Jan 25, 2008

ひとりでいる

いつもより早い時間に帰ったら、猫が玄関で「ニャー」と出迎えてくれた。不思議なことに足音を聞き分けてトコトコやってきて玄関の鍵を開けるまえからニャオニャオいっている。
しかも走り回って喜んでくれるから面白い。(意外な時間に帰宅したときに限られる)
もう仔猫でもなく年寄り猫なのに、これだけ走れるなら大丈夫だ、などと思いながら自分のコーヒーをいれてパンでも食べようとしていると、彼は「絶対にじぶんも食べる」と確信に満ちてわたしのパンとじぶんの餌皿を見比べている。
皿にカリカリを少しいれてやり、一緒に食事をして一緒に寛ぐのかと思ったらそうともかぎらない。そばにいる時もあるが、ふと気がつくといないことも多い。
何気なく自室をのぞくと、押入れの中や隅の座布団でひっそりと丸くなっているときがある。わたしが寛いでいる居間のホットカーペットのほうが居心地がよさそうなものだが、猫には猫のおもうところがあるに違いない。そういうときの彼の顔には「ほっといてくれ」とかいてある。
寒そうな部屋にひとり(一匹)でしんとしているようすは「孤高の猫」スタイルだ。もしかしたら、さっき大げさに喜んでみせて走り回ったのを静かに後悔しているのかもしれない。
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Jan 20, 2008

ミロ

「文藝」の特集が桐野夏生さんなので、買いに行かなくちゃと思いながら本屋に行きそびれていたら娘(長女)が買ってきてくれた。わたしが仕事の日に病院に検診にきて家に寄り、わたしの大好きなフルーツタルトも置いていった。まだひとりで外出するのは怖いようで、ちょうど休みの彼と一緒に。 
わたしは桐野さんの大ファン。何年か前にパソコンを使い始めたときハンドルネームは「ミロ」だった。桐野作品の女探偵、村野ミロ。強くてカッコよく、エネルギッシュに行動するミロにつよく憧れた。そう、自分にはないものへの羨望だと思う。 
「顔に降りかかる雨」を古本屋でたまたま手にした時から、もう何年も桐野作品を読み続けてきた。連載中のものは単行本になるのをひたすら待つ。タイミングよく朝日新聞で「メタボラ」が連載されたときは毎朝読めるのですごく嬉しかったが、週刊誌を買ったりはしない。
「ダーク」で久しぶりにミロに再会した。この文庫はすごい売れ行きだったらしくわたしの周囲にも読んだよ、という声をいくつか聞いた。
「文藝」で、桐野さんは「作者でさえ予測できない展開になっていった」と述べている。そして次回があるかもしれない、それはミロのサバイバルになる可能性があるとのこと。楽しみだ。
桐野さんは村野ミロではないけれど、やはりカッコよく美しい女性。
主婦であり、母親でもある。すごい。
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Jan 19, 2008

少年たち

年末から新年にかけて一番の収穫は川上弘美さんだった。「蛇を踏む」があまりピンとこなかったので、そのあとずっと読まないできた。同じような印象をもっていた友人が「センセイの鞄」で彼女の面白さを発見した、と教えてくれたのにまだ読んでいなかった。 
「光ってみえるもの、あれは」の書評を新聞で読んで興味をもち、文庫化されたので購入。間違いなく、お気に入りの一冊となった。時々、引用される詩や俳句などに作家の瑞々しい感性と知識が伺えるし、文体は驚くほど巧みだった。「沛然と雨が降る」これはある重要なシーンで主人公の心理描写としてつかわれていてた。すごいなーと思った表現のひとつ。
街に出て行く鮭の挿話は、お馴染みのレイモンド・カーヴァー。中也の詩も何気なくでてきて、ふわっと嬉しくなる。

「光ってみえるもの、あれは」は二人の少年の話だ。いま読み始めている村田喜代子さんの短編集の最初も少年たちが主役なので、イメージが混同する。


わたしが少女だった頃、やはり多感な少年たちの仲間に入れてもらっていた。「学生通信」という小冊子に詩を投稿していて知り合った二人の少年とわたしの三人で同人誌をだしたこともあった。
それはまだちゃんと手元にあり『焦土』という。まとめていた彼が印刷し発行してくれた。そこで自分たち3人のグループ名を考えようということになった。
「焦土の会・・・?」「それじゃ、まるで放火集団みたいだ」と言っては笑ったのを楽しく覚えている。
名前はそのまま「焦土文学会」とカッコよく決めたが同人誌はあまり出さずに解散となった。かつての少年少女は遠く離れて暮らしながら今でも近況を報告しあっている。
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Jan 16, 2008

色彩

グレイ(灰褐色)の白鳥は幼鳥だそうだ。何となくそんな気はしたが、確信がもてずにいたので調べてみた。幼鳥といっても大きさはたいして変わらないし、親らしき鳥のそばにくっついているわけでもなかった。 
最近読んだ町田康さんの「猫のあしあと」のなかに真っ黒の小さな仔猫が登場する。瀕死の弱々しい仔猫だ。町田さんのところには他にもたくさんの猫がいる。先住ネコが、その小さな小さな黒猫を見て怖がっていたらしい。
白い仔猫だったら大丈夫だったのだろうか。。。
そういえば「みにくいアヒルの子」には灰褐色のこどもがでてきたっけ。白鳥は美しく変貌するけれど、黒猫はさいしょからまっくろで、真っ黒い顔の真ん中で金色に光る目が魅力的だったりする。 080113_1419~0002
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Jan 15, 2008

白鳥は悲しからずや

「白鳥は悲しからずや 海の青 空のあをにも染まずただよふ」という牧水の歌を教えてくれたのは学生時代の近代文学の先生だった。 
川崎洋さんの「はくちょう」という詩に出会ったのはそのあとだったと思う。

  はくちょう   川崎 洋

はねが ぬれるよ はくちょう
みつめれば
くだかれそうになりながら
かすかに はねのおとが

ゆめにぬれるよ はくちょう
たれのゆめに みられている?


というふうに始まる詩、「すでに かたちがあたえられ それは
はじらいの ために しろい はくちょう
もうすこしで しきさい に なってしまいそうで」


ひらがなのインパクトが効果的な詩。わたしが川崎洋、という詩人を知ったきっかけとなった詩だった。
「どこかへ行こうか」という話になって遠くへは行けないので、近いところへ。茨城の白鳥が飛来する湖を見に行った。白鳥だけではなく、多くの水鳥が湖岸に集まっていて、ばさばさと賑やかに観光客から餌を貰っていた。
その場所だけ餌をあげてよいらしく、集合理由がわかったので、少し岸辺を歩いてみたら離れたところにもぽつぽつと静かにしている白鳥がいた。しかもよく見ると白い白鳥だけではなく、グレイがかった種類もある。やわらかな「しきさい」。でも、あとで自分が撮った携帯写真を見てみると白い白鳥しか写っていない。無意識に純白を選別していたのだろうか??と不思議だ。 080113_1358~0001
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Jan 11, 2008

一歳三ヶ月

せっかくの休みの日に朝から頭痛がする、そういう日が断続的に続くと、だんだんいろいろなことが憂鬱になり、「意欲減退症状」がやってくる。そうやってもう何年も生きてきた。 
もしも元気だとしても、せいぜい自転車で好きな古本屋や喫茶店に行くか、美容室で気分転換するか、必要があれば街に出て用事を済ませるくらい。たいしたことはしない。でももちろん、気分的に違う。
仕事がある日は何がなんでも行くつもりでいるから、薬を飲んで行く事は日常的。つまりいつも少しずつ無理しながら過ごしているので、休みの日くらい晴れやかな気持ちでいたいなーと、思ったりする。
で、今週は休みが多くラッキーな週なのに、ほとんど鎮痛剤を飲んでいた。
せっかくの休みを寝て過ごすのはもったいないし、飲めば起きて動けるから。そして休みの日が嬉しいのは眠いときには眠ればよく、無理しなくてもいい、ということだ。
「暖かいうちに」と思ってさっき自転車で郵便局へ行ってきた。好きな坂道を下って行く、風が気持ちよい。こういうぼんやりした頭の時は冷たい水で顔を洗ったりするのが効果的で、冬の外気はすごく気持ち良かった。よい気分でコンビ二に自転車を止めたら、隣の自転車の前椅子にほわほわの可愛い赤ちゃんが座っていた。思わず「可愛いですね、どれくらいですか?」と声をかける。「一歳三ヶ月です」と若いママはニコニコしながら答えてくれた。するとその赤ちゃんが「うきゃきゃ」と小さな声をだして笑ってくれたのだ。可愛かった。


わたしは若い頃、小さな子や赤ん坊が苦手だった。猫の仔だったら絶対抱いてみたいけれど、人間の赤ちゃんをさわってみたいなんて、どうしても思えなかった。

そのわたしが三人のこどもの母親となり、やがてベビーシッターを仕事にするなんて、自分でもどうなっているのかわからない。 
年長の友達には孫が出現したりしている。わたしは正直なところ、孫を抱いている自分が想像できない。(つまり欲しくない)
でも、客観的に可愛い赤ちゃんはやっぱりカワイイ。赤ちゃんの笑顔はまわりのひとを幸せな気分にしてくれるものだ。そんなことを考えつつ帰ってきた。今朝の頭痛倦怠感から開放されつつあった。
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Jan 10, 2008

片付ける?

ようやく部屋の片隅に手をつけた。
わたしが使っている息子の部屋には半分開かない洋服ダンスがあって、 そこをどうしてもあけたいと、常々母に言われていた。そのためには片隅の物入れを空にして動かさなくてはならない。
彼女のところへと拠点を移してからだいぶ経つ息子は「適当にやっていいよ」とのこと。そこには、彼の古いサッカー用具や、卒業証書や、どこかで誰かに貰った景品らしきものがいろいろと入っていた。
捨てていいような物もあるが、やはり本人に確かめないと不明の物が多い。わたしが迷わずにきちんととっておいたのは息子が頑張って書いたシナリオのファイル。彼の夢のかたちがそこにあった。

ようやく動かして、洋服ダンスが全開した。母は早速やってきて、引き出しから懐かしい着物類をだして眺め、再び閉まった。つまり確認作業だったわけで、その処分はこれから検討されるのだろう。それにしても、ずいぶんいろいろなものが詰まっている小さな部屋で、わたしと猫は毎日寝たり起きたりしてるんだな~、と顔を見合わせた。 080110_1403~0002
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Jan 07, 2008

チェリスト

いつまでもいつまでも見飽きない好きな絵。
彼女の作品は絵画も物語も、絵本もエッセイもみんな好き。
原画展を見に行くと立ち去れなくてなかなか帰れない。
足が動かなくなってしまう。あの深いあおいろの前で。
宮沢賢治、ゴッホ、向日葵、というキィ・ワードの向こうに、 チェリストという顔が見える。
「セロ弾きのゴーシュ」の近くへそっと歩み寄る。
伊勢英子さんのお話が、今月、都内であると知って喜び、その日が仕事の土曜日だとわかってガッカリしている。しかたがない。もう一度、絵本のページを開いてみよう。
写真は「旅する絵描き」から。昨年、話題になった絵本「ルリユールおじさん」の挿絵。 080107_2326~0001
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Jan 04, 2008

すみれのケーキ

都バスの旅をして雑司が谷の鬼子母神へ行った。 
「きしぼじん」だと思っていたが「きしもじん」と読むのだそうだ。
そしてこの「鬼」にはツノがない、ということも知った。
すすきみみずく(ススキで作ったミミズク)が見たかったのにお土産屋さんは閉まっていて残念。
荒川線という路面電車が走るのを眺めて、目白の駅までどうにか歩く。
疲れて入った喫茶店のガラスケースにすみれのケーキを発見した。
シフォンケーキの上に可愛い紫のスミレ。ケーキの中にもスミレらしき花びらや葉や茎があった。
絵國香織さんの『すみれの花の砂糖づけ』という詩集を思い出して、 もう一度読みたいなと思いながら
食べつつ、そうだ、あの文庫は娘から 借りたんだったと思い出す。
あの文庫はまだあるのだろうか、、、。あの夏、失くしたもののあれやこれやを、ふとこうして思い出す。

ショートケーキのイチゴをとっておくみたいに、最後まで残しておいた小さなスミレの花をそっと口にいれたけど、ほとんど味はしなかった。
飾りとしての役目をきっちり果たしていた濃い紫色の可憐な菫だった。 080104_1154~0001
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Jan 02, 2008

新年

元旦の夕方、多摩川の夕焼けを眺めた。 
美しくさびしい空だった。
日付けが変わっただけなのに、新しい年。
まだ生きなくちゃならないのか、と思いながら
みんなは何が楽しくて生きてるんだろう、とつまらないことを考えている。
でも、お気に入りのふわふわのスカートをはいて、
白くつめたいブラースに袖を通せば、もうすっかりわたしだ。
紫色のマフラーに少し顔をうずめて、こうして川を眺めたり、ぼんやり空を見上げたりしながら、
今年もうかうかと過ぎていくにちがいない。 080101_1647~0002
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