコリ、m(_ _)m 。もひとつ真摯に ペコペコリ (^^/ 。



涙の壷が からっぽになる? 2005/1/27(木) 19:11:30
昨日のお話。
フリーな日の翌日は、おまけで もう一日フリーにしてみようと、映画館に映画を見に行った。友達を誘ってランチをして 映画館へ。韓タメにはまっている私たちは 韓国映画「僕の彼女を紹介します」を見た。
まず、映像がすごくキレイ。しょっぱなから、主役の女の子が、高いビルから飛び降りるシーンがでてくる。これは、ドラマが進んで、そのシーンが劇中にでてくるのだが、その映像もすごくキレイなのだ。
主役の女の子は婦人警官で現場に現れた教師の恋人をあやまって打って殺してしまう。自責の念にかられて、何度も自殺しようとするけれど、死ねない。恋人は、空想の中に 夢の中にあらわれ 「僕はいつも風の中にいて きみを見てるから」という。「生きろ」という。
物語の中で、何度も涙が出た。隣の彼女とふたりで、ズルズル音をさせながら 見ていた。
ピストルを撃つシーンなど迫力もある。
この主役は「猟奇的な彼女」と主役が同じらしい。私の友達は このビデオも見ている と言った。今度ビデオを借りて見てみようかな。
「僕かの」の最後のシーンで、恋人の教師の彼が四十九日を迎え この世からあの世へ昇天していく場面で「今日きみは僕の魂に似た誰かと出会う」という。
映像がとてもキレイで迫力があり、そして泣ける。一見の価値あり とお勧めします。


私の友達は夕方で帰ったのだが、私はこの日早く帰る必要がなかったので、こんなことは私にとっては前代未聞なのだが、別な映画館に移動し映画をはしごした。次に見たのは、日本映画「今、会いに行きます」。
これも、泣けるドラマなのだが、やはり 私は韓国の映画のほうが映像が綺麗でスケールが大きい と思った。まぁ、題材によるかもしれないが。日本映画と韓国映画の画質の違い については、こちらも映画館によるのかな、と思ったりしたが、ここはよくわからない。記憶喪失というところ、そして以前放映した「よみがえり」 と似通ったところがある。あの時も主役は竹内結子だった。雨の日に現れて 梅雨がすぎるといなくなる。日記を見て 自分がやがていなくなる と悟り、生きていくすべを、幼子に必死で教え込もうとするところが 心をひく。
ちょっと幻想を含んだ部分もある と思うが最初の20分をみのがしているので、少しよくわからない部分もあった。



この TISATO日記を見て、映画についてメールをくださった人が居た。何にしても、反応をいただける というのは嬉しいことだ。逆の立場になった場合 やはり 私も 反応していかなくては と思う。それが コミニケーション となり心の交流へとつながっていくと思う。
そうして ひととひとが つながっていく。
何かに夢中になっている自分が心地よい。それが 何であれ。
よし!  もっと夢中になるぞ。勿論 詩 にもね!(^^













Freeな 1日 2005/1/25(火) 18:44:10
体が疲れて極地に達すると、吸い込まれるように眠ってしまう。
この 眠りに入ってゆく瞬間がなんとも心地よいのだ。
私には目下 眠れない ということはない。何か心配事がない限り。
受験生が 睡眠をむさぼるように。そんな感じ。
どこであろうと寝てしまう。こたつでも ソファーででも。
ゆうべは 午後9時くらいから、朝まで眠ってしまった。
なので、昨日は 珍しくTISATO日記が短いままだ。



昨日、岡山から帰ったのが午後7時くらいだった。平家物語の講座が終わった後、詩画展を見に行った。岡山シンフォニーホールの前あたり。ここは、月に1回行われている朗読会の場所とすごく近いので、迷わないですんだ。
ギャラリー佳 というところ。日笠芙美子さんと壷阪輝代さんが抽象画家尾崎博志さんの油絵に詩をつけられている。詩そのものは7行くらい。油絵と言葉がからみあって ステキ。場合によっては、販売もされたらしいが、展示物にお値段はつけられてはいなかった。
いつか自分もそんなふうなこともやってみたい。だけど、下準備など大変だろうな とは思う。これも、希望のひとつ に入れておこう。


22、23、24日と岡山通いだった。
私は1ヶ月のうち何回岡山に行くだろう。岡山はきっと私の学びの場所だと思う。しっかり知識を吸収しようと思う。


「天国の階段」のビデオをやっと見れた。ビデオを撮って3日目。
本当は好き同士なのに、周りの状況によってすれちがっていく所がせつない。憎っきは継母だ。裏でものすごく画策をする。しかし、そういう人物が登場してこそ ドラマは面白く展開するのだろう。
韓タメニュースで言っていたが 2月の半ばには、主役のグォン・サンウのファン会があり 日本から500人の人が韓国へ行くらしい。
「冬のソナタ」のポラリスのネックレスのように 今福山のサントークでは「天国の階段」で使用されたネックレスの予約を受け付けている。お値段は14000円くらいだった。実はほしい。なんとなく。何故だろう。恋物語に浸りたい為か?







2005/1/24(月) 00:19:56
さっきの お話の続き。
私は、陰のお話を ばらしているわけではないよ。言っていいものかどうか 一応判断してるつもりだからね。
だから、わたしは お喋り ではないからね。
ささやかな 言い訳になりました。(^^


岡山 詩の勉強会 その2 2005/1/23(日) 23:57:31
昨日、岡山に行っているのに、今日も 思いたって岡山に行った。実は明日も岡山に行かなくてはならない。きのうの ひきつづきの今日だったので、実は大変疲れが残っている。あしたも行かなくちゃぁならないと思うと ちょっときつい。れんちゃん3日間、遠方への外出は疲れる。1日外出すると、正直1日休みたい。
健康な精神は健康な体に宿る、これ 本当だと思う。体が疲れていては心まで疲れてしまって 次へのステップが踏めない。じょうずに休養をとることも大切だと思う。




では、昨日にひきつづき、吉備路文学館でのお話を もう少し。
安水さんと飯島さんは古くからの友人らしい。安水さんは飯島さんが最近出された詩集「アメリカ」のこと、「このインパクトは近年にないものだ」とほめられた。安水さんは「今日は付き人できています」といわれた。
飯島さんはこの詩集「アメリカ」を急に書きたくなったらしい。1〜2年 詩を書いていなくて、書こう という気が起こらなかった という。ところが、ヘルペス という病気になって この病気がきっかけとなり がぜん 書く気がでてきた と言われた。言葉がふつふつと湧き出て、そのうち 本当に書きたくなって この「アメリカ」が出来上がった という。そして推敲彫琢、簡単から複雑になっていったらしい。


詩は一説には 幸せだったら書けない と言われる人もいる。苦しみや辛さ、寂しさなど もし胸につかえていたら それを言葉にして吐き出せばスッキリとする、ということは確かにある と思う。でも私は 書く という行為はそれだけでもない とも思う。自分の書いたものをみてくれて 相手がもし 少しでも喜んでくれるなら その人のために書き続けたい なんちゃって。ちょっと キザ すぎるかしら。
飯島さんは自分で自分のことを言われる。
計画性がなくて、でたとこ勝負。自慢話も結構好き。おとなしそうにみえるけれど野蛮なところもある。けんかもよくした。論争やけんかは大好きである。ジャズがすき。アメリカに敵意をもちながらも、ジャズがすき。アメリカに対して愛憎の両面がある。などと、自己分析。
お話の中で、ご自分のあまりよくない所をあげられるが、本当にそうだったらなかなか 自分から自分はへりくだれない。既成のものがあるからこそ いえるのだと思う。十代の頃、永瀬清子さんから、「自分で同人誌を立ち上げれば没にならないから そうしなさい 」と言われたという。なるほどまったくその通り である。
池田満寿夫さんとのエピソードがおもしろかった。若い頃、馬鹿(失礼)やってた頃のお話、おもしろかった。
最後に、小学校以来の同級生だった という人が現れ、いろいろと質問をされた。「同級生ではあるが、詩をやっていると若々しい」と言われる。これは 私もそう思う。詩をしている人は おとしより とても若い と思う。詩によって精神が浄化されるからなのかな と考えたりして。
安水さんが震災のお話をかなりされていた。


ご報告といたしましては、こんなところでしょうか。
講演のあと、私は四土の会のメンバーとお昼を食べにいきました。
そして、講演の感想とか 所用とか 第一陣が帰ったあとも、その後 駅の近くの喫茶店で雑談をして帰りました。こういう時間が結構楽しいのですね。ほろりとプライベートがのぞいたり、みんなが自分のことをどう思っているのか、なんかがわかったり、本当に心地よい時間です。
吉備路文学館でのお話がとてもわかりやすかったのも、館長さんからのご依頼があった などということも雑談の中からわかるお話です。
裏話が聞けるのが おもしろく興味があります。
講演の様子をデジカメで撮ったのに、いまいち何故かインストールがうまくいかない・・・。



せっかくビデオ撮りしている「天国の階段」も時間がなくて まだ見れていません。TISATO日記を書いていると 好きな番組もしらない間に終わってしまっていたりします。ちょっと、残念・・・。











岡山 詩の勉強会 その1 2005/1/22(土) 23:08:10
またまた、午前0時、過ぎちゃってるね。
だから、もう明日でなくて 今日 なんだけど。岡山に詩の勉強に行って来るね。朝早いんだ、実は。だから もう寝なきゃ。朝6時起きだよ。ご報告、お楽しみに!







岡山に行ってきました。午前8時11分のJRに乗り、吉備路文学館に着いたのは午前9時40分くらいでした。入っていくとぞくぞくとあちこちに顔見知りがいます。こんにちわ こんにちわ と 右を向いたり後ろをむいたりして挨拶をし、すると、もう売るための本が置いてありました。
私は、よく 詩集をもらう と書いていますが、買う時には買います。
東京ポエケッとの時には 帰って計算すると 1万円ほど詩集を買っていました。今回も、飯島耕一さんの「六波羅カプリチョス」「アメリカ」しめて計5600円なり、買って帰りました。勿論サイン入りです。飯島耕一さんは、原則的にサインは嫌いだそうです。でも今回は館長さんが無理にお願いして ということで、買った方にはサインをくださった という形です。
講演そのものは、神戸から来られた安水稔和さんとの対話形式で進められていきました。雑談形式だったので、なんか堅苦しくならずスーッとお話が入ってくる という感じでした。
お話の内容については、飯島さんが岡山に居られた頃の、プライベートなお話とか、若かった頃のお話とか、詩人としての生の人間性が垣間見えるような、そんなお話が多かった。そして、「アメリカ」を出すに至ったいきさつとか、学問的なこととはちょっと趣を異にしていた。
後半に入ると、この おふたがたに 三沢さん 岡さんが入られて 4人での雑談形式になった。







真夜中のひとりごと 2005/1/21(金) 02:31:43
1月20日は日記を書かないで、今、午前2時を迎え とんでもない時間に パソコンのキーを打つ。雑事もあり、外出もし、20日は書く余裕がなかった と言っておこうか。まぁ、パソコンがリセットされて、今度はマイペースで書く と宣言したので 言い訳もきっとする必要もない とは思うけれど。つい、書いてしまうのだな。
こんな時間帯では、一般掲示板に記入するのは気がひける。だけど、自分の日記には、いつの時間帯でも記入できそうである。なぜなら、ここを訪れてくれる人にしか、この時間帯、今 記入していることは、表ざたにはならないから。そういう意味では、一般掲示板よりも、随分プライベートな感じがする。私は、個人的掲示板を持たないので、どんな方がここを見てくださっているのか わからないが、岡山の友達などは、時にメールをくれたり、会ったら 「見てるよ」と声をかけてくれる。
何事に置いても、反応がある というのは嬉しいことだ。
この頃 私は いただいた詩集の感想を書くのが追っつかない。年末からお正月にかけて 雑事ごとも多く、しかも、家を整える為、あらゆる種類の職人が出入りすると その接待に追われて 家にいても落ち着かない。そして、東京から臨時の同居人なんてのが登場するとますます自分の時間がとれなくなる。
以前 小池昌代さんが言ってた と誰かから聞いた。日常の生活があってこそ詩が書けるのだと。だったら、詩は日常生活があって、その上に成り立っているものともいえる。なので、日常の生活もおろそかには出来ない。詩を書くために。
詩集をいただいて、感想が書けてないのは非常に申し訳ないと思う。
詩が再び始動してきて、うまく拍車がかかったら、いただいた詩集をきっともう一度 読み直そうと思う。そして、今度は感想を書くぞ!という心がまえで。その点、自分がお金を出して買った詩集は気楽である。ただ、読みさえすればいいから。なんか、ここんとこ 悪循環になっているような気がするが。




そろそろ 詩、始動! 2005/1/19(水) 21:02:17
久々に、「ふくやま薔薇しゃ」に記入しようとすると、当分書き込んでないので、迷うまよう・・。
やっと、書き込んだって感じ。忘れないように、時々書き込んでないと
本当に忘れてしまいそうだ。
そういえば、灰皿町アルバム掲示板に写真をアップするのは、どうやるんだったっけ?あす、さっそく、やってみるか?
パソコンだって、よく使う機能は たびたび使っていると パソコンが勝手に認識するらしい。そして、使わない機能は消滅?(はしないだろう)するらしい。エッ、ここんとこはホント???


今日の日記はこれまで、では、また あした。(^^
現時刻、午前12時36分。
とうに、シンデレラタイムは過ぎちゃってるけどね。
シンデレラはガラスの靴をどこに落としたか??
関係 ないか・・。





あしたに、なっちゃった・・ぞ。(^^
今度の土曜日1月22日には、今年に入って初めての詩の行事がある。吉備路文学館で岡山県詩人会の集まりがあります。講演もあり 飯島耕一さんと安水稔和さんが来られるようだ。お話を聞きに行ってみようと思う。
この日は滋賀のほうでも日本現代詩人会の催しがあるようです。
私はご案内をもらえてないので、詳しいことはわかりません。私は平家物語を受けているので、もしかして そちらからご案内がもらえるかなと 少し期待したが はずれた。もしご案内をもらっていたら、きっとどっちへ行こうか迷ったと思う。でも、もらえなかったので悩まないですむ。季節も寒いし 遠いし、今回は迷わず 岡山のほうへ行こうと思う。が、懇親会までは無理だろうな。懇親会に参加して、パワーある人のそばにいられたら、なんか いいお話が聞けそうな気がするのだな。
きびんさんから、ダイレクトなメールをもらって、こちらも気づいた。1月15日には、ハピヒピもあったんだなぁ。お正月モードが抜け切れていなくてこちらも気づかないうちに過ぎる。又、機会があれば行かせてもらおう。



とりあえず、今度の土曜日、楽しみにしていよう。(^^
みんなにも 会えるし。楽しみ。お食事でも一緒にできればいいがなぁ。ウフ・・。(^^



そういえば、わたし、1月16日には、岡山エッセイストクラブの集まりが未完成であったのに、年が変わり、カレンダーが新しくなっていたので、書き込んでいなくて すっかり忘れていた。あの日は、「小川洋子展」最終日で、岡山に行っていたのに。入会して初めての集まりだったのに、行けなかったのがとても残念だった。夜、Sさんがメールをくれてはじめて気づいた。わたしはとてもうっかりや のところがあるので、時々こんな失敗をしてしまう。日にちを間違えたり忘れたりするのです。みなさん、気がついたら教えてくださいね。これは、子供の時からの性格です。小学生の時には、解答は全部あっているのに 解答欄を右と左と間違いて書き込んだり。先生が「惜しい!」と書いて 点数を半分くれていました。そんなことが1回だけではありませんでした。
わたしは、抜けているのです。アホ と言われてもしょうがない。自分で言うには腹はたたないが、人に言われると カチン と くるかも。だから言わないでね。暖かく見守ってくださいね。
よろしくお願いいたします。(^^










早とちりの結果は・・・。 2005/1/18(火) 23:36:27
今日 夕方 外出から帰ると、ポストの中にグレイの大きな封筒が入っていました。見ると、右隅が切ってあります。新聞社から。
もしや、と心は密かな期待が湧いた。
開けてみると夕刊が3部入っていた。おそるおそる広げてみる。
ヤッターッ!!! とりあげてもらえた!ワクワク・・。

数日前、新聞社から美術館見学の招待券2枚をもらった。誰を誘っていこうかと考えた時、やはり気軽な母を誘った。広島までひとっとび。
なんと 3時間半も美術館にいた。帰って翌日感想を書いて すぐに新聞社に送った。これが、わたしの早とちりだったのだ。制限枚数もなければ、締め切りも知らない。ただ、鑑賞したのだから 早く、長さは勝手に2枚程度 と自分で決めて 送った。実は この原稿を 真夜中から朝の午前5時までかかって書いていた。出来上がったらすぐに送った。これが、早とちり だったんだな。
でもでも、今日 それが新聞に載った。嬉しくて。2005年は、やはり中国新聞から初まった。幸先がいい。今年も頑張って飛躍するぞ って勇気をもらえた夜だった。
こんな嬉しいことを いくつも重ねていくと きっと すばらしい人生になっていくかもしれない。(^^。
原稿については、近々 「ふくやま薔薇しゃ」のほうへアップしますので、気がむいたら 注意して見ていてください。

ちなみに、私が見に行ったロシアのロマノフ王朝が誇る華麗なる宮廷文化遺産「エミルタージュ美術館展」は広島県立美術館で1月30日まで開催されています。この近辺にお住いのかたで、まだ行かれていないかたは必見です。もしかして、ここをのがすと 生涯見れないかもしれませんよ。(^^。


行ってみーー、すごいんだから。(^^。。



追悼 2005/1/17(月) 23:03:47
今日は 朝から雨が降っていた。
まるで 亡くなった人の涙のように 降っていた。
十年前の午前5時46分。阪神淡路大震災。
6433人の方の冥福を祈る。



震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出
たった1秒先が予知できない人間の限界
震災が残してくれたもの
優しさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは 奪われたすべての命と
生き残った私達の思いを
結びつなぐ
 (1・17 希望の灯り 碑文より)


この文を わかば が言ってた。
わかば とは 今している NHKの 朝の連ドラ である。
わかばは、このドラマのヒロインで、父を震災で亡くした。
母は震災のトラウマで今だ 神戸には行けない。
わかばは 震災に負けたくない といってあえて神戸で仕事をしながら暮らしている。


NHKの「プロジェクト・X」も見た。六甲道の駅が復活する過程、男たちの戦いを描いている。
本来なら3年かかる作業を3ヶ月でやりあげる。陸の孤島がつながる。
このドラマをみると、人間って本当にすごい と思う。
焼き鳥屋のおじさん、垂れ幕を作った人、をも加え、見ていると胸が熱くなる。


今 新潟では まだ復活の最中である。
晴れの国岡山では 義援金集めの朗読会をした。私は聞きに行って寄付するくらいなものだけど、渦中にいるひとにエールを送りたい。
いつ、自分がそんな立場になるかわからない。地震国 日本 だもの。
災害に遭って助かる人は 本当に 命運のあるひとだと思う。
命は大切にしなければならない。

原爆のように 瓦礫を歩いても 放射能をあびることがないのは 不幸中の幸いかもしれない。

亡くなられた方々に 心よりご冥福をお祈りします。



吉備文学館へ。 2005/1/16(日) 22:05:27

これは、岡山の吉備文学館の3階から お庭を写したものです。
中が暖かく 外はとても寒かったので、境目のガラスが曇っています。



吉備文学館の「小川洋子展」が今日で終わりだった。
以前、岡山に行ったついでに、寄ったら ちょうど月曜日で、行ったのに休館日だった。岡山県詩人会がここであった時も ゆっくり見ようにも 連れがいたので 見ずじまいだった。
今日が最終日なので、昨晩から行ってみよう と思っていたが、さて友達を誘おうか と思ったが ひとりのほうが じっくり見れるかな と思い ひとりでいく。



小川洋子は 小さい時から「作家」になりたかった と書いてあった。
そんなに小さい時から 志がはっきりしていれば、修行も一直線である。なかなか そんなに自分の進路を 早々から決められるものではない。だから、大学も ちゃんと そこを意識して選んだらしい。通れる大学にいく というのとは大違いだ。おとなになっても自分の進路にゆらいでる場合もあるのに。そこが凡人とそうでない人との違いだろうか。
たくさんとられている賞の中で、芥川賞もさることながら、私が一番羨ましい と思ったのは 「泉鏡花賞」だった。羨ましい なんて言葉にするのも 申し訳ないのだけれど。金沢に行った時、近代文学館で、「泉鏡花賞」の面々をみた。すごい!と思った。きっと、近代文学館を実際に訪れているので、そう思うのだろう。


小川さんは、今は芦屋在住だけれど、岡山県の倉敷で暮らしていた頃、詩の朗読もされていて、詩脈の中には、5年間ほど親しくお付き合いをしていたひとがいる。作家と接触すれば それだけでエピソードが出来上がる。わたしは、できれば そんなプライベートな話を もっと聞いてみたい。


今日の、展示をみて、あらためて すごい人なんだなぁ と認識した。
今日は 雪が降るかもしれない お天気だったが、行ってみてよかったと思った。学ぶことは非常に多かった。
残り1枚のポスターをもらったのだが、どうやら帰りのタクシーの中に忘れてきたようだ。ギターサムライではないけれど、残念!!!である。



「冬のソナタ」完結篇 2005/1/15(土) 23:57:46
物語は、期待を裏切らない。
「冬のソナタ」第10巻目を見尽くしてしまった。
テレビですでに見てて2回目のはずなのに、まるで初めてみるようだった。そして、傍にティッシュがかかせない。涙がぽろぽろ出てしまう。
脇においてあるゴミ箱がティッシュで一杯になる。
1回目みて、2回目をみた。やはりこれは永久保存版である。
でも、保存はしていない。借りたビデオで見ているのだから。
今日、「天国の階段」もあった。先週の土曜日 あるかな と思っていたらなくて、今日 今年はじめてあった。こちらは後からも見れるようにビデオ撮りした。どちらのドラマも女の主役はチェ・ジウである。彼女は涙の女王 といわれ とても美しく泣く。韓国ドラマは 美しく泣ける のが ドラマにおける必須条件かもしれない。
今NHKでしている「美しき日々」の女の主役もチェ・ジウ である。


「冬のソナタ」の魅力はやはり 劇中のせりふ にあると思う。
普通の日常では とても恥ずかしくて照れていえない言葉を とてもかっこよく さらりと胸に響くようにいう。見る人の心の中にスーッとはいってきて知らない間に虜になっている。
私は、韓国の冬ソナ ツアーまでは行こうとは思わないが、この物語は、そして最後の10巻目は 何度も繰り返しみてもいい と目下思っている。「冬ソナ」の次なる楽しみは「天国の階段」。これも偶然見始めて、次の回から夢中になりはじめたので、物語が終わったら これもビデオを借りて最初のほうをみなくてはならない。
こんなに韓国ドラマにはまっていいのか。詩にさしつかえないようならいいんじゃない?なんて。「世界の中心で愛を叫ぶ」も純愛なのだろうが、この 純愛に惹かれるのかもしれないな。



「マイ・メモリー」歌詞
あなたのことなら すべて覚えてる
目を閉じれば どんな小さなことでも浮かんでくる
あなたは行ってしまった 手の届かない所へ
愛している とも 待っている とも
伝えられぬまま
今でも信じられない
あなたと再び こうして会えるなんて
今でも愛している ようやく伝えられる
愛し続けたい まだ間に合うのなら
これからも永遠に 私の傍にいて
いくら ときが流れても どんなに離れても
あなたは ずっと私の胸で生きていた
今でもまだ信じられない ようやく伝えられる
あなたと再び こうして会えるなんて
今でも愛している ようやく伝えられる
愛し続けたい まだ間に合うのなら
これからも永遠に 私の傍にいて

この曲は、チュンサンとユジンがいったん別れて、3年後に再会する場面でバックに流れる曲です。この時 チュンサンは視力が全くなくなっています。最後の場面も見ていると 涙が一杯流れます。


これで、やっと ひとしきり ビデオ屋さんからは離れられる かな。
でも、「冬のソナタ」の話題は また出るかもしれない・・・。
昨日は午前五時まで随筆を考えてました。ちょっと勘違いして 提出しなきゃぁならない と早とちりしてしまって。もっと確認すればよかった。まぁ、原稿は没になったと思って、勉強させてもらったんだと思うことにしよう。前むきに。(^^


心 とらわれたまま。何に? 2005/1/14(金) 23:01:45
今日の日記が書けてない時には、私は今頃の時間帯になると忙しい。
午前0時になると、ここの日記が更新初期化されるため、午前0時までになんとか その日のことを書き上げようとあせるからだ。
東京人がお電話をかけてきても、「TISATO日記を書かなきゃぁならないんだけれど」とつれない。それこそ、なんの使命感を帯びて、なんて思ってしまうのだが、なんか、書かずにはいられない。
パソコンのハードディスクをとりかえ、パソコンが白紙状態になって以後、もうマイペースで書くぞ と思いながら、書いていない時は、午前0時が近づくと やはり書かなければ と気はそぞろになってしまう。
これは一体何なんだ? なんて自分でも思ってしまう。





右の写真は、広島県県民の森 の雪です。
まさに「冬のソナタ」に出てくるような綺麗な雪景色です。雪質も細かいそうです。久しぶりにメールをくださった松永のTさんが送ってくれました。彼女は1年間イギリスでくらした経験を持つ人です。結構外人のお友達が多いようです。



今日 夕方 東京人が借りたもうひとつのビデオを返しに行った。
昨日、広島まで行ったので、今日は少々疲れていて、夕方出かけていくのが たいぎかった。でも、ビデオの返却日だったので、たいぎくても行かなければならない。こういう所が すすんでビデオを借りない理由だ。しかしビデオ屋さんにつくと ビデオが並んだ棚をみて「ラストサムライ」を借りてみようか などと再び考えていた。駅を通過して ビデオ屋さんまで車で40分くらいだろうか。夕方は出勤帰りの車が多い。多い車の中、闇に包まれて走る。
今日 返しにいってよかった。2度ふられた「冬のソナタ」第10巻にやっと巡り合えた。急いで借りる。2泊3日の借り期間で16日には戻さなければならないので、早くみなきゃ。1本のビデオは120分なのだけど、気にかかるところを巻き戻しながら見てたら この前2時間のビデオを4時間半かけて見てたので 思い入れの強い第10巻、それくらいかかる と覚悟で 見直さなければならない。テレビで1回見ているのに なのに そう思う。
主役のチュンサンが恋人ユジンにいろいろとさとすセリフがとてもいいのだ。好きで好きでかなわなくても、自分が事故の後遺症で目がみえなくなるものだから、あえて 別れのほうをチュンサンは選ぶ。ユジンはチュンサンがやがて目がみえなくなることは勿論しらない。
心してみよう。
広島へは美術館に行った。なんと美術館の中に3時間もいた。連れが行方不明になったかと思った とたいそう心配していた。それについては また後日。
詩の行事の予定が続々と入ってきている。
やっと 詩に戻れるかな?
でも、「冬のソナタ」第10巻目を見終わらないと 先へは進めそうにない。(^^きっともう1回くらいは書き込むと思う。
すみません。お付き合いください。













詩はいつになったら 戻れるのか? 2005/1/13(木) 02:52:25
東京人が 残していったビデオ「ハリーポッターと秘密の部屋」を見て夕方ビデオ屋さんに返しに行った。
昨日返っているはずの「冬ソナ」がまた なかった。いったんお店に戻ってきているはずなのに、また誰かがすぐ借りたようだ。
だいたい お店に何故10巻が1個しかないんだ?他の巻は3個〜4個あるのに。一番いい と思う巻で 結末なんだから、3個くらいは置いててくれよ って感じ。これは、すんなりと10巻が見れそうにない予感。お店に戻ってきたら、おとりおき か お電話いただけませんか と言ってみたが、だめだった。うちから ビデオ屋さんは決して近くない。駅を通り越して行かなくてはならないので そうたびたびは 顔を出せないのだ。ここまできて、ついでに最後を見れないとは。
東京人が残していったビデオが もうひとくくりあるので、再び返しに行った時、またなかったら、しばらくあいだが開きそうである。
それにしても、やはり「冬のソナタ」はいまだ人気か?

ハリーポッタのほうは、中学生前後 向きだと思う。
日本でいう 「桃太郎」とか「一寸法師」とか そういう類だ。
勿論内容は、そんなに単純なものではないけれど。もし 見るなら3巻目の「アズカバンの囚人」がおとなにはお勧めかな?
「秘密の部屋」では、ハリーがすごい大蛇と戦うシーンは、戦うには知恵と勇気が必要だ と示しているようだ。たったひとりで、友達の妹を救う為に戦う。
知恵を駆使し、勇気をもって向かってゆき 友情を大切にする。悪をつぶす。ハラハラ ドキドキの場面はたくさんある。
「ロード・オブ・ザ リング」も内容が良く似ている。東京人はハリポタのほうがいい というが私は「ロード・・」のほうが見ごたえがあるような気がする。
森の番人 ハグリットが疑いが晴れ 魔法学校へ戻ってきて 大勢の生徒の前で ハリーと抱き合うシーンは ホロリ ときてしまった。


ハリーは生まれた時から親がいなくて、おばさんの家で育てられているのだが、そこは、シンデレラのようにこきつかわれていじめられている。でも、少しも屈してはいない。やはり、小・中・高生 あたりが見るにふさわしい。無実の罪をきせられる という場面も2巻でも3巻でも出てくる。そして友情の大切さも メッセージとして込められている。




さぁ、このビデオの語り、いつまで続くんだろう。
いいかげん 詩に戻さなくては と思いつつ 「冬のソナタ」の
10巻目を見なければ 終われそうにない・・・。










まだ、終われない・・。 2005/1/12(水) 01:46:49
ビデオ屋さんに「冬のソナタ」の10巻目、予想した通りやはり なかった。
ないとなると意地でも見たくなる。そして、この巻が、私は一番好きだ。きっと借りるぞ!ウフ。


<冬のソナタ>主題歌
  「初めから今まで」
きみが戻ることはありえないから
終わりにしよう と自分に言いきかす
二度と会えないなら忘れてしまいたい
僕をとらえて離さない きみのすべてを
笑顔でいたいのに涙があふれてくる
きみを思うと何ひとつ思い通りにならない

きみに会いたくなるたび ぼろぼろに僕は傷つく
こんなにきみのことを忘れてしまいたいのに
二度と会えないなら 忘れてしまいたい
僕をとらえて離さない きみのすべてを
笑顔でいたいのに涙があふれる
きみを思うと何ひとつ 思い通りにならない


この曲は、まわりに結婚を反対され、ふたりだけで教会で結婚式を挙げているときにバックに流れます。でも、そこへ、サンヒョクがきて、ユジンを連れ去ってしまいます。
 (冬のソナタ、第9巻 第17話;障害 より)





ちょっと 寂しい・・。しかし。 2005/1/11(火) 00:00:57
昨日、1月10日、臨時の同居人は、東京直通最終 19時05分のぞみ66号指定 で、東京へ帰っていきました。
借りたビデオは 見終わらないまま 「戻しておいて」 と置いて帰りました。サーフィンのビデオは借りたまま見ずじまい のようです。だからこれも、私が見なければ と変な使命感を感じて 戻すまでもう少し日にちがあるので 見ることにいたしましょう。ハリーポッターの第2巻「秘密の部屋」もまだ見ていないし。
臨時の同居人が東京に帰っても、私は自分のペースを取り戻すまでにもう少し時間がかかりそうです。
「こんど東京にいつ来るん?」と言いながら帰っていきました。
さぁ、いつ行こう・・・。詩祭は今度いつあるだろう・・・。
中也の会の軽井沢研修には行きたい と思う。まだ先のことでわからないけれど。



「冬のソナタ」7・8・9巻と見たので、今日返しにいって10巻を借りてくる予定ですが、お店(TUTAYA)にもひとつしかないようなので、うまく あればいいのに と思います。
この10巻目がいいのですね。もし買えるなら10巻だけほしいです。
テレビのほうですでに見ているので、ほぼどういう内容かわかっていますが、やはり もう一度 見たい。9巻目も涙ぽろぽろ。主役のチュンサンがユジンのこと諦めようと、海に向かって 泣きながら コインにカメラにネックレスを投げ捨てる場面は 本当に涙が出ます。
夕方 返しに行くんだけれど、10巻目があるかしら。あればいいんだけれど。


今日、原稿依頼のようなものが封書できました。
原稿を送ろうと思います。地名に関する詩がほしいようです。
おとりおき があるので それを送ろうと思います。




これは、同じ詩のグループの同人のKさんが送ってくださった画像です。Kさんのデジカメの腕はなかなかのものです。



まだ、言い足りない。
女は記念日を大切にしたがるもの。たとえば、結婚記念日とか、お誕生日とか、初めてデートをした日とか。薔薇の一輪だけでも、嬉しいはず。そんなことをされたら、長い結婚生活をしてる人は、気持ち悪い と中には思う人がいるかもしれないが、私はそうではない。いくつになっても、お誕生日には、一輪の薔薇がほしい。
「冬のソナタ」の中で、チュンサンことヨン様は劇中で惜しみなく恋人のユジンに優しさを注いでいる。物語の中で よくユジンに靴を履かせる場面が出てくる。もしも 自分がもてない と思う人がいれば 惜しみなく まず 親切にしてみてはどうだろうか。親切から愛は生まれそこから、かけがえのない縁が出てくるかもしれない。照れないで。
なぜ、こんなお話を。実は、今日は、ホームページ立ち上げ5ヶ月目の記念日なのですね。立ち上げ当初は、一番多い時で、100人きてくださったりしたけど、今や平均1日34人のかた というところでしょうか。8月11日から5ヶ月。5031人のかた、感謝 感謝です。
カウント数など気にしてはいけない という一説もありますが、私はこの数字に元気づけられ、ほぼ毎日 せこせこと TISATO日記を記しております。勿論 詩も書いていますよ。詩のほうはあまり・・というかアップしていませんが、そのうち詩もアップするつもりです。
今日は、ホームページ立ち上げ5ヶ月目の記念日です。また、ゴブレットにシャンパンと梅酒を入れて、右手と左手に持って、ひとりで 乾杯〜!なんてやってみよう。(^^









初恋 2005/1/10(月) 15:33:16
私の初恋 (セーラ・ティズデール作)




どうかいとしい その目で振り返って
ここにいる 私をみつけてください
あなたの愛で 私をふるいたたせてください
つばめを運ぶそよ風のように
太陽のように 嵐のように
私達をどうか遠くへ運んでください
それでも 私の初恋が
また 私を呼んだら
どうすればいい?
   巻7 第13話 追憶<冬のソナタ>より





心 とらわれて、目下 詩以外の。 2005/1/9(日) 22:13:06
もう、いいかげんにしたら なんて声がどこかから聞こえてきそうだけど、あと少し、おつきあいください。
今日出たついでに ひとりでビデオ屋さんに行った。勿論「冬のソナタ」の4・5・6巻を戻し、7・8・9・10巻を借りる為。10巻がなかった。一番見たい巻なのに。テレビですでに見ているので余韻はわかる。1度見て 2度目を見ると、より 内容が理解できるようだ。
もしかして、やはりこの作品は 不滅かもしれない。
帰って、臨時の同居人に 「ひとりでビデオ屋さんに行った」と告げれば「ひとりでも行けるじゃない」というご返事。私は どう思われているのか??確かにひとりでビデオ屋さんに行ったのは今回では 初めてだった。そして「ひとりでは どうも行きにくい」とも言った。だからか?
この臨時の同居人、あと数日で 東京に引き上げるようだ。夕方呑み会があるというので、用事で出かけていたが いったん戻って 再び街まで送っていく。帰りは迎えはいらない という。尾道の呑まない友人がどうやら送ってくれるようだ。高校の担任と呑むらしい。このひと言を言えば、臨時の同居人が もう誰かおわかりですね。
私は、詩祭などで東京に出向いた時には ここへ泊めてもらいます。
臨時の同居人が、東京へ戻ったら、今度は私のペースです。
すみませんが、今しばらく・・・ しばらくのご猶予を。(^^


見切らないと 止まれない・・・・・。 2005/1/8(土) 23:20:49
詩のことを書かなくっちゃいけないのに、心は後ろめたいまま こんなことでいいのだろうか、と思いつつ ビデオ鑑賞 驀進中である。
全部 見切ってしまわないと 止まれない。

日記 今日は何を書こうか と考えた時、ひたすら「冬のソナタ」しか見ていないものだから、このことしか今は書けない。昨晩は、またまた臨時の同居人につきあって、自宅ムービーシアターではないけれど、ハリーポッターの第一巻「賢者の石」を見た。おもしろかったけれど、これはやはり 中学生か高校生が見たらいいな と思った。第3巻の「アズカバンの囚人」のほうがまだ大人向きである。物語の中で 出演者がだんだんと大きくなっていくので、だんだん内容も大人向きになっていくのかもしれない。第2巻も続けて見なければ。
今日は「冬のソナタ」4.5.6巻をみた。ひとつの巻に2話づつお話が入っている。4巻目など見るのに4時間半かかったので、たくさんお話が入っているかと思えばそうではない。ビデオなので、気にかかるところは、何度も巻き戻しながら見るので、120分のビデオを4時間半かかって見ていたのだった。
決して 暇人ではないのだけれど、見入ってしまう。せりふがなんといってもいい。このせりふに 惹かれてしまうのだと思う。
あす、返しに行って、残り全部 7・8・9・10巻と借りてこよう。
もう、すでに1回テレビでみてる場面に突入しているのに それなのに相変わらず 引き込まれてみている。

みなさん、くどいようですが、もう少しの猶予をください。
相変わらず 私の生活は 攪拌されたままです。
でも 詩作はしていますよ。


調子 乱れたまま。 2005/1/7(金) 23:03:39
日記が1日 とんでしまった。
気にかかりながらも、つい 昨日は、ビデオを6時間も見てしまった。借りられる期間が2日なので、すばやく見てしまわないといけない。
もう、今日返しに行く日。傍に 今 指南役がいるものだから、つきあってついていくと つられて借りてしまう。私ひとりなら きっと流れに乗らなければ借りないだろう。根が素直?なので すぐに影響を受けやすい。
昨日みた3本6時間のビデオは「冬のソナタ」。旬は過ぎ去ろうとしているようだけど。私は尾道の友達からお話を聞いて、このドラマは途中から見てはまったくちである。最初のほうは見ていない。久しぶりに尾道の子に会えば、「最初を見なくてはだめよ。でなきゃぁ、良さが半減する」という。昨日見たのは、1・2・3巻の6時間分だった。やっぱり はまる。涙がぽろぽろ と出てしまう箇所が何箇所かある。
続きが見たくてたまらない。
この前、夜中に返しに行ったビデオは、「アズカバンの囚人」だった。これは、指南役 自らのお勧め。こちらのほうも、1巻2巻と再び借りる。こちらも、見ていて、ハラハラドキドキ である。
今日、「冬のソナタ」を返しにいくが、続けて 在庫があれば4・5・6巻を借りてこようと思う。見始めたら 見終わるまで その勢いは止まらない。これが 「はまる」ということか。まぁ、感性を磨いている、ということで。
臨時の同居人が居る間、私の生活は 攪拌されて 乱れっぱなしである。でも、昨日、やっとエッセイの原稿 送ったもんね。
生活が攪拌されても、詩やエッセイの原稿は確実に仕上げていかなくっちゃ。ただ、いただいた詩集やら同人誌やらの感想が おきざりになっていますが、きっと そのうち書きます。 予定にしておきますので
すみませんが もうちょっと待っていてください。ごめんなさい。



今しがた、ビデオ屋さんから帰宅した。
「冬のソナタ」4・5・6巻を借りてきた。二日間の間に見なくてはならない。しめて また 6時間。なんとか見なければ。あと 7.8.9・10巻 で終わりのようだ。ここまで見たら、はしごで見なければおさまらない。連れは サーフィンのビデオを借りたようだ。題名は知らない。本人も忘れて、友達に電話して聞いていた。
連れ、指南役 臨時の同居人 なんて、一体 この人は誰だ?
さぁ、誰でしょう。なんちゃって。今度私に会ったら 聞いてくださいね。聞いてくださる分には 本当のことをお話しましょう。口ごもっちゃったら それ以上は聞かないでね。おいおいにわかります。とはいうものの、隠さなきゃぁならないことなんて なにひとつ ないのにね。
ちょっと もったいぶっちゃって。詩に書くとき、これだけ もったいぶられたら いいのにね。詩では つい 底まで さらけだしちゃう感じです。もっと余韻を残して 想像性を残して書かなくちゃぁ いけないのに。語りすぎ といわれ、どんどん 短く添削されてしまいます。詩のファジー を生かさなくちゃ。これ 今後の課題ね。

まだ正月気分が続いています。
本調子には こちらも もう少し待ってね。(^^




ミッドナイト ドライブ?! 2005/1/5(水) 22:56:18
これから、おつきあいで、ミッドナイトドライブとしゃれこむかな?
実は、TUTAYAまで、ビデオを返しにいきます。1日延滞。
帰りにガストで、コーヒーでも飲んで帰るかな。
10日過ぎまで、私は、大学生のような生活が続きます。
まだ提出できてないエッセイが気にかかる。いいのかな、いや いいはずがない。明日こそは。ほかにも提出しなきゃならないものがあるのに。
日常の もろもろの用事がふりかかる。
別にいいんだけど、いや いいはずがない・・・。
すみません。もうちょっと待っていてください。−−;


雑感 2005/1/4(火) 23:58:00
今年 2005年に入ってから、もう4日も経ってしまった。
お正月のにぎわいの中で、3日間はあっという間。年賀状をみたり、おもちをたべたり、初詣にいったりして、お正月を楽しんでいた。
昨年今年から、私は詩人や新聞社のひとや出版社の人から年賀状をもらうことが多くなった。
数年前まではなかった現象だ。詩にすっかり魅せられて詩のとりこになってしまっている今の私は、これはますます私を激励してくれる現象である。そして、その中の1枚の年賀状。詩人の人からの賀状はどれも大切だけれど、(勿論詩人でない人からのものも大切)中でも、その賀状は私を随分喜ばせた。基本的に、印刷ばかりの賀状よりも、何かひとことでも手書きの部分がほしい と思っているのだが、そのひとは、ただのひとこと「あけまして おめでとう」だけ手書きだった。でも私は その1枚 そのひとことが 100枚の年賀ハガキに匹敵する とその時 思ってしまった。そして、それは元旦についた。私は、暮れは なにやかやと忙しく、きりきりになって書いたので、申し訳ないのだが、きっと先方には元旦についていないと思う。年賀状に対して、お礼のハガキを送るのも変な話で、それはよしておこうと思うが、何かの機会に この気持ちをお伝えしなければ と思う。
まだ、4日しか経っていないのだけれど、4日前の話は昨年のお話。
「今年はいい年だったでしょ?」と何人のかたに言われただろう。私は「そうですね。3歩くらい進めた感じかな」とお答えしていますが、3歩進んで2歩下がるのでなく、3歩進んでさらに2歩進みたい。これは私ひとりの力でなく みなさんに支えられての3歩だと思っている。
三が日のお正月も過ぎた。
そろそろ軌道を詩のほうへ戻していかなくては。


またまた パソコンの反乱? 2005/1/3(月) 18:25:22

お花が、もうひとつ。



友達が、お正月雛型で、メールをくれました。
昨年、パソコンが壊れハードディスクを取り替えたので、そこに保存してあった雛型とかピクチャーとか それらもすべて消えてしまったので、新しくみつけて保存しなおさなくてはならない。で、友達が送ってくれた雛型から入っていき、それらを眺め出すときりがない。時間はまたたくまに過ぎ、それこそ パソコンにかじりついて サラサラと時間が過ぎてゆく。
なんか、パソコンが勝手に設定を変えてしまうこともあるらしい。いつも使っているアイコンがみあたらないと、また あわててしまう。
なんせ、右のものがちょっと左にしてあるだけで もうわからないのだから。さっき そういう現象が起きてしまい、あぁ、これじゃぁ写真が入れられない と思っていると 再び 元の状態に戻る。なんか手品みたいだ。めっぽう機械には弱いのだから。
つらつらと、どうでもいいようなことを書いていますね。



写真を大きくしたり小さくしたりするのが、いまひとつ 飲み込めなくて、さっき一瞬アイコン設定が変化したので、小さくしたつもりが巨大な映像が入ったりして、まごまご しています。そして これ、小さくしたつもりなのに、少々大きめが入ってしまいました。
小さくしようと、再びサイズ変更のところへいき、してみましたが、まぁ お正月なので大きくてもいいかな と思い このままにしておきます。
実は 元旦にアップした床の間のお花が 少し寂しすぎるかな と想いユリ(とてもいい香りがします)を新たに追加して入れてみました。その華やかさを見てほしくて 再び のアップです。
お正月です。少々のことはおおめに見ましょう と言ってくださいね。


詩のお話を少し。短歌や俳句などは、師匠である先生に、その作風がだんだんと似ていかなくてはならない とAさんが言われていました。
でも、詩に関しては そういうことはまったくないそうです。先生である人に 全然似なくていいそうです。そうしてみると 詩では何が大切なのか と考えた時、やはりそこにはその人独自の 「独創性」 そこに行き着くような気がしています。
ならば、修行としては?やはり 感性を磨くということになっていくのでしょうか?


お正月3日目は パソコンにかじりついて右往左往して一日が暮れていっています。お客人は弥勒の里の神勝寺温泉に繰り出して今お留守です。で、私は パソコンの傍にいられます。
そういえば、今日きた年賀状のお返事も書かなくっちゃ。(^^
年賀状をもらえると 嬉しいですね。ひとことコメントがついていればなおさら、嬉しさは倍加しますね。(^^














初詣 詩は鎮座している? 2005/1/2(日) 23:45:58

ふだん、床の間にお花はありません。
床の間ではないところには、お花はあります。



午後から出かけていました。今しがた 帰ってきました。初詣を済ませ
破魔矢を買いました。おみくじをひいたら、大吉でした。それから、食事をしたり デパートをウロウロしたり電気屋さんに寄ったりで、もろもろの用事を済ませての帰宅です。
詩とは関係ないところで、時間は過ぎていくようですが、そうではありません。昨日元旦に、年賀状以外に、詩に関する封書が、なんかどっさり届いています。嬉しいことです。詩にまみれながら、1日が過ぎてゆくのはとても心地よい と思います。まぁ、お正月三が日は ちょっと休憩かな、なんて。(^^ 詩のことを気にしながら、今日あしたは 日常生活のほうがメインとなり 過ぎていくでしょう。詩と日常生活をいかにして絡ませるか、思案のしどころです。


2005年ふつか目ですね。
みなさまは どんなお正月をお過ごしでしょうか。
初夢は見ましたか?私はまだ 見ていません。
はて、見れるのでしょうか?「天国の階段」の主役のひとと、おデートしている夢でも見ましょうか。見れたらいいのにね、なんて。
それとも、詩の夢でも見るかな。詩の夢って?
そうねぇ・・・。ステキな詩ができた夢かな? (^^




明けまして おめでとうございます!(^^ 2005/1/1(土) 23:30:23

お正月なので、ふだんはしない床の間のお花を いけてみました。

今年はどんなとしになるでしょう。
少しずつでも飛躍してゆきたい。
みなさま、よろしくお願いいたします。
ホームページともども、2005年もどうぞよろしくご指導ください。
見てくださいね。


にわとりだって、空を飛ぼうと思ったら 飛べるんだぞ。
ひよっこから、にわとりになりたい。
そんな酉年 2005年の1日目 です。(^^


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