Dec 31, 2005

本年最後のご挨拶。

清水隣造さん、桐田真輔さんを始めとした、全ての灰皿町住民のみなさま、
PSPクラブのメンバーのみなさま、
拙詩集を刊行するにあたって、お世話になった全ての方々、
お手紙をお送り下さった方々、
イベントなどで言葉を交わして下さった方々、
今年は本当にお世話になりました。
そしてこのブログを一度でも見て下さった方々、
本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
そして来年もまた、どうぞよろしくお願い申し上げます。
なるべく更新の方は、滞らずにしていきたいと思います。
少しでもいい詩を書きたいと思います。
懲りずにまたこのブログ、覗いてみてください。
どなた様にとっても、来年がよい年でありますように。

小川三郎
Posted at 01:33 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Dec 28, 2005

今年最後の更新かも。

やっぱり、もう一回ぐらい出来るかも。
出来ないかも。

また拙詩集のことで恐縮ですが、
現代詩手帖1月号の詩書月評に、
杉本真維子さんが私の詩集について書いてくださっています。
すごくいい風に書いて下さっていて、
なんだかとてもいい詩集のように見えます。
嬉しいですね。

毎年1月号は恒例の「現代日本詩集」で、
名のある詩人さんが新作で競っていて、読み応えがあります。
しかしそれ以上に、投稿欄がえらいことになってます。
ほとんど爆発です。
長いとか変則的とかを超えて、とにかく凄いパワーを感じます。
私が投稿していた頃は、なんかこう、のどかな雰囲気があったのですが、
もう戦争ですね、これは。
もちろんいい意味で。
20歳前後の若い方が中心のようですから、
とにかくありったけの言葉を放出させているようで、
見ていてちょっと気持ちいいくらい。
なんかこの中から近い将来、
詩界をひっくり返してくれる人が出てくるような気がします。

ところで、詩でしか表現できないものって何でしょうか。

私が詩で表現したいのは、言葉では表現できないものです。
なんだか矛盾していますが、言葉で説明できることなら、
それは散文で書いたほうが、より明確に表現できると思います。
言葉で表現できない感情や感覚を、言葉を使って表現するのが、
詩という方法なのだと私は考えています。
だから私が書く詩に対しての最大の褒め言葉は、
「なんだかわからないけど面白くて、何回も読み返しちゃったよ」
です。

しかし、なかなかそううまくはいきませんね。
わからなさ過ぎたり、説明的過ぎたり、ちっとも面白くなかったり。
少しでも焦点がずれてしまうと、
詩とはいえないものになってしまいます。
言葉の大海の中で、詩が成立し得る場所というのは、
案外非常に狭いところなのではないでしょうか。
そして、最早点に近いそこに立ち続けているのには、
ものすごく体力と神経を使うのかも知れません。
詩でしか表現できないもの。
考えてみれば、明らかな詩というものに、
私はまだ一度も、書いたことはもちろん、
出会ったことすらないのかもしれません。
そんな風にも思えてきます。

さて、年賀状書いて寝ます。
Posted at 23:56 in n/a | WriteBacks (3) | Edit

Dec 25, 2005

二日続けて忘年会。

しかも両方とも詩関連です。

22日の夜は思潮社の忘年会でした。
七時からの開始でしたが、私は遅れて八時過ぎから参加。
会場には野村喜和夫さんや、
城戸朱理さんなどの有名詩人の方もちらほら。
私は歌人の斉藤斎藤さんや、
詩人のキキダダマママキキさんなどと、お話させていただきました。

嬉しかったのは、私の拙詩集の栞を書いてくれた、
田野倉康一さんとお話できたこと。
正直、もっと恐い人かと思っていましたが、
お会いしてみるととても優しく、
たくさんの言葉で、私のことを励ましてくださいました。
「早く次の詩集を出しなさい」
と言ってくださったことは特に嬉しい言葉でした。

他にもご挨拶させてもらった方が何人かいたのですが、
もとより口下手、人見知りな上、緊張していたこともあって、
うまくお喋り出来なかったことが残念です。
投稿欄でお世話になった池井昌樹さんには、
ご挨拶することすら出来ませんでしたし、
今度の現代詩手帖の詩書月評で、
私の拙詩集について書いてくださった杉本真維子さんにも、
うまいことお礼が言えませんでした。
いい歳して恥ずかしい…。

二次会では、
最近詩集「オーロラ抄」を上梓された今井義行さん、
そしてお世話になっている和合亮一さんとお話。
今井さんは静かに喋られる方で、いかにも詩人という雰囲気を持つひとでした。
やっぱり詩人はべらべら喋ってはいけないのかも。
和合さんは、来年から詩の批評サイト「いんあうと」を再始動する予定。
その一環として、新たにフリーペーパーを発行するのですが、
そのメンバーに私も加えてくれました。
嬉しいやら不安やら、です。
残念ながら私は終電に間に合うよう、十一時ごろ失礼しましたが、
聞くところによると、会は朝まで続いたということ。
ちなみに久谷雉さんは、この日も絶好調でした。

そして、23日は同人誌「ルピュール」の忘年会が、
水仁舎の北見さんのお宅で開かれました。
私は予定より少し前に伺って、北見さんの仕事場を見学。
断裁機や、箔押機などの機械のほか、
北見さんが製作された本などを見させていただきました。
それにしても、水仁舎の製作される本はみな美しくて、ため息が出ます。
いつか自分もそのような装丁に見合うものが書けたなら、
是非にと思います。

その後続々といつものメンバーが到着して、
手巻き寿司やおでんなどの和風の食事でお酒を頂きました。
どれもみなおいしかった!
だものであっと言う間になくなり、
遅れてきた人の分がなくなってしまうほど。
北見さんと奥様に感謝です。
Posted at 23:32 in n/a | WriteBacks (8) | Edit

Dec 22, 2005

前回と順番が逆になってしまいましたが、

去る12月17日(土)、
「遊戯空間公演
 あらゆるものからせみが生まれてしまえ
 あらゆるものは抜け殻になってしまえ
 ~和合亮一の現代詩によるコラボレーション~」
を見てきました。
これは詩人和合亮一さんの第三詩集「誕生」を舞台化するという試みでした。

場所はJR四谷駅から徒歩7分ほどのところにあるコア石響。
一日二回の公演で、私は19:00からの回にお邪魔しました。
会場は20メートル四方ほどの空間で、
その片側にお客さんが4,50人、
もう片側で出演者が演技をされるという形でしたので、
目の前で演技を見ることが出来ました。
出演者は男女8人、それにピアノで音楽がつくという形。

出演者は黒か白のシンプルな衣装を着て、
小道具は詩集「誕生」以外殆ど使わず、
あるときは静かに、あるときは叫びながら大きくアクションをつけて、
和合さんの詩を演じられました。

演ぜられた詩は全部で十篇。

「世界」は、出演者全員にて様々な方向へ向って詩を発し、
「事件」は、並んだ一組の男女が掛け合うようにして言葉を投げかけ、
「タイフーン・ジェーン」は、女性ひとりがまず直立して詩を読み、
そして同じ詩を、男性がビニール傘の芯だけを槍のように突き出しながら唱え練り歩き、
「犬を探して下さい、探して下さいよ。」では、詩集を胸の前にかざした貧相な男性が、
客席の前列に座った人に向って、ひとりずつ探して欲しい犬の特徴をコミカルに説明してまわり、
「生誕」では、大きな詩集を抱えたひとりの女性が、3人の女性を引き連れ、
生誕した「うずまきちゃん」に向って底抜けの笑顔で呼びかけ、
「WAR」では、男性4人が代わる代わるに荒々しく詩を怒号しながら、
戦場の丘で目まぐるしい動きを展開し、
その直後に同じ詩を、中心となったひとりの男性が静かに唱え、
「バンザイ、バンザイ、バンザイ!」では、教師となった女性が明るい声で、
生徒となって並んでしゃがんだ他7人のメンバーに、バンザイしなさいと強要し、
「OCEAN」では、暗い舞台で照明を当てられた女性が横座りして詩をつぶやき、
「フライング」では、床に等間隔に三冊並べられた詩集の向こうに出来た淵を見つめながら、
男がひとり詩を独白し、
「変声期」では、再び出演者全員が横一列に並んで客席に向い真っ直ぐ詩の言葉を投げかけ、
公演は終了しました。
時間にしておよそ1時間半。

と、言葉でずらずらと書き連ねただけでは、当日の熱気は少しも伝わらないのですが、
出演者の方々は非常な熱演をされ、客席もみなじっと演技に見入り、
緊張感のある空間が生ぜられていました。

私の率直な感想としては、かなり面白かった!
詩を表現する形としては、紙の上に置かれた文字と朗読が主として挙げられますが、
さらに新たなひとつの方法を目撃することが出来ました。

今回は演劇と詩のコラボレーションという形でしたが、
良かったと思うのは、演劇に近づき過ぎず、また朗読という形にも近づき過ぎず、
ほぼその中間地点で作品が作られていたということです。
実は公演を実際に見るまでは、
恐らくどちらかに近づいたものなのだろうという思いを正直もっていましたが、
嬉しいほうへ裏切られました。

コラボレーションとは、双方の魅力が、
双方によって充分に引き出され、尚且つそこに化学変化が起こり、
1+1が2以上のものになって、初めて成功といえるものだと思います。
今回の演目は激しい動きと大きな声を伴うものが多く、
するとそこでは和合さんの強い詩の言葉が化学変化を起こし、
活字で読むよりさらに鮮烈な、新しい生命を持って実空間に出現していました。
そして一番重要な目的である、お客さんの心の内へと突き刺さることに成功していたと思います。

公演がはねたあと、
私は一緒に行った竹内敏喜さんとともに打ち上げに参加させていただき、
和合さんや思潮社の方々、それに詩人の方々ともお話が出来ました。
現代詩図鑑などに作品を寄せられている枝川理恵さんからは、
短篇小説アンソロジー「夢」を、
現代詩手帖投稿欄で活躍されている橘上さんからは、
オルタナ的に激しい朗読CD「できない」をいただきました。
お二人には、お礼に私の拙詩集を進呈。
詩談議に花が咲き、すっかり長居してしまって、危なく終電に遅れるところでした。

今回は、良いものを見たご報告ということで、長文も致し方ありませんね。
最後まで読んでくださった方、心より御礼申し上げます。
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Dec 19, 2005

昨日は恒例の合評会の日。

しかし年末ということもあってか、
参加者はますます少なく、
私を合わせて七人だけでした。
作品を出したのはそのうちの五人だったので、
いつもは足りなくなる三時間という時間も、
珍しく余ってしまうぐらいでした。
その所為でもないでしょうが、
今回は互いの詩を評する言葉が、
いつもにも増して激しく行き交いました。
詩作品についてはもちろん、
詩の読み方捉え方についても、
真っ二つに分かれて論争しました。
といっても、
別に喧嘩になっているわけではありませんよ。
自分の読み方を主張し、また他方の読み方を認識理解する上で、
非常に意義のあるやり取りだったのです。

しかし一ヶ月に一篇、詩を完成させて提出するというのは、
実に大変なことですね。
しかもメンバーは目の肥えた人ばかりなので、
その御眼鏡にかなうだけの作品となると、
そりゃもう大変です。
私は今月は詩集を上梓した関係上、
いつもなら詩を書いている自分の時間を、
詩集の発送やお手紙を書く時間にあててしまったので、
まともなものを書きあげることが出来ませんでした。
だからちょっと反則ですが、
先月書いて没にしていたものを提出。
見事にメンバーの沈黙をかってしまいました。
ひー。

二次会からは、仕事の都合などで合評会に間に合わなかった、
有働さん、福士さん、久谷さん、手塚さんが参加。
大いに盛り上がりました。
この会から生まれた同人誌「ルピュール」2号も初校が出て、
順調に作業が進められています。
目次を見たら、なんと私の作品が巻頭に据えられていたのでびっくり。
…いいのか?本当にそれで…。
なににしても2号は執筆者も増え、1号よりもいい内容になりそうです。
今号の特徴としては、
同人誌としては珍しいことなのかわかりませんが、
執筆者が二十代、三十代、四十代、五十代、六十代、七十代と揃っていることです。
ちょっと凄い気がします。
薄い冊子の中に広がる小宇宙。
作風も本当に人それぞれで、どんな方に読んでもらっても、
どれかひとつは好きになってもらえそうです。
Posted at 23:35 in n/a | WriteBacks (2) | Edit

Dec 16, 2005

恐ろしく寒くなってまいりました。

しかし毎年思うのですが、
12月ってこんなに寒かったでしょうか。
去年まではもうちょっと暖かかったような気が…
たぶん気のせいですね。
失礼しました。

引き続き、拙詩集到着のお知らせや感想が、
毎日お手紙やメールで届いています。
ご詩誌やご詩集を送ってくださる方もおられ、
ニヤニヤしながら夜を過ごす毎日です。
みなさま、本当にどうもありがとうございました。

お手紙の中で、「この詩が良かった」と、作品名を挙げて下さる方がおられます。
それを見て私が嬉しく思うのは、
挙げられる作品名が、それぞれの方でみんな違うと言うことです。
いまのところ殆ど重なっていません。
これは良くも悪くも考えられることでしょうが、
私にとっては、ひとつの作品に評価が集中するよりも、
みんなてんでばらばらな作品を、
それぞれに好きになってくれたほうが、
なんだか嬉しい気がするのです。
詩句のほんのひとつだけでもいいですから、
その人だけが好きな場所を持ってもらえたとしたら、
ちっぽけな世界も、それだけ広がりが持てる気がします。

内容が少し薄いのでは、という感想もいただきました。
これは、その通りだと思います。
じつは、もっと濃密な内容にしようと思えば出来たのですが、
わざとそのようにはしませんでした。
あまりに濃い内容のものや、同じテーマのものをずらずらと並べると、
息が詰って読むのが嫌になると思います。
私が他の人の詩集を読むときも、
そのような内容のものに遭遇すると辟易してしまって、
途中で放り出したくなることがよくあります。
それを避けるために、重いもの軽いもの、長いもの短いものと、
出来るだけ色々な内容の詩を並べて、
詩集全体に流れが出来るようにしたつもりです。
そのために、自分で気に入っていた作品も、
流れにうまく乗らなかった場合は、
泣く泣く切ったものもありました。
それが良かったか悪かったかどうかはわかりませんが、
このような形にしたことを後悔はしていません。
しかし、もしまた詩集を作ることが出来るならば、
今度はちょっと違った形になるかもです。
Posted at 01:15 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Dec 13, 2005

詩集の発送が、

ほぼ終わりました。
住所がわからず、失礼にもメールでおたずねした皆さんには、
全ての方に快くご承諾を頂いただけでなく、温かい言葉も添えてくださって、
ほんとうに、どうもありがとうございました。
深く感謝しております。
またメールやトラックバックで、詩集の到着をお知らせいただいた方々、
わざわざ、どうもありがとうございました。

と、このあと少し長くなります。
時間を無駄にされたくない方は、
どうかここでご遠慮ください。

私は小中高の大部分を、神奈川県の藤沢市で過ごしました。
自転車で10分ぐらいのところに海がありました。
海岸に出ると、左に江ノ島、右に烏帽子岩が見えました。
正面を見ると、浜辺付近の茶色く汚れた海にサーファーがずらりと並んでいて、
その向こうには群青色の海が、水平線まで続いていました。
そしてその上には青空、入道雲、または雪を思わせる曇天の空が広がっていました。
水平線は微かに湾曲して見えて、ああ地球は丸いんだなあと子供心に思ったあの風景が、
恐らく私の原風景というものだと思います。
沖縄やハワイの海とはとても比べ物にならないほど貧相な眺めですが、
しかし私の「美意識」とは、あの風景にあるのだと思います。
私が美しいという言葉を書いたり言ったりするとき、
無意識のうちにその言葉のずっと奥のほうには、
あの風景があるのだと思います。

また、私は昔ボーイスカウトをやっていました。
ボーイスカウトは夏休みと春休みには山へキャンプに行きます。
随分と山の中を歩かされました。
丹沢や八ヶ岳などよく登りました。
正直私はボーイスカウトなんて好きじゃなかったし、
山を歩くのも嫌で嫌で仕方がなかったのですが、
それでも山の中腹や頂上から臨む山々や深い森の景色には、
素直に見惚れていました。
あれもまた、私の原風景であると思います。

他にもそういうものはたくさんあるのでしょう。
学校の窓際の席から眺めた雑多な町並み、
十代の頃に夢中になった音楽や文学、
恋した女性(!)の容姿や仕草や声など、
そういうものが流れ込んで、ひとつになって、
私特有の「美意識」が完成されていったのだと思います。
そして私が詩を書くとき、
無意識のうちにその詩のずっと奥のほうには、
その美意識があるのだと思います。

もしもその美意識が失われてしまったら、
私の書く詩は、私の詩でなくなってしまうでしょう。
そしてその美意識がある限り、
私は私の詩を書くことが出来るのだと思います。
たとえこの先、私の詩のスタイルが劇的に変わったとしても、
その美意識がある限り、
その詩は私の詩であれるのだと思います。

そして不思議なことに、美意識がうまく表現されたとき、
それは別の人の美意識に、ふと繋がることもあるようです。
私が誰かの作品を好きになるとき、
恐らくそれはその作者の美意識と、
私の美意識がふと繋がった時なのだと思います。

その時の感触が、私を捕らえて離さないのです。
その感触を求めて、私は相も変わらず本屋をうろつき、
飽きもせずにレコード屋をうろつき、
また出来ることなら自分の作品で、
誰かにその感触を感じてもらいたくて、
詩を書いたりしているのだと思います。

ほら、長かったでしょ。
いわんこっちゃない。
Posted at 01:08 in n/a | WriteBacks (6) | Edit

Dec 10, 2005

現代詩手帖12月号「現代詩年鑑2006」

が家に届きました。
現代詩手帖って、載るとくれるんですね。
ちょっとびっくりしました。

載ったのは「夏の思い出」という作品で、
自分の詩集のどあたまに入っているものです。
他にも12月号のアンソロジーには、
灰皿町の住人である海埜今日子さんの「隣陸」、
久谷雉さんの「大人になれば」、
PSPクラブのメンバーでは、
手塚敦史さんの「窓明かりの奥にひびく声」が選ばれています。

海埜さんは詩集「隣陸」についても、色々な人から言及され、高い評価を受けています。
それから有働薫さんの「ジャンヌの涙」も、特に「今年度の収穫」というアンケートに、
多くの人がその名を挙げています。

私の詩集は残念ながら、アンケートに間に合いませんでした。
まあ間に合っても、上記の方々ほどの高評価は望むべくもありませんから、
逆にまざまざと差を見せつけられなくてよかったかなと。

しかし刊行が遅れること二ヶ月あまり、
漸く今週の火曜日に出来てきました。
いま色々な人に送っている最中です。
まったく面識のない人の所にも多数送っているので、
迷惑だったかなあと少し複雑な気分。
灰皿町の皆さんの所にも届くと思うので、
暇つぶしに使ってみてください。
Posted at 00:08 in n/a | WriteBacks (6) | Edit

Dec 07, 2005

私の人生の大半において、

詩といえば歌の歌詞のことでした。
私の好きな詩を歌う人たちはというと、
忌野清志郎、ストリート・スライダース、泉谷しげる、矢野顕子、
シオン、COCCO、ブルー・ハーツ、ミッシェル・ガン・エレファント、
高田渡、町田町蔵、どんと、友川かずき…
まあ、こんなところでしょうか。
結構いますね。

私が小学校の高学年だった頃、
五つ上の姉は忌野清志郎の大ファンでした。
姉の聴いているレコードを横で聴いていると、
「授業中あくびしてたら、口がでっかくなっちまった」だの
「居眠りばかりしてたら、目が小さくなっちまった」だの
小学生の耳には、ただ面白い歌としか感じられないものばかり。
げらげら笑って、よく姉にはたかれました。
しかしそれが中学生くらいになると、
そんな歌詞で歌われる気持ちがわかるようになりました。
あんなに笑ってたくせに、と姉から白い目で見られながら、
せっせと小遣いを貯めて、RCのレコードを買って聴くようになりました。

中学生の私が強烈に惹かれたのは、言葉の表面ではなく、
その向こう側に漂う匂いみたいなものだったと思います。
上記したミュージシャンたちの歌う詩は、
みんなそういう匂いを持った言葉たちでした。
いい詩、言葉には、必ず匂いがあるものだと思います。
それを嗅ぎ取った瞬間、言葉の向こう側に深く世界が広がって、
しかしなかなか見通せない。
見通せないから、何年も何十年も惹かれ続けてしまう。
そんな力を持っている言葉が、いい詩なのだと私は思っています。

これは小説ですが武田泰淳の「ひかりごけ」
この中に、餓死から逃れるために仲間の死体を食べた船長が最後に連呼する
「見てください。私をもっとよく見てください」
という言葉がありますが、これも強烈な腐臭を放っている言葉です。
この短篇小説は全ての言葉が腐臭を放っている凄い作品ですが、
特に最後のこの台詞が発する匂いは、表面的な意味を超えて強烈です。
私はこれからもこういう匂いのある言葉を求めるでしょうし、
また書きたいと欲し続けると思います。
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Dec 04, 2005

おや、

灰皿町にはもう雪が降りましたか。
ここでなら間違いなくホワイトクリスマスですね。

もうじきジョン・レノンの命日です。
なんだか最近死んだ人のことばかりですね。
私はこの時期になると、ジョン・レノンとボブ・マーリーばかりを聴くようになります。
命日だからというのではなくて、
この二人の音楽は、日本の冬の空気にとてもよく合っているように思うのです。
ボブ・マーリーはレゲエですが、日本のじっとりした夏に聴くと、余計暑苦しくていけません。
レゲエは実は、乾いた空気が似合うのですね。
ジョンの声もそんな気がします。

私はリアルタイムで生きているジョン・レノンを知りません。
かろうじてリアルタイムの体験といえそうなのは、
彼が死んだ当時録音されていた「ダブル・ファンタジー」と言うアルバムのアウトテイク集である
「ミルク・アンド・ハニー」が、確か1983年ごろに発売され、そのアルバムからシングルカットされた
「ノーバディ・トールド・ミー」という曲のプロモーション・ビデオを、テレビの、
恐らくベストヒットUSAで見た事です。

本来オクラ入りになるはずだった曲ですから、当然ビデオはその曲のためのものではなく、
在りし日のジョンの楽しげな映像を繋ぎ合わせたものでした。
この曲のサビで生前のジョンは、「こんなことになるなんて、誰も教えてくれなかった」と連呼します。
その言葉が自身の未来を予見していたようで、中学生の私はとてもどきどきしました。
不思議なことってあるんだなって思いました。
オカルトなどは当時も今も信じませんが、
たとえ偶然にしろ、奇跡のようなことってあるんだと思いました。

それがいけなかったんですね。
その後私はそういうことばかりを、色々な場所や場面に探していたように思います。
現実が偶然に、まるでずれているとしか思えなく見える瞬間。
現実世界では、それこそ偶然に起こるのを待つしかありませんが、
音楽や文学や美術の世界では、あたかもそんなことばかり起こっているようです。
魔力というのでしょうか。
あちこち探し回っていると、突然奇跡のような言葉や旋律や色彩に出会って、
あのときのようなどきどきがまたやってきて、
私の内側をぐりっと変えてしまったことが何度かありました。

こういう作品は、作ろうとして作れるものではなく、それこそ偶然に出来てしまうのでしょう。
そういうことが出来る人のことを、天才と呼ぶのでしょうか。
そしてたとえ天才であっても、そういうことができるのは人生のうちで、
そう長い期間ではないようです。
ジョンはあれ以上長く生きても、恐らくもう、そういうものは作れなかったと思います。
早死にしたロックスターやアーティスト、前回書いた三島由紀夫にしても、
やるべきことをすべてやってからの死だったように思います。
芸術に身を丸々捧げてしまった人たちですね。
私は丸々身を捧げられなど出来なくて、片足の先っぽだけ突っ込んだまま中途半端に生きて、
中途半端に長生きしてしまっている途中です。
と、前回と同じようなところに辿り着いたところで、今日は仕舞いにしておきます。
Posted at 00:48 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Dec 01, 2005

十一月の二十五日は、

三島由紀夫の命日でしたね。
憂国忌というんでしたか。

そういえば私が一番好きな三島作品も「憂国」です。
私は右でも左でもありませんし、
特に三島に傾倒していたわけでもありませんが、
この作品は時々無性に読み返したくなります。

有名な短篇小説なので、内容は周知であるとは思いますが、
2.26事件に参加しそびれた青年将校が、
自分が同僚たちを討つ役になることを憂慮し、
腹を切って嫁と心中する話です。

しかしこの作品は、最初から最後までパワーが漲っていますね。
三島が好きなことだけを思う存分書いたからでしょう。
なにしろここに書かれていることは、
軍人、男の友情、清潔な夫婦関係、まぐわい、そして切腹と、
三島が大好きなことばかりです。
読んでいても、一字一句を嬉々として書いている三島の姿が目に浮かぶようです。
楽しかっただろうなあ、これを書いているときは。
特に切腹のシーンなんか。

傑作が生まれる条件とはたくさんあると思いますが、
そのひとつは、好きなことを好きなだけ書くということだと思います。
そうしたから傑作になるわけではありませんが、
条件の一つであるとは思います。

三島があのような最後を遂げたのも、
結局は、軍服姿で割腹自殺してみたかったんだと思います。
三島が本気でクーデターを起こせると考えていたとは思えませんし。
だからあれは三島にとって、とても幸福な最後だったのでしょう。
周りはえらい迷惑したでしょうが。

私もせめて詩に関しては、
好きなことを好きなだけ書いていくつもりです。
好きなことばかりを書いても下手なのですから、
嫌いなことを書いたってうまくいくはずがありません。
そうしていけばそのうちに、自分でも「これは」と思えるものが、
一生のうちにひとつぐらいは書けるかもしれません。
三島も好き勝手書いた「憂国」は大のお気に入りだったようで、
後に自ら主演して映画まで作ってしまっています。
その作品を天才三島が書いたのが、ちょうど今の私の年齢。
さて、凡才私にとっての「憂国」が出来上がるのは、一体いつになることやら。
Posted at 01:02 in n/a | WriteBacks (0) | Edit
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