Mar 11, 2008
キタミ通信 No.10 黒部晃一さん来訪
黒部さんが初めて僕のアトリエに来てくれました。 暖かい日でした。黒部さんは碧南市で永島卓さんが企画してくれた私の「破片」の個展を高校生の時かに詩人であるお母さん黒部節子さんと一緒に観てくださった。私はそのことを、ずっと後に知りました。その後黒部さんは芸大の院生の時、名古屋のギャラリーNAF(河合塾)で私の個展(「絵画のアポカリプス」、72~83までの作品)を企画してくれたのでした。
下の絵はその時の絵ではありませんが、20数年前の作です。 題名はまだです。マア、仮に「破片」と呼んでいます。
黒部さんが終電に間に合ったかどうか、心配です。
Feb 17, 2008
キタミ通信 NO.9 清水さん来訪
今日は清水さんに来て頂いてブログに絵を載せる勉強をした。清水さんは自転車で世田谷通りを走って来てくれました。
ほぼ10年ぶりで会いましたが、清水さんは私の思っていた通りの清水さんだった、とやはりそうだよなあ、と反芻しながらも自分 は年とったから、道であっても清水さんは僕のことを分からないかもしれないなとおもいました。
折角、親切に教えてくれるのにすぐに忘れるのかと心配で良く覚えられないのは、年のせいでもなく、もともと頭が悪いのではな く、絵などを描いていて手と目を使うばかりで段々子どもになるのかと怖いです。
アカコワ
アカベロ
Jan 02, 2008
キタミ通信 No.8 2008.元旦
あけましておめでとうございます。2003年3月27日以来中断していた通信を再開します。約4年半振りです。
(まったく、あの時、アメリカのイラク攻撃は無茶だった。)
18歳で新潟の山深い寒村を(腹巻に札束を縫い込み)出立以来50年、このたび灰皿町の鱗造町長(蝶々)のご好意で、ようやく町人(蝶人の私、花の蜜だけでタバコは吸いませんが)になりました。
幹太さんのシロアリ塚から這い出して(追い出されて)年の瀬の寒空、泣いていたらうしろから優しい声、なんとお父さんではないですか。
幹太さんの作品を拝見するにつけ、氏は今はもう名前通り太い幹になり大きな樹冠を開いたのだ!と思いました。
もう蟻塚で眠っているのはやめ、私も本日2008年元旦から、灰皿町人として写真と短文を載せて行こうと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
写真 コマ絵 「来迎の図」展(日本画廊 2007.10.29〜11.10 )より