Nov 28, 2005

冬になると、

太ります。
なんかもうその兆しが…。

先日のブログで映画のことを書きましたが、
最近ではめっきり映画を見る回数が減りました。
以前はしょっちゅう見ていたのですが、
例えばDVDを借りてきたとしても、
二時間もあるのかと思うと、億劫になってしまって見る気がしないのです。
昔は二本、三本と立て続けに見られたのに。
体力が衰えたんでしょうか。
大抵は一週間レンタルのものを借りてくるのですが、
いつでも見られるという手軽さも手伝って、先延ばしにした挙句、
返却日の前日になって嫌々見るということに。
見始めればちゃんと最後まで見られるのですが、
見始めるまでが、ものすごく苦痛なのです。

だから、というのは何ですが、
最近は映画館でしか映画を見ていません。
ネットで近くの映画館でやっている映画を確認して、
ああこの映画見ようと決めて、映画館へ行って、チケットを買って、
空いている席を探して、座って、どちらの肘掛が自分のだかを確認して、
と、このぐらいの手続きを踏まなければ、覚悟を決められないのです。
面倒な手続きというのも、
案外必要なものなのかもしれませんね。

本やCDを買うのにしても、
恐らく私は一生ネットで購入するということはしないでしょう。
私にとって本を読んだり音楽を聴いたりするのは、
お店を何件も周って、自分の欲しい本やCDなどを苦労して探し出す作業と、
一連の動作なのです。
その作業がなくなってしまったら、
本を読んだりCDを聴いたりの楽しみは半減してしまう気がします。
というか、むしろそっちの方が実は好きで、
買うだけ買って読んでない本とか部屋にいっぱいあったりするのですが。
本末転倒です。

ところで映画のほうは、けっこうミーハーなので、
スターウォーズとか、ディープ・ブルーとか最近見ました。
やっぱり大きな画面で見る映画はいいなあと、改めて思います。
ますますテレビ画面で映画を見る気がしなくなりますね。
家のテレビは小さいし。
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Nov 25, 2005

先ほどネットで、

ニュースを読んでいたところ、
ベートーヴェンやモーツァルトの直筆楽譜がオークションにかけられ、
数千万から数億の値がつきそうだと書かれていました。
私は楽譜はほとんど読めず、ピアノも弾けませんが、
ちょっと思うことがあったので、書いてみます。

ピアニストが、作曲家の書いた楽譜を見つめながらピアノを弾く行為、
あれは詩の朗読にとてもよく似ていると思います。
作曲者は自分の感情を音の流れに変換して、それを譜面に、
音符という文字を使って著述していきます。
ピアニストは譜面に著述された音符という言葉を、
ピアノを使って読み上げていきます。

譜面にはクレッシェンドやピアニッシモなどの音楽記号により、
音の強弱や速度設定が指示されていますが、それはあくまで目安にしかならず、
細かい設定はピアニスト(朗読者)の感性に委ねられます。
だから同じ曲でも、ピアニストによってまったく違うように弾かれますし、
解釈も異なってきます。

例えばモーツァルトの曲は、普通に譜面どおりに弾いても、
モーツァルトにはならないそうです。
所謂モーツァルトっぽさというものは譜面で表せるものではなく、
演奏者が譜面全体から、モーツァルトがどういう曲にしたかったのかを読み取り、
自身が天才ピアニストであったモーツァルトが、
どのようにこの曲を演奏したのかを導き出して、演奏しなければならないのです。

また人によっては作曲家によって指示された音楽記号を無視し、
自分の感性に置き換えて演奏する人もいます。
グレン・グールドなんかはそのタイプですね。
こういう演奏は賛否両論ですが、
私なんかは、これもとても面白い朗読の仕方だと思います。

作曲者を詩人、譜面を詩、ピアニストを朗読者、ピアノを朗読者の声とすると、
やっぱりあれは詩の朗読と同じだなあと思います。
いにしえの詩人の書いた詩を、現在の朗読者の身体を通じて感じ取る。
ま、私の勝手な考え方ですが。
しかし実際、ピアノソナタなど聴くときに、
ただ聴いていただけではよくわからなくても、
これは譜面という詩を、ピアノを使って朗読しているのだ、
と思って聴いていると、
作曲者やピアニストが考えていること感じていることが、
とてもすんなりと伝わってくるような気がします。

最近、フリードリッヒ・グルダというピアニストの、ベートーヴェンピアノソナタ、
及びピアノ協奏曲全集という12枚組みの輸入CDを買いました。
なんと12枚組みで4990円という激安でしたが、
それでも高いので、散々迷った挙句にえいっと買ってしまいました。
グルダは以前から好きだったピアニストで、
ちょくちょくCDを買ってはいたのですが、
これだけまとまったものを買うのはこれが初めて。
評判通り素晴らしい内容で、最近の夜は小さな音でずっと(今も)流しています。
ベートーヴェンのピアノソナタは、硬質に冷たく弾かれることが多いのですが、
グルダは優しく、まるで子供たちを集めて詩を朗読してあげているかのように弾きます。
これを聴いているときに、上で書いたようなことを、改めて思ったのでした。

……また長文になってしまいました。
すいません。
次はなるべく短くまとめます。
またまた最後まで読んでくださった方、心より御礼を申し上げます。
Posted at 01:04 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Nov 21, 2005

昨日は恒例の、

PSPクラブ合評会の日。

いつものメンバーがそろって、作品を評しあいました。
10回近くこの会に参加して感じることは、全員が全員、
前に進もうという意欲を持って書いておられるということです。
今までのこの人の作品の中で一番いい、
と思える作品が毎回のように提出されるのは驚きです。
私は歩みが遅いので、そう言った作品を見ると、
なんとも焦ってしまいます。

今回特に目を引かされたのは、白井明大さんの「月の舞う」
一読して試行錯誤のあとが感じられる力作でした。
沖縄言葉と古典の間をスキップするようにして形作られる白井語が、
うたの様相を呈して、まるで命を持った太い綱のように、
なまめかしく、また鋭く立ち回ります。
そしてその言葉の生命感により、
あたかも言葉自体が肉声を持つかのように読み手の内へと直線的に飛び込んで、
すると自然と頭の中で誰かがこの詩をうたう声が聞こえてきます。
私に聞こえてきたのは、大柄でがっちりした男性が、
色華やかな民族衣装をまとって、しなやかにゆっくりと舞いながら、
胴間声で浪々と詩を雄叫ぶ声でした。
こんな風に否応無しに想像させられるあたり、詩の力を感じます。
しかしまず何よりも格好いい!
今後の展開が大いに楽しみです。

二次会では、水仁舎の北見さんと多くお話をさせていただきました。
長く本作りに携わっている北見さんから聞くお話は、
出版についてはまったくの素人である私にとって、
どれも勉強になることばかりです。
北見さんは本作りに対して、
自然でありたいと思っておられるようです。
しかし世知辛い世の中を生きていく上で、
自然であることはとても難しいと思います。
その難しいことを体を張ってやっておられる北見さんの姿には、
ただ脱帽するばかりです。
興味のある方は、一度水仁舎のホームページを覗いてみてください。

宮越妙子さんからは、先月に引き続き、
「荒地」の2号と3号を頂きました。
黒田三郎、西脇順三郎などの詩作品ほかが掲載されています。
ページ上にのたうつ時代の力から、
何とか具体的なものを得られたらと思っています。
宮越さんにはもう感謝するばかり。

ルピュール2号の原稿締め切りも昨日でした。
私は先月合評会に提出した作品を載せてもらうことにしました。
他の方の作品は力作ぞろいです。
1号よりも、さらにいいものが出来そうな予感がしています。
Posted at 23:35 in n/a | WriteBacks (4) | Edit

Nov 17, 2005

久々に映画館で映画鑑賞。

ブルーノ・ガンツ主演、「ヒトラー最後の12日間」
私の住んでいるのは田舎ですから、こういうのが今頃来るのです。
なるべくネタバレは避けて書くつもりですが、
まっさらな状態で映画を見たいという人は、
今日のところはご勘弁を。

なかなかの映画でした。
映画としての出来はまあまあですが、ヒトラー役のガンツを始め、
脇を固める俳優さんたちの演技が素晴らしく、
特にヒトラーの側近ゲッペルス役の人はいい味を出していました。
しかし当然ながら人が死ぬシーンが山ほど出てきて、しかもその半分ぐらいは頭を撃ち抜いたり、
ピストルを口に咥えての自決シーンだったりですので、
そういうのが苦手な人は見ないほうがいいかもしれません。

内容は第二次世界大戦末期のベルリン、地下要塞でのヒトラーを中心とした人間たちを描いたものです。
前評判では、ブルーノ・ガンツがヒトラーを演じた!ということばかり話題になっていたようですが、
この映画はヒトラーよりもむしろ、ヒトラーの周囲に居た人々に焦点を合わせた映画だと思います。
ヒトラーとナチスという強大なものと共にあった人たちが、どのような考え方をし、
どのような価値観をもって、どのような行動を取ったのか、それがこの映画のポイントだったと思います。
実際、ヒトラーが自殺したあとも、映画は、恐らく三十分ぐらいは続き、
ヒトラーとナチスという大きな柱を失った人たちのそれぞれの生き様が描かれます。
ちなみに邦題は「ヒトラー」ですが、原題は「der untergang」と言って、
没落とか破滅という意味だそうです。

映画の中で否応なく胸に刺さるのは、ヒトラーに最後まで忠誠を守る人たちの姿です。
ヒトラー存命の間だけでなく、ヒトラーの死後も忠誠を守り、何の迷いもなく次々と自決していく人々。
しかも閣僚ならまだしも、それほど位の高くない人々まで、
はっきり言ってわざわざ死ぬ必要はないと思えるような人たちまで、
ヒトラーと運命を共にすることを自ら欲して死んでいきます。
しかしそのヒトラーですが、この映画で描かれるヒトラーは決してカリスマとしてでなく、
ドイツという国と国民を自分個人の所有物と錯覚してしまった「人間」であり、
その所有物が自分の思い通りに動かなくなるとヒステリーを起こして、
実現不可能な作戦を命令したり、醜く怒鳴り散らしたり、威厳もなにもなくなっていく小男です。
周囲の人間はその哀れともいえるヒトラーの姿を間近で目撃するにも関わらず、
なおも強い忠誠を尽くし続け、命まで捧げてしまうのです。

これは何でしょうか。
依存でしょうか。
人間一人一人は弱いものですから、大部分の人間は多かれ少なかれ何かに依存したがるものです。
依存するものがなにもなかったり小さかったりすると、人間はとても不安になりますし、
だからなるべく大きなものに依存したがるものだと思います。
そしてあまりに強い依存心は、例えそれが悪であったり幻に過ぎなかったと悟ってもなお、
依存し抜くことに執念すら燃やし、そこにある種の幸福を見出すのかもしれません。
それが所謂、人間の弱さというものでしょうか。
そんな簡単な話で片付けられるものではないかもしれませんが…。
しかしこれは現代の戦争、あるいは企業や社会や宗教などにも、
共通して言えることのような気がします。
大きな流れの中で個の判断力を徐徐に失い、果ては自ら望んで判断力を放棄する。
映画は六十年前の戦争の話ですが、
いまも世界の多くの場所で同じことが実際に起こっていることは事実だとおもいます。

この映画で驚くことのひとつに、生き残った登場人物のかなりの人が、
つい最近まで生きていたということがあります。
ヒトラーの秘書を勤めていた女性は、2002年まで生きていましたし、
そのほかの人も高齢になるまで生きていた人が何人かいます。
それを見ると、ひとつの大きなものを失ってもなお、
人間はさらに生きていく力を持っているようだとも思えます。
賛否両論の映画ですが、そんなことを考えるためにも、見ておいて損はない映画だと思います。

思わぬ長文になってしまいました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
Posted at 00:42 in n/a | WriteBacks (2) | Edit

Nov 13, 2005

歩いていたらなんか熱っぽくなったので、

すかさず薬局に入り、安売りしていた風邪薬を買い求め、
立ち食いそば屋でたぬきうどんを食べて服用。
その後歩き回っているうちによくなりました。
風邪は引き始めに潰すのが肝心ですね。
しかし熱っぽい状態で街を歩くと、
なんだか凄く空気が汚れているように感じます。
たくさん食べて免疫力をつけて、寒い冬に備えましょう。

詩手帖投稿欄でも活躍された斎藤恵子さんより、
詩集「樹間」を送っていただきました。
詩の内側に空間が広がるとても気持ちのよい詩集です。
生活の脇からふと生まれる幻想が、斎藤さん独特の動き方で、
あちこちでポーズをとっているようです。
そして斎藤さんは音の立て方がとてもうまく、
(にろにろ)とか(あぎあぎ)など、思わず口に出したくなるような音が、
あちらこちらでするものですから、
それに乗ったら途端に詩の世界へと引き込まれます。
この詩集は去年思潮社から出版されました。
中原中也賞、高見順賞などの最終選考に残ったことからもわかるとおり、
詩魂の浮遊力もさることながら、技術的なレベルも非常に高い作品集です。

斉藤さんには一緒に同人誌も送っていただきました。
これがまたとても格好いいもので、
「ドッグマン・スープ」というのですが、
ビジュアル系ポエトリーマガジンと銘打たれているとおり、
A3サイズ22ページの紙面には、
写真と詩が思いきりコラボレーションしています。
ほぼ全てのページに所狭しと格好いい写真があり、
その前面に、これまたところ狭しと詩が、
好き放題の姿形で踊っています。
極限なまでに自由を追求した同人誌。
詩がビジュアル的なものと融合する場合の、
ひとつの正解の形を打ち出していると思います。
うーむ、岡山恐るべし。
Posted at 01:16 in n/a | WriteBacks (2) | Edit

Nov 10, 2005

何を隠そう、

私のパソコンはソフマップの牛丼パソコン。
しかも並。
モニターなしで39800円也。
貧乏人の味方ですね。

実はつい2ヶ月前ぐらいに買い換えたのです。
それまではNECの PC―9821ct16というのを、かれこれ10年近くも使っていたんですが、
ハードディスクはがりがりと恐ろしげな音をたてるは、
CD-ROMは出てこない上にこれまたがつがつと異様な音を立て続けるわで、
それでもまだ使えるからとしつこく使用していたのですが、
仕舞いにはとうとう起動しても三回に一回ぐらいしか立ち上がらなくなって、
流石にこれは危険と判断し、仕方なく買い換えたのです。
どうせ私はゲームとか動画の編集とかの重たい作業を一切しないので、高いパソコンは要りません。
それにモニターはまだ生きているので、手っ取り早く一番安いのをと思って、
近くのソフマップで購入しました。

前のマシンは、CPUが160メガヘルツだったのを400メガヘルツに積み替えてはあったものの、
ハードディスクはなんと1・6ギガバイトしかありませんでした。
それが今度のは、安物とはいえCPU2・8ギガヘルツにハードディスクが120ギガバイトと、
文字通りの桁違い。
それでも最初はメモリが256メガバイトしかなく、ノートンを入れただけでぐんと遅くなり、
さらにパソコンのスピードをアップさせるソフトであるはずの驚速パソコン、驚速メモリを入れると、
あろうことかさらに遅くなってしまったので、512メガのバルクメモリ(5000円くらい)を買ってきて
載せました。
するともう全然快適、元気に動いてます。

あと問題は音です。
牛丼パソコンはファンの音がうるさい、とは聞いていたのですが、思っていた以上のうるささです。
今も怒ったような音を立ててぶんぶん回転しています。
私は普段、パソコンで詩を作ったり文章を書いたりしているときは耳栓をしているので、
平気といえば平気なのですが、
お店に行ってみると数千円程度で買えるみたいなので、付け替えてみようかと思ってます。

今日は書くことがないので、他愛のない話をしました。
では。
Posted at 00:03 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Nov 06, 2005

昨日は代官山のギャラリーit’sへ、

「伊野孝行・中村義明 二人展」(イラストレーション)および「POEM MEN SHOW -リーディング男祭り-」を見に行きました。
POEM MEN SHOWの主催者は、合評会でお世話になっている白井明大さんでした。
白井さんのホームページでこのイベントを知り、リーディングする人の名を見ると、
名のある人ばかりなので、これは勉強になりそうだと思って出かけたのです。

ギャラリーは、マンションの一室を改装した小さな、しかし綺麗な空間で、
壁に伊野中村両氏の作品が展示されていました。
お二方の作品はテクニックを追求するものではまったくなく、 しかし自分の表現したいものを素直に、
そして具体よりも雰囲気を大切に表現するものでした。
私はいままでに絵画の展覧会は見たことがあるのですが、イラストの展覧会を見るというのは、
多分これが初めてだと思います。

まず作品を見て回っての印象は、絵画とイラストの目指すところは、やっぱり違うんだなあということ。
当たり前ですが。
どのイラストを見ても、変な絵だな、とか、これで完成なのだろうか、という印象を受けますが、
しかしこれが雑誌などの挿絵であったり、広告でコピーが入っていたりと想像すると、
なるほどしっくり来るようです。
絵画がそれ単独で存在しているのに対して、イラストレーションとは、
もとより単独で存在することを目的としていないのでしょう。
そのぶん他の要素と結合することによって表現を広げるという行為は、
ある種のミラクルを生み出す可能性を秘めていると思います。
このことは、詩の表現やリーディングを考える上でも、重要な意味を持っているのではないでしょうか。
お二人の作品は、なにかそんな可能性が感じられるものでした。
この展覧会はお二人を知るきっかけになりましたので、
今度は本来の場所に収まっているお二人の作品もみてみたいと思います。
今後、雑誌などチェックしたいと思います。

「POEM MEN SHOW -リーディング男祭り-」の方は午後八時から始まりました。
タイトル通り出演者は男性ばかり、死紺亭柳竹さんに始まり、太郎本人さん、
マスイジュウさん(女装で登場!)、近藤洋一さん(泥酔!)、しげかねとおるさんが熱演されました。
私は会場の端っこにちょこんとお邪魔して拝聴させていただきました。
とても楽しい雰囲気のイベントだったのですが、急遽決まったイベントであった所為か、
残念ながら皆さんの実力が発揮されたライブとはいかなかったようです。
それでも不勉強な私にとっては、生のリーディングに接するということはとても勉強になり、
詩の表現の可能性というものを考えさせてくれるいい機会となりました。
行ってよかったです。
途中若干のハプニングなどもあり、司会をされていた白井さんは大変だったと思います。
本当に、心よりご苦労様でしたと言いたいです。

イベントの最後は、展覧会の主役の一人である伊野孝行氏による
アコースティックギターの弾き語りでした。
チューニングの狂ったギターをかき鳴らし、味のある歌声をたっぷりと披露されました。
実はこれ、相当に格好よかったです。
ちょっといいにくいことではありますが、昨日行われたパフォーマンスの中で、
これが一番良かったような気が…。
会場もかなり盛り上がっていました。
伊野氏は、以前は音楽活動もされていて今はしていないということですが、
こちらの方も少しずつでもされていったほうがいいのではとすら思いました。
機会があれば、もう一度聴いてみたい気分です。
Posted at 20:34 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Nov 02, 2005

いつの間にやら、

今年も残すところあと2ヶ月…。
まったく歳をとるごとに一年が早くなっていきます。
このブログを始めてから、もう3ヶ月ですね。

マイルス・ディビスという人がいます。
もう死んでしまいましたが、天才トランペッターであり、またコンポーザーであり、
デビューから亡くなるまでジャズ界に帝王として君臨した伝説的ミュージシャンです。
誰でも名前ぐらいは知っている人ですね。

私は一時期、この人の音楽をよく聴いていました。
しかしこの人はアルバム一枚ごとに、まったく音楽スタイルを変えてしまうので、
ついていくのが大変なのです。
トランペットの奏法からバンド編成、リズムの使い方、曲の雰囲気までガラリと変わってしまいます。
なぜそんなにスタイルを変えるのかといえば、この人は自分がやりたい音楽というのを、
しっかりと持っていたからだと思います。
この人にとって重要なのはあくまで自分の音楽なのであって、
音楽スタイルはそれを実現するためのものに過ぎません。
ですから自分がやりたいと思ったものに、自分よりもメンバーが書いた曲の方が合っていると思ったら、
迷わずそちらを採用してしまいます。
現にマイルスのアルバムには、彼自身素晴らしいメロディーメーカーであるにもかかわらず、
マイルスの曲が入っていないものがあります。
他にも白人のピアニストを採用したり、エレクトリックを導入したり、ロックとの融合を図ったり、
その当時ではかなり反発があったと思われることも、平気でやってしまうのです。
何しろ自分の音楽にトランペットが要らないと思ったら、
なんの躊躇もなくトランペットを置いてしまう人なのです。

マイルスは極端な例ですが、スタイルを気にしないというのは、黒人全体にいえることだと思います。
70年代の終わりぐらいにシンセサイザーなどの電子楽器が台頭してきた頃、白人や日本人が、
あんなものは血が通っていないから駄目だ!と否定していたころから、
黒人たちはバリバリにシンセを使って表現を広げていました。
ヒップホップにしても、つまるところ彼らがやりたいことはラップなのであって、
その後ろにどんな音楽がなっていようと、彼らにとっては二の次の話なのだと思います。
だからこだわらずにいろいろな過去の音などを持ってきて、ラップしているのでしょう。

彼らのこのような性質を見るたびに、私は随分と考えさせられてしまいます。
一番大事なものがしっかりあれば、それ以外はどうでもいいことであるというのは、
真実であると思います。
では自分は一番大事なものをしっかりと持って書いているだろうか。
スタイルばかりにこだわって、大事なものを失いかけてはいないだろうか。
もし自分の表現したいものを表現するのに最も適した形が詩ではないと悟ったら、
例えばそれが彫刻であると悟ったら、マイルスのように躊躇なく詩を捨てて、
彫刻を始められるのだろうか。
もしそうなっても今のスタイルにしがみついて書くのだとしたら、
本末転倒ということになってしまうでしょう。

これは非常に恐いことだと思います。
マイルスは天才だからそれが平気で出来たかもしれませんが、凡人にはなかなか出来ないことです。
しかしそれができなければ、その時点で表現者としては死ぬのではないでしょうか。
今のところ私はまだ、自分が表現したいと思っているものを表現する最適な方法は、
詩というスタイルだと言うことが出来ます。
しかしいつそうなるかわからない。
うーん。
眠くなってきた…。
Posted at 01:08 in n/a | WriteBacks (0) | Edit
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