Oct 30, 2005

現代詩手帖11月号の巻末、

出版案内のページに、私の詩集の広告が載りました。
タイトルは「永遠へと続く午後の直中」。
ちょっと大げさなタイトルだったかなと未だ反省。
私だけ写真がないのは、お見せできるようなツラではないからです。
別にもったいぶっているわけではありません。
うれしいことにP231のスクランブルスクエアのページにも紹介していただいてます。

栞は田野倉康一さんと和合亮一さんが書いてくださいました。
大感謝。
まだ栞を直接は見ていないのですが、この広告を見ると田野倉さんは、
なんか凄く格好いいこと書いてくれています。
まるですごくいい詩集のように見えますね。
コピーも格好よくてうれしいです。
しかし恐怖とか気味の悪いとかの言葉を書いていただいていますが、
そんな恐い内容ではないはずなんですけど。
何と言うかこう、心温まるとまでは行きませんが、のんきな内容だと思います。
値段は税込みで2100円とちょっと高くなってしまいました。
出来れば1800円ぐらいにしたかったんですが。

しかし今月の新詩集の数、凄いっすね。
ざっと十数冊出るみたいです。
和合亮一さんの詩集は、日比野克彦さんとのコラボレーションという力作の模様。
楽しみです。
詩手帖賞を受賞された水無田気流さん、廿楽順二さんなども初詩集を出されます。
他にも片岡直子さんなど、たくさんたくさん。
ああ、俺の詩集が埋もれていく…。

斎藤恵子さん、トラックバックありがとうございます。
もちろん憶えてますよ!
2003年の3、5月号には仲良く作品が掲載されましたね。
特に3月号の「海浜にて」での、暗い海の上を思索が低空でさまよっていくような感覚は、
とても印象に残っていました。
近作もぜひ拝見したいと思います。
詩集、もちろんお送りさせていただきます。
が、今のところまだ出来上がっておりませんので、
私が参加した同人誌「ルピュール1号」をとりあえずお送りさせていただきます。
もし既にお持ちでしたら、お友達に分けてあげて下さい。
それではどうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
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Oct 28, 2005

800ヒット目という

祈念すべき数を、自分で踏んでしまいました。

白井さん、トラックバックありがとうございます。
ホームページ、拝見させていただいてます。
すごい賞を取られたんですね。
おめでとうございます。
とてもお忙しいようで、お体だけには充分気をつけてください。

車谷長吉さんの句集を本屋で見かけました。
去年あたり訴えられて話題になった奴ですか。
ハードカバーで2500円。
ちょっと高いなあなんて思いつつ保留。
車谷氏の小説やエセーは大抵すぐに買うのですが、句集となるとちょっと…。
一応中身はぱらぱらと見てみたのですが、
ぐっと惹かれるようなものはないような気がしました。
私の感性がまだ追いつかないということもありますが。

車谷氏は詩人高橋順子さんの旦那様ですね。
この作家の作品は随分と読みました。
印象深いのは、少々古いものになりますが、
「漂流物」(新潮社)という短編集に収録されていた「抜髪」です。
この作品は全編、車谷氏の御母堂の喋りのみでが構成されています。

車谷氏は東京のいい大学を出て就職しておきながら、三十歳でドロップアウトし、
関西で下足番などしながら三十代の殆どをすごしてから、小説家になった人です。
その車谷氏の行動の一々に対して、御母堂は訛り言葉で悪態をつきまくります。
そして息子の、心の中に隠していること、また自身では気付くことの出来なかった本心までを見抜いて、息子に突きつけるのです。
憎んでいるようでも愛しているようでもある罵詈雑言のみで、この作品は成立しています。

恐ろしい、えぐるような言葉の連続です。
この御母堂に言わせれば、勉強することも、人に親切をすることも、貧乏になることも、
人に褒めてもらうことも、恨まれることも、みんな罪悪ということになります。
発言を読み進んでいくと、普段は気にもしなかった自分の行動の裏側を、
キリで穿り出され、顔の前に突きつけられ、無理やり匂いを嗅がされているような気分になります。

小説家の書くものですから、全てが本当に発せられた言葉ではないでしょうが、
しかしカギカッコで括られた発言のどれもが生々しく、本当を暴いているかのようです。
それをわざわざ原稿用紙80枚ほども延々と書き連ねるとは、この作家も救われません。
目に浮かぶのは、たくさんの刃物を暗い六帖間の畳にずらりと並べて、
それを一本一本自分の裸の胸に、淡々と刺していく作家の姿です。

車谷長吉という作家は直木賞も取っていますし、今ももちろん評価の高い作家ですが、
本当に評価を得るのは、亡くなられたあとではないでしょうか。
縁起でもない話ですが、そんな気がします。
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Oct 24, 2005

「荒地」について。

先日、宮越妙子さんから譲っていただいた「荒地」を頻繁に開いています。
驚くのは、いままで現代詩文庫やアンソロジーなどで目にしていた田村隆一や北村太郎などの詩が、
ここではまったく違う印象で現れることです。

今までわたしは、これらの詩人の作品に対して、それほど強い思い入れを感じてはいませんでした。
新しく出版された印刷物で読む彼らの作品は、狭い所に小さな字で無理矢理詰め込まれていた所為か、
今ひとつ感慨深いものには思えず、「ふうん」といった程度にしてしまっていました。
しかしそれは、「荒地」や詩集などに掲載されたものの、
コピーのコピーのコピーのコピーを読んでいたに過ぎなかったようです。

この「荒地」にはそのオリジナルがあります。
ざらついた紙に、荒々しく釘止めされた詩の言葉からは、
詩人の思いが痛切なまでに迫ってきます。
ここにある「どんな恐ろしい事があったのですか」(疋田寛吉)とか
「真夜中 眼ざめると誰もゐない」(三好豊一郎)といった言葉は、
あるいは新しく印刷されたもので目にしても、感慨なく読み飛ばしてしまうものかもしれません。
しかしこの「荒地」の紙の上にある同じ言葉には、思いがぎゅうぎゅうに詰め込まれ、
それを縛った紐が今にもはじけ飛びそうな印象すら受けます。
これらの詩の居場所は、ここだったのだなあと痛感させられました。
考えてみれば、当たり前のことですね。

適材適所とは味気ない言葉ですが、必要なことだと思います。
いるべき場所にいなければ、詩も人間も本来の力は発揮できないのではないでしょうか。
確かに現代詩文庫やアンソロジーは、たくさんの人の作品が簡単に手広く読めるという意味で、
大変大きな価値を持っていると思います。
しかしやはりあくまで詩の居場所は詩集であり、同人誌上あるいは朗読者の肉声の内であると
思い知らされました。
その意味でも、詩集や同人誌を作るといった行為は、おろそかに出来ない特別な行為であるのでしょう。

私も今回詩集を作るにあたり、自分なりにない頭をを絞って構成したつもりですが、
この「荒地」を目撃した後では、詩作も構成も、
もっと気合を入れてやっておけばよかったと後悔しきりです。
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Oct 20, 2005

涼しいと言って喜んでいたら、

あっという間に寒くなってしまいました。
油断していると風邪をひいてしまうような季候です。
気をつけなくては。

柴田千晶さんの詩集「空室」を有働薫さんからお借りしました。
早速読んでみると素晴らしい内容。

都会に働く女性の孤独が、魅惑的な言葉で数珠繋ぎのように語られていきます。
実在した女性や場所にこつこつとぶつかりながらくねくねと、小さな蛇の如くさ迷っていくその様子に、思わず最後まで読まされてしまいました。
詩集の一気読みなど、飽きっぽい私には珍しいことです。
出てくる女性の境遇は、男の私からすると随分と遠いのですが、それでも何故か「わかる」という感覚が多く見つけられました。
洗練された詩の言葉の所為でしょう。
私が触れたことのない経験もすんなりと受け渡され、またときに自分の胸のうちを切開して切り出してきたような言葉が現れて、思わず息をのまされたりします。

先日の渋谷クロコダイル朗読会で、柴田さんはこの詩集から「骨なら愛せる」を朗読されました。
そのとき私は拝聴したのですが、今回こうして同じ作品を活字で読むと、綴られている言葉の多くを自分が記憶していることに気付き、改めて柴田さんの朗読のうまさに驚かされました。

私もつたないながら男性の孤独を書きますが、女性のそれとは似て非なるもののようです。
「空室」の中では幾つかの孤独が、孤独を逃れようとして孤独同士ぶつかり合いますが、
密着していてすらもそれはあくまで背中合わせであり、相容れあわぬままに分かれていきます。
私の書く男性の孤独があるところは、恐らくこの詩集のページの裏側です。
それは決してページの表側に現れることはないのでしょう。
しかし二種類の孤独を、かすかにでも繋ぐものとして、この詩集はあるようにも思われました。
Posted at 23:50 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Oct 18, 2005

昨日は恒例の

詩の合評会に参加してきました。
参加者は少なめでしたが、いつもながら勉強になる作品が目白押しでした。
私が気に入ったのは小網さんと竹内さんの作品。

小網さんの作品は、展開のある幻想的な作品で、入り口からいつの間にか吸い込まれると、
するすると最後まで連れて行かれ、いつの間にかそっとナイフを突きつけられている恐さがありました。
楽に書かれているようで、しかし節々を良く見ると様々なテクニックを使われているのがわかります。
メタファーを含んだ単語が効果的に使われており、読んだあとも、ふとその言葉の意味を思わずにはいられない作品でした。

竹内さんは、ここしばらく10行で詩を書くことにこだわっておられましたが、
それを抜け出て、思い切って長い詩を提出されました。
60行近い作品でしたが、その長さを感じさせないほど流れが自然かつ巧みであり、
心地よいユーモアに満たされています。
特に中盤から後半にかけて、古事記に出てくる神々が次々に現れ、賑やかに騒ぎ出して楽しく、
それらを最近息を潜めていた竹内節がうまく包括してまとめられていました。
右足を幻想、左足を現実の世界において千鳥足する三十男の姿です。

合評会後の二次会では、宮越妙子さんから思わぬプレゼントをいただきました。
なんと1947年に発行された「荒地」創刊号!
ならびに4号、6号!
実は前回の合評会のとき、私の提出した作品に対して、「荒地」を思わせるという感想があり、
「荒地」の時代をリアルタイムで知っておられる宮越さんからも、たくさんのお話をいただきました。
そして今回、ご親切にもご自分が当時買い求めたものを私に譲ってくださったのです。
もちろん大変貴重な品で、これはもう何度お礼を言っても足りないことです。
ページを開くと赤鉛筆でたくさんの線引きがされており、当時二十代だった宮越さんが夢中になって勉強された様子が痛いほどに感じられます。
田村隆一、北村太郎、黒田三郎などの詩作品や論考があり、今まで現代詩文庫や復刻版でしか見られなかったこれら遠い詩人の言葉が、ここには生の形で存在しています。
ごつい活字のひとつひとつに爆発しそうな思いが封じ込められているのが感じられ、指で触ると当時の活気が直に伝わってくるようです。
宮越さん、貴重なものをありがとうございました。
大切に読まさせていただきます。

詩の同人誌ルピュール2号の打ち合わせもありました。
今回も私は詩作品で参加の予定。
来年初頭の発行となりそうです。
Posted at 01:59 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Oct 14, 2005

今日、大きな本屋に寄りました。

文芸誌のところを見ると、文学界、新潮、すばるなど、軒並み新人賞発表号でした。
私は以前、詩を書き始める前、小説家になりたいなあなどと思っていました。
それで作品を書いては、文芸誌の新人賞に送っていたことがあります。
結果は最高で二次審査止まり、才能がなかったんですね。
なので、新人賞発表号というと、つい開いて見てしまいます。
「文藝」をとって見てみました。
かわいらしい女の子が新人賞を取っていました。
綿矢りさ以来、若い女の子が多いなあ、流行だもんなあと思いつつ、年齢を見てみると、
1990年生まれ?
15歳?
ちゅ、中三!!!!!?????
……。
唖然です。
とうとうここまで来ましたか。
二十代、三十代で必死に書いて応募している人は自殺したくなるんじゃないでしょうか。
早めに諦めておいて良かった。
気を取り直して、早速その場でざっと作品を読んでみました。
中学生にしては良く書けていました。
きっと才能はあると思います。
でもこんなのが受賞作?と思わないでもないですが、中学生の時点でここまで書けるのなら、
二十歳になるころには凄いことになっているかもしれません。
芥川賞の最年少記録を塗り替えるかも知れません。
そんな希望的観測も含めて選考者は受賞させたのでしょう。
しかし本当にいいのか?
あとは本人次第ではあるのだろうけれど、義務教育もまだ終えていない人をぶちあげて、
ちゃんとケアできるのか?
私は若い書き手がどんどん世に出ていくのはいいことだと思います。
作品さえ素晴らしければ、小学生だろうが中学生だろうがちっとも構わないと思います。
だから中学生というインパクトだけで本を売れるだけ売って後は知らない、などと出版社が考えていないことを祈ります。
あらら、なんだか変に愚痴っぽくなってしまいました。
ええそうですよ、私は賞なんか取れませんでしたよ。
小説でも詩でもね。
羨ましいなあ…。
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Oct 11, 2005

来るんでしょうか、

大地震。
統計から言うと、10月は大きな地震が集中する月なのだそうな。
巷の噂では10日がやばいということでした。
と言っても、さっき終わってしまいましたが。
しかしまだまだ油断できません。
パキスタンでも大変な地震があって、本格的に地球がおかしいですね。
大津波に巨大台風に大地震ときて、次は一体…。

先日、教育テレビで竹澤恭子さんというバイオリニストの演奏を見ました。
ブルッフのスコットランド幻想曲をやったのですが、素晴らしい演奏。
骨太かつしなやかで、コシの強い音が印象的でした。

私は以前バイオリンのCDに少々凝ったことがあります。
最近の演奏家のではなく、ずっと昔の奴。
チャップリンの無声映画でバックに流れているような。
バイオリンの音は、目を閉じて聴いていると、人の姿に見えてきて面白いです。

ミルシテインの音は、紳士がスマートに踊っているよう。
シゲティの音は、実直な男が直立不動で歌うよう。
エルマンの音は、人のいい気弱な男が、階段に座って物語を語るよう。
ハイフェッツの音は、最早人間の姿ではなく、妖精とか鳥のように、そこら中を飛び回ります。
以上は私の勝手な見え方ですが、繊細な楽器だからか、演奏者の個性が音にはっきり現れるようです。
だから聴き慣れていなくても、演奏者の違いがわかって面白く、しばらく色々と聴いていました。

今でも時々聴いてます。
私はシゲティが好きですね。
なんだか男の哀愁があって。
協奏曲なんかだと、バックのオーケストラが舞台セットとなって、その真ん中で切々と歌うやせ細った男の姿が見えてきたりします。

ところがなぜか新しい演奏家の演奏は、バイオリンの音からうまく像を見出すことが出来ないのです。
私が懐古主義だからでしょうか。
それとも音にこめられた人間性が、昔とは変化したのでしょうか。
あるいは音がよくなりすぎた所為でしょうか。

しかし竹澤恭子さんの演奏からは、明確に人間の姿を見ることが出来ました。
彼女はもちろん女性ですが、その音は力強くしなやかに踊るごつごつした体の男性の姿です。
うーん、久しぶりにバイオリンのCD買ってみようかな。
Posted at 01:24 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Oct 07, 2005

涼しい夜です。

ずっとこのぐらいの季候が続けばいいのに、などと思う今日この頃。

ところであと1、2ヶ月したら、なんとか初めての詩集が出来上がりそうです。
詩集がないと、詩のイベントなんかに行っても、おどおどしてしまいますね。
とりあえず名刺代わりになればいいなあと思います。
何にもないと、お会いした相手も困りますしね。
誰だよお前、みたいな。

内容は、去年や一昨年に書いた現代詩手帖への投稿詩を中心に編みました。
全体の流れなどを考えて、色々な種類の詩を選んで並べたつもりですが、
なにぶん本を作るなど初めてなもので、うまく出来たかどうかわかりません。
自分では精一杯やったつもりです。

意外に苦労したのはタイトルでした。
当初考えていた長いタイトルを却下された後、なかなかぱっとしたのが思いつかなくて、
編集の方にご迷惑をかけてしまいました。
一応決まるには決まったんですが、ちょっとまだ引っかかるものがあります。
しかしもう仕方がない。

再校も済んで、最終段階に近いところまで来ました。
聞く所によると、この時期は詩集を出す人がたくさんいるそうなので、
私のものなど埋もれて見えなくなってしまいそうです。
そもそも本当に本が出来るのかどうかも未だ不安です。
しかし出来あがったなら、この小川三郎という得体の知れない奴を知ってもらういい機会。
もしも本屋さんで見かけたら、立ち読みでもいいですから、ちょっと開いてみてやってください。

海埜今日子さん、トラックバックありがとうございました。
こちらこそよろしくお願いいたします。
トップページの猫ちゃん、かわいいですね。
私も飼ってはいませんが猫好きです。
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Oct 03, 2005

今日は渋谷のクロコダイルで

行われた詩の朗読会に行ってきました。
初めて詩の朗読イベントというものに顔を出しました。

暗い会場に入って見渡すと、灰皿町の住民である桐田さんと高田さんの姿を発見。
ご一緒させていただきました。
出演者は多種多様で、とつとつと詩を朗読する人、メリハリをつけて詩を表現する人、
バンドをバックに激しく朗読する人など。
私は実は、朗読というスタイルにはあまりいい印象を持っていません。
自分で詩を朗読することは、恐らくないだろうと思います。
しかし全然見ないまま決めつけるのはどうかと思い、機会があれば出来るだけ見ておこうと思っていました。

今日実演を見て感じたことは、やはり朗読には声と読み方が重要なのだなあということです。
それを感じたのは、柴田千晶さんと浜江順子さんの声の素晴らしさからでした。
柴田さんは、殺されてしまった女の詩を朗読されたのですが、その声は低く滑らかで諦観に満ちており、
まるで詩の人物がそこに現れて喋っているようで、最後まですっかり引き込まれて聴いてしまいました。
浜江さんの声はとても個性的で、声を聴いているだけでいい気分になります。
だから耳が勝手に聴こうと欲するので、詩の内容が明確に像となって浮き出してきます。
ああこんな声で読んでもらうと朗読もいいなあと思いました。
灰皿町の住民である海埜今日子さんも出演されました。
豹柄の衣装を身を固め、中東風の音楽をバックにカッコよく朗読されました。

ご一緒させていただいた桐田さんと高田さんを通して、何人かの詩人さんに紹介していただきました。
村野美優さん、柴田千晶さん、海埜今日子さん、みなさんご挨拶程度しか出来ませんでしたが、
もしこれを読んでおられましたら、どうか今後ともお見知り置きを。
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