2004年02月10日 22時36分 TISATO
ぺコさん、ありがとうございます。また、ひとつ勉強になりました。
私は、この木の表示に、<沙羅双樹の花>と表示してありましたので、なんの疑いもなく、「ヒェ〜ェ、これが、かの有名な、沙羅双樹の花か」なんて、少々感心して思っていました。本当はナツツバキなのですね。日本版沙羅双樹、かもしれませんね。ご紹介くださった所、色々と読んでみました。ぺコさんは、植物学者ですか?
2004年02月10日 22時13分 (^_-)-☆ぺこ
長野の善光寺の灯明祭りの実況を、携帯からのメールがあり掲示板でしています。
TISATOさんの沙羅双樹について、ちょっと煩いことを書いています。エヘ。
2004年02月10日 20時30分 TISATO
富沢さん、たくさんありがとうございます。
じゃあ、ルソーは肉親の愛を知らずに育ったのですね。年上の女性の所へころがりこむのは、きっと母のイメージを求めてのことでしょう。たとえば、運悪く、父母の愛情に恵まれなくても、誰か愛情を注いでくれる人が傍にいて、スキンシップしてくれれば、その子は愛情不足にはならない、といいますが。ルソーには、そんな人がいなかったのでしょうね。ある意味、可愛そう・・・。愛されないで育った子供は、ひとへの愛し方もわからない、というのもきいたことがあります。でも、だからこそ、偉大な哲学が生まれたとも考えられませんか?負の要素をかかえていても、それを負から正に変えられる力を持ち合わせていれば、それは、その人次第とのことも考えられますが、ルソーはそうだったかもしれませんね。愛情不足で育っているのだったら、感情の起伏が激しいのもしかたないことかもしれませんし。それとも、これは、持って生まれた性質かな?
2004年02月10日 13時03分 冨澤守治
TISATOさん> ルソーはジュネーブで時計師の一人息子として生まれ、彼のお産でお母さんは亡くなっています。そのことを父親は何度も子供に話すような人であったし、寄宿舎に入れられたり、厳しい徒弟奉公に出されたりしています。親方の圧制から逃亡、放浪、年上の女性の所に転がり込んだりしています。清水さんが言われてのは、不幸な少年期を過ごしたということです。
哲学にしても独学であったし、当時の学問は、特に哲学教育は18、19世紀、典型的な経緯を辿るのですが、プロイセン流の学科的に官僚化、権威化した学問ではなかったはずです。後年、音楽家としてパリに出てからは、学問・著作に関しても彼が独学な分だけ、当時の文化人と学派的とは言えないようなトラブルを多発させています。イギリスに逃げ出したときは、神経衰弱のようになり、ヒュームともトラブルを起こしました。
カントなどドイツ観念論が完成する以前で、今日言うような体系的に難解というならスピノザやデカルト流の哲学・教会哲学のほうが難解だったでしょう。ルソーやボルテールの哲学は体系的な哲学というより思想的に重要な哲学です。
私の哲学史的知識ではこの程度です。ご意見のある方は書き足してください。また哲学について知りたければ、このように二言、三言で説明できるものではありません。哲学の先生はまず解ろうが解るまいが、兎に角原書を読めと言います。ルソーについては研究しつくされていますし、精密な訳本が文庫で出ています。哲学・思想は自分で勉強するしかないものです。「告白」は解り易い名文ですし、ざっと読まれるとよいと思いますよ。
2004年02月10日 12時57分 河合民子
清水さん、いつもありがとうございます。きょうは久しぶりに晴れて気分いいです。ちょっと、おでかけです。ではでは。
2004年02月10日 10時49分 清水鱗造
倉田さん、河合さん、更新しました。ご確認ください。
ウイキョウ、あのにおいだったかな。
2004年02月10日 00時59分 TISATO
投稿をクリックしたら、富沢さんの発言があぶりだしのように、一緒にでました。富沢さん、すごい!
(−−・・・。ウトウト・・・。またあした?
2004年02月10日 00時55分 TISATO
しみりんさん、かなりきついというのは、人に対して、当たりがきつい ということですね。ふ〜ん、そうなんですねぇ。哲学は難しいですねぇ。人間も難しくなる?
banさん、初めまして。私がここへ書き始めて、初めてのご登場のような気がいたしますが。<寂しさの「さ」やかなしさの「か」などが心の奥底に鮮明なイメージをつくります。>この、表現がいいですねぇ。
失礼ですが、勿論詩を書いていらっしゃいますよねぇ。詩人とのお付き合いは、一般のひとからはとても聞けない、見れない言葉の表現に出会うことに、とても魅力を感じてしまいます。魂を奪われてしまいます。
桐田さん、ふたつ 増やしたリンク見ました。なるほど と思いました。明日は、と言ってももう今日ですが、父のお墓参りをするので、たぶん疲れて夕方頃帰ってきます。尾道まで行きます。今日も、もう午前1時ですね。もう寝ます。(−−・・・。ウトウト・・・。
2004年02月10日 00時36分 冨澤守治
歌詞はいつでも言葉になるshare the voiceのが前提で、詩の文字はいつも音になるとは限らない。だけど例えば「酸い」ものはどの言語でもSとかZで表される。音と意味(意識)の繋がりも想定できる。敢えて言えば五感につながる根源的な意識の領域がある。こういう議論はありますよね。これらを自然界の風の音、川の音、舌や共鳴する鼻、上気道、感受する脳の構造、そのソフトとしての思想の関係で説明に成功すればノーベル賞ものでしょうね。
実は昨日、ルソーの「夢」として理解した旋律のほかに、シューベルトの冬の旅Winterreise、ヴィンター・ライゼを聞いていて、どうしてこう原語なら解り易いのかと思っていました。
Am Brunnen vor dem Tore,Da steht ein Lindenbaum
アム ブルーネン フォル デム トーレ、ダー シュテート アイン リンデンバウム
マチの門(トーレ)の前に(フォル)ある泉(ブルーネン)の、そこに(ダー)一本の菩提樹(アイン リンデンバウム)が立っている(シュテート)。
敢えて直訳。どうです。原語の響き、「感じ」られますか?無理かなー。
清水さん、ありましたね、それ。ルソーは相当スキャンダラスなひとでしたし、当時の文化人の世界は凄い足の引き合いだったみたいです。簡単に判決は下せないです。
2004年02月10日 00時03分 清水鱗造
ルソーはかなりきつい幼年・少年時代を送ったようですね。『告白』によると。
『ルソー、ジャン・ジャックを裁く』なんて珍しい本も持っています。これはぺこさんがいわれたようなことへの、反発(ボルテールなどが激しく批判)への回答(厳密には回答でもないかもしれない)のような本なのかな。
2004年02月09日 22時45分 ban
ぺこさんから送られて来たコルトレーンを鳴らしながら、いつも書いたり飲んだりしているのです。
何曲もあるグリーンスリーブズや私の一番好きな「私の好きなもの」などを聴いていると、寂しさの「さ」やかなしさの「か」などが心の奥底に鮮明なイメージをつくります。
そこにグールドを加えてもいい。「耳」は実に微妙ですね。差別にいきやすい感覚でもあります。「視」も。だからというわけでもないですのが、ぼくは「五月まつ花橘の香をかげば」という嗅覚の感覚が一番好きです。
あなたやぼくの腋臭を含めて。
2004年02月09日 22時32分 桐田真輔
私の受け持っている地区の方の家のトップページの
灰皿ネット関係のリンクを、ふたつふやしておきました。
(アルバムと、うろこ新聞にとべるようにした(^^;)
2004年02月09日 20時30分 TISATO
ルソーについて、もっと知りたい・・・。特に、どんな少年時代をすごしたのか。
2004年02月09日 19時49分 (^_-)-☆ぺこ
ペギー葉山はNHKの専属くらいに思っていたわたし(恥
ルソー好きなんですが、最初は自分の子供を児童施設にいれちゃったヤナやつだと思っていて、評論で眼から鱗だったので読んでいないのも多いです。
「トム・ピリビ」のアニメも一部、覚えています。赤と、青のオウムを肩に乗せた得意げのトン・ビリビ。茶色っぽい服で・・・。
わたしは「うそつき」というただ一つの癖で、みんな消え果る哀切な歌だと思ってしまいました。あんなに強烈なうそつきが登場する歌も、その後に出くわしてはいません。
2004年02月09日 10時40分 清水鱗造
「トム・ピリビ」、歌詞、旋律、覚えています。「みんなのうた」ではいろいろ覚えているのがあるようです。
ルソーにはだいぶハマりました。
2004年02月09日 02時22分 桐田真輔
富澤さん。60年代前半に「みんなのうた」で
放映されたというので、その頃学童期でないと、
聞かなかったかもしれないですね。
2004年02月08日 17時34分 冨澤守治
桐田さんの書いてた「トム・ピリビ」、ご参考までに、旋律を聞いてみたけど、記憶があるようなないような、です。すみません。
同じページでジャン・ジャック・ルソーの「むすんでひらいて」が印象に残りました。高校生のころクラッシックギターの練習曲に入っていて、原題は「夢」、日本語の歌詞に阻まれていたこの曲の美しさを久しぶりに味わいました。丁度そのころ「告白」を読んで、感化を受けたように思います。色んな哲学書・小説は読みましたが、ルソーは偉大なり、です。どんな少年だったんでしようね。
2004年02月08日 14時56分 TISATO
富沢さんが教えてくださった、河合さんの、もうひとつの掲示板見ました。なるほど、すごい!翔眠という人がいっぱい書いていました。かなり知識が高いですね。沖縄について知りたかったら、ここを覗いたらいいですね。翔眠は河合さんなのかな?
富沢さん、投稿、少しずつですが、芽が出ています。私は、月、計5〜6篇づつ、あちらこちらへ投稿しています。詩の本を読んでいて、明け方になることも、しょっちゅうです。こちら、地方でメインの新聞、中国新聞に、今3回載りました。そのうちのひとつが詩壇賞です。これは、北川透さんが選んでくれました。これを含め、昨年は賞を2個もらい、ぽろぽろと研究作品として、時に、詩が載ります。「意志持つ所に 道あり」でしょうか。少しづつでも、前に進めているような気がするので、とても嬉しく思っています。朗読も、震えながらしているのですよ。朗読になれるためには、とにかく場数を踏むことらしいので。同人誌にも、複数入っています。パソコンで、詩集を3冊作りましたが、3冊とも、現代詩手帖には、名前が載っています。ただ、市場にはまったく出回っていません。いつか、原稿依頼がくるような、身分になりたいです。
目下、ひたすら修行中の身でありまする。(^^)
2004年02月07日 22時30分 河合民子
きょうはレキオス暇日でした。冨澤さん、TISATOさん、どうもありがとうございます。嬉しいです。showmynの「香々小(シャンシャングァー)」は今かなりオタク化していて、反省猫している最中です。むつかしいことを考えられない私で「考える前に、書け(叩け!)」をしみじみしていて、ひたすら馬鹿みたいにパソコン叩いています。・・・近いうちジュリたちが競った手料理でも紹介しようかと思っています。辻というshowmynのいる町は那覇のエッセンスのような場所です。首里城の王妃になるか、辻のジュリになるかと選べと言われたら、私はためらわずに傾城を選びます。・・怒られそう!
2004年02月07日 18時31分 冨澤守治
TISATOさんの見ておられる河合さんの居酒屋レキオス掲示板は、私の見ている掲示板とは別のものです。私が紹介するのも変ですが、河合さん、いま忙しいお時間でしょう、あとよろしく。http://6549.teacup.com/showmyn/bbs
投稿、芽が出たみたいですね。手帖以外他誌にも出してますか、頑張ってください。
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