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TISATO日記

2005年2月

出版記念会 「エクサンプロバンス」の場合 2005/2/28(月) 05:12:13

(これも 私が撮りました)


出版記念会の会場であるエクサンプロバンスは岡山駅からバスで25分くらいかかる。市電で清輝橋 終点で降りて 徒歩3分 というコースでも行けるらしい。私は 岡山人ではないので、その情報については、今日初めて聞いた。しょっちゅう 岡山に出没しているので、だんだん岡山に詳しくなるかもしれない。高松からやってくるNさんは 岡山人より岡山に詳しいらしい。私も やがて そうなるかも。可能性としては高い。


前回のお話の続き。
午後2時が近づき始めると ぞくぞくと人が集まり始める。



さっきから、もしかして思っていない?一体誰の出版記念会なんだ?って。そろそろ言っちゃう?そんなにもったいぶるほどのことでもないか。ここを語らなきゃぁ 前には進めない?
秋山基夫さん「家庭生活」、山田輝久子さん「砂塵」、沖長ルミ子さん「午後の街路樹」、川内久栄さん「木箱の底から」。この4人。わかった?
特に川内さんは先週も今井文世さんの「睡蓮空間」と一緒に、2回目の記念会だ。




15畳くらいのお部屋に25人くらいの人で しかも立食だったので、思い思いにお喋りをし 本当にアットホームな会だった。そして、4人の人への参加者全員による ひとりひとりの ひと言コメントには、詩集の批評がメインで、きっと4人の人は自分の詩集の評価に 一喜一憂しながら 聞いていたのではないだろうか。
私は詩集を読んで しばらくたっていて 復習しないままに 参加していて、遠く記憶を辿りながら述べたら 司会の三沢さんにつっこまれてしまった。出版記念会に参加するときには 次回には述べる原稿など用意してのぞまなければならない と思ったのは今回 済んだあとでの教訓だった。批評はいろいろあって、感じ方もそれぞれに違うんだから、何を述べてもいいのよ とは、三次会で 隣になったYさんからの慰めの言葉だった。
二次会は いつもの「未完成」に移動。三次会は カラオケ付きバーにいく。久しぶりに顔をあわせた Sさんが、明日は仕事がないので 思いっきり呑める と言って女性陣をじょうずに誘ってくださるので みんなでついていった。
今回は外からのお客さんはいなくて、よけい 気心にしれた人たちとの集まりだった。二次会三次会 と進むにつれて みんなだんだんハイテンションになっていくので、なかなか そういう場面でしか聞けない話も登場してくるので、私は そこを いつも楽しみに参加している。そして、詩の世界について だんだんと 知ることが多くなってくる。特に 私が知らない 過去の詩の状況について 誰かが喋り始めると いつも 興味深々で耳を傾ける。それは詩の歴史についての勉強のようである。そして 実在の人物についてのお話なので ますます興味深い。わからない名前もたくさん出てくる。
詩のお話は いつの場合も心地よい。いろんな出版記念会に出席すると それらの独自のカラーも表出し そこから新たにみえてくるものがたくさんある。

もっともっと 詩について 詩の世界について詳しくなりたい と思う。そこはまさに 無窮の世界である。 



私は 今日は 夜明けのふくろう ですね。
さすがに 誰も見ていない・・・・。−−;
この時間帯、私は これから どうするのでしょう???













またまた 出版記念会 その序 。 2005/2/27(日) 13:09:38
昨日は、また 出版記念会だった。
4人の人の詩集発行に 伴うもの。時間と日にちを よく間違える私はその日の朝、その会の 仕切りの人に 確認のお電話を入れた。するとお手伝いをしてほしいので 1時間早く来て と言われた。私はかなり遠方ではあるけれど、「遠くから大変だろうけれど」と言ってくださった その思いやりが嬉しく 早く行くのもなんのその なんちゃって
予定より 1時間早めに出かける。車 列車 バス 徒歩 と時間的アクセスもスムーズに行き 私は始まりの1時間早めに着く事が出来た。
バスを降りた所から、三沢浩二さんと一緒になり 徒歩で、お喋りしながら 会場まで行った。会場の入り口の所で、サングラスをかけた男の人が 店の横で車庫入れをしていた。ハンドルを器用に回しながら 三沢さんと私に手をふる。三沢さんは「誰?」と言って じっとその車をみつめる。私もよく見てみると 蒼さん だった。丸いサングラスをしているので顔がよくわからなかった。でも なかなか さまになっているなぁ とひとりで心の中で思っていた。
いつぞや、喫茶店で じっとみつめるひとがいるので、視線を感じてそちらをみると、ビーズの松本さんのようなひとがいた。頭にスカーフを巻き首には鎖のネックレスジャラジャラ、指輪やブレスも一杯だった。とてもカッコよくて、地方では珍しい人目をひく ミュージシャンふうの男の人だった。違う人に話したら どうやら ライブハウスのオーナーのようだった。駅に近い喫茶店だったので、たとえばビーズの稲葉さんとか松本さんがいたとしても ちっとも不思議ではない。しかも 稲葉さんの実家は岡山の津山だというし。
話が横にそれたが、蒼さんは、たくさんはしないが、銀のブレスや指輪をはめるひとだ。わたしは 妙に そういうひとを 感じ悪いとは思わない。いけてる人 だと思う。これもミーハーのなせるわざ?
さて 会場に入ると 4〜5人の人はきていたが、しきりのTさんがすぐに近づいてきて、「早くきてもらったんだけど、お店の人が全部してくれて 手伝うようなことはないみたいなのよ」と言った。そうか 別にいいよ と心の中で思ってうなづいた。
立食パーティ用のごちそうが どんどん運ばれてくる。
始まりの時間までにはまだ1時間あった。



これから、詩の用事で外出するので、続きは 帰ってから書きます。
あしからず。(^^


(これは、私が写した画像です)





断簡風信 vol.194 and わたし的真夜中の独り言 2005/2/25(金) 03:22:00
桐田さんが、毎月「断簡風信」を送ってくださっている。
<走り書き 新刊読書メモ>というもので、桐田さんが読んだ本についての紹介文 である。いわゆる読書の水先案内 のようでもある。
どんな本があり、どういう内容なのか よくわかる。そして、興味のあるものは 読んでみたくなる。





さて、今回は、一番興味があったのは、やはり瀬戸内寂聴の「真夜中の独りごと」だ。商業用売文 として書いたものではない という。編集者がついていれば、そんなものも出版にこぎつけられるのだなぁ。もっとも、そうであっても、寂聴さん位の人が書かれる物は、何をかいても商品価値はあるのだろう というのは、誰もが認める所だろう。
私は、三次で寂聴さんの講演を聴いた。それは おもしろいものだった。笑いのつぼを心得ていらして、まことにうまい講演だった。また、お会いする機会があるだろうか?



今野勉の「テレビの嘘を見破る」は番組がどういうふうにできあがっていくのか、という観点から興味がある 読み物である。<誠実な思考の道筋が辿る悪戦苦闘がよく伝わってくる本>と桐田さんも書いている。



前野隆司の「脳はなぜ心を作ったのか」って題がいいなぁ。<自分が生きているのでなく生かされているのだ と捉える東洋的世界観がある と著者自らが示唆している>とすれば、自殺願望がある人が読めば 救いになるかもしれないな。



だったら、そういう意味では、瀬尾まいこの「天国はまだ遠く」も同じ意味をもつかもしれないな。



馬場あき子の「花のうた紀行」は花の名から物語が起こされていくのは赤毛のアン のお話を想像させる。いつの場合も 花は人の心を癒す。



家田壮子の「歌舞伎町シノギの人々」それに青山南の「ネットと戦争」はドキュメンタリー という意味でやはり興味深い。知らない世界も本でなら 知ることが出来る。杉浦日向子の「ごくらくちんみ」も ある意味 ドキュメンタリー。珍味がストーリーテラーのようだ。その切り口が おもしろい。外国の珍味まで とりあげてある なんて。ふ〜んって感じかな。



中島たい子の「漢方小説」はこれもタイトルがおもしろい。
<主人公と飲み仲間の友人たちのおりなす平穏ながらも小さな波風のたえない日常>なんて ちょっと そこらにころがっている お話のようね。う〜ん、いいかもしれない。



あとは中沢新一の「僕の叔父さん 網野善彦」ね。歴史学者のひとの追悼文ね。出版業界で 追悼文を書いてもらえるくらいになりたいね。
なれるかな。一応 それも目標のひとつにしとくか?だいそれた望みだったりして。



最後に、アランカーソルの「ジャン ブリクモン」。これは、<物理学者たちが 現代の哲学 人文科学 社会科学の言説における科学概念の誤用や濫用を具体例をあげて批判的に指摘した本>らしい。難しい。



これは、詩の同人Oさんの画像。



まったく ものすごい時間帯にTISATO日記を書いておりますねぇ。まぁ、自分の日記だから、 いっか。さすがに、誰も見てないだろうな。うふふ。うふふ・・・です。
実は、また 詩が賞に入ったんだよ。今日お知らせがきてね。3月に表彰式。タイトルは「8月の凪」何の賞なのか 行ってみないとわからない。市内なんだけどね。なんでも 賞をもらえるってのは嬉しいよね。
嬉しいことは黙ってはいられない。
私はいわないかもしれないけど、哀しいことや辛いことだって言っちゃっていいんだよ。私 聞いてもいいよ。わたしでも よかったら のお話だけどね。
まさに、真夜中の独り言 だなぁ・・・。誰も聞いてない。まぁ、いいや。
そろそろ、寝ちゃおう。誰に向けて言おうかな。
おやすみなさーーい! (−−;







休憩の日、また はしご。 2005/2/23(水) 23:57:49
水曜日は、映画が1000円の日なので、この頃1ヶ月に1回のペースで 友達と映画を見に行っている。
昼前に待ち合わせて、ランチをして それから 午後の部で見に行く。
今回は「オペラ座の怪人」を見た。字幕だったが、英語のミュージカルのようだった。彼女は歌声のキレイさに感心していた。
ワイドショーの映画案内で当初は「東京タワー」を見る予定だったが、彼女が「オペラ座の怪人」のほうを見よう というので、そちらを鑑賞した。わたしは 広島の郵便貯金ホールで 劇団四季の「オペラ座の怪人」は見ていた。どう違うのか そちらに興味があった。映画の方が内容を複雑にしてある。四季のほうは 仮面をとることはなかったが 映画では 仮面を何度もとる場面があった。ヒロイン クリスティーヌの愛に 怪人が胸打たれる所は同じ。そこがクライマックス。テーマは愛だ。
4時ごろ終わって、彼女は帰ったが、同じところで「東京タワー」があったので、また はしご した。彼女はわたしのこと 「元気じゃなぁ」と感心していた。「また、内容 教えてぇな」とも言った。
残念だけど、あまり いい とは思えなかった。


今井さん川内さん 合同出版記念会 2005/2/22(火) 01:37:32
2月20日 日曜日にあった合同出版記念会は 参加されている中身に違いがあるとはいえ、その 進行状態は あの 歴程新鋭賞の祝賀会のミニ判のようだった。金屏風に、その傍の豪華なお花も同じだった。ただ、歴程のほうは、規模がもっと大きく、会場も3倍くらい たぶん 参加人員も3倍くらいだったと思う。歴程の祝賀会には 私は入沢康夫さんからご案内をもらった。ありがたいことである。
岡山での祝賀会は、KADOの会の有元さんと吉久さんが代わりばんこに司会をされた。あたりまえのことかもしれないけれど、とてもじょうずだった。
祝辞あり 花束贈呈あり 祝電披露あり 詩の朗読あり 一連の流れを追いながら それは とても穏やかなうちに スムーズに進められた。
全員の集合写真もあった。そういえば、歴程のほうは 集合写真はなかった。あれだけ大勢なので、集合写真は歴程では無理かもしれない。今思うのだが、集合写真があれば どんなにいい 記念になっただろう。



来賓祝辞で詩画工房の志賀英夫さんが川内さんの詩集について述べられた。風船爆弾 についてである。戦争やそのようなものを知らない私たちは、それについての 多くのことを学べた と思う。志賀さんのお話はいろいろと勉強になった。
もうひとりの主役今井さんは、どうやら演劇をされていた らしく、その方面のお友達がたくさん 参加していた。
わたしも 詩の朗読を平気になるために、一時は演劇をやってみようか と考えたこともあったが、少しの間受けた朗読の講座の先生に相談すると、演劇をやろうと思ったら、みんなの前で裸になるくらいの覚悟がないとできない とアドバイスをくださった。私はとてもそんな勇気はないので、考えただけで実行には移してはいない。だけど、同じ詩の同人のNさんは、3ヶ月か半年か 演劇集団に所属して、詩の朗読をする機会がある時には 原稿なしの そら で言えるようになっている。Nさんは 自分が行っている時 「一度 来てみない?」と誘ってくださったが、時間も心の余裕もなく 結局 行かなかった。もし 行っていたら 私もNさんのように 詩の朗読の時 原稿なしで言えるようになっただろうか?私は今だ ドキドキ感から抜けないままである。
しかし、この祝賀会では、参加者全員が 主役の二人に対してのコメントを言った。私は自分では わりとうまく言えたような気がしている。


内輪の会 という雰囲気はあったが、豪華な穏やかなステキな会だったと思う。

二次会は1階の喫茶カフェ・ド・パリ であったが、多くの人が残られ写真撮影したり、歓談したりしていた。わたしは いただいた詩集におふたりにサインしてもらった。ここでも、ちょうどお隣に三沢浩二さんがおられたが、いいお話が聞けた。

志賀英夫さんと 個人的お話ができなかったのは残念だった。



おふたりの詩集についての ひとことコメントは <ふくやま薔薇しゃ> の 「No.12 Rosebud(薔薇の蕾)」 の所へ 載せています。あわせて ごらんください。(^^



2月20日 Sun. のニュース 2005/2/21(月) 00:30:05
またまた、午前0時過ぎちゃったので、今日を過ぎて翌日になっちゃった。


<2月20日のニュースを少し。>
今日は、午後から出版記念会に行ったのだけれど、それについては又後日。少しお話すると、参加者は50人くらいで、とても華やかな会だった。特に主役の二人、川内さんと今井さんは、とてもキレイにステキにしていた。川内さんの方はふだんはあまりオシャレをしない人だが、別人のようにキレイにしていて、実際 キレイだった。
もし、私が正式な詩集を発行したあかつきには、こんな出版記念会がいいなぁ と思っていた。金屏風にお花がとても豪華だった。岡山の駅からも近いし、本当に いいなぁ と思っていた。



今日 中国新聞に また 詩が載りました。
タイトルは「カラコン」。つまり カラーコンタクトのことです。
選者は 北川透さん です。
朝9時半頃、友達が電話をかけてきてくれました。「おめでとう!」って。私は うっかりしているので、自分のが載っていても よく見過ごしてしまうことがあります。この前も、東京に行っている間に やはり中国新聞に載っていて、これも 友達が教えてくれました。現代詩手帖に佳作で名前が載った時も、月間でとっているにもかかわらず 気づかなくて、大阪の詩祭に行って、そこで 名前が載っているのを知るのですね。勿論 友達から。私は 本当に うっかりしています。
もし、どこかで 私の名前をみかけたら 教えてくださいね。よろしくお願いいたします。逆バージョンもあり なので 私も知った人の名前を見かけたら、教えてあげようと思います。






今日、出版社から、お知らせがあったのですが、この本「あなゆな」がどうやら ベストセラー になっているようですよ。
東京では、紀伊国屋新宿本店 新宿南店 など、大阪では大阪府立中央図書館に行けばみれるようです。オンライン ブックストア でもベストセラー入りし、これは 若い人たちに支持されていることを示しているのだそうです。
私は、この本へは「いずこへ」という作品を載せています。
この前、詩を創らない詩を鑑賞するだけのグループに この本を持っていき 見せました。すると、わたしの詩をみて クスクス と笑ってくれる子がいました。私は「おもしろい?」と聞き、「どこが?」と聞いてみました。そしたら、小鳥が胸のあたりにやってきて、どんどん増殖していく所がおもしろいのだそうです。前、違う友達の家にいき、その時は「しあわせの処方せん」の詩を読んでもらいました。すると、私の詩を読んで 彼女は涙ぐむのですね。「亡くなった父のこと 思い出しちゃったわ」と彼女は言いました。私の詩をみて、笑ったり 涙ぐんだりしてくれること それは 私にとって とても嬉しいことです。
ひとの心に届くような詩を 書いてゆきたい と思っていました。
なんにしても、ベストセラーなんて ラッキーなお話ですね。(^^



私は詩を書くようになって ものすごい夜更かしになっております。


そうそう、今日(20日)の出版記念会で、私は 主役の人に花束を渡しました。行って急に言われたので 「そういう役回りなら もっとオシャレして来るんだったな」とひとりで呟いていました。詩の関係で花束を渡すのは 今回で2回目 です。
いつか私も 花束をもらうほうに なりたいな。







切実なる問題・・・。 2005/2/19(土) 21:23:39
このところ、日記書き込みの波長が乱れ気味である。
毎日 書こうとすると はて 何を書こうか と考え込む日もある。


以前 財部さんが「日常のことを書いてもちっともおもしろくないのよ」といった言葉が 頭にこびりついている。わたし的には、興味のある人の日常生活は なんとなく知りたい とは思う。財部さんは清水哲夫さんのホームページを例に挙げられ、ひんぱんに出没するバーでの清水さんの交友録がおもしろかった と言われた。その清水さん?は たぶん この頃灰皿町にいらして、あの スラッシュ?掲示板を立ち上げていらっしゃる その清水さんと同一人物では?と思うのだが、はっきりとはわからない。交遊録っと言ったって つまりは私 そんなに交際範囲は広くない?わけだから、そして 交遊した っていったって わたしの交遊録 を知ったって それこそ しかたないんじゃないか なんて 思ったりして。

まぁ、毎日書くのは しょせん無理な話よ って誰かが言ったっけ。パソコンが1度壊れて その後は マイペースで記す と宣言しておきながら、やっぱり 毎日書こうとしているもんね。


今日は岡山で朗読会ハピヒピがあってる と思うのだけど、あす、岡山に行くので、今日はご遠慮した。朗読も続けていないと ちょっと あいだが開いてしまうと、せっかくドキドキ感がとれたかな と思ったらまた それが復活しているのですね。やはり 継続 というのは大切 よね。


薔薇から一転して こんなお写真を。



大根も元気で寒さに耐え りっぱに成長している。

では、もうひとつ。


















キャベツも ピン と張り詰めた空気の中で生き生きとしている。


これは、もうひとりのOさんが送ってくださった画像だけれど、Oさんはこれを何処で撮ったのか。福山には芦田川の下流に河口堰という所があり、その裾野の町に箕島という所がある。そこは農業推進地区で町内の人は畑を作っている。大根畑、にんじん畑 ほうれん草畑などあり、すごい広さにその野菜ばかり一面に作ってあるので 都会のひとが見れば ひとつの芸術である。この前 梅の画像を送ってくださったので、その近くになるので きっと この野菜はその町内で撮られたものではと想像する。
ちゃう(違う) かしら。

そして、もうひとつ。





3つ いっぺんに送ってくださったので、3つ全部アップしちゃったけど、よかったかしら。
3枚目の写真は、手前の白い猫ちゃんが いいですね。
私も、岡山で、エクサンプロバンスに行く途中 知らない家の たくさんの花の中にまるでオブジェのように、猫(トラ柄)がいて 思わずシャッター切っちゃったもんね。


実は 今 私はデジカメインストールがトラブっています。
スマートメディア アダプターを入れても、本来ならその時点で 自然に画像が出るはずが 全くでないのですね。どうしちゃったんだろ?って感じで、さわれそうな所はさわってみるのだけれど、いまだ解決せず。
昨日は、あちこちさわっていたら、わからないままに ふたつ画面にしてドラッグ という方法で 少しは何とか なったような、感じがしないではないのですが、とにかくスマートメディアアダプターを入れても 出るべき画像が全然でてこないのです。どう解決すべきか?ちょっぴり多いに 困っております。
で、画像を送って なんて 誰それに 申しております。


これらは、すごい日常的なこと ですね。
井戸端会議のようなお話になりました。


明日は 出版記念会 に行ってきま〜〜す。
たちまち このスマートメディアの問題 どう解決しよう・・・・・。
思案のしどころである。エッ もうちょっとましな事で悩めって?
う〜ん、私にとっては切実なる問題であります。




 














薔薇づくし 2005/2/18(金) 01:56:01
私用で外出したら、ちょっぴり疲れ気味。
詩の同人Oさんが また たくさん薔薇を送ってくれました。



この画像は ここ最近撮ったものらしいです。
こんなに寒くても こんなに綺麗な薔薇がさくのですねぇ。これは福山の外界に咲いている薔薇です。薔薇は福山の市の花です。




福山には花園町に「ばら公園」という所があり これはそこの入り口にあるモニュメントです。5月の薔薇祭には、いろんなイベントが開かれ公園は 薔薇が満開になり 薔薇の香りがあふれます。
薔薇は午前五時が 一番キレイらしいです。岡山の方からも見に来られるようです。私の岡山の文化史研究会の友達は 午前5時頃 岡山から車を走らせ ひとりで見に来る と言っていました。彼女は美人で独身なので 本当にひとりなのかな? と思いますが、これは余計なことですね。



これも、ばら公園の薔薇。勿論 同人のOさん撮影。
私は目下 デジカメインストールがうまくいかないので 撮るのは撮るのだけど アップできません。なんとかしなくっちゃ。
こんなにこの時期に 薔薇が咲いているのなら 私も ばら公園に行ってみたくなります。近々 行ってみようかしら。だけど、日曜日には
また 詩の予定が あるからなぁ・・・。


今日 お電話してきたひとに「どうしているの?」と聞かれ、「四六時中 詩のことばかり 考えているのよ」と答えていました。まったく その通りなんだけど、あすは、ちょっと再び私用の用事があります。
生活しているので 雑用などもあります。
寝てもさめても 詩のことばかり 考えているのは事実ですが。



なんで???
画像が1コ 消えた!

1回消して もう1回入れたら 復活!
あ〜ぁ よかった! ふ〜ぅ・・・。
今日は もう 寝よ。(^^
今日じゃ ないか、もう あす で今日か。なんか こんがらがっってきちゃったな。午前0時 過ぎたものね。
ぶつくさ 言ってないで もう 寝よ。

















灰皿町の プライベートな不思議 2005/2/16(水) 23:47:40



灰皿町のゲストブックに 横文字が打ち込まれているので どうしたのかなぁ と思って読んでみると 灰皿町のぺコさんが どうやら タイから打ち込んできているらしい。まえ、有働薫さんが 海外から 灰皿町のゲストブック に やはり 横文字で打ち込んできていた。
その時、有働さんが言っていらしたが、海外から日本の掲示板に打ち込むには 横文字のローマ字でなくては ダメ という。

ぺコさんは 何故 タイに行っているのか。
個人的メールは していない 私には理由がわからない。
なので、日記をみたら わかるかなぁ と思い、ぺコさんの日記を見てみる。2004年 11月の初めまで さかのぼって見てみたが 理由はわからない。15日に発って18日には帰国するらしいが、この3日間は住まいを決めに行く と書いてあった。病院 という言葉も出てくる。ぺコさんは何をしに タイ に行くのか。出発の直前の日記には 行きたくない とも書いてあった。


昨年 お父様を亡くされ 私も父を亡くした時のことが思い出され せつなさが 日記を読んでいると 切々と伝わってきて 胸が痛くなる。そんな時、掲示板のみんなのお悔やみの言葉を見て 救われた とも書いていらした。
掲示板が そのように 効用していけば 理想的 と思う。

18年目の愛犬の闘病記も 見ていて 辛いものがある。

ひとは いつかは 終焉を迎えるけれど そんな時期を迎える時 少しでも 心のはけ口があれば きっと 人は その哀しみにも乗り越えていけるような気がする。


海埜さんの日記の コンタクトのところが、すごい横文字のアドレスが並んでいるのも疑問。まえ、一度だけコンタクトのところへメールを入れたことがあるが あのメールはどうしたのだろう。なぜ あのような感じになったのだろう。だいたい あれは 何なのだろう?





通販で翻訳機を手に入れた。6ヶ国語くらいの翻訳ができるもの。機械に弱い私が 機械を手に入れる。持っていても使えなくては意味がない。はて どうやって使うのだろう。なんとか 使いこなせるようにしたいと思うのだけれど。
パソコンを買った時も 買って半年ほど まったくさわらずほおっておいた。市の講習をきっかけに、わたしは1年間パソコン教室に通い詰めた。そして、この程度である。
エクセルもワードもホームページ作成もプレゼンテーションまで、あらゆるものを ひととおり 習ったが 使わないと すっかり忘れてしまう。どんなものなのか が 記憶の片隅に残っているだけ。


閑話休題。
灰皿町のひとのおうちには、しょっちゅう 行っていないと様子がわからないね。おんなじ町内に住んでいるのだもの 末永く 仲良くしてゆきたい気持ちは充分にある。

掲示板やネットやメールやホームページは 方法を間違えると やっかいなものになるかもしれない危険ははらんでいるが、じょうずにやっていくと きっと ものすごく心のささえに なるものと思う。

(赤い薔薇は 詩の同人Oさんが送ってくれました)









ホームページ立ち上げ 6ヶ月目が過ぎた。 2005/2/15(火) 23:44:24
なんか、忙しくしていたら、知らん間に 過ぎていたのですね。







今 気づきました。2月11日がとうに過ぎ。つまりは、2月11日は実はホームページ立ち上げ6ヶ月目だったのですね。今日は2月15日なので、もう4日も過ぎました。
本当は そんなこと 気にしてはいけない と言われる言葉もよく聞くのですが、ついつい 数えてしまうのですね。
6ヶ月目のカウント数 5796 なり。1ヶ月平均を出すと 966で、1日平均を出すと32人。1日カウント100 あった頃に比べると随分低くなっている。でもでも、私の場合、パソコンが壊れて入院していた時期があったからなぁ・・・。それを 1日平均
32人で計算してみると、(もし パソコンが壊れていなければ)6404のカウント という計算になる。これを1ヶ月平均してみると1067で
つまり 1ヶ月約1000 という計算になるのだな。
パソコンが壊れて入院していた時期は、11月20日から12月8日までの19日間 だった。あぁ 思い出しても寂しい時期だったなぁ。まぁ、別に カウント数なんて どうでもいい?んだけど ついつい・・・・ね。


カウント数はさておいて、とにかく 継続していくことに 価値がある のですよね。
出来うる限り TISATO日記は書き続けておりますが。はてさて ちょっとは 糧(かて)になっているでしょうか。


ここは詩のサイト なので メインに 詩に関してのことを書いたほうがいい と思い そうしておりますが 何か ご要望とかが ありますでしょうか。先だっては やはり 画像が入った方が 読みやすい というのは若干2名の方からメールをいただきましたが。


詩のほうは、どんどん創ってあちこちに発表していますが、アップの方はあまり していません。


今日はそこいらに書き散らしたメモの詩をパソコンでまとめていました。作品のよしあしは別として 出来る時には立て続けてできるのですね。まぁ 以前 井坂洋子さんが言われていたように 何処へ行くにもミニノートと鉛筆は欠かしませんが。

そうそう 厳しい中に 細々と続けているお習字が 佳作をもらいました。賞状をもらえただけでも いい と思っています。これは ホントは内緒なんだけどね。ここに書いちゃったら 内緒 にはならないか、ならないね。ん?どこかで聞いたような言い回し。はて 誰だっけ?


(上のピンクの薔薇は 詩の同人Oさんがくださった画像です)






熊山町・永瀬清子の詩のイベント 2005/2/14(月) 23:04:48


永瀬清子の故郷 熊山町は とてものんびりとした静かな感じの所です。マイクロバスで10分位の「くまやまふれあいセンター」であった。タイトルは「永瀬清子の詩の世界 美しい国」。午後2時から始まった。
まず、大橋ゆかアナによる口火が切られ、それから熊山町の3人による詩の朗読があった。私は3人目に朗読された<アンターレス・さそり座への願い>の詩がよかった。どの方もそれぞれの持ち味を大切にされながらの朗読で アナウンサーが朗読するのよりも個性があって逆に好きだ。
それが終わると永瀬の肖像画の贈呈式。画家の加門政晃さんが新たに2こ書き直し、ひとつをここへ もうひとつを永瀬の次男 連平さんに贈呈した。
それから 永瀬清子賞の贈呈式。小中学生対象。親戚の子が行っていた 金光学園 それに岡山白陵 の学校の中学生が受賞していた。小学1年の子も入賞していて、もし この子が将来偉大な詩人になったとしたら、この時のフィルムが発掘されるのだろうな と思っていた。
次に催しのメイン「証言・永瀬清子」
当初は石垣りん さんを予定していたらしいが、暮れに亡くなられたので ビデオで島田陽子さんと杉山平一さんのビデオによるコメント。あまり 親密さは申し訳ないけど感じられなかった。そして、壇上に火片の井奥行彦さんが登場され大橋アナと話す。井奥さんが朝日高校の高1の時文芸部にいた頃から 永瀬清子と交流があった という。歴史は長い。「短い時間なので とても喋りきれない」と結ばれた。


10分の休憩。


第2部は 詩と歌のコラボレーション「美しい国」というもの
伊東敏恵アナが東京から駆けつける。このアナウンサーはNHKのアナウンサーで 岡山にいて広島に移動し そして今東京だという。永瀬清子の詩の朗読はライフワークにしたい と述べられる。
いろんな詩を朗読されながら、間に沢田知加子の歌が入る。
最後に往年のヒット曲「会いたい」を歌われた。この頃の時代にあっている歌だと思う。「黄泉返り」や「世界の中心で愛を叫ぶ」などが思い出され、何故か涙が出た。「会いたい」の歌詞は 「せかちゅう」の内容と似ているので。
沢田知加子さんは永瀬清子の詩に曲をつけられたミニアルバムを売られる。サインをしながら。ここへ来るのは2回目らしい。



町長さんが最後に言われたのだが、2005年3月で熊山町はその名がなくなるらしい。赤石(あかいわ)市になる といわれた。そしてこの催しは2005年で9回目で、熊山町はなくなっても 来年も盛大にやりたい と宣言された。
終わったのは 午後4時過ぎ だった。



できれば、来年も来たい と思った。でも、今回はチケットが手に入ったが、なかなかチケットを手に入れるのは難しい という。
さて、来年は手にはいるかしら?入るといいけどね。




久々にメールをくださった方が「文字ばかりですね」と言われた。デジカメで写真は撮るのだけれど、インストールがうまくいかないためだ。誰かから画像をもらわないとアップできない。先日同じ詩の同人のOさんとKさんからかなりな画像をもらった。そして今日はもうひとりのOさんから。くる時にはたくさんくるものだな と思う。少しづつアップしていこう。でなきゃ、またアップの仕方 忘れちゃうものね。


これは、今日1ヶ月ぶりくらいにメールをくださった もうひとりのOさんの画像です。芦田川の近くで 今日撮られたそうです。別なOさんがたくさん画像をくれたのだけれど、どうもマイピクチャーに保存できないのですね。どうして???わかんないぞーーーっ。マイピクチャーに保存できなきゃぁ、アップできない・・よーー。どうすればいい???



できたーーー!
もうひとりのOさんが送ってくれた「黄色い薔薇」すなわち「黄薔薇」永瀬清子が好きだった黄薔薇。一番上にアップしました。
うん、いいぞ!快調!(^^












私達は 詩にとりつかれている? 2005/2/13(日) 23:18:50
睡眠 というのは 疲れの特効薬であるらしい。
昨夜はなんとなく体がだるくて、今日は熊山まで行けるのかなぁ と心配していたが、朝 起きてみると 意外にスッキリしていて 充分大丈夫だった。列車に乗る前にビデオを返しに行った。結局 「タイムマシーン」と「E・T」はみないままだった。「ラブレター」は見た。
時間が迫っていて 急いで汽車に乗る。岡山までは快速でいいのだけれど、岡山を通り越して熊山までいかなくてはならないので、あえて各駅停車に乗る。 詩の旅をはじめて、必然的にひとり旅になるので、この頃の私は ひとり旅もまんざらではなくなっている。熊山までほぼ1時間40分くらい、列車の中にはあんまり人もいないし のんびりとしたものである。行けば きっとSさんに会えるだろう という楽しみもあった。
岡山を過ぎると乗り越さないように一生懸命注意していた。岡山から6つ目くらいの駅で瀬戸の次の次 だった。降りると とても小さな駅で駅員さんもいない。ちょっと早めに1便早いので行ったので、駅にはだれもいなかった。すると 向こうから黄薔薇のOさんがきた。この前 紅梅忌であったばかりだった。
熊山町の詩の行事についていろいろと聞いてみる。谷川俊太郎さんや新川和江さん、井坂洋子さんなども ゲストで来られたことがあるようだ。まさに、へーェ って感じ。
30分ほど待っていると 3人しか駅にはいなかったのが、新たに列車が到着すると、20人ほどの人が降りてきて、待っているマイクロバスは一杯になった。Sさんはいない。一昨日会った時 疲れている と言っていたので 来られなかったのかな と思っていた。会場に着くと、ますます大勢の人だった。10列くらいに並んで扉が開くのを待っている。やっぱりSさんはいない。ずっと向こうに知り合いの顔が見えた。
その時Sさんも一緒だったことがあとからわかった。
会場に入ると200人くらいの人がいた。放送局が取材にきていた。
運がいいのかどうかわからないが、放送機材が置いてあるすぐ後ろに座る。黄薔薇のOさんと一緒。階段状の席に座ると下のほうが一望に見渡せる。あっ Sさんがいた!どうやら、Sさん所属の同人の人と一緒のようだ。きっと 岡山からみんなで乗り合わせてきたのだろうな と思った。どおりで、列車の中にはいないはずだ。



催しがすべて終わって帰る段になって、いっしょくたに ドッと出るの
でOさんとははぐれてしまった。沢田知加子がCDを売る というので
そっちの方へ列ができていた。私は永瀬清子の詩集を1冊買い求める。そうしていると、じゃがいもを洗っているような状態の会場で 運良くSさんと出会う。そしたら、一緒に帰ろう という話になった。どうやら 乗り合わせてきたのでなくそれぞれに車できたようだった。
私はSさんの車で岡山まで送ってもらうことになる。ラッキー!!詩のお話が 聞きたいものね。岡山まで きっと小1時間は会ったと思うのだが、Sさんは運転しながら 私は話しながら あっという間に岡山に着く。どこをどう通ったのか さっぱりわからない。「エッ もう着いたの?」と私が言うと、「じゃぁ、お茶でも飲む?」ということになった。イトーヨーカドーの喫茶店に入り 私達はまだ 詩のことを話していた。そこでさらに小1時間。私達は詩について話しだすと終わりがないようである。詩 とはなんぞや。私達は完全に 詩のとりこになってしまっている。午後7時近くになったので、もう 帰ろう ということになり 岡山駅まで送ってもらう。

列車の中では疲れて眠っていたが とてもいい1日だった。詩について勉強になった1日だった。


催しの詳細については また 後日。Oさんはどうしたかなぁ。
ちょっと 気になる。はぐれてしまったんだから しかたないよなぁ・・・・。
こんなにいい催しなら 来年も来たい と思っていた。


言い訳がましいようですが、Sさんは女の人です。

これは、詩の同人のOさんの画像です。




もらえた原稿料 (^^ 2005/2/12(土) 20:31:00
同じ詩グループの同人の人が、写真展に写真を出しているので、私は写真にも興味があるので、友達と一緒に見に行った。昨夜遅く帰っているので、連日の外出でちょっと疲れ気味である。会っている時には大変楽しく話もはずむのだが、帰ってくると、疲れがじわじわと出てくる。明日も外出なので、ちょっときつい。でも、行ける機会が叶う時には、無理をしてでも行こう と思っている。


昨夜は初めて 岡山エッセイストクラブの集まりに行った。
エッセイの朗読会は1回目の試みだったらしいが、大成功だったようだ。参加者30人くらいを予定していたらしいが、来られたのは40数名だった。しかも ごく一般のお客さんもきていたらしい。
耳から聞くエッセイも なかなかのものである。ユーモアのあるエッセイが3篇ほどあったが会場から さざ波のような笑いが始終流れていた。私は、そんな 笑いを誘うエッセイが書きたいものだ。私の正式な会員紹介は どうやら4月の総会の時のようである。みんないい人そうなので 安心した。

三次会までついて行った。
エッセイストクラブには陽気なひとが多い とわかった。10名くらいの人と名刺交換した。一次会では 5名くらい すでに知っている人はいたが、今日たぶん10名くらいの人と新しくコンタクトした。また新たに交際範囲が広がったようだ。そして、どうやら優しく受け止めてもらえたようである。詩は勿論のこと エッセイの方も頑張ってゆきたい。


今日「エミルタージュ」について書いた原稿料がもらえた。私の早とちりで、一時は没かと落胆していたが、予想外にとりあげてもらえたのでよかった。そして、原稿料が出る と聞いた時には「瓢箪から駒」くらい とても嬉しかった。そういう方面へできれば行きたいと願っているので 道が開けてゆく感じである。しかも原稿料が前回よりも原稿用紙1枚につき1000円アップしているのは、ますます嬉しいことだった。おこなったことに対してのごほうび のような感じである。ばりばりのおとな でも やはり ごほうびは 子供のように 嬉しい。




明日は岡山県熊山に行く。
永瀬清子の詩の行事がある。同人「黄薔薇」主催の 紅梅忌の方は今年で2回目だったが 熊山の方へ行くのは初めてだ。熊山には永瀬清子の生家がある という。岡山のSさんも行く と言っていたので 現地で会うことになりそうだ。この催しにいくには 招待券がいるらしい。私は紅梅忌に行った時 同人誌「黄薔薇」のお世話役の人からもらった。来年ももらえるかどうかはわからないので もらえた時に行っておこう と思う。
本当は ちょっぴり 疲れ気味で うちでゆっくりしたいんだけどね。
やっぱり、行くわ。詩 の為には 苦労?もいとわない・・・なんちゃって。(^^  只今 修行中の身である。(^^



そういえば、昨日のエッセイの集まりに 永瀬清子の次女 井上奈緒さんもいらっしゃっていたなぁ。


あすは、熊山まで行く予定。


締め切り その他。 2005/2/11(金) 12:14:41
ここ、3日間ほど 秋に出る アンソロジーの詩にかかりっきりだった。TISATO日記が飛んでいるなぁ と横目で気にしながら 今日提出しなければならないので、日にちがせまってあせっていた。よくみんな、締め切り締め切り と言っているが、私はまだ この 締め切り というのが いまひとつ 実感できないでいた。
吉原幸子さんに 誰それ(財部さんだったかな?)が 「何故 詩を書くの?」と尋ねた時、「締め切りがあるから」と答えたという。
岡山のほうでも、「あの文 いいできじゃない」と私がいうと「締め切り直前に ササーーァと書いただけよ」と言われた。私は「締め切り直前で あれだけのことを書ければいいじゃない」と言っていた。かくてそのひとのその文章は、こういう会話をとりかわしたのち、エッセイの部門で年間大賞に選ばれていた。
今回は 私は なんとなく その 締め切り というのが、少しは実感できた気がしている。
既成の詩でもいい といわれるので、どの詩を入れようか に随分迷って 入力している段階でも まだ 迷っていた。この 優柔不断 というのは 私の運命的な短所 だと占いにでる。結局5篇入れるつもりが7篇になってしまった。すでに 印刷屋さんに渡せる状態で 担当の人に渡さなくてはならない。参加者ひとりひとりが、ちょっとしたミニ詩集になる という感じらしい。
わたしは、こうした企画に 声をかけてもらえるだけでも嬉しい と思っている。




今日は、岡山エッセイストクラブの朗読会が午後からある。その原稿を渡すと同時に、わたしは初めて岡山エッセイストクラブの集まりに行く。きっと 今日初めて顔をあわせることとなるひともいる と思う。
そういえば、広島のカルチャーセンターで4月からエッセイの講座が新たにできるのだそうだ。火皿の集まりに行った時、詩人のひとたちが「受ける?受けようや」などと話していた。中国新聞のもと(?)論説委員のひとがするようだ。もしかして、近かったら 受けていたかもしれない。「詩人はエッセイも書けなくてはいけないらしいよ」と火皿の懇親会の時、隣に座ったKさんに私が言うと、Kさんは、「前も誰かから同じことを言われた」と言った。さて Kさんは 果たしてこの講座を受けるのだろうか。



今日は岡山に行くので ちょっと早め(もう あまり 早めでない?)に行って 吉備路文学館でしている飯島耕一展を覗いていこうかな。



この前 詩とは関係ない友達の集まりに行った時 「冬のソナタ」の話題が又出た。遅ればせではあるけれど、再び 今頃から はまった人が若干2名いた。その集まりは少ない時は7名くらい多い時で13名くらいいる。この前は7名だった。最近の話題についても話が盛り上がり、勿論「冬のソナタ」の話題も出ていた。
注目の彼女はこの前の11月での集まりでは、時代に逆行して「冬のソナタ は見ない」と断言していた。ところが、友達に無理やりすすめられて、全巻をぼん と彼女のうちへ置いて帰ったのだそうだ。しかたなく 夫婦で見てみると すっかり はまってしまったと 「冬のソナタ」についての良さを熱弁するまでになっていた。景色がとても綺麗で、バックの音楽もよくて、照れ屋の日本人が なかなか言わないような言葉を ごく自然にさらりという と語る。そして、字幕でみたらしいが、韓国語の優しい響きにも魅せられた という。なによりも、彼女よりも、ご主人のほうが もっと はまっているのだそうだ。そばでゲームをしている子供が クライマックスにいつも流れる音楽がドラマの中で流れ始めると「オッ いよいよ佳境に入りましたね」と冷やかす という。その変わりようが なんとも 以前とあまりに落差があって おもしろかった。「冬のソナタ」は男性でも充分はまれるドラマです。八十いくつの人でもはまれる とこの前 新聞の投稿欄に書いてあった。ヨン様 さまさま ですね。
私は目下「天国の階段」にはまっています。主役の男優 クォン・サンウは、三十代半ばで俳優をやめて美術教師になる と暮れの頃には言っていたが、日本でもあまりに人気がでてきたため、もう ずっと俳優をする と決心したのだそうだ。教師になってほしい というのは母の希望で、今ではもう 母も彼が俳優を続けるのを応援しているのだという。「天国の階段」視聴率40パーセント代らしいです。
ずっと俳優を続けるなら いつか 一度 日本にきた時 会ってみたいなぁ・・・・というのが 密やかな 希望です。(^^






夜更かしは もしかして 宿命? 2005/2/9(水) 08:51:03
昨日は 何を書こうか と考えているうちに 午後十時あたりから 朝まで眠りこけてしまった。だいたいが私も夜更かしなんだけど、詩の世界にのめり込むようになって その夜更かし状況は拍車をかけている。
時々 私には こうした 眠りこける日 が出てくるのだな。でも これで健康が保たれているような気がしている。
灰皿町の掲示板でMさんが書いていた。「みんな 夜更かしさんが多いのですねぇ」と。そういう前に、Mさんは「暇だ暇だ」と呟いておられたので、きっと灰皿町の住人のホームページを もしかして くまなく見たかもしれない。その挙句に 「夜更かしなのだなぁ」と言う言葉が出る ということは、きっと 灰皿町のひとがほぼ 夜更かし組みなのではないかな と思う。
だけど 自由業の場合は そうできるかもしれないが、会社勤めだときっとそういう具合にはいかない。実際岡山の友達のSさんは 勤めがあるので 午後十時には就寝する と言っていた。仕事に支障をきたすような夜更かしはいいはずがない。
しかし 自由業の場合はそれができる。そして 芸術 というものはみんなが寝静まった静かな夜 のほうが案外生まれるかもしれない。
以前、五木寛之は午前0時から書き始める というのをエッセイで読んだことがある。午前6時まで書いて夜明けと共に寝るのだそうだ。五木家のひとは全員そうなのだそうだ。五木寛之は有名人で売れっ子作家である。そうすると、今度は「書斎を持たない作家」と自称して、どこででも原稿を書く とドキュメンタリー番組で言っていた。新幹線の中でも、待合室ででも。そしてその原稿が その朝にはもう新聞に載るのだそうだ。
物書きや芸術家が 夜更かしをしてしまうのは しょうがないことかもしれない。この頃の新聞に浅田次郎が載っていた。彼の場合は、朝 普通に起きて 朝 書いて 昼から読書 夜はテレビを見ると書いてあった。普通の生活らしい。
理想的には午後10時か11時あたりに寝て 午前6時頃に起きる7時間睡眠が理想的らしい。ひとは、午後10時から午前2時の間に 成長ホルモンとか美容にもいい なんちゃら物質が一番でる という。
この時間帯には寝ていた方がいい というが。
小池真理子夫妻の場合はどうなのだろう。作家の夫婦同士 どんな生活スケジュールなのか 興味あるなぁ。


芸術家が夜更かしするのは しかたないんじゃぁ ないだろうか と思う。まぁ 体にはあまり いいとはいえないような気がする。
が、詩人のかたは 私は目下 短命ではない とは思う。
みんな 年令よりか すごく 若い。




<蔕文庫第19号2005冬号>が 出来上がってきました。
お値段は680円+税、714円になる。えらい半端な金額だな。
わたしは 「法事の日」という作品を載せています。
 




西へ東へ 詩で走る。 2005/2/7(月) 09:50:01
ご案内状をいただいたので でかけていった。




2月5日(土)
広島 火皿の会 主催の 原爆の勉強会。ホテル ニューヒロデン にて。PM;1時30分から。
御庄博美と石川逸子の協賛による詩集「ぼくは小さな灰になって・・。」<あなたは劣化ウランを知っていますか?>について東京から石川逸子さんが来られ、講演をされた。
中学校の教師を退職されて その後の自分のやるべきことを考えた時
在職中に 生徒を連れて修学旅行で訪れた広島のことが 心にひっかかった といわれる。もし 自分が広島にいた としたら自分も被爆していた と思い、ひとごとではなかった と。原爆というのは こういうことだったんだよ ということをひとりでも多くの人に伝えたい ともいわれる。
通信「広島 長崎を考える」という通信を発行されていて、岩波新書から「中学生の春夏秋冬」という本も発行されている。
「死者は数ではなく ひとりひとり 顔をもった存在で とき が経つにつれ哀しみはより深くなる」と言われた言葉が胸に響く。
医師の御庄さんは 劣化ウランがいかに人体に害を及ぼすか その 深刻性を医学的見地から 述べられる。イラク戦争をあげられ 根本的に地球の存続が危ぶまれている とも言われた。

勉強会が終わり 懇親会に入ると、ひとりづつマイクの前に立たれ 自分が体験した 戦争について話される。BGMにオルゴールが流れ 話している人の声は 朗読でもしているようだった。中でも話している途中 当時の悲惨な状況が蘇ってきて 涙ながらに言葉を詰まらせる人がひとりだけではなかった。どんなに悲惨なものであったか 余計 哀しみを呼び起こさせた。
原民喜さんの甥ごさん 原ときひこさんも来られていた。




昨年の夏以来 Kさんにお会いできたのはよかった。今は中学の臨時教員をされている と言われていた。




2月6日(日)
岡山 黄薔薇の会主催 の 第10回 紅梅忌。
永瀬清子さんを偲ぶ会。岡山国際交流センターにて。PM;1時30分から。
永瀬の生家がある といわれる熊山町で 永瀬清子 についての学芸員をされている白根直子さんによる 学術的見解による講演。1993年 岡山オリエント美術館の地下の会場で谷川俊太郎と永瀬清子の朗読会があった時 聞きに言ったのが永瀬さんとの出会いだった と言われる。それから永瀬さんの詩の魅力にとりつかれ どんどん研究したくなった と。永瀬さんの書かれた好きな詩を分析しながら宮沢賢治との関わりを交えながら ご自分の永瀬清子論を述べられる。
この会には、永瀬さんの二番目の娘さんである井上奈緒さんがご主人と共にいつも出席されている。そして次男である永瀬連平さんも豊中市から昨年も今年も来られていた。ひょうひょうと話される感じが おもしろい。




後ろの方で ちょっと目をひく男の人が ちょっと浮き上がった感じで座っていた。わたしは 新聞記者さんかと思っていたが 終わりの方で参加者コメントの時 前に出て発言される。黄薔薇の同人吉田博子さんの息子さんで 母の代理で 母から頼まれ出席した という。母のこの会での役目だった 黄色の薔薇と白いカスミソウの花束を持参されたのだった。じゃぁ 当の本人は? 胆のう炎で入院されている とのこと。
なんと責任感の強い人なのだなぁ と感心した。そして 息子さんのほうも。いい 親子関係をみた思いだった。吉田さん 早くよくなってください。


熊山町のほうでは 別途2月13日に 永瀬清子の会が開かれるようである。
また 案内状をもらった。一度も行ったことがないので行ってみようか。今 ちょっと疲れているので 考え中。たぶん行く?


帰りに お茶した。2時間も喋った。こうした時間も貴重で楽しみな時間だと思っている。
誰と? さぁね。  少なくとも 男の人じゃぁ ないよ。(^^












受贈同人誌 hotel 第2章 no.12 2005/2/5(土) 01:56:27
例のごとく いただいた同人誌には5人のお会いした方たちがいるので、その方たちの作品を一番のひとかたまり としてみる。


川江さんの作品<第十二夜/十月は空中庭園の月>
川江さんは、この前骨折されたので その状況が少なからず作品に投影している と思う。もしかして 骨折された時の状況を読んだ?
「うすよごれた薔薇のように裏切られていく」「暗い窓のそとを 食べられてしまった魚が泳いでいる」「切断された下腿の吐き出した暗号がにじり寄る」「黒くて鈍い裂け目がまっすぐ墜ちている場所」こなれた表現で わたしは 勉強になる。




野村さんの作品<声の奉納/午前の巌>
タイトルは 声の奉納 だが「ええ 私たちはそこに声をおさめに行くんです」という言葉が 流動的に物語を導く。「ええ 私たちの場合は声が作品なんです」そういう言葉がとても納得できる。私も朗読をするので。イタリアの風景の描写が美しい。




海埜さんの作品<横顔>
彼女の文体は 理知的で精巧でいつの場合も冷静で そのゆるぎとか
うろたえをみせない 静かな 夜景の煌きを見るような感じである。
「青ざめた肯定」「明けの明星がうるんで」「街はまたたきから遠いまなざしを受け取っていた」「星がにじんで」「うんざりするほど虹だったから、すくんだ悲鳴が隠れるのだった」このような表現を私ができるようになるのは いつのことだろう。関さん「植物地誌」の感想も しかり。




柴田さんの作品<鰻>
読んでいると ドキドキするような内容である。
物語の構成 展開がとてもうまい。さすが コミックのストーリーを考える仕事をしていただけのことはある。アセロラの飴がキーワードをにぎっている。一級品の官能 である。




浜江さんの作品<冷血みぞれ>
暗い題材を明るく読み上げる。「ひきこもり達を/ひさめは/冷たく笑うが/冬のおでんには/愛想がいい」 ここがいいなぁ。




相沢さんの作品<徒然草 2004>
「青みをおびた夜の街で、晧々と輝く二十四時間営業のコンビニの強烈な白い明るさの中に入り込むような覚醒」ここ いい。「朝のコーヒーの香りと新聞のインクの匂い」私も好きです。風邪には気をつけてくださいね。




根本さんの作品<けまり日は><葦夢>
ちょっとむずかしい。
「西の雲が・・・ふくれ破れたところから・・・わがプラットホームへ躍り落ちてくる」ところがいいかな。<葦夢>のほうはホームレスのことを読んだ?




かわじさんの作品<最後にみる夢><そらまめ唄>
前者の作品「ばばさまの髪が づかづかづか /はびこって からみつき やがて/あたしを封じてしまう」ここ怖いなぁ。後者の作品の「そらまめ そらしど」の ことばあそび がユーモアを誘う。




澤口さんの作品<虚数>
二連 と三連 のイマジネーションがいい。「何もなかった」というのは失意だろうか?




井本さんの作品<夜の散歩>
二連と五連六連 が いい。書き方が新しい。





これで 全部かな。以上 つたない感想でした。
最後の同人の近況 ここ読むの結構好きかも。







わたし流 同人誌 の見方 2005/2/4(金) 23:34:50
同人誌をいただいたときには、まず 送ってくださった人の作品を一番に見る。次に、その同人誌の中で お会いしたことがある人の作品を見る。その次には、いろいろコーナーがあれば、自分の気に入ったコーナーを見る。たとえば、同人の方の近況など書いてあれば、それを興味深く 読んでいる。ことに、お会いしたことがある人の近況は 微笑みながらみている。風邪を引いた などと書いてあれば 同情しながら 早くなおればいいね なんて 独り言をつぶやきながら。
そして、それからは 最初から、読んでいない人の作品を順番に見ていく。これで、全部 精読。
しかし、感想を書くとなると、同人全部の人のを書くとなると大変だ。同人の方が多ければ多いほど 全員の人のを書くとなると本当に大変。でも、作品を書いた人は ひと言でもいい 感想があれば 嬉しいだろうな と思う。私でも そう思うから。詩集を 人づてで いただいたとき その人は「ひと言でもいい 感想を書いて送ってあげて」と言った。そして こんなふうに書けばいい と見本もみせてくれた。そこには ハガキ1枚だったが とても丁寧な感想が書かれていた。
もしかして、これも ひとつの訓練かもしれないな。



明日は 詩の用事で 広島まで行きます。
あさっては やはり 詩の用事で 岡山まで。
また 行って 詩の勉強をしてきます。
帰ってきて 疲れていなかったら またご報告いたしましょう。(^^


ふくやま薔薇しゃ 「No.12 Rosebud(薔薇の蕾)」 2005/2/3(木) 10:37:26
いただい詩誌や同人誌について、どう整理をつけていくか ずっと課題だった。お礼のおハガキは出すのだけれど、そのあとの かなりな量の感想 となると、その為に たっぷりな時間を要する。
たいがいのひとは、読んで ハガキで感想を送る というのが相場らしい。わたしは読むのは読む。が、すぐに感想を書く というのは何故かしてこなかった。詩で同じグループの同人にこのことを話すと、「読んですぐ書かなくちゃ 間をおくともう一度読まなくてはならない」と言った。確かにその通りではある。送られてくるものは きっと「読んでほしい」と思って送られてくるわけだから、その意に添うためには 何回も読み込んで 原稿用紙2枚くらいに書いて 10日以内くらいに送ってさしあげるのが理想ではある。
だけど、やはり別な同人の人がこうもいった。「感想ばかり書くのに時間をとっていたら、自分の詩が書けないでしょう」確かにそういうこともある。1日は24時間 と決まっているので この24時間をいかに配分していくかにある。そして 酷な言い方をすれば、送られてくるものが 必ずしも自分の好みでない こともある。だけど 逆説的に考えると 自分の好みをはずした詩を読むことこそが 案外 詩の修行にはなるのかもしれない。かたよった おかず ばかりを食べていては体に変調をきたす。
やらなければならないことが ぐるぐると頭の中を旋回する。なにもすることがない というよりも することが控えている ということのほうが勿論 幸せなことだとは思う。
そんなことを考えて 「ふくやま薔薇しゃ」の中にNo.12 Rosebud(薔薇の蕾)というコーナーを作ってみた。最近いただいた詩集を簡単なコメントとともに入れた。これで いただいた詩集などの記録ができるかな と思ってみたり。では過去にいただいた詩集はどう記録しようか。そして どの程度入れられるのだろう。許容範囲は?なんて思ってしまう。10こ入れて 再び新しいコーナーにするか。自分で書き込める場所は、このTISATO日記と「ふくやま薔薇しゃ」しかないのでなにもかも 詩も散文も そういうコーナーも いっしょくたで これらの中に入っていきそうである。本当はもっと枝分かれさせて 区別したいんだけど、そうもいかない。 
私はひとに ものを頼むのが下手である。



今日は節分。みなさん 豆まきしますかー? 玄関にはひいらぎに鰯の頭をさし、「福はー内 鬼はー外」。恵方「西南西」に向けて巻き寿司の丸かじりをすると福が得られる。鰯を食べ 年の数だけ 豆を食べる。これで 鬼はきませんよ。来ても玄関からは、はいれませーーん。





「猟奇的な彼女」 2005/2/1(火) 18:34:54
昨日、日中 個人的文化活動に従事していた私は、夜になると疲れが出てしまい、午後9時あたりから 眠りの森に入り込んでいた。目がさめたら午前4時だった。創作活動で 寝ないで そのまま午前4時頃まで起きていることもあるが、爆睡した挙句 午前4時に目覚めることもある。
門を閉めるのも忘れていたので、外にでると 暗闇の中で雪が白く光りながらサラサラと降っていた。「冬のソナタ」を思い出す。ユジンが初めて街中で チュンサンそっくりのミニヨンを偶然発見してしまう場面では 雪がサラサラと降ってそれを微笑みながら見上げるミニヨン はまさに 微笑の貴公子 といわれる由縁 である。思わず、この雪の降るさまを デジカメで撮ろうかと思ったが あまりに寒いのでやめた。
忙しい中にも、早く内容が知りたかったので 借りてきているビデオ「猟奇的な彼女」を見た。「僕の彼女を紹介します」とどちらが好きか
と聞かれれば、私は「猟奇的な彼女」のほうがいい。一風変わった彼女に振り回される大学生同士の若者の交流を描いたものだが、その根底にはやはり 愛 が流れている。誕生日には一輪の薔薇がほしい というのは私の思いと同じだ。
タイムカプセルをふたりで木の下に埋めて、2年後にここで会おう と約束して 別れたふたりだったが、彼女が現れたのは3年後だった。その時 木の下で会う 見知らぬ老人と彼女との会話。「結ばれる運命なら どこかで偶然に遭えるのではないかと」そういう彼女に対して老人は言う。「運命というのは努力した人に 偶然 という橋をかけてくれる」この言葉が とても印象的だった。そして 最後 彼は 彼女の亡くなった恋人のいとこ という形で 交際の相手 として紹介される。
ここで 二人の糸は 新たに結びついた所で ラスト となった。
「僕の彼女を紹介します」と女の主役が一緒で、「僕かの」のラスト亡くなった恋人が昇天する時「きみは今日僕の魂に似た 誰かと出会う」といって 地下鉄の所で出会うひとは「猟奇的」で恋人役を演じた男の人が登場する。二つの物語は 前後して どうも つながっているようだ。時間差設定を もう少し変えたら ふたつの物語は完全に続編としてつながると思う。
主役の女優スーチーは どうやらハードボイルドのアクション系女優らしい。なんか、この女性にかかわった男性は「僕かの」でも「猟奇的」でも どんどん不幸になっていくんじゃないか という気もした。男は女のいいなりである。女は男に無理難題をふっかけて、それで愛の深さを測ろうとしている。まぁ 物語 だから いっか。劇中であれ、当人が幸せを感じていれば それでいい ということで。テーマは「愛」なんだから。
普通のことやってたら ドラマにはならないよな。


「猟奇的」のほうで、メリーゴーランドのシーンと インドアテニスをするシーン が出てくるが これは「天国の階段」と同じ所で撮影してるんんじゃないかな と思った。あのメーリーゴーランドは韓国の「ロッテワールド」というところらしい。


つぎは「ラブストーリー」という韓国映画をビデオで借りてみたい。まだまだ はまったまま ですねぇ・・・。
韓国映画 見聞 記録?行進(更新)中 といったところ?かな。
(^^








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