Jul 17, 2007

宗教・神話・詩論

具体性の詩学



 本日は「詩の教室」の集まりにお招きいただきまして、ありがとうございます。このような題で、分かりづらいところもあるかも知れませんし、うまく話せるか心許ないところもありますが、どうぞ最後までお付き合いください。
 まず詩とは何か、言葉とは何かを考えることから始めます。今日はウィトゲンシュタインの言語論=哲学の助けを借りながらやってみたいと思います。まず言葉とは何かを考える上で、像と現実(言い換えると文化と自然)という考え方をお示ししたいと思います。この場合の像とは視覚的なイメージというよりは、その記号によって直接に表されていることがらを指します。「東大寺」とか「美人」でもいいけれど、「ソナタ」や「関数」や「大会」といったことを思い浮かべてみるといいでしょう。「B」「γ」のようなものでもよい(他方、すべての概念内容=ソナタやγのようなものでも、ことごとくこれを視覚的なイメージに置き換え得る、というところに言語の持つ一つの秘密があるようです)。現実とはこういった像の「もと」になるもので、それ自体(「もと」自体が何か)を説明するすべはありません。説明はすべて像によってなされるものであるからです。
   像(文化)の源泉は現実(自然)です。現実からの糧道を断たれると、像は痩せるか、死んでしまいます。死んだ言葉ということがよく言われますね。逆に像がなくても現実自体は痩せも、死にもしません。じつに当たり前のことですが、人間は死ぬけれど、自然はそもそも人間的な生き死にの範疇を超えているという意味で、生死がありません。この絶対的な一方性が、文化と人間存在の基礎・源泉と考えられます。
 極端な話をします。文化は新たな自然を創り得ず、また自然を「変形」させることもできません。例えば、山を崩したり、海を埋め立てたり、化学的な化合物に分子を一つ新しく加えたりすることは、人間による自然の創造や変形ではなく、それ自体文化に属する可能な自然解釈の一形態にすぎないと私は考えます。地形を変えることはできるが、自然を変形させること、いいかえれば摂理を変えることはできないでしょう。月という惑星を消滅させることは可能ですが、そのことによる人間等への影響、つまり摂理から人間は逃れることが絶対にできません。
 簡単に言ってみます。たとえ分子が新たに一つ加えられた高分子化合物でも、その分子はすでに自然の中に有ったものでして、その化合物自体、既往の環境や時空の形式に適合したものであるからこそ、自然の中で「存在」できるのです。分子を一つ加えるという行為のみがせいぜい「文化的な」意味を持つのであって、加えられたのちのその存在の帰属先はやっぱり自然なのです。
 自然の基本要素、アトム、光、時間と言っても同じことですが、自然という「全体」には、人間は手を触れ得ないでしょう。文化は自然に何かを付け加えたり、そこから何かを差し引いたりすることはできないと考えられます。不増不減不生不滅、という仏説が抱懐しているのはこれのことです。このこと(文化的行為)が人間にとって豊かなものであるかどうか。自然と対話せず、そこから材や財を得る分析等のための素材の特定・区別程度のものしか汲み取ることをしない文化的行為は、往々にして(人間自身にさえ牙を剥く)野蛮さを伴うことは、二十世紀が終わったばかりの現在、ますます問題化しているところであることは、みなさんご承知のとおりです。
 詩の大きな役割として、この像と現実、言葉と本来それのもとになったものとの間に血を通わせるということがあるのではないでしょうか。言い得ざるものを言う。言われたものに迫力や現実味、具体感を与える。これはリアリズムとは限りません。「世間」的には滅裂な言説でも、迫力のあるものとそれの感じられないものとがあります。否定的な言葉でもいい気持ちになれるものがあるし、肯定的な言葉の世界に、じつに厭な気持ちになることもあります。例を挙げれば、最近物故された詩人の川崎洋氏による全国の罵詈雑言蒐集というものがあります。私はまだ未見ですが、こういうところに「詩」を見出されていた氏の慧眼を感じます。また、ほとんど罵詈雑言に聞こえる河内弁でおこなわれた淀川筋の河内衆の売り子の売り言葉というのがあるそうです。「餅食らわんか、酒飲みさらせ」という決めゼリフのようです。たしかこれは司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」の一シーンだったのでは、と記憶します。この悪罵的な言説の定型化した言い回しの背後には、むしろ深い規範や道徳の存在を思わせるものがあります。
 このように「現実」という言葉はいつでも必ずしも現実的であるというわけではないようです。言い得ざるものを言う詩の端的・明快な例を引きたいと思います。

「海ではない」   尾内達也

バスを降りても
まだ見えない
地下道をくぐって
いきなり海
海――そう言ってしまうと
もう違ってしまうもの

サザン・ビーチは
烏帽子岩の無言と
ビーチ・パラソルの饒舌
ゴミくずと貝殻が入り混じり
水溜りで死んだ魚が
白い腹を見せている

水平線は泡立ち
ところどころ 水蒸気で霞む海
金髪の少女のグループが
吸殻の後始末をしている

人はなぜ海を前にすると
言葉が少なくなるのだろう?
海――そう言ってしまうと
もう違ってしまうもの

懐かしい昭和の海の家
セーラー服の女の子たちが
素足で
一斉に波打ち際に駆け出す
歓声と波の音

人はなぜ
突然、海を見たくなるのだろう?
海――そう言ってしまうと
もう違ってしまうもの
言葉より先の
名づけられぬ瞬間
――まだ、だれもいない

人はなぜ海を見た瞬間
息を呑むのだろう?
世界の果て
世界の始まり
海に向かって
                         (「COAL SACK」54号より)

 「海――そう言ってしまうと/もう違ってしまうもの」とは、「海」という概念記号の否定の上に、「海」という概念記号の「もとになったもの」(つまりそれが「海」ですが)を呼び出そうとしている、まさに「シニフィアン」そのもの、転轍機のようなはたらきをする二行で、作品全体の鍵となるものです。言い得ざるものは、このようなコトバのはたらきによってわれわれの内部にまざまざと示されているのです。  ここでいわゆる「自己言及」の危険について、ちょっと触れておきたいと思います。
 古典論理学的には、「私は嘘つきだ」の言明が真であるとすれば、私は本当のことを言ったのであり、すなわち今これを言った私は嘘つきではなくなり、この言明は成り立たなくなります。けれど、成立しない言明、いいかえれば偽たる言明をおこなう主体=私は、いわば嘘つきだ、とも言えます。
 「私は嘘つきだ」は単純な一人称ではなく、「彼は嘘つきだ」という三人称のような立場から発言されているのだと仮に考えてみるとちょっと納得がゆきます。また、自分をある意味突き放し「私は詩については嘘つきだ」と言うのなら問題は少なくなるのではないでしょうか。語られるのは自分から分出された自己ともいえるもので、これは自分でありながら自分を対象化しているのです。あるいはこんな例はどうでしょうか。「わたしって寒いのがダメなヒトだから」。「ヒトだから」という客体化のワンクッションをおくことにより、「わたし」は前面に出てはいるが、それを言う主体はその場から一歩(責任回避的に)退いているといえます。
 さっきの「私は嘘つきだ」の堂々巡りは言葉(像)の次元内では解決されないでしょう。言葉はどんな非合理なことでも言明することが可能だからです。ことの真相は次の三点にあると思われます。
 ①言葉(像)、②その言明の裏側に絶対的に隠れている主体、③言明が可能な「場」を与えている、つまり言葉のもとになっている現実。この三つのディメンションが存在するのであって、「嘘をつく私」はその言明を為す主体ではなく、あくまでその言明の内容を成す一構成要素でしかない、ということ。
 落語に「あたま山」という噺があります。頭に桜の木が生えた男が、花見時には大勢客がやってきてどんちゃん騒ぎをするので煩くて堪らないので木を抜いたら、跡に池が出来て、やっぱり魚釣りの子どもなどが騒いで夜まで煩くて堪らず、これではかなわんと世をはかなんでその池に入水して果てた、というのがそれです。
 現実との関わり合いが問われないところでは、つまりは抽象的(無責任的)には何をどう言ったってかまわないのですが、でもある意味内容が具体的に求められる場においての言説としては、そういった発言はしばしば無意味・無価値・無発言のゼロと同様という事態になりがちなのは、最近いたるところでじつによく見られる現象です(→状況に応じて適切に処理する。心の問題)。
 先の落語のナンセンスは話芸としてじゅうぶんに成熟していて有意味的といえますが(理法がちゃんと背後にあるから)、ちかごろの詩の、意味を歪めたり、ずらしたりする(悲しいかな、言葉である以上意味の痕跡をなくすことはできません)傾向は、その作品行為自体の基となる理法、つまり何を・どこに向けて・何のために表現しているのかということの背景が薄弱で、わるいですけれどつまりその、この世に存在する積極的な理由がどうしても感じられません。つまり、意味の変形は何か理由があって行われるはずですが、その意味の変形が自己目的化しているのです。さいしょにお話しした現実との糧道が断たれた状態と言っていいわけで、譬えてみれば食を断たれた蛸がみずからの脚を食べている図に似ています。
 それが何のためでもない「自己表現」なのだと主張するなら、その極北の例、たとえば山本陽子の世界などを考えてみるといいでしょう。ただしその内実を容易に窺い知ることができるとは思えませんし、まして凡百の薄弱な詩人(ポエマー)などが真似するなど絶対に不可能なことであると私は考えています。あれは彼女の中でまだまだ言葉が苦痛なくらい豊富で、そこから逃れ出たくなるほどの重い感触があったからこそなしえた業なのであって、そういった鋭利で強靱な日本刀みたいな「言葉」と彼女は刺し違えたのだと言えます。逃げ出したいほどの言葉(ロゴス)の存在感を官能できる人が今のこの時代、何人いるでしょうか。死を賭して詩に立ち向かうなんて詩人が、存在するんでしょうか。
 これは、詩語において先鋭に現れていますが、われわれにとっての具体性の喪失、ということと関係しています。
 周りにあるのはみな、どこかしらで聞いた言葉であり音楽であり、テレビに映る映像やCMのコピーにも、みな新作であるにもかかわらず、すべてに著しい既視感を覚えます。みな、直でなく、何かコピー的なものを介して見聞きしたものばかりです。迫力というものが過激さや露骨さや残酷さとすりかえられ、真に迫力のあるわずかな例(しばしば控えめな姿をとる)は黙殺の憂き目にあい、怜悧さが傷つきやすさをひめた冷笑と隣り合う、という光景を、職場で、学校で、街角で、モニタ上で、常にわれわれは目撃しています。
 これはいいかえると、じつは陳述の範疇にない現実において本来処理したり判断したり行為するべき実質が、ことごとく「言葉」だけの次元に簒奪されていて、喫緊の現実の問題を、そういった簒奪された陳述によって(言い換えればディメンションの異なるもの同士で)、おざなりに処理しようとするところに、さまざまな非道や撞着が現れてくるのだと思う。
 例を挙げれば、科されるべき罪とは別に、謝罪の言葉を被害者の家族に述べるのを要求されること、おびただしく発表され出版される「手記」の数、遺書を残し実際に死んでしまうのだがどこか作り物めく若者や子どもの自裁等、「陳述」の次元での現象ばかりが溢れているように私には見えます。われわれを取り巻く圧倒的な存在としてのマスコミュニケーション。マニュアルの範囲を超えたことがらに対応できない非熟練従業員。現実をけっして認めたがらないストーカー。これらは本来表層的なことがらであるものが、深層化してしまっているとでもいうべき、非常にゆゆしい事態だと言えます。
 以上のような「どこかで聞いた文句」から脱するためには、より具体的なものをそれこそフィジカルに感触・知覚・判断・思考することが必要なのではないでしょうか。
 「人間の現に有ることはその根拠において《詩人的》である」(ハイデガー「ヘルダーリンの詩の解明」)という言葉があります。これにちょっと触れてみます。
 白水(しろうず)智という少壮の歴史学者の「知られざる日本 山村の語る歴史世界」という本によれば、街にいる老人たちが、昔住んでいた不自由な山村にまた舞い戻って暮らす例がちかごろ増えているといいます。彼らはそこで、煮炊きには薪ストーブやプロパンガスを使い、水は川から引くといった生活をしているそうです。
 ハイデガーの先の著によれば、詩人的であることは同時に「神々のプレゼンス」を感じつつ存在することだそうです。これを説明すれば、「詩人的」である、とは、安らかでいられる場所に暮らし、働き、慶弔や祭礼や宴会、また日本でいえば四季の感受のただなかにいること等だと私は考えます。今もその痕跡の残る二十四節気などを考えてみてもいいでしょう。「神々のプレゼンス」とは、霊気のような何かがそこにいる感じ、と解釈すべきかと思います。
 確かに便利この上ない街の暮らしの中に、「神々」はおらず、現代都市において人は決して詩人的であることはできません。ここ五年十年、ますますその傾向は非道くなっているようです。次の言葉はよくある、自分探しや生きがいを求めて、なんていうことでは決してないでしょう。「息子は危ないから、いくな、という。でも都会の家でじっとしていると、自分がだめになってしまう」と老人の女性の一人は山へ戻るその理由を語っています(白水、前掲書)。具体的なるものを知っている彼らは、彼らが「ふつう」でいられる生活というものが街には存在しないと、酸素や水が急激に引いてゆくような感覚で感じ取っているのではないでしょうか。真に具体的なものは都会にはない、と私は断言できると思います。
 同じハイデガーの言葉に、「詩は勲しではなく賜物である」、また「《詩人的に住む》とは物事の本質の近さによって襲われること」というのがあります。一見性格を異にするようですが、次の2例は批評の散文性の向こうに「賜物」たる詩が透けて見える見本といえます。お手本と言ってもいいです。

「爽春に」   河野俊一

爽やかな春は
誰のためにある

花粉症で
苦しむ人のために
花粉のない杉が開発されたという
爽春
という名の杉は
まるで
花の咲かない薔薇
卵を産めない鶏
精子を忘れた夫

もとより戦後
資源育成というスローガンのもと
猫も杓子もつべこべいわず
右むけ右
と植えられた杉なのに
林野庁なるおかみから
現行品種より爽春へと
またもや

昨日
おかみから開いた花びらを毟られる薔薇
を思い
今日
おかみから産み出すたびにかち割られる卵
の夢を見る
そして
明日は
おかみから頭なでられる伝説
を書き記す俺が
世界からはみ出る
爽やかな春風に
そよがれて
                      (「COAL SACK」53号より)
「調査報告」   渋谷卓男

聞き書きの最後に加えてほしいと
電話のむこう
かすれた声が言う

その人は
標高八〇〇米の傾斜地で
石垣を組み上げ、田を作った
その人は
馬鞍の両脇に繭かごを重ね
ふもとの町まで出荷した
その人は
伐採した杉を木製の車輪に載せ
山から曳き下ろして母屋を建てた
その人は
明治三八年生まれ
一〇〇歳で入院し
一〇一歳になって退院してきたその人が
ひとり電話をかけてくる

戦後C級戦犯に問われ
公職追放になりました
そのことを
書き加えてください
                         (「COAL SACK」55号より)

 両者とも終わりのあたりで「本質の近さによって襲われる」光景が現前し、顕現します。これらは「勲し」を武具みたいに手に携えた批評的作品といえますが、ものごとの本質を暴き立てて世に知らしめる、というよりは、そのえぐり出された光景が静かに心の底に降りてきて、魂に触れてくるといったところにいちじるしい特徴があるようです。いずれも、最後の収束に至って明瞭になってくるのは、批評を透過してあらわれる「賜物」としての詩にほかなりません。批評が単なる告発で終わらず、なお詩(賜物)であり得ているのは、これらの作者の手にしっかりと握られているみずみずしい具体性それゆえです。これがないと空疎なスローガンや空疎な詠嘆、あるいはまったく「当たり」の感覚のないモダニスティックな記述になってしまうのは、詩において往々にして見られるところです。
 具体性については、以下の発言も参考になります。

(前略)社会的に評価して詩はいいことだということじゃなくて、個人にとってもう引返せない、傍の者を泣かせてでも好きな道はやめらんねえや、というそれになるかならないかが大事なファクターだと思うんです。(中略)社会的に詩がどんどん疎んじられて、詩なんてものは何の役にも立たないというふうに、さっさとあきらめられたら初めて本当になる可能性がもっと増えると思う。天下国家を論じる精神でそのまま詩を書いて、同じサイクルで詩を動かそうとするでしょう。僕はやり方がこれでは本当は逆だと思うんです。何か変てこな小さなものに惹きつけられて深入りして、その深入りするうちに自分のヴィジョンも突き入れられ、またそこで次第に世界観も出来上がるという、そういうのが本当だと思うな。
(思潮社現代詩文庫「堀川正美詩集」のうち詩論「CONTRA ET CONTRA」より)

 「社会的に詩がどんどん疎んじられて、詩なんてものは何の役にも立たないというふうに、さっさとあきらめられたら初めて本当になる可能性がもっと増えると思う。」というのは予言的で、巷にこんなに「詩人」が溢れているにもかかわらず、まさにこれは「現在」にあてはまる事態なのではないでしょうか。皮肉を言っているのではありません。あらゆる言葉が、重みや陰影や、それどころかその機能にさえ現実感が失われている現在にこそ、「本当」の詩が試されているのだと思います。
 一方「天下国家を論じる精神でそのまま詩を書いて」もダメだというけれど(これはまったくの正論)、ただ詩のスパンをもっと大きくとれば、例えば中国の古典詩や日本の述志の歌などに、じゅうぶんな深さと重さ、シリアスさを以て「天下国家」の詩が成立している例などを見ることができます。何も詩は、抒情詩ばかりとは限りません。
 詩は「何か変てこなものに惹きつけられ」ることをきっかけに、世界観にまで拡大する可能性のある、最初はひめやかな具体性であるに違いないにしても、純粋にワタクシの弄びもの、個人的な趣味の領域に留まるものではないと思います。現在、モダニズム系の作風はけっこう盛んなようですが、それが個人の嗜好・性癖・恣意の限りで書かれているとしたら、活字にして世に出すのにあんまり意味・意義は認められないのではないかな、というのが正直なところです。
 堀川正美氏はこのインタビューの別のところで、「(前略)物理的に食うことが楽になってきているから、その次に自己表現みたいなことをしたがるわけだ。みんながまあまあ食うことが出来る体制になっているとすれば、むしろそこから孤独になって自分が何をしたいかを発見して、すばやく社会と切れる方法とか、折れ曲がって内面の仕事を見つけるとかすれば正しいんだけど、衣食が足りるとすぐ社会的に自己表現したがる。社会のなかでやはり上へ上へ出ようとするでしょう。」と発言していますが、この言葉の持つ清潔な棘ともいうべきものは、詩を書く者の心得として肝に銘ずべきでしょう。
 話が逸れましたが、もともとモダニズム的なものは、二十世紀初頭にあらわれた当初から個を超えて文明批評的な、すぐれてクリティカルな性格を持つものであったといえます。反・何々、非・何々という形で(個を超えた志向は社会性から却って背を向けるという形をとることもあり得ます)。音楽も絵画も文学も舞踏もみんな、「かつて存在しなかったものを創り出す夢」といいかえてもよいものをめざしたのだと思います。それらは当然趣味や性癖と絡んでいるけれど、行きつくところは全然趣味・性癖とは無関係な広い場所です。
 例えば多分に文芸思潮的なものであった戦前の日本のではなく、アンドレ・ブルトンらによる、ヨーロッパにおけるシュールレアリスムは芸術運動と言うより、後年のカウンターカルチャーに通じる文化運動であったのではないかと私はひそかに考えています。60年代初頭からのヒッピームーブメントや学生叛乱、古い大きい(硬い)体制・常識からの解放運動などにその流れはそそいでいるのではないかと、私は考えています。現在に繋がる、民族・民俗的なものや宗教への関心、非・西欧的なものへの関心、近代への疑問や環境・生態系、農業への問題意識などは、みんなこの時期に胚胎されたといえます。ここでも自然と文化ということが重要なテーマになってきますが、そのことにブルトンがまず気づき、そのバトンが渡された先はどこかと言えば、私はクロード・レヴィ=ストロースあたりではないかと考えているのです。
 現在、いわば「反」や「非」の対象とされていた「何々」の側に、なにか大きな潮目の変化のようなものが出来してきているような気が私にはします。いまそれは、言葉の「もと」となる、それ自体は言説の外にある最も重要な「現実」や「自然」への感性の痩せ、窮乏として現れている感じです。言語(文化)と現実(自然)の間に血を通わせるものとして詩があると言いましたが、その淵源は実は有史以前、国家成立以前からの神話にあるのだと考えるようになりました。詩について深く考えれば考えるほど、このことからあらゆる詩論は逃れられないのではないか、と思うようになったのです。乖離したり、傷ついたり、対立してしまった自然と人間の関係を修復し、恢復させるものとしての役割が神話にはありますが、まさに自然と人間との関係が決定的な「毀れ」の様相を呈してきている今現在というこの時、多く否定的な文脈で語られてきた神話というコトバに、生命を吹き込む必要があるのではないでしょうか。それはおそらく新しい神話を創始することではありません。太古の神話のなかに原石のようにちりばめられている、怖ろしいほど深い智慧の煌めきにもう一度立ち返ってみる、虚心坦懐に正視してみる、ということから始まる何事かです。そういう意味からするとこれから先、ただ今おこなわれているようなモダニズム系の詩に過剰な期待、多くの希望を持てなくなってくるような予感が私にはいたします。
 ここで蛇足のような与太話をします。話を単純にするために俳句を例に取ってみます。


花冷(はなびえ)の庖丁獣脂(じうし)もて曇る    木下夕爾
葉桜の中の無数の空さわぐ   篠原 梵
金亀虫(こがねむし)擲つ闇の深さかな    山口誓子


夕汐や柳がくれに魚わかつ   加舎白雄
我事(わがこと)と鯲(どぢやう)の逃げし根芹哉   内藤丈草
渡り懸(かけ)て藻の花のぞく流(ながれ)哉   野沢凡兆

 1は近代写生句のお手本のような作です。どこにも隙がなく、重厚で、巧緻を極めています。2は江戸期の古俳諧の立句で、朔太郎や四季派や戦前のモダニズム、戦後の列島や荒地を経てきた目には取り立てて言うところもない、それどころか何とも物足らない句でもありましょう。正岡子規あたりなら爪弾きするような旧態依然たる句振りです。しかし最近、年のせいか何のせいだかわからないけれど、前者のたぐいの句が少々煩わしく感じられるようになってきたのです。そして後者のような句に思いがけなくもみずみずしい具体性が感じられてしかたありません。幻のような何かが躰の内側で恢復し、立ち上がってくるようだと言ったらおわかりでしょうか。
 思えば丈草や凡兆の大いなる師であった芭蕉翁は、「言いおおせて何かある」、とか、「造化(自然)にしたがい、造化に帰れ」という言葉を残したのでした。もともと芭蕉は中国の老荘思想に深く親しんでいましたが、老子荘子個々人はもちろん、孔子でさえその流れを汲むと考えられる、巫祝の伝統のなかにそれらの言説はあり(白川静氏による)、またさらにさかのぼったその源流にあるはずの、神話的トポスからやって来るはるかな光線を私は思わずにはいられません。私たちのまだ見ない詩にとっての希望は、案外こんなところに潜んでいるのかも知れないと、個人的な願望も含めて、最近はそんなふうに考えております。ご清聴ありがとうございました。

*ハイデガーの引用は、京都の詩人、高野五韻氏の試論より孫引きしたもの。
*俳句の引用は大岡信氏の「第三 折々のうた」による。
  
(2006年10月22日・山本十四尾「詩の教室」講演=「コールサック」56号所収)
Posted at 12:30 in sugiyama | WriteBacks (0) | Edit
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