Aug 27, 2005

先日、

桐田さんにお借りした詩学の淵上毛錢特集を読んだところ、山之口獏についての著述が多く見られました。
毛錢は山之口獏の弟分のような感じだったのですね。
私は山之口獏の詩も好きです。
と言っても高田渡の歌でこの詩人の作品を知ったのですが。
私が最初に買った高田渡のファーストアルバム「ごあいさつ」には、「歯車」「鮪に鰯」「結婚」そして「生活の柄」といった山之口作品に曲をつけたものが収録されていました。
これを随分と聴いていましたから、いまだに山之口獏の詩集で読んでいると、高田渡の声が、あの独特のテンポで頭の中に流れてきてしまいます。
しかし山之口獏の作風と、高田渡の声とテンポはとても相性がよく、だからちっとも邪魔にならず、かえって心地よく読み進んでいけるのです。
高田渡の歌った中では、とりわけ「鮪に鰯」の、のんきながら少し怖い雰囲気が好きでした。
しかし高田渡も死んでしまいましたね。
なにせ朝から晩まで毎日毎日呑んだくれていたらしいですから、仕方ないと言えば仕方ないですが、確かまだ五十代だったはずです。
見た目は七十代でしたが。
高田渡はほかにもたくさんの現代詩人の詩にふしをつけて歌っていました。
その大半が貧乏な詩でした。
だからこの人の歌で現代詩を知ったという部分の大きい私が、貧乏っぽい詩を好むようになってしまったのは、仕方のないことです。
高田渡のほかでは、小室等が歌った谷川俊太郎作詩の「夏が終わる」がとてもいい感じでした。
あと、中原中也は現代詩ではないですが、友川かずきがメロディーをつけて歌った「サーカス」は最高です。(特にライヴ!)
自作自演では町田町蔵(現町田康)が衝撃的でした。
激しい曲の途中で突然詩の朗読に切り替わったりするのは、なかなか格好よかったです。
小説や詩集もいいけど、詩を叫んでいる彼が一番それらしいような気がします。
考えてみると私の作る詩というのは、いわゆる貧乏詩と町田康とのハーフであるのかも知れません。
ああ、いけない。
山之口獏のことを書こうと思っていたのに、すっかり脱線して。
ま、いいか。
ブログだし。
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