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TISATO日記

2005年3月

コメント ひとこと。 2005/3/30(水) 03:15:07
また 午前0時を過ぎてしまった。
今日は イタリアの人と面会だというのに 今まで詩を考えていた。
そして 完成!!! 朝になったらFaxで出版社に送ろうと思う。


只今の時刻は午前3時過ぎで それこそ寝ないと 一体どうなるのか。
朝 起きれるのか?
可能性は薄い・・・。
でも なにがなんでも起きなきゃ!
大変なことになる?
体が酷使されています・・・。


朗読会 と 出版記念会 2005/3/28(月) 01:38:47
26日(土)27日(日)と二日続けて岡山だった。
土曜日は未完成で<大朗読>の朗読会。日曜日は 先に書いた出版記念会。
朗読会では 翌日も岡山に行かなければならないので いつもより早めに失礼した。朗読会の前に四土の会 があったのだけれど 私は 東京帰りの余韻と疲れで すっかり忘れてしまっていた。未完成に着いて
Yさんの顔を見て初めて気づいたのだった。



東京から帰ってきたばかりなのに 私は再び東京行きを考えていて そのことで 頭の中は 一杯だった。決心がつかないままに電話して 様子だけでも聞いてみようと思い電話を入れると すぐにFaxを送ってくださった。そして 締め切りが過ぎているにもかかわらず 締め切りを延ばしてくださった。もし ここで ダメだったら 私は次の上京は なかっただろう。福山に帰ってきて 1週間後に再び東京なんて 普通に考えれば まず 無理なお話なのだが 無理を承知で決行している感じ。それほどに 詩は ひとを惹きつける魔力?魅力を持っている。



未完成の朗読会は 今回も繁盛だった。レギュラーの人 + オープンマイク + 観客 を加え 30人くらい いたかな。
私は オープンマイクで詩を2篇 読みました。3篇 詩を持参しましたが メインテーマが「事件」だったので ちょっと怪奇的な詩を読んでみました。
会を重ねて聞くたびに いろんなことがわかってきます。
この頃 高松のNさんの姿が見えないのが気になっています。大阪からのお客様もいました。
帰りは倉敷のYさんと一緒に帰りました。Sさんも一緒に帰る予定でしたが なにやら レギュラーの人と 今後のお話があり 「先に帰って」と言われたので Yさんとふたりで帰りました。いちいち くどいようですが Yさんは女の人です。なんで こんなに 言い訳のようにするんだろうね。というのは 私は 恥ずかしながら 男の人とふたり というシチュエーションには ことごとく 慣れていないからであります。こういうことを 書くのも 実は とっても恥ずかしい。と言いながら 書いていますが。


これは、出版記念会の時 貼られていた イラスト です。どなたが書かれたか知りませんが。主役ふたりの写真は アップしても良いかどうか ためらわれたので デジカメでは撮りませんでした。インスタントカメラでは撮りました。
画像を縮小すると 画像写りが いまひとつ ですねー。ご勘弁を。



出版記念会は午前11時からだったのですが、またまた 私は滑り込みセーフです。タクシーの人は どうして吉備路文学館を知らないのでしょう。いつも思います。着くと 急いで2階へ行きました。綺麗に正装したふたりが 受付横に きちんと座っていて 行くとぺこり と挨拶をしてくださいました。
出版記念会の 普通の流れで スムーズに会は進行してゆき 出席者ひとりひとり の挨拶となると 私は ことのほか 心臓がバクバクしてしまい ネットに載せていた原稿用紙4枚ほどの感想を読んだのだけれど 順番が早かったせいか 実を言うと震えてしょうがなかった。いっとき なりをひそめていた震えが 再び 登場か って感じ。
私は 大勢の前で 堂々と喋れる人が羨ましい。アドバイスをくれるひとは 慣れ だと言うけれど 私は いつになったら平気になるだろう。出版記念会には ひとりひとりに ビールの缶と泡盛がついていたが 私は呑めないので 酔った勢いで ということも無い。
この頃は 味が知りたいので ワインなどが出ると ひとくち もらってみるが 「本当は呑めるんじゃない?」と たまに言われるが やっぱり呑めない。

ふたりの主役は とてもじょうずに 最後の閉めの挨拶をした。
わたし だったら あんなにうまくできるだろうか と思う。


火片 の人は残って後片付けをしている間 私は1階で「飯島耕一展」を見ていた。
すると 片付けをすませた火片のひとたちが降りてきて 主役の斎藤さんと一緒になった。大きな花束をふたつも抱えていた。
私たちは ふたりで 吉備路文学館をあとにした。タクシーを捜していたら そこへちょうどバスが来たので 岡山駅までバスで行った。


そこから先は前の日記に 書いたとおりである。
斎藤さんは とても みんなに期待されている。斎藤さんが どのようにビッグになっていくのか 私も期待してみていたい。








吉備路文学館 出版記念会 その序 2005/3/27(日) 01:59:31
褒められた。
ルンルン(ちょっと古いか?) で帰ってきた。
褒められると どうして こう 嬉しいのだろう。
家に帰ってきても ずっと気分がよかった。
男の人が お酒を飲んで 上機嫌で帰ってくるのは こういう気分なのかな と ふと思った。
私は お酒を飲んでいるわけではない。褒められたことに酔っているのだった。
何を褒められたのか。そこは説明するのはよしておこうと思う。それでは伝わらないね この嬉しさ。でも いいの。
とにかく 褒められれば 嬉しいってこと。(^^
しかし 今日の主役は 勿論 私ではない。



帰りにお茶した。今日の会の 主役の人と。
気がつけば 2時間も ふたりで詩のことを話していた。私たちは 詩のことを話し出すときりがない。もくもくと とりとめなく話し続けている。プライベートなことは あまり話さない。それは 詩の世界の流儀のようだ。あまり 聞かないし言わない。とにかく 話しているのは詩のことばかり。
ちょっと不思議な気もするけれど もしかして これは 詩の世界の独特のものかもしれない。
人生の糸が つながっていることは確かだ。 詩をやめない限りこの糸は ずっとずっと つながってゆく。そして 今の私たちは これから先も 詩を きっと続けていくだろう。



彼女が 会の終わりの挨拶で言った。
「・・・10年前までは 全然知らない人たちだったのに そういう人たちに囲まれて 今こうしてお祝いをしてもらえるのが不思議です・・・」と。
今日は 岡山で 出版記念会だった。
岡山では この頃 ひんぱんに 出版記念会が開かれ 招かれて それらに出席するにつけ 私も いつかは こんな日々が持てるのかな と密かに思い描く。自分の詩集が 良きにつけ悪しきにつけ 嵐のような批評にさらされる会である。
私だったら 辛辣な批評をいただくと また へこむことになるかもしれない。



誰の出版記念会だったのか。
「火片」の うるわしき美女、ふたり。
ひとりは かの有名な<樹間>の斎藤恵子さん、もうひとりは<錆色の時代に誇ること>の川田圭子さん の出版記念会だった。
井奥さんが「ふたりの おけいさん」と紹介していた。

特に斎藤さんの<樹間>は 高見順賞や中也賞などの最終候補に残ったようだ。TISATOホームページの「批評」の欄にも 私は<樹間>について書いている。
川田さんは2冊目の詩集らしい。川田さんは 今日はじめて会った。
詩人の女の人には 美人が多い と私は思う。







午前0時からの 独り言。。 2005/3/26(土) 01:01:32
午前0時を過ぎたので、もう 今日なのですが、今日は 朗読会「大朗読」がある日です。れいの<未完成>で です。
今回はオープンマイクを制限する と言っておられたので、さぁ 果たして 朗読できるのでしょうか。わたしは 新作を持参して もし読めたら読もう と思っています。
明日も 詩の行事があり それにも参加しますので ちょっと早めに切り上げて 帰ろうかな。
岡山は東京に比べれば近いけれど やっぱり 片道2時間かかってしまいます。だから 9時に引き上げたとしても 帰れば11時です。帰ってぐずぐずしていれば すぐに午前0時になってしまいます。


家人がいやいや ついに うん と言ってくれました。
私は 近々 再び東京まで行きます。先週 行ったばかりなので 実は私も 少々きつい。でも この きつさ を乗り越えて 再び 東京へ。何処へ行くの? さぁね なんて ちょこっと もったいぶってみようかな? ヒントは 私は 昨年 私の詩が 5月と8月 2回 詩がイタリアへ行きました とでも申しておきましょうか。ウフッ これではわからないでしょ? 出ましたね この ウフッ !この ウフッ は やはり 元気がない時には 出ないのですね。−−; これが出るときには 私は元気です。こんな 時間帯に? 元気が出る時間帯ではないよね 普通は。普通の人は もう寝る時間帯で。もう すでに白河夜船 の人も。詩人は 時々 変わり者 っていう言葉も 当の詩人から 出る言葉だけど 私は 詩人の方は ちっともおかしくはない と思います。純粋で一途で ちょっと朴訥な面もありますが 私は詩人の人たちが大好きです。こう思うこと自体 すでに おかしいのかしら?そんなことないよね。ウフッ。私も今頃は 少しは 詩人のはしくれ のつもりでいますので。詩人を名乗るには まだまだ修行が足りないかな。いつになったら 押しも押されもしない詩人になれるかな。
自分でも楽しみにしていよう。(^^


2度目の東京行きについては また 注意して ここを見ていてね。
きっと また 書くからね。
乞う ご期待!!! ウフッ・・・・・です。(^^


(これは 未完成 の 一番奥の席です。)




そうそう うっかり 家人なんて 書いちゃったけど ここ「灰皿町」では 私は ひとり暮らし だった・・・・。
みなさま ちょこちょこ お寄りくださいね。(^^








東京こぼれ話 2005/3/24(木) 23:06:52
3月23日の日記が24日にかかってしまった。
タイムだけは循環するので、午前0時を過ぎてしまって訂正すれば 本当は24日の午前0時過ぎなのに、23日の午前0時過ぎに書いたようになってしまう。
いつもは やっきになって 午前0時までに書き上げてしまおうとするのだけど、今日(それこそ午前0時を過ぎているので 昨日かな)は やはり東京疲れが残っている。
その時は全然疲れていないのだけど 帰ってみると いかに気を使っていたかが 自分で悟ることができる。3泊4日の東京の旅 だった。
帰ってきて こんなに疲れているのに もう 次の詩の旅のことを考えているのだなぁ・・・。
これって もしかして 病気 か?
しいていうなら 詩のやまい???
恋のやまい には薬はない というが 詩のやまい には薬はあるのか。
どうやったら なおるのー? 誰か おしぇーーてーー(^^。。



これは、東京 吉祥寺 でみつけた「尾道ラーメン」です。
あら こんな所に って感じです。



東京に行く前に 福山の友達が すでに東京へ行っていて 「東京で会おう」とメールが入っていました。で、イベントの翌日 ふたりで 吉祥寺 をうろうろしてみました。祝日だったので 道路には人が溢れかえっていました。ふたりで 路地のほうの小物屋さんをながめ 小物を買ったりしました。三越の8階で 東京在住の世界の物産展をしていてベトナムやタイの焼き飯 など試食したり買ったりしました。
彼女おすすめの デザート焼きリンゴ はおいしかった。これはきっと東京でしか食べれないものだと思う。焼きリンゴ というと 夜店の焼きリンゴを想像したが 実際のものは 全然違っていた。りんごをまるごと 焚いたような感じで リンゴの上に白い生クリームがのせてあった。思ったほど甘くない。
いつぞや 銀座にひとりで行った時も 正光の喫茶店に入って サンドイッチが進化したような 東京独特の パンのようなものを食べた。
このように 私は 東京に来ては 東京にしかないものに目を光らせている。これも以前 新宿の三越に行って これは東京にしかないぞ と思って買って帰った ミキモト の商品が 福山の天満屋に まったく同じ物があった時には 本当にがっかりしてしまった。



午後3時半頃 手芸の好きな彼女は 手芸屋さんに行きたい というので 吉祥寺の三越で別れる。
ひとりで駅に向かうのだが なんせ 方向音痴。こちらの道が近い と歩行者が教えてくれたが 別な道を行く。結果 遠回りだったが「尾道ラーメン」を道すがらにみつけて 嬉しくなった。今思えば 入って食べてみればよかった。
なんか 食 に関する話が多く 食いしん坊 だなぁ・・。



実は 東京に来ると 必ず寄るお店が1軒あるのだ。
「グルッペ」と言って 荻窪にある 自然食品のお店で お昼はランチ夜はディナーをしている。自然食品を使って調理してあるので お値段は少し高めかもしれない。そして 全体的にお味は薄味である。回を重ねて食べていれば 癖になるような お味である。
東京にきたら 1回は このお店に寄らないと 東京に来た気がしない。密かな楽しみでもある。
その日は東京最終日 午後1時頃行ってみたが お店の中は満杯、午後1時半を過ぎてもお客さんがぽつぽつきていた。相変わらず 店の中は一杯だった。



お話変わるが 私は今 2回ほど 気になる人に出くわしている。
あの顔を忘れもしない。以前は緑の窓口で 切符を買っていた時に会った。岡山経由鳥取行き の切符を買っていた。まったくの偶然なのだが 今回は西友の6階で会った。目が合った。むこうは一瞥して通り過ぎて行った。声を掛けてみようかと迷ったが 迷っているうちに どこかへ行ってしまった。もし そうだったら もしかして もうけもの だったかもしれない。日和聡子さんに そっくりなのだ。
日和さんは詩の行事などに出てくる人ではない と別な詩人から聞いたことがある。アンケートに会ってみたい詩人に 私は日和聡子さん と書いたことがあった。
世の中には 似た人が 3人は いるという。もしかして 単に 似ている人 なのかもしれない。細身で背が高くって 顔に神秘性を漂わせている人だった。ウィークデイにうろうろできるのは 主婦なのかもしれないな と思ったものだった。



昨日の日記の 岡山のKさんは女の人です。誤解なきよう。誰も誤解などしないか・・・。それほどに 私は 神秘性に満ちてない・・・残念ながら。


嫌がる家人を説き伏せて? 私は 再び 来週 東京へ飛ぶかもしれない。これって もしかして デンジャラス? 今の私って やっぱり詩にとりつかれている??? 魂が 詩を求めて ひたすら さまよう・・・・。詩は 魔物か怪物か?
−−;  








詩のイベント 「いんあうと2005」 2005/3/23(水) 22:52:36
ヤリタミサコさんがあざみ書房に載せてくださった広告をみて、会場の早稲田大学戸山キャンパス 第一文学部の構内にある会場までやってきました。
前日から東京にやってきているにもかかわらず 広島県在住で 地理のわからない私は またまた 始まる2時きりきりに 会場に着きました。
会場はすでに一杯で、置いてあるプリントをとっていると ヤリタさんがすぐに近寄ってきてお話してくれて とても心強かったです。
開いている すぐ傍の席に座ると お隣の人はいなくて、イベントが始まると 隣の人がやってきて・・。なんと 灰皿町の海埜さんでした。
海埜さんのすぐ前には、同じく灰皿町の足立さんがいらっしゃった。
ますます 心強い。

落ち着いてから よく見回すと ぱらぱら と知った人がいた。
遠くにやってきて 知った人に会えるほど 安心することはない。
岡山のSさんがいた。そして Kさんも いたのだった。

いよいよ イベントがはじまる。
イベント名は「いんあうと2005」というものである。
実質管理者は別にいるようだが 責任者は 和合亮一さんである。
ネット上の「いんあうと」という詩のサイトが ネットの外に飛び出してのイベントである。
 
私は学びたくてやってきた。




(パネラーの杉本真維子さん)

時間配分は 午後2時から6時半過ぎまで 10分ずつ休憩を入れて4部構成で行われた。全体的に流れるテーマは「0年代 詩の行方について」というものだった。各部では それぞれ パネラーが何人かづつ並び 司会者が投げかける質問に対し答えると同時に自分の考えを述べていた。写真の杉本さんは1部のパネラーだった。時には 会場をも巻き込んで 進められていく。



(パネラーの投げかけた質問に答える早稲田の学生)


私が 一番興味深く聞いたのは、紙版の詩とネットの詩との比較だった。それぞれの長所と短所をみんなで検討し、結果 紙版とネットの両方でするのがいいのではないか という結論になったような気がする。
第3部のパネラーだった「たもつさん」はネットでしか詩を発表しない人でネット上では有名らしい。彼の言い分は ネットで発表するのが一番手っ取り早く人に見てもらえて しかも瞬時に反応が返ってくる という。日頃は 仕事が忙しく 休日には家庭サービスに忙しい という。そうすると、時間を掛けずに詩をするには ネットが一番いい と。別意見で ネットでは名前も架空が多いし サイトを閉じてしまえば そこで終わり という儚さもある という。そんなことを討論していると 結局 両方でするのが 一番いい のだという結果に落ち着いたようだ。


私は ネットでは 紙版ほど 詩を発表してはいない。
ネットで発表してしまうと 紙版にした時 その新鮮さに欠けるのではないか と思うからだ。あぁ この作品は あそこで見たわ と思われたくはない。詩集にまとめた時には なおさらじゃないのかな と思える。だから、紙版で発表する時には 原則として同じ作品は載せない。だけど、「今まで載せた作品でいいから」 と言われる時には 作品の中で自分が気に入ったものを選んでいる。これは私の独断的な考えである。


その他に 詩について いろいろな角度からの切り込みがあり 4時間半余りが あっという間に過ぎた。

京都からやってきた平居謙さんの「詩は社会貢献である」という言葉も気をひいた。
ヤリタさんは詩は自分にとって「息をするようであり 食事をするようである」とも言われる。7月24日が東京ポエケットである。
城戸朱理さんが エッジの行事をサンフランシスコで開きたい と言われる。
ネットでも紙版でも選者をしてみた という野村喜和夫さん。
久谷雉さんの声は 太くてとてもよく通る声である。「せーで」という接続詞が印象的だ。
石田瑞穂さんは別な所で詩の行事をされていて 4部のパネラーの時に入られた。
川口晴美さんは 喋るのが苦手だ と言われながら なかなかのお喋りぶりである。
詩学社の寺西幹仁さん馬野幹さんもいらした。幹さんは 砂丘での朗読以来である。
キキダダマママキキさんの正体が見たかったが みれた。若い男の人で 名前の由来は どもる からだそうだ。でも実際の喋りは こちらも流暢で毒舌。
二次会の席で ホームページのURLを小笠原鳥類さんに渡すと すぐに「清水さんの灰皿町」とわかってくれた。これも すごい!と思った。
懇親会の参加者が多くて二次会はふたて手に別れ 三次会で合流する。
貧乏を連発する おもしろい早稲田の学生がいた。彼は将来 どんな道を歩んでいくのか 興味がある。
参加者は120人くらい だっただろうか。



私は 岡山のKさんとずっと一緒だった。
銀座にお宿をとっているKさんと午後11時頃 会場をあとにする。
広島県からやってきた私と岡山県からやってきたKさんを、和合さんが 階段の上で 最後まで見送ってくれた。
ありがたいことである。
実り多い 刺激を受けた楽しい1日だったと思う。





後ろの方に座ったので デジカメが いまひとつうまく撮れなかった。
写真をうまく撮ろうと思ったら、早めに入って席をとっておかなくてはならない。なかなか 今の私には 難しいようだ。



いっぺんに書いてしまおうとすると、長くなるねぇ・・・・。
やっと 詩 に関すること らしいこと が書けたかな?
なので 長くても 読んでねー! (^^






















晴れのち曇り 小雨 そして又 晴れ 2005/3/19(土) 03:31:00
日記が1日 飛んだ。
いろいろと忙しくて 18日は走り回ってた。
それでも 10ある用事の6くらいしかできなかった。
残りは あらためて そのうち しようと思う。






お墓参りの疲れが残っている。
でも 次に することも 控えている。
いくらでも することが 湧いてくる。












空と海と・・・・どんなかなぁ・・・。
海のほうは どんよりと曇っています。

では、もう一丁!



どうだい?
海は晴れた でしょ?

本当は こんなこと・・してる場合じゃ ないんだけど。
しかも とんでもない時間帯に・・。





もし 私を見かけたら TISATOさん と 声をかけてくださいね。
そうすると 私はとっても嬉しいので。
話をすれば 種類は問わず いろんなことがわかってくると思います。
ん?勿論 言いたくないことは 言わなくていいんだよ。


最近 写真ばっかしね。おおめにみてね。
そのうち そのうち・・・・。(^^ 乞う ご期待!!!


こんな 真夜中に・・・。
さすがに 誰も見ていない・・・・ぞ。 −−;(^^




























雨の お墓参り 2005/3/17(木) 22:33:25
お彼岸には 私は東京なので お彼岸の前に お墓参りをした。
今日は しぐれて シトシト 雨は降っていたが 明日は明日の用事があるので、今日 決行 ということになった。
お墓は遠いので 1日がかりである。
今日は お墓参りをして1日が暮れてしまった。昨日に引き続き 写真攻めである。詩のことを書かなくてはならないのに、日常のことを書いてしまっている。
ここは、原則として 詩のサイトなので できるだけ詩に絞って書こうとしているのだけど、こう 毎日書くとなると 日常 が垣間見えてもしょうがない かもしれない。



昼 食事をしたところの庭。晴れた日には 島々が綺麗に見える。
しぐれているので 霧で見えない。



これは 室内の応接 です。ここは、その昔 西部警察 の撮影が行われた所です。

















お彼岸に関することなので こんなのも。
帽子は手編みの毛糸で、よだれかけは あったかいマフラーのような素材でした。雨が降っても お地蔵様は 大丈夫。



これは 鞆の海です。ちょうど 通り道なので ここで ひと休みして帰ります。つまりは 欧風亭 というホテルから見た 海です。運良く 奥様が出てこられ しばらく お喋り しました。相変わらず 綺麗な方 です。


こうして、今日の お墓参りツアーは終わったのでした。
お墓の下の父は 喜んでくれたでしょうか。
お彼岸より ひと足 早い お墓参りでした。
休みながら とはいえ ずっと 運転しっぱなし なので 正直 疲れた・・・。ーー;



昨日 今日 と 写真が多いですね。
今日アップしたのは 今日 撮ってきた写真です。デジカメ持参で行きました。雨の1日 でした。


今日の日記は早いなぁ〜。疲れているので 寝ちゃうかもしれないので。その前に アップ アップ! (^^
































たまには こんな日記も。 2005/3/16(水) 23:59:02




 
鞆の街並み。同人Oさんより。

























これは、私が撮った 竹原の街並みです。

どこか 似てる?

倉敷の街並みは どんなだろう。そういえば 当分 行ってないなぁ。
暖かくなったら 友達誘って 行って見ようかなぁ。



御衣香 という 緑の桜。
今年も 見に行こうかな。



本屋さんに行くと つい 韓国の写真集があるところへ行ってしまうこの頃。そこで 1時間は いるかもしれない。なんてことだろう。どんどん写真集が増えてゆく。どうか しちゃったんじゃないだろうか と思いつつ 心地よく 酔いしれている。いつになったら 覚めちゃうんだろう と思いながら 友達と一緒にはまったまま。ついにはネットで大写真集まで注文してしまった。いいのだろうか、という心と いいんじゃない という心が 交錯する。彼女は 「〜に夢中な心は
16歳」という。芸能人の追っかけなんて 勿論一度もしたことないのに 心地よい波長に すっぽりと はまったままだ。ヨン様の 追っかけの人を笑えない と 彼女は言う。

私も 同じ。まぁ・・・いいんじゃない?

今度の土曜日は「天国の階段」最終回 らしい・・・・。
 












今しがたの 疲れのリセット。 2005/3/15(火) 23:58:15
昨日の夜更かしが たたって?今しがたパソコンを開けている。
今日 初めての 見開きである。珍しい メールがきていた。
お返事をしようと思うが こんなに遅い時間でもいいだろうか。



毎日 TISATO日記を書いていると、今日は 何を書こうかと思う。晩御飯のおかずを考えるように 夕方頃になったら、考えている。別に毎日 書かなくてもいいんじゃない と 私が 「今日は何を書こうか」とぶつくさいっていると お電話で 友達がいう。
1回は つまりは パソコンが壊れて 戻ってきて その時1日おきにしよう と思ったんだけれど やっぱり 毎日 使命のように 書こうとしている。


数日後に 東京へ行くので その間は 書こうと思っても書けない。
今日は まったく 書くことが無くて 呟き のようである。


新聞を見ていると「笑いの効用」というのがあった。笑う ということは なにかに 健康にもいいのだそうだ。そんなことは 今までにも随分言われてきた。もし 自分自身が ひとりで笑えなかったら 笑える人の傍にいるのがいい という。そうすれば ひとりでに 笑いが湧き出てくる という。笑う と 体の中の ナチュラル キラー細胞が活性化して それらは がん細胞さえも 殺してしまうほどの威力があるらしい。くよくよするよりも さっそうと前向きにすごす。それはきっと 誰にとってもいいことだと思う。
その為には、まずは 健康かな。健康である為には 食べ物かな。
韓国ドラマには 相手を気遣うセリフとして、どのドラマにも「ちゃんと食べてる?ちゃんと寝てる?」という言葉がある。勿論「冬のソナタ」の中にも。昨日の私は 決して健康な眠りとはいえない。だけど今は もう リセットできた。
たとえば、不治の病をかかえている人にしても、くよくよしないで前向きに生きることは 大切 と思う。そうすることで、やまい がすっかりなおってしまうことには無理があるかもしれないが、人間の中の自然治癒力 ナチュラルキラー細胞が しっかり働いてくれることは間違いなさそうだ。


なんか 健康講座 のようだなぁ・・・。


今日はこのあたりで ドロン しようかなぁ。
またまた 忍者? 伊賀 甲賀 の里 というのがあるらしい。
機会があったら 行って見たい。
金沢の 日本現代詩人会 西日本ゼミナールに参加した時、翌日オフだった私は、からくり寺 に行ってみた。(名前は忘れた)そのからくりの おもしろさの印象がいまだに残っている。
思えば わたしの詩の旅も そこが 出発点 だった。(^^



なんか とりとめないなぁ・・・・。(^^


今日のTISATO日記は 早めに ^^) 。。 2005/3/14(月) 20:40:31
今日は 2個の同人誌への詩を送って 昼間が暮れた。
詩をパソコンで入力して 自分で 校正までやっちゃって プリントアウトして 発送する。これだけのことをやるのだって 考えながらやるので、結構時間がかかる。明日をひかえてさしせまって やらなければならないこともあるのに、私は とにかく詩のことをやっている。ほかの人は どういうふうに 時間配分をしているのだろうか と思う。
私は 自分が そんなに グズとは思っていない。関心の無いことはなかなか進まないが 好きなことに関しては 動作は速いほうだと思っている。


東京に行く日が近くなっているので それまでにやっておかなければならないこともいろいろある。何もすることがない ということよりもすることが たくさん控えている というほうが きっと 幸せだと思う。

以前 大学を卒業して就職した頃、よく 広島に就職した友達から 職場へ電話がかかっていた。彼女は 随分、暇な箇所に 人事の配置をされたらしく「暇でしょうがない」と私の職場にかかってきていた。彼女の性分にしてみれば およそ 暇に耐えられる性分でなく、彼女は 人事異動を願い出て 次には とてつもなく忙しいところへ移動したようだった。
わたしは というと そこそこ忙しいところだったので、なんとはなく 仕事の日々は 淡々と続いていた。


本当に 詩には いろいろとすることが多い。
みんなが、締め切り締め切り とさわがしく言っているが 私には いまひとつ この 締め切りという実感が湧かない。勿論 詩のプロでは決してないのだけれど、それでも みんな 締め切り締め切り といって随分騒がしく 言っているようである。まぁ みんな それこそ 私よりも 名をなしている人達なので だから そうなのかなぁ と思う所はある。だから 私も あのあたりまで行ったら 彼女たちのように 締め切り締め切り と騒ぐようになるのかなぁ とは思う。


今日 検討していた詩は 明日締め切りのもので だから お手紙で送っていたら間に合わないので Fax で送った。もうひとつは 速達で送った。それでも さしせまって なおも締め切りの感覚が無い。
詩以外に 確かに今日やることはあった。そして それについては これから始めるのである。なにをおいても とにかく詩のことを優先させて そうしている ということはあるようだ。


さぁ これから 詩以外の事をするので、早めにTISATO日記も書いておこうと思って 今 キーを走らせる。それこそ あした 提出だからね。
なんの???   それを確実に知っている人は ひとり くらいかな。想像はつくよね。実はあんまり 言いたくないんだ。これも 一応 私のライフワークだからね。何を言っているか全然わからない?
じゃぁ 今度 私に会った時に 聞いてね。(^^
これも 毎度のせりふ カナ?


岡山 で みつけたオブジェ。画像を小さくすると、どうも 文字がぼやけるのですね。
上から「合格まねき論」「幸福まねき論」「恋愛まねき論」「金運まねき論」です。
さぁ あなたは どれを一番招きたいかな?
わたしは そうねぇ・・・・ 〇 〇 かな? 
ウフッ 内緒!(^^



これから、しばし ドロロ〜ン・・ロン・・。忍者か? (^^














福山文学選奨 表彰式 。 2005/3/13(日) 23:58:43
夕方、詩 で満腹になって 帰ってきた。
いいお話が聞けた という思いで一杯だった。心は充分に満足していた。









詩については、今回は最優秀賞はいなくて、3人の人が優秀賞だった。その3人のうちのひとりが私である。もらえない と思っていた賞金がもらえた。これも 嬉しいうちのひとつである。
表彰は、小説・児童文学童話・詩・短歌・俳句・川柳 とそれぞれ 部門別に行われる。特に・短歌・俳句・川柳 には、小学生 中学生もいる。 俳句の優秀賞をとったのは 小学1年生の男の子だった。
観客は150人くらいだった。
それぞれの先生が、選考コメントのようなことを言われた。このコメントが たいへんいいアドバイスである。このコメントを聞いただけで出席した価値がある と思う。



授賞式が終わって、研究会に入り そこでも 詩のお話がたっぷり聞けた。特に、私は 私が知らない 過去の 詩の世界のお話を聞くのが興味 深々である。前にも そのようなことを言ったような気もするが
何度聞いても、そして、話す人が違えば 違う切り口から趣を異にしたお話が聞けて私は 本当に それこそ 目をキラキラさせて 聞いている感じである。やっぱり 詩は魅力的だ。やっぱり 詩が ますます 好きになってしょうがない。
そんなことを思いながらも これは一体何なのだろう とも思ってみる。まるで 一途に思う 恋 である。
私はやっぱり 詩 に恋しているようだ。
パソコンに恋をし、詩に恋をし・・・私には 恋するものが一杯ある。それって 浮気性 ってことじゃないよ。好きなものが 一杯あるっていうことだよ。


福山文学選奨は来年は30回目を迎えるらしいので、明日からは又新たな気持ちで作品に取り組んでください、と言われた結びの言葉がとても印象的だった。


また 気持ちを あらたにして 頑張るゾーーーッ。(^^ 











泣き の 土曜日 2005/3/12(土) 23:55:07
「天国の階段」を見て夕方 泣く。「ごくせん」を見て夜 泣く。
「美しき日々」を見て 又泣く。土曜日は 「泣き の土曜日」である。家にいると。別に泣きたくて泣くわけではない。毎度のことながら。



(「天国の階段」主役のソンジュ役のクォン・サンウ。相手役のヒロインはチェ・ジウ)


昔は 男の人は 人生において3回泣く と言われた。生まれた時と死ぬ時と、親が死んだ時。ところが、この頃の男の人は よく泣く。
詩の世界においても、公然と 泣いていい というのを聞いた。泣く ということは、それだけ 感情が豊かな ということなのだから、泣いた方がいいんだ と 長く詩の世界にいらっしゃるAさんは言った。
小学生の頃 学校巡回映画 というのがあり 私は 映画を見ては涙が出た。泣いた顔を 同級生に見られるのが恥ずかしくて 泣くのを一生懸命我慢していたら 頭痛がしてきた。だから それから、私は 娘になるまで あまり 映画は見たことがなかった。
この頃、福山の 詩をしていない友人と 1ヶ月に1回 水曜日のサービスデイに映画をよく見に行く。涙が流れる時には 我慢しないで、ふたりで、鼻をすすりながら 泣いている。



泣いているから といってそれが不快なわけではない。すごく 泣きたい というのでもないのだけれど。
この前は、ちょっとだけ落ち込んで 涙が出そうになったが。


今日本屋に行った。島田荘司の本を買って帰った。福山のことがたくさん載っている。会ったこともあるので 余計に親しみが湧く。握手をして買った本に「一瀉千里」とサインをしてもらったら、「いいお名前ですね」と言ってくださった。2回目に福山の本屋さんに来られた時 又会いに行こうと思ったが、ちょうど上京する日と重なっていていけなかった。買って帰った本は「季刊 島田荘司 vol.04」というものである。島田さんは、福山出身のミステリー作家で、ロサンゼルス在住である。


明日は、福山文学選奨の表彰式がある。何か 賞にはいっているらしいので、行くつもりである。3年連続である。(^^





7ヶ月目。なんの??? 2005/3/11(金) 23:23:59


福山市 鞆の常夜灯。同人のOさんが画像を送ってくれました。


今日は 何の日でしょう???
内心では、そろそろ こんなこともやめようかな という気はある。だけど、7ヶ月目では えらいはんぱな数字である。やめるやめる といいながら、やっぱり わたしは するだろう・・・きっと。公表しないにしても。だんだん 減っていくのはわかっている。カルチャーセンターだって、最初は一杯でも、6ヶ月を過ぎた頃には それなりに落ち着いた数字になるもの。
ごちゃごちゃと、一体何を言っているのか。ここまで言ったら もうお気づきですよね。詩とは関係ない といえば関係ないかな?



要するに、今日は 私のホームページ立ち上げ7ヶ月目である。途中パソコンが故障して、20日ほど 手元にない時期はあった。もし、平均値から見積もると、32人×20日=640人。つまり、パソコンが壊れなければ、プラス640人である。
パソコン立ち上げ7ヶ月目、現在のカウント数6635。1ヶ月平均947 人 1日平均32人。もし、このペースで、パソコンが壊れていなかったとしたら、1ヶ月平均1039人 1日平均34人 ということである。私は いつまで こんなことを続けるのだろう。そうなると、お留守もできない ということになり まさに パソコン命 となってしまう。これは いいことか 悪いことか?
束縛されるのが嫌いな自由人 としては あまりいいことではないことかもしれない。


とは言いながらも ついつい 数えてしまうカウント数。
私は きっとこれからも 数え続けるのだろう・・・。
やみくもになるのではなくて、ひとつの楽しみとして数えてみるのならそれもいかもしれない・・・な。

もっと 詩をアップしなきゃぁ いけないかな。
創るのは 創って 同人誌として上がってきてるんだけどね。
アンソロジーへの詩の参加もあるんだよ。(^^














「ふくやま文学 第17号」  2005/3/10(木) 22:53:46

ふくやま文学 第17号が出来上がってきた。
これは 1年に1回発行される総合文芸誌である。福山市の唯一のきちんとした文芸誌だ。ジャンルは小説 詩 児童文学 随筆 とあり、私は かつては小説(のようなもの)を載せていた時期もあった。現在は掲載するのは もっぱら詩である。
詩から小説へと転向していくものはいるが、小説から詩へ転向してくるものはいない と 誰かから言われたことがある。



でも 目下の私は 詩に夢中である。そして きっと これからも。
ここへは 私は「希望の森へ」という作品を載せている。この詩は 私自身が とても気にいっている詩である。ハピヒピの朗読会で1回読んだが 今度の大朗読の朗読会でも これを読もうかな と思っている。
大朗読の朗読会は 参加者が多くて オープンマイクを制限する と書いてあったので、果たして今回は 読もうと思っても読めるだろうか。
「ふくやま文学 第17号」は 2005年3月1日発行、500円。福山では、サントークの2階の本屋さん、もしくは イトーヨーカドーの啓文社で手に入ると思います。遠方でほしい方があれば、084−943−1651 小説の大河内さんまでお電話してみてください。
4月には合評会もあります。この合評会に参加できる人しか会員になれません。合評会には 九州の方からも数人のお客様があります。
この文芸誌の代表者は中山茅集子さんです。



明日は 何の日か?
さて 何の日でしょう?記念日といえば記念日?
そろそろ 返上する?
何か わかった人は メールをくだされば、記念品を差し上げます。
ただし、当たっていれば、ネ! (^^

















TISATO ミニミニ 朗読会。 2005/3/9(水) 23:59:55
3月8日の日記が 2分19秒 超過してしまった。
午前0時以降 は日にちが変わってしまうので
1分でも超過すると おかしいことになるのですね。
あす、同じ時間帯に 時間を訂正しようと思います。
昨日の日記は 午前0時以前に書いたものです。
もし 明日 書き込みの時間訂正をしたら、今書いている この文章はいらなくなります。
痕跡 として 残しておきましょうか。(^^
フフフ・・・やっと出ました!フフフ・・・です。
ヒヒヒ・・じゃないよ。
そんなことより 詩 創らなくっちゃ。
かなり ヤバイ?


3月8日の日記の時間を 午前0時以前に 訂正しました。





私が撮った 北海道 雪の花。



お話変わって。
1ヶ月に1回、料理好きな友人の家に お料理を習いに行くのは前にも書いた。習うよりも むしろ 食べに行くほうがメインである。レシピは くれるのだが、なにしろ 普通のおうちなので、全員がお料理をするわけではない。彼女が作るのを概してみているのだ。そうして作り方を覚える。私が詩をやり始めて私は詩のほうが忙しくなり、お料理が出来上がった頃食べに行く のが毎度のパターンなのだ。それでも 彼女や他のみんながいい といってくれるので、お言葉に甘えている。
いつのころからか、フルートを習っている子が みんなの前でフルートを披露するようになった。プラス 私の詩の朗読である。
私は、その月のうちに 新聞に載った詩や同人誌として上がってきた詩や今回のように「北海道詩歌紀行」などを持参する。みんなにみせていると その中のひとり つまりは私の友人が「朗読をして」と言った。
私も 朗読に慣れたくて 即OKである。
フルートの友人のほうは、なんだか英語の勉強のため 渡米してしまって今はいなくなった。だけど 私の朗読はまだ 進行中 である。
今日 読んだら 友人が「随分 うまくなったんじゃない?」と言った。
そりゃぁ そうだ。夕べ随分練習したもの。そう 告げると みんな大笑いだった。しかも、なんとか 詩のバックに ミュージックをつけようと、携帯の着メロ Ryuが歌う 冬のソナタのテーマソング「最初から今まで」を流したら みんな 大喜びだった。
新聞のと同人誌のと北海道の本のと3篇読んだ。全部読んで「これで TISATOのミニ朗読会を終わります」といって敬礼。パチパチパチパチ・・・・・の拍手喝采。若干6名による 詩の朗読会だった。朗読者は私ひとり。あとの5名が観客である。彼女たちは詩は作らないが詩を鑑賞する力学はあると思う。
まさに、ミニミニ朗読会である。回を重ねるたびに 私はきっと どうやったら彼女たちに楽しんでもらえるか真剣に考えるかもしれない。今までは 読むのだけで やっと だったのだ。

ささやかな 詩の普及である。












「北海道詩歌紀行」 2005/3/8(火) 23:06:52


「北海道詩歌紀行」はこんな本だ。これだけ画像を大きくしたら 字もはっきり 見えそうなものだが なんか うまくいかない。ちょっと お見苦しい かもしれない。
一時 スマートメディアアダプターによる インストールがうまくいかない と思っていたが、なんか わからずに いじくっていたら インストールは再びできるようには なった。
まぁ こんな感じ というのが わかってもらえればいいかな と思います。
字は「美しい言葉と しなやかな感性が織り成す 詩 短歌 俳句 の限りなく透明な空間が紡ぎ出した北海道の旅情、そして生活の歓びと哀しみ」と書かれている。



栗原貞子さんは 原爆の時 出産場面を実際に見ていたわけでなく あとから その場面にいた人から 人づてに聞いて「生ましめんかな」の詩を起こしたのだそうだ。その時とりあげた産婆さんは 背中一面とひじまでやけどした 重傷者だった という。軽症だった人が 焼け野原に出て行き 形の変わってしまった洗面器をひろい 布切れを 水にひたして 赤ちゃんを拭き清めたそうだ。人どころではない 極限状態での命の誕生 だっただろう。
その時 生まれた赤ちゃんは今59歳となり、元気に食堂をきりもりしていらっしゃるとのこと。お母さんのほうは、20数年前に 亡くなられた という。




人から話を聞いて それを詩に起こす ということもできるのだなぁ。 












原爆詩人 栗原貞子さん。 2005/3/7(月) 23:23:01
今朝の新聞に大きく載っていた。
昨日 3月6日に 原爆詩人 栗原貞子さんがお亡くなりになった。
92歳。被爆もされていた。
原爆の時 地下で 負傷した助産婦さんが 産気づいた妊婦から 子供を取り上げた状況を詩にした「生ましめんかな」は有名な詩で世界でも 英語 ドイツ語 スペイン語に翻訳されて 世界のひとに読まれたという。


栗原貞子さんの 詩集の編纂が今行われていて、この前火皿主催の「花幻忌の会」にお邪魔した時、その編集に 直接かかわっている人が、栗原さんから「早くしてぇや と言われているんよ」と話されていた。私も 実は 注文している。お値段は たぶん 6000円くらいだったと思う。
もし、出来上がりまで 元気でいらしたら きっと 出版記念会などでお会いできただろうに 残念である。
詩集 出来上がりを前にして 亡くなられるのは どう思っても残念だと思うが、しかたがないよな。



お話は ガラリと変わるが ほとんど終わりにさしかかっているNHKの朝ドラ「わかば」のヒロインのオーディションの話を さる番組でしていた。
わかばのヒロインは 今 現役の大学生で(大学の演劇関係)NHKのヒロインのオーディションに過去4回挑戦していて、5回目で合格したのだそうだ。それも、試験の中で 1発芸 というコーナーがあり そこで4パターンの大仏様の顔 というのをしたんだって。たぶん それで合格したんじゃないかな とおもしろく言っていた。
今 どんなに有名な人だって みんな いわゆる 下積み という時期があり、それを知るにつけ あんなビックな人にも そういう時期があったのだなぁ・・と思うと とにかく 挑戦し続ける ということが いかに大事かが あらためて認識させられてしまう。

ときには 落ち込む日もあるが、心をあらたにして また頑張っていかなくては と思っている。
「わかば」の中の おばぁちゃんの言葉ではないが「人生 生きちょるだけで まるもうけ」と思って 浮いたり沈んだりしながら 頑張っていこう と思う。(^^




わたしの落ち込みを 元気づけて下さった方々 ありがとうございました。もう 大丈夫です。(^^




この写真も 私が撮りました。
雲海が 綺麗でしょ?














新書 アンソロジー 上梓。 2005/3/6(日) 21:16:15
今朝起きたら 雪は全然降っていなかった。
と言うわけでもないのだが、夕方まで ずっと落ち込みをひきずっていた。
日中 こんな気分の時には どうやって 気持ちを紛らわせたらいいだろう と思いながら、近くのお花屋さんに行って花を買って 活けてみる。友達が偶然お電話をかけてくる。愚痴る。2〜3人に愚痴る。
こういう時には 食事もあまりほしくない。ビデオを見る気も失せている。いつもみる「新婚さん いらっしゃい」のテレビもみる気がしない。ずるずると引きづったままの夕方だった。



夕方になって、昨日届いた 荷 をあける。
新しい本が届いていたのだった。
ページをめくると りんごの匂いがした。きっと これは 印刷の匂いなのだろう と思ったが、本当に 紙に鼻を近づけて 香りを味わいたい感じだった。実はこの本に わたしの詩が載っている。いわゆる アンソロジーなのだが、出版社からの依頼を受けての掲載 昨日出来上がったばかりの本が届き、いましがた 確認する という運びである。詩と俳句と短歌のアンソロジーで 詩のとこだけ ページを繰ってみた。勿論 一番最初に見るのは 自分の詩だ。私は 1昨年 友達と二人で 北海道に流氷を見に行った。そのときのことを書いた詩「ホワイト ワールド・北の情景」というのを載せている。






(これは、北海道の流氷です。灰皿町のアルバム掲示板に出したのと同じものです。これも、そして昨日の写真も私が撮りました)






この本は「北海道詩歌紀行」という本で、北海道の美しさとかそこに暮らしている生活とか とにかく 北海道 のことを詠んだものである。2005年3月15日発行 発行所;日本詩歌句協会  発売;北溟社 定価;2625円  というものである。
全国版なので 全国の人が 見てくれる そう考えただけで嬉しくなる。この本を紐解いた後 りんごの香りのする中で、昨日の落ち込みもこれで チャラにしよう と思った。

詩のところをパラパラ とめくってみる。北海道に関する詩 なので北原白秋 高村光太郎 中野重治 丸山薫 更科源蔵 草野心平 の詩も載せてあるのだなぁ。これらの詩人も北海道について 詠んだのである。そして、私が知っている人で ここに載せている最近の人たちの名前をあげてみると、岡山県では 同人の田中澄子さん, 平岡けいこさん 境節さん だ。ほかには おしだとしこさん 浅山泰美さん 島秀生さん 秋山豊さん 横川秀夫さん そして 丸山勝久さん 葵生川玲さんなど。なんと  16人も知った名前がある。驚きである。
美しい装丁の りんごの香りがする本です。
たぶん、全国の主要な本屋さんに置かれるのではないかなぁ。もし関心があったら、本屋さんで手にとって見てください。



夕方になって届いた本を見たあと やっとパソコンをあける気になってあけてみると 違う詩のグループにいるSさんが 慰めのメールをくれていた。公開日記の いいところだね。こんなメールをもらえるなんてね。Sさん ありがとう!


ここで 私は叫んじゃう。「TISATO日記の中心から愚痴を叫ぶ」いえいえ、TISATO日記で愚痴 はいけないかな?
みなさん、落ち込んだら 大いに誰かに 愚痴りましょう。なんて・・・・。
どうやったら、気が晴れるか なんでもかんでも やってみればいい ですね。気の晴れる方法は 個々に違うと思うので どうやったら自分の気が晴れるか 自分なりの方法を見つけ出しましょう!!!
それって いいかも。

私は、自分の詩が載っている 真新しい本をみて どうにかリセットできそうです。昨年発行された「ラ・ビータ」や「べレッツァ」もイタリアの人たちが 読んでくれるルートに自分の詩があり、この本がイタリアにあって販売されている と考えるだけで ワクワクしてきます。
自分が気分がよくなることをこれからも したり考えたりしていこう と思います。


たちまち 詩脈の原稿どうしよう。いっそ まったく違うのを載せようかしら。私は詩脈には一貫して 恋 の詩を載せてきたが 浮かんでこない と呟くと ふたりのひとから 恋 に限定しなくていいんじゃない と言われた。その部分もどうしようかな。でも 自分の中では これをこういう形で是非載せたい と思う部分もある。誰がなんと言おうと こう載せたい と思う部分があるのだ。それって わたしって やっぱり 頑固 なのかな?


なんにしても、落ち込みから だいぶん抜けれて よかった・・・。
心機一転、また 頑張っちゃうもんね。(^^
















ちょっとだけ へこんだ・・・。 2005/3/5(土) 23:59:20
さっきまで、きりきり 詩の清書をしていた。
3つ 載せる予定です。一貫して3つの詩に流れているのは 「香り」で。午後から 岡山 詩脈 の集まりです。
とりあえず、いってきまーーーす!(^^
帰りは 夜です。天候が悪そうなので 今日は 早めに帰ろ。
(^^





いつもの列車より ふた便 早いので帰ったら、午後10時半だった。今の時間は渋滞していないので 駅から車で25分くらい。車で暗闇を運転して帰っていたら、ちょっとだけ 涙が出そうになった。もし この暗闇で フロントガラスに ちらちらと雪でも降っていたら、私は物語のヒロインのように 本当に涙を流していたかもしれない。


その涙のわけは?
今日は いつになく 酷評をされてしまった。その場にいた人からすれば、あんなの酷評でも何でもない というかもしれない。別な見方からすれば 酷評をされるということは 見込みがある ということだよ という人もいる。だけど 私はどうも こきおろされる?ことには弱い。褒められるばかりでは 進歩がない ということも よくわかっているのだけれど。


その人を つぶしてしまうほどの酷評は 意味がない。その人が いかにがんばれるか それを引き出すのが 良い指導の仕方だと思う。概して、7ぶ 褒めて3ぶ 注意せよ とは お仕事をする上での 管理職のマニュアルである というのは 聞いたことがある。100パーセント否定されて いい気持ちのひとは 誰もいない と思う。


ある時、運動クラブに 予想外に部員が殺到して、すごい しごきを加えて そのしごきに 耐えたものだけ 部員として残した という話も聞いたことがある。自分が本当にやりたい と思ったことなら きっとそういうしごきにも 耐えなくてはならないだろう。
いかに うまく 指導するかは ひどく いうばかりではいけないだろう。仕事の管理職 としては それでは 誰も部下がついてはこないことになる。いかに 気持ちよく その人の能力を引き出せるか それも指導者としての能力じゃぁないのかな。


あれこれと理屈をこねながら ちょっとだけ へこんでいる。


今日の未完成は 大賑わいだった。というのは、地酒の会があったからだ。毎月第一土曜日は地酒の会 がある。数年前の長谷川龍生さんの色紙額があった。この頃飾ったのだろうか。
福島の合宿で長谷川龍生さんと会った。どさくさにまぎれて 握手もした。講演は とても おもしろいものだった。


早く帰ったおかげで、韓国ドラマ「美しい日々」が見れた。ドラマをみながら、TISATO日記を書いている。今日は「天国の階段」もあった日だ。ビデオは明日みようと思う。どちらも ヒロインはチェジウである。
あす、起きたら いっぱいの雪かもしれない。私の落ち込みも その雪の下に すっかり隠れてしまっていればいいのだけれど。
雪 降るかな・・・・。 





ジレンマ の1日。 2005/3/4(金) 23:53:09


今日 わたしは 卑屈な イヌ だった。
なぜかというと、今日中にやってしまおう と思うことがあるのに それをほおっておいて やはり 詩の雑用の方を せこせこ しているのだった。
まさに 今日はタイムリミット だったのだ。なんの?
実は 今日は 中国短編文学賞の 締切日だった。別に出す必要などこれっぽっちもないのだけれど、これも密かに 私の中でのノルマにしていた。といっても 昨年 1昨年 と2回応募しただけ。それでも 今年も続けて応募しようと思いながら やっぱり 詩のほうをしているのだった。枚数制限は20枚から25枚。それくらいなら、ホラではなくて、内容いかんをいわなければ、1日で書いてしまえる自信はあった。来る日も来る日も では ちょっときつい。でも 1日くらいならそんなことをしてもいい とは思っていた。勿論内容もあれこれ考えて 今回のモチーフは案外いけるかもしれない そんなことを考えながら 時間は刻々と過ぎているのに 詩のほうをしている。一時は 今日の消印は午前0時までだから 書いて 街の郵便局まで午前0時近くに出しに行くか と思っていたが、結局 思っただけだった。結果 詩のことをして 1日が暮れた。
詩 は 書くばかりでなく それに伴う雑用も多い。だいたい 感想を書くのも大きな用事で その上発送作業も 結構時間をとる用事である。詩誌も読まなければならないし。詩に関することで、わたしのようなものでも 毎日 今日はあれをして あすはあれをして と することは絶え間なくある。
いつぞや、街を歩いていて 普段会わない 高校の同級生に偶然会った時 「どうしているの?」と聞くから「今 詩 をやっているのよ」といったら「一生 退屈しないわね」と言われた。暇つぶしで詩をやってるんじゃぁないや と心の中で思ったが 言葉にはならなかった。
本当に 詩に関しては 限りなく することはある と思う。


で 恋の詩は 結局どうなったか。
なんとか なった。あす 原稿を持参する。明日は午後から夜にかけて集まりがあるんだけれど なんか あすは すごく天候が悪いらしい。
駅まで車で行こうか どうしようかと迷う。もし帰り 雪でも降ったら
車で帰るの ちょっと怖いな と考える。どうしよう。真っ暗になってしかも雪が降ったら 運転 大丈夫かな と思う。雪は幻想的でステキだけれど、実用的には 降られると ちょっと困るかもしれない。ことに 外出をひかえている場合には。

まぁ あしたはあしたの風が吹く? か?
風邪じゃぁないよ、風だよ。そういえば インフルエンザがはやって あちこちで入院しているお話を聞くので、みなさん お気をつけてね。
灰皿町の三井さんは 38度もお熱が出た と日記に書いてあったけれど 大丈夫だったかしら。

わたし、ちゃんと 灰皿町のひとのおうち 訪問しているでしょ?
桐田さんや有働さんのおうちにも行ってみました。実際のおうちじゃないよ。灰皿町の だよ。


わたしは昔の同人誌に書いてある 詩人が詩人のおうちを訪ねるお話をうのみ にして 1回だけ詩人のおうちを訪ねたことがあるんだよ。それを 違う詩人のひとにお話したら 「今 そんなことしょうたら 怒られる」と言われた。たまたま お留守だったんだけれど、おうちがわからなくて、随分 その界隈を ものすごくウロウロしました。タクシーの運転手さんもわからなくて、その界隈の人に聞いてもわからなくて たまたまクロネコヤマトの宅配のひとがいて その人に聞いてやっとわかった。でも お留守だった。2時間くらいは捜したかな。今は詩人のおうちを訪ねる時代じゃない と知って もう詩人のひとのおうちは訪ねるのよそう と思ってるもんね。
わたしは 詩の世界に入って いろいろな体験をします。ときには 嫌なことにも出会うこともあるけれど、根本的には みんなナイーブで優しい人たちなので やっぱり 詩はしていたい と思います。



上のワンちゃんの画像は 知り合いの方が送ってくれました。
タイトル「ヒクツなイヌ」だそうです。ワンちゃんの表情がよく撮れています。ところで このワンちゃんは 家なき子 なのかな?






恋 の 詩  目下 思案中。 2005/3/3(木) 22:30:09
今日は、おひなまつりですね。
お子さんの いらっしゃるおうちでは、さぞ にぎやかだったことでしょう。鞆のおひなまつりを見に行った友達が おひなさまの画像を送ってくれるかな と 密かに期待したんだけれど、ちょっと無理だったみたい。おひなさまの画像を自分でも撮ろうかな と思ったんだけど、目下パソコンに向かっている時間の方が多くて。




昨日のTISATO日記をみて メールをくださった方がいた。
公開日記をすると、こんなことがあるので 嬉しいね。
あきらかに そのひとは わたしを元気づけてくれている。わたしはできたら ひとを元気づけてあげたい と思っているのだけれど ときには自分が 落胆したり 落ち込んだり がっかりすることもあるよね。
えっ この3つって 同じこと?



恋 の詩 もう少し 考えてみよう!
こころを しっとりとさせて。


あしたは あしたの 風 が吹く?

おひままつり⇒おひなまつり に訂正。
お暇まつり じゃないよ。暇じゃ ないもんね。(^^

昨日の日記 書いたあとで きまり悪くて 全部 消そうかと思っていたら、真夜中メールをくれる人がいて。このメールが来なかったら 私は昨日のTISATO日記は きっと全部消していただろう。






恋の材料が 足らない? 2005/3/2(水) 22:30:17
土曜日に 詩脈の会がある。98号に載せる詩を持参しなければならない。詩脈には 一連して 「恋」(のつもり)の詩を載せてきた。(これも つもり)もともと 経験も少なく あくまで 想像の域から詩を起こしてきたのだった。もしも 詩を読んでくださっているかたが それが 少しでも 本当のように思えたとしたら それは 私の中では 詩 として成功している。詩の世界では、読んでいると 結構なまめかしいものが多いのであえて わたしも そのようにしてみたのだった。


こんなところで、こんなことを書いてしまうと、足元をみせるようで 手品師が その種を明かしてしまうのと同じことになるのではないか?

なぜ こんなことを書くのか。わたしは 言わないかもしれない、と言ったけれど これは苦し紛れの吐露かもしれないのだ。
浮かんでこない、恋 の詩が。詩が浮かんでこないのではない。
恋 の詩が目下 浮かんでこないのだった。







大阪の合評会に参加した時、同人の男のかたが、死ぬまで恋をしていたい と言われた。おとしは、80代。勿論奥様もいる。それでも 死ぬまで恋をしていたい と言われた。それはきっと ほのかな恋心を言われた と思うのだが。

冬のソナタの ヨン様に ファンのひとは 自分の人生を いろいろと重ね合わせるらしい。あるひとは 昔の恋のこと、又ある人は 憧れの人とヨン様を。そして、ご夫婦で見られているかたは、男の人は チェジウ をじっと見るらしい。
当初、ヨン様は 最後 亡くなることになっていたのがファンからの強い要望で ああいう終わり方になった と書いてあった。(今日の本屋さんでの立ち読み)目が見えなくなったヨン様のところへ 偶然チェジウが訪れ 数年ぶりに二人は出会う。愛しあうもの同士 残光をバックにしてのキスシーン、ハッピーエンドであった。視聴者たちは ドラマを見ることによりそれぞれにひとりひとりの胸に 自分なりの物語を創りあげている。それは およそ 恋をする心情に近い。いや まさに きっと 恋 である。想像の中の恋、空想上の恋である。



私は今 恋の詩 に困窮している。掲載当初から その路線で、きているので、実は 困っている。あと2日くらいしかないのに、出きるだろうか。この前、「オペラ座の怪人」を見たので、そこから 恋を起こしてみようかな。恋じゃない詩ならできてるんだけど。もしできなかったら路線を変えて 恋じゃないのにする?
でも やっぱり・・・・。なんて目下 深く真剣に思案中であります。




3月 始まりはにぎやかに、そして神秘的に。 2005/3/1(火) 01:08:59
月変わりで、午前0時を過ぎると 灰皿町のどの人の日記も真っ白になる。勿論TISATO日記も。
何もない というのは なんか 寂しいよね。なので、なんとなくの書き込み。もう 3月なんだね。早いね。1月はいぬる。2月は逃げる。3月は去る。なんて言うものね。ちょっと古いか?



トトロっていいよねぇ・・・。
東京に行ったら 三鷹のトトロの美術館に行ってみたいなぁ。
子供用らしいけどね。別におとなが行ってもいいよね。でも、直接行っても入れないって?前もってローソンかなんかで前売り券を手に入れないと。今でもそうなのかなぁ・・。3月には もしかして東京に行くかもしれない。






この画像は 不思議で厳粛な感じがするでしょ?
わたしが 撮りました。
まさか 狐 の集まりじゃぁないよ。正真正銘の巫女さんたち。
場所は福山八幡宮。
寂しい んじゃなくて 神秘的に。


そういえば、3日はおひな祭りだなぁ・・・。









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