Nov 05, 2008

受け継がれるもの

どこかひとつにすればいいのに、三ヶ所にブログを書いているので、必ずどこかが留守になる。 
誰かひとりにすればいいのに、あちこちに好きなひとがいて、 「あれ、困ったな」と思っている昨夜の夢の中みたいだ。
夢の中で浮気なわたしは、気弱なおとこのひとのそばに寄り添っていた。「だいじょうぶ、あたしがいるわ」と言っていた。。。
そうか、寝る前に読んだ小説の影響かもしれない。

長女の結婚が決まり、彼女の「発表許可」を待って、まずミクシィで報告。心配してくださったみなさまにご挨拶、という意味で灰皿町日記の更新をようやく・・・・。事故のときは、この場があって、書くことによって、気持ちの整理をしていたと思う。
ご心配いただき、、、、ありがとうございました。


母親や祖母、叔母などから何かを受け継ぎ、身につけて挙式をすると 幸せになれるという。
バタバタと古い引き出しをひっくり返していたら、
わたしの母が「これでよければ・・・」と真珠の首飾りをサッとだしてくれた、、手品みたいに。。。。
病弱な孫娘をいつも心配してくれた母。

来年の一月には、 花嫁姿を見せることができる。 081105_1011~0001
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Sep 22, 2008

悲しい思い出

彼岸花の花言葉は「悲しい思い出」というらしい。 
不吉な花のようなイメージもあるけれど、わたしはこの 野性的な趣きがけっこう好きだ。
川崎のほうにある浄慶寺、羅漢さんと彼岸花のツーショット。 080921_1421~0001 080921_1437~0001
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Sep 09, 2008

金時人参のスープ

にんじんもカボチャも濃い野菜はじぶんの味方だという情報がいつの間にかインプットされたのか、、好きな食材のひとつ。
生協で買った「金時人参のスープ」は一人分のレトルトになっている。 四国からやってきた産直らしく美味しそうなパッケージ。夏バテに効きますよというカオをしていたので冷蔵庫に入れておいた。

昨日は仕事が慌しくて、お昼にお弁当を買いに行ったけれど、 タイミングを逃してしまったら食欲も逃してしまって「困ったな」と思うくらい食べられなかった。食べられるときに食べておきたいのに、半分以上も残してしまった。
主婦としては、食べられるものを捨てなくてはならないのは辛い。

今日は休みで、冷たい人参のスープはとても美味しかった。久しぶりに詩のノートも見直している。明日は南瓜のサラダでも作ろうか。
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Aug 30, 2008

八月も終わり

連日の雨に気をとられているうちに、八月も終わろうとしている。
娘の再入院も無事に終わった。中庭には猫もいた。わたしは殆ど何もせず、娘と娘の彼にすっかり任せていた。
手術の説明を聞くために、仕事を終えて病院へ行こうとした日、あっという間に空が真っ暗になってきて激しい雷と雨!わたしは日傘を握り締めビックリしてガラス窓を見つめていた。
素足にサンダル(あの日、とにかく昼間はまだ暑かった)だったけど、どうにかバスには乗れたし、そのバスは雷雨の中をわたし一人乗客を乗せて病院まで運んでくれた。

あの日から、雨や雷の日がすごく多い。
こうして今年の夏も過ぎていく。
過ぎ去ってみると「早かったな」と思う。この先はまだ見えないのに。見えない日々さえ加速して流れていくのだろうか。
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Jul 31, 2008

七月の終わり

灰皿町に引っ越してきたのが去年の七月だったので、一年経過。  
去年の七月は暑いけれどもそれなりに平和な夏だったのだろうか。 間近に迫る事故の悲劇も知らず(予知能力はないので)、新しい職場で夏休みがとれないことを単純に嘆いていた。 

また夏がきたのか・・・・。わたしは娘が入院するたびに病院へ通い、前あきの服を買うために歩き(彼女は小柄なのでなかなかない)、休まずに仕事に行って家事だけは手抜きしていたのだと思う。娘は病院で着ていた服は捨てたくなるらしいので、まあ、その気持ちもわかるけど、彼女が入院するたびに母の役目は復活する。
個性的な娘はパジャマなんか着ない。ちょっとした部屋着っぽいものやゆるやかなワンピース。
すこし元気になってそれで廊下を歩いていると「そのまま脱走しそうだね」とよく看護士さんに笑われていた。たしかに外出許可が出ればいつでも外へ出たがる娘だった。


突然の事故や入院というあの緊張感を、何故か今日の午後ふと思い出していた。いろんな場面に身をおいてきたな~と思った。これから、なるべく穏やかに過ごしていけるといい。
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Jul 24, 2008

連鎖

仕事先で悪戯書きが発見された。それも、馬鹿々々しいようなコドモじみた内容の類ではなく、なんというかひとつのセンテンスになっている。 考えようによっては詩的でさえある。でも、死を暗示させる意味であり、簡単には落とせなくてもちろん悪質だ。 
忙しかった仕事を終えた帰り道、わたしは夕暮れの道を歩きながら前日に受けたクレームの電話を思い出していた。あの電話と落書きが無関係だとは誰もいえない。 

でもたぶんカンケイないだろう。電話の声の主とあの字体とが結びつかない。個人を攻撃するとも思えない。
それでも、疲れた足取りの帰り道は重かった。その日も頭痛薬にたすけられた一日だった。 


そして昨日、テレビのニュースに衝撃を受ける。再びおきた無差別殺人事件。犠牲となった被害者は娘と同じ大学、同じ学部の女の子だった。

知り合いの訃報を聞いたり(連続で)、最近はかなり暗い。。。。
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Jul 10, 2008

ごめんね、ポテト。

昨夜のおかずの残りを今朝は冷蔵庫に入れ忘れて、帰宅してフライパンをあけたら険悪な雰囲気。。。
とりあえずお皿にあけてみたけれど、やっぱりダメかも、、と思っていたら 夕べは家で食べなかった娘が帰宅して発見。
「あ、これ美味しそう、食べていい?」ともう口に入れる寸前・・・!
「待って、冷蔵庫に入れ忘れたからダメっぽい」と止めるのに「だいじょうぶだよ~、食べていいでしょ?」とあくまでもマイペース。

ようやく諦めさせて今夜のご飯を食べていると家人が帰宅。台所に置きっぱなしの皿(捨て忘れた)を見て次女と同じ反応の後匂いをかいで、「そうだね、もったいなかったなー」とゴミ箱に入れてくれた。
じぶんでは隠し味のつもりで入れた醤油がちょっと辛くて失敗作に近いと思っていたジャーマンポテト。家族にとっては「ママ作」というだけでOKだったようだ。それなのに捨てられる羽目になって、、、ジャガイモにも わるいことをした。
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Jul 07, 2008

それらの重み

その時わたしは「何も持っていなかった自分」についてふと考えた。
結婚をして、育児と家事が生活のすべてだった頃。わたしは読書する余裕もなく(読むのは育児雑誌と絵本だった)、何かを書くためのノートも買わず(メモ帳と家計簿があった)、自分の手帳も持っていなかった。「読むこと、書くこと」から遠ざかっていたあの頃。すべてを失くす必要はなかったのに、手帳は結婚する前日で途切れているし、本は棚に並べられ、ノートはほとんど箱に入れてしまった。。
ふと何かを書きたくなって、残っていたノートに言葉を並べてみたことはあると思う。それも数えるほどしかない。

いま、傍らにないと落ち着かない、手帳も携帯も、文庫本さえ持っていなかったあの頃。それらの重みと「じぶんの時間」について、仕事帰りのなかなか来ないバスを待ちながら考えていた。
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Jul 02, 2008

裏庭

長女の退院後の再手術が終わった。 
彼女は一見とても元気になっていて、「去年は大変だったね」で済んでしまいそうだが、もちろん通院は続いていて再手術の話も出ていた。
それは、悪化や進行を防ぐためではなく(最終的にはそうもいえるけれど)復元するための話で、今回も一泊しただけで退院できた。

次の手術もあると思う。「非常事態」として病院へ行くのは嬉しくないが、今後のためにぜひとも必要な入院なら受け入れよう。

外科病棟は新しいからピカピカだけれど、やはり遠い。歩きながらいろいろ考えてしまう。去年、娘の病室から見えていた工事はすっかり終わり緑とベンチのある裏庭が出現していた。
あのとき工事のおじさんたちにご飯のおすそ分けを貰っていた野良猫たちはどこへ行ったのだろう。
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Jun 30, 2008

再会

6月12日
小石を投げてはいけないのは「平穏なあなたの家庭」ではなく
じぶんのこころのなかだと気がつく
あのとき何気ないふりをして
カップについた口紅をぬぐっていたけれど
ほんとうはじぶんのせいではなくて じぶんのためだ

6月14日
それでもわたしたちは「悲しいくらいにオトナ」になったので
わたしは何度でもあなたに手紙を書ける
あなたが待っていてくれる

6月8日
30年もの遥かな歳月が過ぎて
無邪気に過ごしたあの日々を懐かしく思い出しながら
わたしたちは互いの名を呼び合い再び出会った

6月15日
出会ったその日が遠い昔のキャンパスなのか
つい一週間前だったのか
とつぜんにわからなくなる
幻をみたような曖昧さがふたりの距離を確定するかのようだ

 (子守唄みたいにセピア色の尾瀬
  早足のあなたにおいていかれて
  やっと追いついたのにけっきょくはひとりとひとりになって
   それぞれの心の中を見つめていたあのとき)

6月22日
小石はとっくに投げられていたのだと気がつく
まなざしが交わされた瞬間の微かな震えは漣
眠れない夜の海に浮かべた揺れる小舟は
あなたのところへ行きたがっているからひき止める
「すべては間に合わない」という意味のない自問が
臆病な半月のように
黒い雲に隠れたりまた顔をだしたりしている
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Jun 25, 2008

突然の電話

駅長さんから仕事場に電話があった。 
ざわついた雰囲気が伝わってきてただならない気配に緊張する。
最初にかけてきたのは次女で、彼女が「お母さん、あのね」と言ったあとですぐに駅員を名乗る男性に電話が渡されたようだった。

次女が電車内で昏倒し、たくさんの乗客に助けられて駅事務室に運ばれたらしい。あっという間に誰かが救急車を呼んだらしく「また連絡します」といったん電話は切られた。

わたしは早退の支度をしながら次の連絡を待った。駅長さんから数分後に電話があり病院の名を教えてくれて「意識は戻っていたし大丈夫だと思います。ええ、イノチに別状はありません」と大きな声で付け足してくれた。「命に別状はありません」・・・・またこの台詞!

タクシーで病院に向かう途中、次女本人から電話があった。「お母さん、ごめん、あたし、だいじょうぶだから」と言う。もう診察が終わったらしい、、、良かった。
病院につくと教科書を詰め込んだカバンを持って次女が半泣きで待っていた。ご飯もシッカリと食べ、不摂生な生活をしている訳でもないのに、何故貧血を起こしたのかはわからない。いずれきちんと検査したほうがいいのかもしれない。

娘の友人が車で来てくれたので、駅に行きお礼を言って帰ってきた。「たくさんのひとたちが親切にしてくれた、お母さんの会社の人たちに迷惑をかけた」と娘はしょんぼりしている。無事だったから良かったよ、ほんとに・・。それにしても、突然の電話!という事態に「今度は何が・・・!?」という思いがチラリとかすめていったのはいうまでもない。
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Jun 20, 2008

今日のネコ

「ほっといてくれ」と前足でしっかり顔を隠して眠るネコ。  
「ねえ、ねえ、駿ちゃん」と声をかけて無理やり起こしたくなる。

夜中におなかがすくとぜったいにわたしを起こす猫。あまりに鳴き声がうるさくて、それがまたあまりにも近いので目をあけると枕の上にいて(つまりわたしの顔の横にすわって)見下ろしているネコの顔がある。
昼間はこうして、そ知らぬふりでおばあちゃんの近くでまるくなっている。 080620_1405~0001
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Jun 18, 2008

神さま

長女の部屋。それは、彼女の「聖域」というか、誰も入れない場所だった。大きな手術を終えて自宅療養になったとき、亡くなったばかりの祖父の書斎を大急ぎで片付けて娘の個室にした。(それまでは次女と一緒の部屋だった) 
そこは娘が「じぶんを取り戻す場所」だったのだと思う。
ものすごく多くのものが、形容しがたい状態で置かれたり積まれたり貼られたりしていた。
彼女が恋人と暮らすことを決めて部屋の整理を始めた夏からもうすぐ一年が経つ。ものすごく多くのものが捨てられたり、運ばれていったりして、部屋は開放されわたしに委託された。

わたしは猫と一緒に部屋に入り、残されたものを少しずつ片付けている。
あんなに運んだのに何故まだこんなに本の山があるのだろう。キラキラひらひらを詰め込んだ洋服の袋、シンデレラのようなハイヒール、、。ヘルメットはいったいいくつあったのだろう。捨てても運んでもまだまだある雑多なものたち。かつて娘が必要として、もう不要となったもの。
廊下の窓を開けるとさっそく猫が飛び乗った。

ふと、部屋の片隅を見ると、祖父、つまりわたしの父の所有物だった本が数冊、そのまま本棚に置かれている。「交読 詩編」という薄い一冊を手にしてみると聖書だった。そこにはキリスト関連の本がまとまって きちんと並べられていた。
父はクリスチャンだったが、わたしはキリストを知らない。もちろん娘にも無縁だった。
「かえってきた」・・・、何となくそう思った。父の思い出がよみがえり、懐かしくて切なかった。娘が大切にしておいてくれた場所。それは神さまがいるところだった。 080617_1556~0001
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Jun 17, 2008

アザミ嬢のララバイ

山荘は見事なまでに野草が茂っていた。 
好きなアザミを見つけたので、写真を撮ろうとしたが、あまりに草が多くスカートに素足のわたしは無防備で近づけない。

野アザミ、すっくと背を伸ばして風に吹かれていた。 080615_1207~0001
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Jun 12, 2008

みゆきさん

昨日アップした日記、写真をふたつ載せるつもりはなかったんだけど、いつの間にかこうなってた。訂正の仕方は以前、教えていただいたのに忘れるのは得意なので、このままで・・・・。 


桜桃忌が近づき、最近の新聞には太宰治関連の記事が目に付く。
今日はみゆきさんだった。古本カフェ・フォスフォレッセンス、店主。 近くを通っているのになかなか行けない。でもあの店があそこにあることは、わたしにはうれしい。


みゆきさんと言えば中島みゆきさんの「夜会」。チケット予約の案内を見たけど約二万円!それでも手に入るかどうかだってわからないし、、と思いつつ、昔の「夜会」のビデオ(オークションで買った)を今日は見ていた。
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Jun 11, 2008

今日の雪だるま

今日は古本屋の日。ジーンズに運動靴をはいて自転車で緑の息吹きの中を走って行く。
紐で束ねられた古書の検品。ひどい汚れやシミがないか、傷みがないか、線引きや書き込みはないか、、、。
レシートや、ハガキや、古い写真があらわれることもある。
持ち主の手を離れ、再び誰かの指で開かれることを待っていたかのような黄ばんだ書物たち。

これは「指導の手引き」みたいな古い本にあった折込ページ。天気しらべの図表見本だと思う。素朴な雪だるまがあちこちにいる。雨も多く、どこか地方の冬の情景が目に浮かぶ。

もう一度、誰かのところへ、旅立てるといいね。
古い本にかくれている小さな雪だるまたち。


何年か経ち、また何年か過ぎて、人とひとがまた出会うように・・・・。別れてもまたいつか、逢えるように。 080606_1729~0001 080606_1729~0001
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Jun 10, 2008

今日の水溜り

この小さな公園を通り抜けて、バス停へと向かう。仕事先や、娘が入院していた病院へ行くときにはこの細道を通り、うまくすればネコにあって、大きなバス通りに出る。 
ふだん駅に行くときとはまた別の、もうひとつの日常の風景。


ブランコの下の水溜りって、どうして懐かしいんだろう。
子どもたちに蹴られた地面がたっぷりと雨水を貰って、次の日晴れてもキラキラ光って誰も寄せ付けない。

でも、いまふと思い出したけど、うちの長女は病気がわかるまでは活発でこういうブランコにも立ち乗りして、ぐんぐんこいでたっけ。見ているのがこわいくらいに。
六歳下の妹が「乗せてー」と言うと、足の間に座らせて、わたしをハラハラさせた。水溜りにつかないように小さな足を揃えて延ばして、次女はすごく嬉しそうだったな。

ブランコの下の水溜り。。。毎日、少しずつ小さくなっていく。 080610_0917~0002
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May 20, 2008

地下鉄を出て

どうしてみんなはそんなに急いでいるのだろう。 
あ、そうか、いまはそういう時間なのね。
プリントアウトした地図を片手にのろのろ歩くにはふさわしくない場所と時間。
遠くに東京タワーが光っているのを見つけて「あっ」なんて言ってる場合じゃないみたいだ。

ぶつかるようにして追い越して行く人を避けるために、わたしと娘は道の端に退いた。
娘の左側をガードしなくてはいけない。
小柄な長女がいっそうちいさく見えた夜だった。
それはそう「大都会」の片隅で。地下鉄を出てから、ふたりで。。。
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Apr 29, 2008

引越し

長男は結局、会社の先輩を頼って引越しをした。
  手伝うことはひとつもなく、ただ見物するために同乗した車から、 緑の若葉が輝いて見えた。

帰宅してから地図を眺めたら彼がずいぶんと遠くへ行ってしまったような気がしてふとさびしくなった。

わたしはひたすらじぶんの時間がほしい母親だったから、子どもたちが巣立って行くのは大歓迎だと思っていたのに、やっぱり心のどこかに寂しさはある。。。というか、それは当たり前のことで、「清々した」なんてことはないはずだろう。
母から見たら、賢くて優しいカワイイ子どもたちなのだから。


そして、「一人暮らし」!・・・・本当はわたしも目指している。
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Apr 10, 2008

青い夜道

友人の展覧会に行った。 
全国各地からの会員の方々の作品で、すごい熱気だった。
区切られた部屋を歩いていく。ある場所でパッと目に飛び込んできた一枚があった。「これだ」と思ったらやはりそこに彼女の名前があった。
全体にブルーの抽象画。何号というのかわからないが大作。華奢で可愛らしい彼女、主婦で、二人の子供の母親であり、十代からのともだちの彼女がこういう作品に取り組み仕上げて出品している、ということにまず感動した。
「すごいなー」と、しばらくそこに立ち続けた。


その友人から「調べてほしい事があるの」と相談を受けた。
彼女の知り合いで病床にある方が以前「静物」という詩に触発されて絵を描いた事があるがその詩の作者と全容が思い出せない、という事だった。田中冬二か村野四郎かもしれない、という言葉を受けて早速、手持ちの詩集を繰ってみた、、、が、ない。。
ネットで検索してみると吉岡実の作品が出てきたので印刷してFAXしてみたが、違っていた。。
困って、図書館で仕事をしている知人に助けを求めた。朔太郎に「静物」という詩がある、と調べてくれたのですぐに自分の詩集を探すと確かにある。「これかも?」とまたFAXする、が、ハズレ。。

最終的には田中冬二の初期詩集「青い夜道」に入っている「さびしき静物」である、ということにたどり着いた。。


        「青い夜道」
           いっぱいの星だ
           くらい夜みちは
         星雲の中へでもはひりさうだ
           とほい村は
           青いあられ酒を あびてゐる

            ぼむ ぼうむ ぼむ・・・・・・

と始まるこの詩はよく知られている。でも、「夜あそびからかへるわたしを いつも ひややかにまつ 」と始まるこの「さびしき静物」という詩にははじめて出会った。そもそも田中冬二の詩集をこんなに読んだことがなかった。ともだちのおかげで勉強することができた。
「青い夜道」か、、、と思いながらわたしはふと、彼女の描いた青い大きな絵を思い出している。偶然とは言い切れない何か、。抽象画に重ねられた青とそこから派生する色彩にやさしい白が微妙に混じっていた。 微量の白が紫のようなピンクのような温もりを連れてきているのが印象的だった。
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Mar 27, 2008

つづき

その恐竜だけど、よくある何とかキャッチャーで吊り上げられたわけではない。遊園地にあるコーナーで、息子が「あれが欲しいから」と挑んだゲームで得点をとって係りのお兄さんから笑顔で受け取ったものだ。
つまり何と言うか人の手から手へと渡ってやってきた、そういう経緯があるカオをしてる、とわたしは思う。

動物が好きな息子だけど、ぬいぐるみの類は妹たちに先手を打たれていた。だから、この「ぬいぐるみの恐竜」は自分のものとして手に入れたかったのだろう。

ちなみに彼がずっと公然と大切にしていたぬいぐるみがひとつだけある。それは、恥ずかしいけどわたしの手作りクマさんだ。初めての赤ちゃんを待ちながらタオルで作ったあおいクマさん。
それは赤ちゃんだった息子をベッドで見守り、やがて「クマクマ」という愛称で呼ばれるようになったが、、。いつか「クマクマ」と誰かが書いた字が「ヘマヘマ」と見えてそれに変わってしまった。
実際、不器用なわたしが製作者だし、くてくてふにゃふにゃしていた(ま、赤ちゃんがギュッとできるようになってるんだけど)からその名前もそれなりに似合っていたと思う。
そのクマの行方はわからない、、。息子が高校生の頃までは見かけたのだけれど・・・。
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Mar 26, 2008

思い出

長男が転職と転居に悩んでいる。 
わたしは新聞の求人欄を二人分眺めている。
10年近く前、彼は例えばわたしの「携帯電話の先生」だった。
息子が買い換えるから、と譲り受けた携帯でわたしはメールも覚えた。

自立するために出て行ったこの家に、もう一度帰ってくるかもしれない。「俺の場所はある?」とメールで聞いてきた。あなたの部屋はわたしが使っているけれど、もちろん帰ってくるならその方向で対策を考えるわよ、と会ってから話した。

この恐竜は、彼がコドモだったとき、遊園地のゲームコーナーでゲットしたものだ。そのときの誇らしげな顔をわたしはよく覚えている。意気揚々と恐竜を抱えた息子を二人の妹が羨望の眼差しで見つめていた。
恐竜の上に乗っている無邪気な子犬がどこから来たのか、これは思い出せない。家族の誰かが連れてきたことは間違いない。
ゲームでやってきたぬいぐるみは、一時、とんでもなく家中に溢れかえっていた。だいぶ処分された。かわいい顔をしているから処分するときは辛かったけど、、。もちろん、この恐竜は生き残った。そしてきっとジャマにならないサイズのこの犬も残っていたのだろう。 080325_1434~0001
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Mar 24, 2008

再会

春の人事異動で、会社のひとが挨拶に回っている。 
上司と再会した。 
若いひとが席をはずした隙に「どうして連絡くれないの?」などと言っている。
どうしてわたしが連絡しなくてはいけないんだか、わけわからない。
でも冷静に賢く、対応できないわたしはマジメに美味しいお茶をいれようとしている。
べつにキライなわけじゃない。もちろん好きでもない。どうでもいいひと。ほんと、どうでもいいのだ。
たぶんわたしは「どうでもいい」と顔にも態度にもでているのだろう。
キッパリしていないから妙なことを囁かれるのだ。

だけど、「どうでもいいこと」を「どうにかしなくちゃ」と考えるのはやっぱり面倒だと思う。
こうしてぼやぼやしているからいけないんだな。
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Mar 17, 2008

決心がつかない

マイミクさんに教えてもらったサイトで調べて、転職へと踏み出しかけた。でもやっぱり後退した。履歴書を書く、面接に行く、結果を待つ、このプロセスにはそれなりのエネルギーがいる。 
今の仕事を続けながらそこへと一歩を踏み出す元気が出なかった。

とにかくここで仕事をしていればハードでもないのに給料が貰える。 資格もない、「中高年」の部類に入る女性の職場としては待遇はいいと思うからここを出て行く決心がつかないでいる。
辞めるなら支障が出ないように一ヶ月前には申告しなくてはいけない。
「辞める、転職する」と言って去って行く女性はみんな人間関係に疲れた、と言っていた。同じように「辞めたい、でも、もう少しがんばろうか」と言葉を交わす知り合いもいた。いつも会えるわけではないが、先日ふと彼女の姿を見かけたら以前よりずっと落ち着いて見えた。

仕事には慣れるものだ。あとは気持ちしだい、。環境はきっと変わらないのだから。
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Mar 06, 2008

太宰治

「太宰治サロン」というのが出来た。太宰がよく来ていた市内の酒屋は、そのままのいい雰囲気だったと思うのに結局、閉店となりやがてマンションが建った。その一階に市がオープンさせた。 
どんな感じかな~と思って行ってみたが、ずいぶんこじんまりとした印象だった。でも、わたしのバイト先の古本屋にも「太宰のお墓はどこですか?」と聞きにくる若いひともいるのだから、縁のある場所はわかりやすくしておくのはいいと思う。

すごくすごく昔、わたしはたまに「ひとりで考え事をしたい」と思ったとき、太宰さんのお墓まで歩いていってそこでぼんやりしていた。 鴎外の墓もあって太宰はここを望んだという。墓石を見ながら少しの時間を過ごしていた。

うまく生きられなくて何度も自死を企て、そうしてようやく心中を遂げたひとに、若いこころが寄り添うのは今も昔も変わらない。
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Mar 04, 2008

ルリユールおじさん

以前にもここに書いた絵本画家の伊勢英子さんの個展を観に丸善へ行って来た。「ルリユール」という言葉はわたしは伊勢さんの絵本ではじめて知った。 
壊れかけた書物に再び命を吹き込んで蘇らせる職人「ルリユールおじさん」。パリで出会ったその職人技に目もこころも奪われたという、伊勢さんのお話を聴くことができてよかった。 
パリ展も盛況だったようだ。
もちろん、丸善にやってきたファンの数もかなりだった。
大切な植物図鑑を抱えている絵本の中の女の子にそっとじぶんを投影させてみる。本を愛する、ということを原画展を見ながらまた考えた。

せっかくだから、とサイン会に並んだら暑くて(店内の暖房と熱気?)疲れて、諦めようかと思うくらいだった。ここでも体力のなさを思い知った。。。
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Feb 23, 2008

本を読むうさぎ

「野うさぎのように髪の色まで変わり、、、みんなあんたのせいだからね」♪という中島みゆきさんの歌をすごく気に入っていた時期があった。
  実際にわたしは髪の色を茶色く変えた。誰かのせいか?それほどのことはなかった(と思う)けれど、多少、自棄的気分にも支配されていた。
わたしは漆黒のきれいな髪がすきだったしムカシ美容師におだてられてから「この黒髪は色白のじぶんに似合うはず」と思い込んでいた。

だから、鏡の中の茶髪のじぶんには思いがけない印象があった。
「似合う、似合わない」というより「これもありだな」という感じだった。

野うさぎに親しみを覚えるようになったのはそのころからだと思う。
ウサギはやはり野を駆けているのがいい。臆病だけど(だから)逃げ足は早いのだ。自由奔放であるならもっといい。

このウサギはキノコの下で気ままに読書タイム。
小さなプラスチックの箱に入っている。友人から貰っていま一番のお気に入り。 080221_1709~0001
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Feb 18, 2008

読書率

母と一緒に病院へ。ふんわり白髪の母が杖をもってバスに乗車しても、席を譲る者は誰もいない。多少、心配しながらそばに立つ。明るい日差しがバスのなかには満ちていてわたしは年老いた親のからだを、とても小さく感じる。

バスが病院に着いて、わたしは母に手をかしながら下車した。数人の乗客は降りるや否や小走りに信号を渡っていく。一刻を争うみたいに・・・。 わたしたちはそういう一見「元気な」ひとたちのじゃまにならないようにゆっくりと端に寄った。

待合室は、座る椅子を探すくらいに込んでいた。そしてみんなぐったりと押し黙っている。わたしが通う都心の病院では、読書している人が必ず何人かはいるのに、見渡したところ誰も彼もが呆然と座っている(ようにみえる)。
わたしは母親の話し相手をするべきなのか・・・?とわずかに考えている隙に、母は文庫本をバッグから取り出した。よかった。安心して二人で本を読みながら待ち時間を過ごした。

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Feb 13, 2008

手袋&手紙

せかいのすべてが凍り付いてしまいそうな今日、わたしの誕生日。 
次女からとってもかわいい手袋をもらった。大好きな紫色。 何でもすぐ紛失するわたしに一言、「お母さん、失くさないでね」。。。。
(彼女が中学生だったとき学校に提出する大切な書類をなくしてから、わたしは信用されていない。しっかり者の次女は重要書類は自己管理するという貴重な習慣を身に着けた。)

マイミクさんからも、嬉しいメッセージが届いていた。

そして、長女からは「いろいろ詰め合わせ」が宅配便で届いた。やはり大好きな紫色のショールも、ウサギさんの和風バッグも栞も付箋も嬉しかったけれど、彼女の手紙にホロリとした。
「なかなかあなたを安心させてあげられないあたしだけど・・・」という言葉もあった。「もしもちょっと家出をしたくなった時にはここを一時休息の場としてむかえてあげたい」とも書いてあった。

ふんわりとあたたかくなる気持ちを抱きしめられるから、真冬の誕生日もいいな、と思っている。 080212_2210~0001
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Feb 08, 2008

スイートピー

長女からおばあちゃんへ、可愛い花かごが届いた。メッセージカードが添えられている。今日はおばあちゃん(わたしの母)の82回めの誕生日。  
病気の娘を育てていくなかで、同居の母には本当に助けてもらった。長女が発病したとき、末っ子はまだ二歳になったばかりだったし、長男は小学生だった。
大好きな「ネエネ」が入院したことを小さな次女はよく理解できなかったから、家族はなかなか大変だったのだ。(このとき小学4年生だった長男は目玉焼きとピーナッツバターのパンで自分の朝食を作る技を獲得した)

去年、長女が事故に遭ったとき、高齢となった母にはどうも真実を告げにくかった。そして母は孫娘の履いて行ったサンダルが片方しか玄関に戻ってこなかった事に不安を募らせていた。
少しずつ事故の話を説明し、入院中の孫に会いにも行ったけれど、その視野と視力のことをおばあちゃんはまだ明確には知らない。それでいいとわたしたちは考えている。

娘が選んだスイートピーは誕生花だという。82歳となったおばあちゃんはすごく喜んで、さっそくパソコンに向かい、お礼のメールを作ったようだ。 080208_1858~0001
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Feb 07, 2008

ともだち

例えば仕事の帰りに「冬物最終バーゲン見に行こうよ」と誘われても、やっぱり断る。何年も着ているコートも古びたブーツも買い換えたいけれど、一日が終わりかける頃には疲れていて、まっすぐ家に帰りたい。
「ご飯食べに行かない?」と誘ってくれても、やっぱり行けない。いつも体調がイマイチで一日の業務をどうにかこなしているわたしは、そうとうに友達づきあいの悪いひとだ。
「ごめんね」とあやまるたびに、ちょっぴりかなしい。

でも、今日は職場で知り合った友人と待ち合わせて食事をした。ふたりとも休みの日だったので予め手帳に書き込んでおいた。

出かける前は「ご飯食べたらクスリ、飲もう」と思うくらい体調は不安定だった。外は北風も強かった。でも、彼女と話しているうちに落ち着いてリラックスもして、結局、服用せずに帰ってきた。仕事なら、仕事、食事なら食事、と無理のないスケジュールならOK。そういうこともわかってくれるひとだった。いいともだちに恵まれたな~と思った。
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Feb 06, 2008

虚ろ

身内のひとのお見舞いに行った。高齢で、いろいろ困難な状況になりつつある。わたしのことはわかってくれるのか?と懸念していた。 最初は間違えていたがやがて「あ、○○じゃないか」と笑顔になったのでホッとした。


雪降る窓を眺めながら思ったのだけれど、わたしの人生の三分の一は病院が占めている。子供に付き添い、親に付き添い、自分の病気で通院する。
父が入院していた数年前の冬、わたしはコートのポケットに文庫本と僅かなお金と携帯電話を入れて父と娘と自分の病院を三角形のように歩きながら過ごしていた。

残りの三分の一は仕事で、あとの三分の一は寝ている。常用薬のせいかいつも眠いし、疲れて横になっているときもある。
その三つの隙間で、本を読んだり何かを書いたりしている・・・気がした。そんなことはないのかもしれないが、そうマチガイでもないかもしれない。隙間で、誰かと会ったり、ちょっと出掛けたり、家族とご飯を食べたりもする。

何しろ身内の高齢者の入院なので、しばらくはまた病院と縁が切れないだろう。じぶんの頭痛薬も処方された分では足りなくなりそうだ。

見舞いに行った病院で見かけたお年寄りたち。デイルームのテレビの前、付き添いもなく車椅子に「座らされて」いるようにみえた人々の虚ろな表情が忘れられない。
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Feb 01, 2008

怖い夢

怖い、というより奇妙な夢を見て早朝に頭痛で目覚める、という日が 3日も続いて落ち込んだ。 
「頭痛で目が覚める」というのは体験した人ならわかると思うけど、かなりしんどい。つまり『安眠を妨げるほどの痛苦』なのだと思う。ほとんど〈うなされて〉いるに近い状態で、やっと起き上がってリビングに薬を取りに行き台所の水で飲んで布団に戻る。鎮痛剤を空腹時に服用してはいけないなんて考えてるヒマはないし、しばらくは痛みがひどくて 眠れない。汗をかいて苦しみひどい吐き気に耐えられずにまた起きてトイレや洗面所に行っても勿論朝だから胃の中はからっぽだ。 
でもどうにか一時間でも眠れればもう大丈夫。薬が効いてだいぶ楽になっている。この新薬がでるまではもっと大変だった。高価だけれど新薬は必需品、どこに行くときも手放せない。
そうやって、仕事があるときはギリギリまで眠り、一日を終えて帰ってくるときはなんだか足取りも重くなっている。今夜寝てもまた朝にはあの痛みで目覚めるかもしれない、と考えるのはひどく憂鬱だった。もう、寝る前に飲み物と薬を手元に置くようにした。「くるならこい」開き直った感じに近かった。
でもとりあえずそれは3日連続でストップした。朝まで無事に眠れたときは嬉しくて、足元でまるくなってる猫を抱きしめたい気分だった。
肩こりがひどいし、「元気!」というわけではない。寝るときは「無事に朝がきますように」とお祈りしたくなる。
2日連続して薬を飲まなかったので、大丈夫かと思って今日は美容院に髪を切りに行った。次女と待ち合わせしてランチを食べて少し買い物してデザートは「ベリー・ベリーワッフル」♪♪
でも実は美容院で軽い目眩をおこしていた。「じぶんはだいじょうぶなのか?」とそのとき本当にひらがなでぼんやり思っていた。
ブルーベリーとラズベリーのカタカナを楽しんで次女と話していたらかなり落ち着いた気分。よかった。。。 080201_1609~0001
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Jan 25, 2008

ひとりでいる

いつもより早い時間に帰ったら、猫が玄関で「ニャー」と出迎えてくれた。不思議なことに足音を聞き分けてトコトコやってきて玄関の鍵を開けるまえからニャオニャオいっている。
しかも走り回って喜んでくれるから面白い。(意外な時間に帰宅したときに限られる)
もう仔猫でもなく年寄り猫なのに、これだけ走れるなら大丈夫だ、などと思いながら自分のコーヒーをいれてパンでも食べようとしていると、彼は「絶対にじぶんも食べる」と確信に満ちてわたしのパンとじぶんの餌皿を見比べている。
皿にカリカリを少しいれてやり、一緒に食事をして一緒に寛ぐのかと思ったらそうともかぎらない。そばにいる時もあるが、ふと気がつくといないことも多い。
何気なく自室をのぞくと、押入れの中や隅の座布団でひっそりと丸くなっているときがある。わたしが寛いでいる居間のホットカーペットのほうが居心地がよさそうなものだが、猫には猫のおもうところがあるに違いない。そういうときの彼の顔には「ほっといてくれ」とかいてある。
寒そうな部屋にひとり(一匹)でしんとしているようすは「孤高の猫」スタイルだ。もしかしたら、さっき大げさに喜んでみせて走り回ったのを静かに後悔しているのかもしれない。
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Jan 20, 2008

ミロ

「文藝」の特集が桐野夏生さんなので、買いに行かなくちゃと思いながら本屋に行きそびれていたら娘(長女)が買ってきてくれた。わたしが仕事の日に病院に検診にきて家に寄り、わたしの大好きなフルーツタルトも置いていった。まだひとりで外出するのは怖いようで、ちょうど休みの彼と一緒に。 
わたしは桐野さんの大ファン。何年か前にパソコンを使い始めたときハンドルネームは「ミロ」だった。桐野作品の女探偵、村野ミロ。強くてカッコよく、エネルギッシュに行動するミロにつよく憧れた。そう、自分にはないものへの羨望だと思う。 
「顔に降りかかる雨」を古本屋でたまたま手にした時から、もう何年も桐野作品を読み続けてきた。連載中のものは単行本になるのをひたすら待つ。タイミングよく朝日新聞で「メタボラ」が連載されたときは毎朝読めるのですごく嬉しかったが、週刊誌を買ったりはしない。
「ダーク」で久しぶりにミロに再会した。この文庫はすごい売れ行きだったらしくわたしの周囲にも読んだよ、という声をいくつか聞いた。
「文藝」で、桐野さんは「作者でさえ予測できない展開になっていった」と述べている。そして次回があるかもしれない、それはミロのサバイバルになる可能性があるとのこと。楽しみだ。
桐野さんは村野ミロではないけれど、やはりカッコよく美しい女性。
主婦であり、母親でもある。すごい。
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Jan 19, 2008

少年たち

年末から新年にかけて一番の収穫は川上弘美さんだった。「蛇を踏む」があまりピンとこなかったので、そのあとずっと読まないできた。同じような印象をもっていた友人が「センセイの鞄」で彼女の面白さを発見した、と教えてくれたのにまだ読んでいなかった。 
「光ってみえるもの、あれは」の書評を新聞で読んで興味をもち、文庫化されたので購入。間違いなく、お気に入りの一冊となった。時々、引用される詩や俳句などに作家の瑞々しい感性と知識が伺えるし、文体は驚くほど巧みだった。「沛然と雨が降る」これはある重要なシーンで主人公の心理描写としてつかわれていてた。すごいなーと思った表現のひとつ。
街に出て行く鮭の挿話は、お馴染みのレイモンド・カーヴァー。中也の詩も何気なくでてきて、ふわっと嬉しくなる。

「光ってみえるもの、あれは」は二人の少年の話だ。いま読み始めている村田喜代子さんの短編集の最初も少年たちが主役なので、イメージが混同する。


わたしが少女だった頃、やはり多感な少年たちの仲間に入れてもらっていた。「学生通信」という小冊子に詩を投稿していて知り合った二人の少年とわたしの三人で同人誌をだしたこともあった。
それはまだちゃんと手元にあり『焦土』という。まとめていた彼が印刷し発行してくれた。そこで自分たち3人のグループ名を考えようということになった。
「焦土の会・・・?」「それじゃ、まるで放火集団みたいだ」と言っては笑ったのを楽しく覚えている。
名前はそのまま「焦土文学会」とカッコよく決めたが同人誌はあまり出さずに解散となった。かつての少年少女は遠く離れて暮らしながら今でも近況を報告しあっている。
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Jan 16, 2008

色彩

グレイ(灰褐色)の白鳥は幼鳥だそうだ。何となくそんな気はしたが、確信がもてずにいたので調べてみた。幼鳥といっても大きさはたいして変わらないし、親らしき鳥のそばにくっついているわけでもなかった。 
最近読んだ町田康さんの「猫のあしあと」のなかに真っ黒の小さな仔猫が登場する。瀕死の弱々しい仔猫だ。町田さんのところには他にもたくさんの猫がいる。先住ネコが、その小さな小さな黒猫を見て怖がっていたらしい。
白い仔猫だったら大丈夫だったのだろうか。。。
そういえば「みにくいアヒルの子」には灰褐色のこどもがでてきたっけ。白鳥は美しく変貌するけれど、黒猫はさいしょからまっくろで、真っ黒い顔の真ん中で金色に光る目が魅力的だったりする。 080113_1419~0002
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Jan 15, 2008

白鳥は悲しからずや

「白鳥は悲しからずや 海の青 空のあをにも染まずただよふ」という牧水の歌を教えてくれたのは学生時代の近代文学の先生だった。 
川崎洋さんの「はくちょう」という詩に出会ったのはそのあとだったと思う。

  はくちょう   川崎 洋

はねが ぬれるよ はくちょう
みつめれば
くだかれそうになりながら
かすかに はねのおとが

ゆめにぬれるよ はくちょう
たれのゆめに みられている?


というふうに始まる詩、「すでに かたちがあたえられ それは
はじらいの ために しろい はくちょう
もうすこしで しきさい に なってしまいそうで」


ひらがなのインパクトが効果的な詩。わたしが川崎洋、という詩人を知ったきっかけとなった詩だった。
「どこかへ行こうか」という話になって遠くへは行けないので、近いところへ。茨城の白鳥が飛来する湖を見に行った。白鳥だけではなく、多くの水鳥が湖岸に集まっていて、ばさばさと賑やかに観光客から餌を貰っていた。
その場所だけ餌をあげてよいらしく、集合理由がわかったので、少し岸辺を歩いてみたら離れたところにもぽつぽつと静かにしている白鳥がいた。しかもよく見ると白い白鳥だけではなく、グレイがかった種類もある。やわらかな「しきさい」。でも、あとで自分が撮った携帯写真を見てみると白い白鳥しか写っていない。無意識に純白を選別していたのだろうか??と不思議だ。 080113_1358~0001
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Jan 11, 2008

一歳三ヶ月

せっかくの休みの日に朝から頭痛がする、そういう日が断続的に続くと、だんだんいろいろなことが憂鬱になり、「意欲減退症状」がやってくる。そうやってもう何年も生きてきた。 
もしも元気だとしても、せいぜい自転車で好きな古本屋や喫茶店に行くか、美容室で気分転換するか、必要があれば街に出て用事を済ませるくらい。たいしたことはしない。でももちろん、気分的に違う。
仕事がある日は何がなんでも行くつもりでいるから、薬を飲んで行く事は日常的。つまりいつも少しずつ無理しながら過ごしているので、休みの日くらい晴れやかな気持ちでいたいなーと、思ったりする。
で、今週は休みが多くラッキーな週なのに、ほとんど鎮痛剤を飲んでいた。
せっかくの休みを寝て過ごすのはもったいないし、飲めば起きて動けるから。そして休みの日が嬉しいのは眠いときには眠ればよく、無理しなくてもいい、ということだ。
「暖かいうちに」と思ってさっき自転車で郵便局へ行ってきた。好きな坂道を下って行く、風が気持ちよい。こういうぼんやりした頭の時は冷たい水で顔を洗ったりするのが効果的で、冬の外気はすごく気持ち良かった。よい気分でコンビ二に自転車を止めたら、隣の自転車の前椅子にほわほわの可愛い赤ちゃんが座っていた。思わず「可愛いですね、どれくらいですか?」と声をかける。「一歳三ヶ月です」と若いママはニコニコしながら答えてくれた。するとその赤ちゃんが「うきゃきゃ」と小さな声をだして笑ってくれたのだ。可愛かった。


わたしは若い頃、小さな子や赤ん坊が苦手だった。猫の仔だったら絶対抱いてみたいけれど、人間の赤ちゃんをさわってみたいなんて、どうしても思えなかった。

そのわたしが三人のこどもの母親となり、やがてベビーシッターを仕事にするなんて、自分でもどうなっているのかわからない。 
年長の友達には孫が出現したりしている。わたしは正直なところ、孫を抱いている自分が想像できない。(つまり欲しくない)
でも、客観的に可愛い赤ちゃんはやっぱりカワイイ。赤ちゃんの笑顔はまわりのひとを幸せな気分にしてくれるものだ。そんなことを考えつつ帰ってきた。今朝の頭痛倦怠感から開放されつつあった。
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Jan 10, 2008

片付ける?

ようやく部屋の片隅に手をつけた。
わたしが使っている息子の部屋には半分開かない洋服ダンスがあって、 そこをどうしてもあけたいと、常々母に言われていた。そのためには片隅の物入れを空にして動かさなくてはならない。
彼女のところへと拠点を移してからだいぶ経つ息子は「適当にやっていいよ」とのこと。そこには、彼の古いサッカー用具や、卒業証書や、どこかで誰かに貰った景品らしきものがいろいろと入っていた。
捨てていいような物もあるが、やはり本人に確かめないと不明の物が多い。わたしが迷わずにきちんととっておいたのは息子が頑張って書いたシナリオのファイル。彼の夢のかたちがそこにあった。

ようやく動かして、洋服ダンスが全開した。母は早速やってきて、引き出しから懐かしい着物類をだして眺め、再び閉まった。つまり確認作業だったわけで、その処分はこれから検討されるのだろう。それにしても、ずいぶんいろいろなものが詰まっている小さな部屋で、わたしと猫は毎日寝たり起きたりしてるんだな~、と顔を見合わせた。 080110_1403~0002
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Jan 07, 2008

チェリスト

いつまでもいつまでも見飽きない好きな絵。
彼女の作品は絵画も物語も、絵本もエッセイもみんな好き。
原画展を見に行くと立ち去れなくてなかなか帰れない。
足が動かなくなってしまう。あの深いあおいろの前で。
宮沢賢治、ゴッホ、向日葵、というキィ・ワードの向こうに、 チェリストという顔が見える。
「セロ弾きのゴーシュ」の近くへそっと歩み寄る。
伊勢英子さんのお話が、今月、都内であると知って喜び、その日が仕事の土曜日だとわかってガッカリしている。しかたがない。もう一度、絵本のページを開いてみよう。
写真は「旅する絵描き」から。昨年、話題になった絵本「ルリユールおじさん」の挿絵。 080107_2326~0001
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Jan 04, 2008

すみれのケーキ

都バスの旅をして雑司が谷の鬼子母神へ行った。 
「きしぼじん」だと思っていたが「きしもじん」と読むのだそうだ。
そしてこの「鬼」にはツノがない、ということも知った。
すすきみみずく(ススキで作ったミミズク)が見たかったのにお土産屋さんは閉まっていて残念。
荒川線という路面電車が走るのを眺めて、目白の駅までどうにか歩く。
疲れて入った喫茶店のガラスケースにすみれのケーキを発見した。
シフォンケーキの上に可愛い紫のスミレ。ケーキの中にもスミレらしき花びらや葉や茎があった。
絵國香織さんの『すみれの花の砂糖づけ』という詩集を思い出して、 もう一度読みたいなと思いながら
食べつつ、そうだ、あの文庫は娘から 借りたんだったと思い出す。
あの文庫はまだあるのだろうか、、、。あの夏、失くしたもののあれやこれやを、ふとこうして思い出す。

ショートケーキのイチゴをとっておくみたいに、最後まで残しておいた小さなスミレの花をそっと口にいれたけど、ほとんど味はしなかった。
飾りとしての役目をきっちり果たしていた濃い紫色の可憐な菫だった。 080104_1154~0001
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Jan 02, 2008

新年

元旦の夕方、多摩川の夕焼けを眺めた。 
美しくさびしい空だった。
日付けが変わっただけなのに、新しい年。
まだ生きなくちゃならないのか、と思いながら
みんなは何が楽しくて生きてるんだろう、とつまらないことを考えている。
でも、お気に入りのふわふわのスカートをはいて、
白くつめたいブラースに袖を通せば、もうすっかりわたしだ。
紫色のマフラーに少し顔をうずめて、こうして川を眺めたり、ぼんやり空を見上げたりしながら、
今年もうかうかと過ぎていくにちがいない。 080101_1647~0002
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