Aug 31, 2005

文学へと

軌道修正して、小説家としての竹西寛子。

竹西寛子は小説よりも古典文学に関しての仕事やエセーの方が有名でしょう。
雑誌「ユリイカ」でも長くエセーを書き続けられています。
私が彼女の小説作品を最初に読んだのは、大江健三郎が編んだ戦争文学アンソロジー「なんとも知れない未来へ」の中にあった「儀式」でした。

内容は、ちょっと説明するのが難しいのですが、広島で被爆しながら生き残った女性の、死に行く人々を見つめる目、とでもしておきましょうか。
私が惹かれたのは内容もさることながら、その文体の静謐さでした。
原爆や死と言ったテーマを正面から扱いつつも、この作品には重苦しさがありません。
それどころか透明感すら感じさせます。
現実そのものと言うより、現実に接する主人公の思考の、しかし現実に非常に近い部分の流れを描いたという感じです。

その感じをかもし出しているのは、この作者の極限まで削られた文体だと思います。
竹西寛子の文章は、あと一語削ったら意味が通らなくなる、といったところまで削り込まれた、非常にシンプルなものです。
装飾が殆どないので現実感は薄れますが、しかし書かれている内容は恐らくご自身の生の体験を基にしており、だから現実を離れていかずにとどまっています。
そしてそのとどまる位置が絶妙なのです。
何と言いますか、頭蓋骨の眉間のあたりのちょっと内側と言いますか…うーん…わからないか。

とにかく私はこのシンプルな文体に惹かれ、竹西寛子の小説作品の殆どに目を通しました。
どの作品も同じく透明な文章で書かれ、しかも老いや心中などといった重いテーマを扱いながら、暗くなりすぎず軽くなりすぎず、見事に作品として描ききっています。

この作者の文章を読んでいると、文体はシンプルになればなるほど、現実から思考へと近づいていくのかなあなどと思います。
じつは私はひそかに、自分の日本語の手本を、竹西寛子の文章と決めているのです。
だから文章と言うものに行き詰ると、竹西寛子の小説を1,2冊読み返してみて、ああそうか、などと反省したりしています。
そう言いつつも、この文章はなんだかわかりづらいものになってしまいました。
また読み返す時期に来ているのかも。
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Aug 29, 2005

ずるずると

音楽のほうへ。
脈絡もなくグールドの話。
私はモーツアルトが嫌いで、ほんの数人の個性的な演奏家でしか曲を聴けません。
その中の一人がピアニストのグレン・グールドです。

私の持っているのは、モーツアルト・ピアノソナタ4枚組のCD。
これをどの曲と言うでもなく、なんとなく適当なところからかけて聴きます。
グールドは「譜面の指示通りに弾かない」演奏家の代表のような人で、例えばこのソナタ集に収録されている有名な「トルコ行進曲」は、本来テンポよく弾かれる曲ですが、グールドはこれを恐ろしくゆっくりしたテンポで弾いています。
他の曲も、従来のその曲に対しての価値観を悉く破壊する独特な演奏ばかりです。

人によっては彼の演奏をグロテスクと形容したりしますが、私には新種の小動物のように見えてとても面白い。
私はモーツアルトの、あの軽やかでかわいらしい雰囲気がどうにも馴染めないのですが、グールドが弾くモーツアルトは、別物として聴くことができます。
奇妙な形をした見たこともない小動物が、グールドの指先から一曲につき一匹ずつ湧いて出て、ちょこまかとそこら辺を走り回っている、そんな風に見えて、気がつくと何時間も飽きずに聴いてしまっています。

作品に命を吹き込む、とは安易に使われている言葉ですが、これほどその言葉が当てはまる演奏は、なかなかないと思います。
グールドの演奏が、ある人には熱狂的に受け入れられ、ある人には生理的に拒絶されるのは、そこに吹き込まれた命が、人の形をしていないからでしょう。
そんな形の命を創るのは、人間嫌いのグールドらしいことです。
そう思ってグールドのほかの演奏を聴くと、まるで奇妙な箱庭を覗いているような気分になります。

ある意味「自由」とは、「箱庭を作ること」なのかもしれませんね。
なんつって。
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Aug 27, 2005

先日、

桐田さんにお借りした詩学の淵上毛錢特集を読んだところ、山之口獏についての著述が多く見られました。
毛錢は山之口獏の弟分のような感じだったのですね。
私は山之口獏の詩も好きです。
と言っても高田渡の歌でこの詩人の作品を知ったのですが。
私が最初に買った高田渡のファーストアルバム「ごあいさつ」には、「歯車」「鮪に鰯」「結婚」そして「生活の柄」といった山之口作品に曲をつけたものが収録されていました。
これを随分と聴いていましたから、いまだに山之口獏の詩集で読んでいると、高田渡の声が、あの独特のテンポで頭の中に流れてきてしまいます。
しかし山之口獏の作風と、高田渡の声とテンポはとても相性がよく、だからちっとも邪魔にならず、かえって心地よく読み進んでいけるのです。
高田渡の歌った中では、とりわけ「鮪に鰯」の、のんきながら少し怖い雰囲気が好きでした。
しかし高田渡も死んでしまいましたね。
なにせ朝から晩まで毎日毎日呑んだくれていたらしいですから、仕方ないと言えば仕方ないですが、確かまだ五十代だったはずです。
見た目は七十代でしたが。
高田渡はほかにもたくさんの現代詩人の詩にふしをつけて歌っていました。
その大半が貧乏な詩でした。
だからこの人の歌で現代詩を知ったという部分の大きい私が、貧乏っぽい詩を好むようになってしまったのは、仕方のないことです。
高田渡のほかでは、小室等が歌った谷川俊太郎作詩の「夏が終わる」がとてもいい感じでした。
あと、中原中也は現代詩ではないですが、友川かずきがメロディーをつけて歌った「サーカス」は最高です。(特にライヴ!)
自作自演では町田町蔵(現町田康)が衝撃的でした。
激しい曲の途中で突然詩の朗読に切り替わったりするのは、なかなか格好よかったです。
小説や詩集もいいけど、詩を叫んでいる彼が一番それらしいような気がします。
考えてみると私の作る詩というのは、いわゆる貧乏詩と町田康とのハーフであるのかも知れません。
ああ、いけない。
山之口獏のことを書こうと思っていたのに、すっかり脱線して。
ま、いいか。
ブログだし。
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Aug 25, 2005

少し自分の

詩作についてのことを書きます。

私は喋ることが苦手です。
相手に自分の言いたいことをうまく整理して伝えることができません。
今は少しまともになりましたが、二十代前半までは結構ひどかったと思います。
一生懸命説明した後に相手から「何言ってるかわからない」と冷たく言われてそっぽを向かれることがよくありました。
それで随分傷つき、臆病になりました。

だから書くという作業をするようになったのだと思います。
自分の考えていること感じたことがうまく伝わるよう、私は言葉選びに散々時間をかけて文章を書きます。
それは詩を書くときにも同じです。
読み手が読む努力をしないでも、詩のほうから読み手へ飛びかかっていく、そんな言葉を探しだそうと、ああでもないこうでもないといつまでもやっています。
そんな行為は返って詩を弱めることになる、という人もいるでしょうが、それをしないとひどく不安になってしまうのです。

にもかかわらず、失敗することがとても多い。

先日の詩の合評会で提出した作品についての参加者の感想は「難しい」というものでした。
自分ではわかりやすく書いたつもりが、またうまくできなかったようです。
この不器用さには、自分のことながらまったく呆れてしまいます。

会の後で参加者の一人から、「ひとつの詩に色々と詰め込みすぎだ」というご指摘をいただきました。
なるほど。
つらつら考えてみると、私は昔からあまりに多くのことを一遍に喋ろうとし過ぎる癖があるのでした。
言いたいことがたくさんありすぎて、だから混乱してごっちゃになって、「何言ってるかわからない」ことになってしまうのです。

私は詩を書き始めてからしばらくは、ひとつの詩にあまりたくさんのことを詰め込みませんでした。
私が好きな詩人たちも、やはり詰め込まない詩を書く人ばかりでした。
しかし詩を書き続けていて、多少なりとも向上心などというものがあると、今までと同じでは嫌だ、もっと意味を持った詩を書きたい、などと思い始めるものです。
そう思うことは、別に悪いことではないと思います。
ただ無理にそうしようとして、せっかくの持ち味を台無しにしてしまう人の多いことも事実です。

だから詰め込まないことに徹するほうが、詩作においては得策なのかもしれません。
実際私はそういう詩を書くのも好きで、寧ろそういう作品を書くことのほうが多いぐらいです。
しかしその一方で、これが「何言ってるかわからない」になる原因なのだと知りながらも、可能な限り詰め込みたいとする欲望を消すことができないでいます。

果たして詩において、それを実現することは可能なのでしょうか。
たくさんのことを言うには、それに見合った長い時間が必要なのかもしれません。
書くという行為の場合、それは長編詩か散文ということになるでしょう。
また、多くのことを言おうとすればするほど、逆に言葉は少なくなっていって、最後は俳句のような形になるのかもしれません。
あるいはもっと別の、未知の形があるのかもしれません。

どうにしろ、まだしばらくは、一杯詰め込んで一遍に喋っても相手に伝わる方法を、欲に任せて模索していると思います。
馬鹿馬鹿しい努力なのでしょうが、ちゃんと答えを出しておかないと、次に進めそうにありませんから。
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Aug 22, 2005

昨日は

PSPクラブの合評会でした。
今回は各メンバーの作品のレベルアップが印象的で、この人の今まで読んだ作品のなかで一番好きだと言える作品(特に白井さんと手塚さん!)がいくつもありました。
個々の前進を感じると共に、置いてけぼりにされないよう頑張らなくては、と思わせられた一日でした。

今回の合評会には宮越妙子さんが参加されました。
ポエケットで一度ご挨拶させてもらっていたので、お会いするのは二度目です。
ご高齢ながら底抜けに明るい方で、生きるを楽しむにはこうすればよい、と体現されているような方です。
提出された作品は、作者の胸に今も息づく六十年前の満州の風景と感懐を表した「幻の国」という作品。
そこに描かれた紛れもない真実と想いには、私ごときの者から評する言葉など出てこようはずもなく、ただ鑑賞し、感じ入るだけでした。

桐田さんから、清水燐造さんのブログで紹介されていたポエムカードを頂きました。
とても美しいものに仕上がっています。
桐田さんのは「2月の歌」という作品で、記念すべき第1番目!
そして桐田さんは、私がブログに渕上毛錢のことを書いていたのを見て、詩学2000年6月号「渕上毛錢特集」をご好意で貸してくださいました。
内容を見るとアンソロジーはもちろん、対談や論考がふんだんに掲載されています。
毛錢について書かれた文章を私は殆ど読んだことがなかったので、これは興味津々です。

そして合評会後の飲み会には、久々に久谷雉さんが登場しました。
久谷さんは日曜日にバイトが入っていて、なかなか会に参加できないということ。
それにしても相変わらずエネルギッシュな人で、声の大きさはやはり群を抜いていますね。
私のブログを読んでくれているということでした。
うれしい!

それにしても飲み会で痛切に感じたことは、詩に対しての私の無知さです。
私以外のメンバーは詩をすごく研究し、愛し、たくさんの詩人の名前を出して論じ合うのですが、私はほとんどついていけません。
私も少し勉強して、論ずるには行かないまでも、みなが話していることを理解するぐらいにはならないといけませんね。
Posted at 23:33 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Aug 20, 2005

北見さん、

トラックバックありがとうございました。
先日の飲み会でして頂いたお話はとても為になりました。
竹内さんから「燦燦」を、有働さんから「ジャンヌの涙」を頂き、眺めながらその装丁のすばらしさに驚いているところです。
私などは本文の紙の切り口や、印刷による紙のへこみの感じなんかがたまりません。
北見さんのブログにあるジャコメッティの本もまたイカしてますね。

一昨日の続き…

それにしても私にはあの「いんあうと」のイベントまで、詩人の友人はおろか、詩に興味のある友人すらいなかったのです。
あのときあのまますぐに帰ってしまっていたら、勇気をだして久谷さんに声をかけていなかったら、久谷さんが竹内さんを紹介してくれていなかったら、そうしたらわたしはこの合評会に参加することも、メンバーの方々にお会いすることもできなかったのです。
そしてここでブログを書くことも当然なかったわけです。
まったく運命とは少しのことで大きく変わるものだと不思議な気持ちになると同時に、出会った人に対して感謝せずにはいられません。
私の詩への第一歩は現代詩手帖とユリイカに詩作品を投稿することでした。
そして二歩目はPSPクラブに参加することでした。
この二歩までで痛感するのは、人が歩くには他者の力を借りなければいけないということです。
一歩目では投稿欄の選者の力を借り、二歩目では久谷さん竹内さん他、合評会のメンバーの力を借りて進むことができました。
やっぱり一人じゃどうしようもありません。
私は現在、個人の作品集を出版する準備をしています。
これにもやはりたくさんの人の力を借りています。
はたして次の三歩目を私はうまく踏み出せるのでしょうか。
未だ不安ではありますが、いい意味で、なるようになるのでしょうね。
Posted at 22:50 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Aug 19, 2005

昨日の続き…

当日、会場である吉祥寺のレストランに行って、外から店内を見渡してみると、すぐに竹内さんが手を振って招き入れてくれました。
そこで現在までお付き合いして頂いている詩人さんたちに初めて出会いました。
灰皿町の住人である桐田さん、高田さん、有働さんを始め、朗読会「黄いろの日」を主催されている白井明大さん、去年に詩集「詩日記」を上梓され、各詩誌の投稿欄でも活躍されていた手塚敦史さん、詩誌「たまたま」など様々な詩の活動をなさっている小網恵子さん、そして実は私がこの会で一番作品を楽しみにしている柿沼徹さん。
どの方も長く詩作活動されている大先輩ばかりです。
それぞれのメンバーが提出する作品はとても個性的かつハイレベルであり、すっかりしり込みしてしまいましたが、私の拙作もみな真剣に読んでいただき、いままで一人で書いていてはわからなかった部分などが見えてきて、とても勉強になります。
私もたどたどしいながら参加者の作品について意見を述べさせてもらっていますが、みんな真剣に耳を傾けてくれるのはうれしいことです。
現在までに五回参加させて頂きました。
そのなかで上記したメンバーのほかにも、長く詩に携わって知識も経験も豊富な福士環さん、美しい装丁で知られる水仁舎の北見俊一さん、私と同時期に現代詩手帖に投稿され、詩集「君はなにをするの」を去年上梓された佐藤勇介さん、合評会「リリースルーム」を主催されるほか、たくさんの活動をされている安田倫子さん、詩集「夕べの散歩」を一昨年上梓された岩村美保子さんにお会いすることができました。
また先月には、この合評会から生まれた同人誌「ル・ピュール」の創刊号にも、「模様」という作品で参加させてもらいました。
もちろん私にとって初めての同人誌です。
制作は水仁舎で、そのシンプルかつ美しい装丁は大変評判になっています。

ありゃりゃ。
またまた長くなりましたので、続きはまた明日か明後日に…
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Aug 17, 2005

小網さん、

トラックバックありがとうございました。
月曜日は楽しかったですね。
大したことは書けませんが、ちょくちょく見に来てくれるとうれしいです。

今宵は詩の合評会「PSPクラブ」に私が参加したいきさつを書きましょうか。
今年の三月二十日に、詩人の和合亮一さん主催のイベント「いんあうと2005」が、早稲田大学で開かれました。
私はネットでその情報を得て、詩のイベントというものを初めて見に行きました。
イベントは四部構成で、それぞれの部で提示されたテーマについて5,6人のパネラーが発言していくというかたちで進んでいき、その時間は四時間以上にも及びましたが、各パネラーが非常に興味深い内容の発言をされていたので、瞬く間に時間が過ぎていきました。
パネラーの一人として、灰皿町の住人でもある詩人の久谷雉さんが出演されていました。
久谷さんには、去年の暮れに出た現代詩手帖12月号「現代詩年鑑2005」に、去年一年間で印象に残った作品のひとつとして、ありがたいことに私の作品の名前を出して頂きました。
さて、イベントが終わるとすぐに二次会への参加の呼びかけがあり、見に来た人たちの一部は誘いあって参加するようでした。
私は一人でしたし、面識のある人もいなかったので、そのまま帰るつもりでいたのですが、しかし前出の久谷さんと、詩手帖の投稿欄で評をしてくださった和合さんにはぜひ挨拶をしておきたいという気持ちがありましたので、会場の外で二次会に参加する人の集団に紛れ込みつつ、和合さんか久谷さんが出てくるのを緊張しながら待っていました。
大分経ってから久谷さんが出ていらしたので、私は勇気を出して声をかけました。
初対面でいきなり話しかけた失礼にも関わらず、久谷さんはとても親切に明るく会話をしてくれました。
それで調子にのって私も居酒屋で開かれた二次会に参加することにしました。
久谷さんは人気者なので、会が始まるとすぐに周囲は久谷さんを中心にして会話が弾み、そのなかで「小川さん、彼がやっている合評会に参加してみたらどう」と、PSPクラブの発起人である竹内敏喜さんを紹介してもらいました。
私はそれまで現代詩手帖に詩を投稿するという形で詩を発表していたのですが、その三月に区切りをつけて投稿を卒業することに決めており、詩を発表する場をなくしたばかりだったので、是非にとお願いしました。
合評会はその一週間後に予定されており、ですから非常に急な申し出だったのですが、竹内さんは快く参加を受け入れてくれ、イベントの二日後には早速合評会の案内状を頂きました。

ふう。
少し長くなりそうなので、続きはまた明日か明後日に…。
Posted at 23:46 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Aug 16, 2005

昨日は

参加させてもらっている同人誌「ル・ピュール」の飲み会に行ってきました。
発行者である竹内敏喜さんとは詩のあり方についての論争をし、
柿沼徹さんとは僅かながらも殆ど初めての会話を交わすことが出来、
小網恵子さんとは町田康などの小説家や詩人の周辺のお話を楽しくし、
水仁社の北見俊一さんからは、本としての詩集や同人誌についてのご教授を頂き、
このブログにも度々ご登場願っている有働さんとは、性別などのアイデンティティが詩にどう関わってくるかなどの意見を交わしました。
残念ながら今回は白井明大さんと福士環さんとはあまりお話が出来ませんでしたが、
どの方もすばらしい詩の先輩方で、すべての会話が勉強になりました。

個人的連絡:
有働さん、すばらしい詩集をありがとうございました。
小網さん、見てますか?
Posted at 22:51 in n/a | WriteBacks (1) | Edit

Aug 13, 2005

このブログ、

なんだか隔日刊になってきました。
一昨日はフランス人の詩人についてだったので、なにかフランスネタで書こうと思ったのですが、なかなか見当たらないので、フランスからスイスを飛び越えて、イタリアに来てみました。
小説家のアントニオ・タブッキについて。
と言っても実はタブッキという作家のエピソードを私は殆ど知りません。
知っているのは、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの紹介者であることぐらい。
ただ作品は大体読んでいます。
中でも「島とクジラと女をめぐる断片」は好きな作品で、時々引っ張り出しては読んでいます。
私はこの作家の透明で浮遊感のある文章が好きで、それが極まるのがこの作品なのです。
内容はポルトガル沖のアソーレス諸島という場所での、クジラと女と難破船を巡る幻想的かつ断片的な旅行記なのですが、ディテールがとてもしっかりしているので、すんなりと作品世界に入っていけます。
私にとってはこの本、正直ストーリー云々はどうでもいいのです。
タブッキ独特の雰囲気に浸るのが心地よくて、私はこの本を開くのです。
それぞれのエピソードは小説と呼ぶより、詩と呼ぶほうがしっくりくるもので、その点では「青の物語」に似ていますね。
タブッキの文章が持つ雰囲気については、説明するのはとても難しいので、もし本屋で見かけたら、2,3ページ目を通してみてください。
それで気持ちよくなれたら買いだと思います。
青土社から出ている本は、装丁もとても美しくていいです。
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Aug 11, 2005

ジャン=ミッシェル・モルポワ著

「青の物語」(有働薫訳)を、最近は机の前の棚に置いて時折パラパラと捲っています。
先日の東京ポエケットの時に、訳者である有働薫さんから直接頂いたものです。
タイトル通り、全編が「青」についての短い詩によって編まれており、どこから読んでも気持ちのよい本です。
実は最初に少し目を通したときには、これはなんだか難しい本だなと思っていたのですが、やがて語感の流れが体に馴染んでくると、文章が意味深くあるのはもちろん、その前に快楽があり、読解するよりむしろ身を委ねるのが私には良いようでした。
それでちょっと取り出しては5,6ページ捲って棚に戻し、また何かの拍子に気になって取り出し、といった具合にこの詩集と接しています。
すると何しろ飽きない詩集です。
私はフランス語のことはまったくわかりませんが、有働さんによって訳されている日本語は、とても気持ちのいい音をもった言葉ばかりで、あたかも無人のプールを誰にも気兼ねすることなくのんびり泳ぐように、言葉の中を流れていくことができます。
詩を読むことは快楽でないといけないと思います。
そして何よりもまず読むことの快楽を与えてくれる詩が、良い詩なのだと私は思っています。
「青の物語」は私が久しぶりに出会えた、読むことが純粋に快楽であり得る詩集であり、これから長く親しんでいけると確信できる詩集です。
残念ながらまだ私はこの詩集の本意を完全に理解するには至っていません。
しかしこの青の中を気まぐれにまたのんびりと泳いでいるうち、きっとそれを理解する瞬間がくるに違いないと思います。
それまで慌てずにこの詩集を手繰り、快楽に身を委ねていたいと思います。
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Aug 09, 2005

毛錢の詩を

読み返していて思ったのですが、私は詩に限らず、シンプルなものが好きなのです。
音楽にしても映画にしても何にしても。
シンプルなものは凶暴です。
ナイフのように突き刺さって、あとは知らん顔をするのです。
私はおそらく、その知らん顔をされるのが好きなのでしょう。
ナイフは深く突き刺さり、その傷跡を、私は長いこと見つめているのです。
そしてそこから溢れ出てきたものによって、私は今まで生きてきたような気がします。
私の人生を左右した実際の出来事も、いま思い出してみればとてもシンプルなことばかりでした。
出来事には必ず複雑な事情が絡んでいて、そのときは心を支配され盲目となるのですが、年月とともにそれは消え、残るはとてもシンプルな衝動の記憶だけです。
それは恐らく、人の欲望そのものなのでしょう。
あるいは弱さと見えもしますが、弱さもまた欲望の一種ではないでしょうか。
人を動かすのはただ欲望だけであり、言葉はそれを説明したり正当化したりするものに過ぎないと思います。
私が衝撃を受けた文学も音楽もその他のことも、ただ欲望そのものであり、私にとって詩を書くことも、また欲望以外のなにものでもありません。
あるいはやはり弱さなのでしょうか。
まだ当分は詩を書くと思います。
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Aug 07, 2005

昨日の続き。

淵上毛錢は1915年に熊本県水俣市で生まれ、二十歳でカリエスを発病、十五年間の闘病の末、三十五歳でこの世を去りました。
二十四歳ぐらいから詩を書き始め、二冊の詩集と、一冊の未刊ノートを残しています。

毛錢の詩の中で私が最も惹かれたのは「春の汽車」と言う、たった一行の作品でした。

 春の汽車はおそいほうがいい。

ただこれだけの詩なのですが、しかしとめどなく想像力を掻き立てさせられる一行でした。
何故春の汽車はおそいほうがいいのか。
春は別れの季節だから、駅での別れを少しでも長引かせる為、おそいほうがいいのか。
汽車から眺める春の風景が美しいから、それをゆっくり見る為におそいほうがいいのか。
春の風景を走る汽車の姿は夢のようなので、だからおそいほうがいいのか。
いやがおうにも解釈が広がっていきます。

ちなみにこの詩はもともと五行ある詩で、

 春の汽車は遅い方がいゝ

 おーい
 その汽車止めろお

 と言つてみようか

 春の汽車は遅い方がいゝ

と言う形で最初は発表したものを、毛錢はその後四年がかりで一行にまで削り込んでいます。
凄い執念です。
最初に発表した時点でも、恐らく相当に推敲してこの短い形まで到達したのだろうに、それを更に(この一行だけで良し)と判断するまでに至るには、とてつもない精神力と長い時間が必要だったと思います。
そしてその努力は正しく報われていると思います。
このことを知ってから後、私はやたらと推敲に時間をかけるようになってしまいました。
単純ですね。
誰かの真似をした詩は書きたくありませんが、しかし私は素直に「春の汽車」のような無限の情報量を持つ作品を書きたいと思います。
一生に一編ぐらい、そんな詩が書けるでしょうか。
Posted at 00:40 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Aug 06, 2005

今日は淵上毛錢について。

淵上毛錢も、私が好きだと言える数少ない詩人の一人です。
毛錢を知ったきっかけは、寺山修司のエセーの中に取り上げられていたのを読んだことでした。
多分「馬車屋の親爺」と言う詩が紹介されていたと思います。

馬蝿を叩いてゐる
馬車屋の親爺
馬車も古いが
親爺もよく枯れてゐる

なんのことはない四十年
じつくり馬車という竈で
燻製にされた上等な親爺

馬蝿を叩いてゐる
燻製のずぼんには
煙管が神経痛のやうに
突っ張つてゐた

馬蝿を退治て
神経痛から煙を出してゐる
燻製よ

面白い詩を書く人だと思い、ほかの作品も読んでみたくなって本屋を探しましたが、見つかりませんでした。
調べてみると、淵上毛錢の詩集はどれも絶版状態でした。
神保町の古本屋を探しまわってようやく180ページほどの選集を見つけて購入しました。
それは1000円ぐらいで買えたのですが、同じ店に置いてあった、昭和40年代に出た全集は、三、四万の値がついていました。
残念ながら容易に作品を読むことの出来ない詩人です。

続きは明日書きます…。
Posted at 01:26 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Aug 04, 2005

有働さん、トラックバックありがとうございました。

サクサクッとインターネットしていますか?
大したことは書けないと思いますが、ちょこちょこと少しずつ書き込んでいくつもりですので、暇な時に寄ってみてもらえると嬉しいです。
ブログ、拝見しました。
有働さんは俳句にも長年力を入れてらっしゃるのですね。

私はまだ俳句と言うものを自分に染みいらせることが出来ないのです。
種田山頭火や尾崎放哉などの自由律俳句はとても面白く読めるのですが…。
世界で一番短い文学であり、日本の誇るべき文化であるのに、馴染めないというのは情けない話です。
きっとまだ心が自分勝手でありすぎるのでしょう。
すると私が俳句に馴染めるのは随分先だということになりそうですが、その時には有働さんにも相手になってもらおうと思います。
Posted at 00:22 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Aug 03, 2005

今日は辻征夫さんについて。

私が初めて辻征夫さんの文章を読んだのは、1998年9月号の「新潮」誌上でした。
そこに辻さんの小説「黒い塀」が載っていました。
つまり私が辻さんの書いたものを最初に読んだのは、詩ではなく、小説だったのです。
そのころまだ私は詩のことを全く知らない、小説を好む人間でした。
その時も(面白い小説はないか)と図書館で文芸誌を片っ端から読み漁っていたのでした。
発見した辻さんの小説は、ほかの小説とは一線を画す雰囲気を持っており、これは面白いと思いました。
それでほかの作品も読みたいと思い、小説のコーナーへ行って探しましたが、まだ辻さんの小説は単行本化されていない上に、もとより辻さんは詩人なのですから当然見つからず、本屋もまわって探しましたが無駄でした。
後日、たまたま大きな本屋の詩のコーナーを眺めていた時、しばらく前に探していた辻征夫と言う名前が目に入りました。
「俳諧辻詩集」と言う本でした。
そこで私は初めて辻征夫が詩人であることを知ったのです。
本を開いて見るとまず変な俳句があり、それに呼応するように幾つかの詩らしきものがあり、そしてまた俳句があり、と言う構成でした。
俳句の方は良くわかりませんでしたが、詩の方を見て驚きました。
いままで見たこともない魅力的な言葉が、そこかしこに転がっていたのです。
私はどきどきし、俳諧辻詩集は税抜で2330円もしましたが、すぐに買って自分の所有にしました。
何度読んでも飽きない、面白い本でした。
それから私は辻征夫さんの本を出来る限り入手し、恐らく辻さんが書いた殆どの詩や散文を読み、そのどれもを好きになることが出来ました。
そんな書き手に出会えることは滅多にありません。
その後、幾人かの詩人の作品に接しましたが、辻征夫さんは私にとって特別な詩人であり続けています。
決して辻さんの作品を真似した詩を書こうとは思っていませんが、現代詩手帖に投稿していた時に選者の方からいただいたコメントを見ると、やはり少なからず影響は受けているようです。
最初に好きになった詩人ですから、これはもう仕方ないのかもしれませんね。
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Aug 02, 2005

おやおや、

昨日の更新時からカウンターが10ぐらいしか増えてませんね。
まあ始めたばかりですし、当然なんでしょう。
では殆ど誰も見ていない、と言うことを前提に、ゆるい文章を書いていきます。

昨日の続き。
恐らく井川さんはいま一番書きたいことを、形を気にせず好きなように書いておられるのではないでしょうか。
それがすごく成功しているように思います。
私は詩を書くとき、どうも形ばかりが気になって困るのです。
一番書きたいことがしっかりと自分の中で固まっていれば、形はおのずと決まってくるものなのでしょう。
しかし私の場合、その場で感じたことを大して考察もせずいきなり書き始めてしまうのです。
それをあとで格好いい形にしてやろうと格闘している内に、自分が何を書きたかったのかもよくわからなくなったりして。
そこら辺の浅はかさが、私の駄目なところのようです。
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Aug 01, 2005

高田さん、よろしくお願いします。

ライトバックありがとうございました。
寝る前にぽつぽつ書きこんでます。
暇な時に寄ってみてください。

一昨日の続き。 井川博年さんの、詩「のようなもの」が連載七回目。
タイトル通りというか、詩というより散文に近くて、なんだか否定的な声が聞こえてきそうですが、私は好きです。
井川さんは、以前私が投稿していた時に選者をされていて、私の作品を随分入選に選んでくれました。
それで言うのではありませんが、もう単純に読んでいて面白い。
こちらの頭に挑み掛かってくるような詩と論考が多い詩手帖の中で、私がゆっくりと腰を下ろせる場所です。
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