Jun 30, 2006

手塚敦史さんの新詩集

「数奇な木立ち」(思潮社)を読みました。
手塚さんは2004年にふらんす堂より第一詩集「詩日記」を上梓、
今度の詩集が第二詩集となります。

読み始めると、言葉が、すっすっと、視界を滑り抜けて行くようです。
するともう読み手である私の足の下に地面はなく、
中空の、しかし不安ではない場所に浮いており、
そして相変わらず言葉は、風のように通り過ぎていきます。
その感覚が非常に気持ちよく、身を任せたまま、感慨を深くしないまま、
どんどん読み進んでいきたくなります。
所々に道標が立っています。
そこには連の数と、様々な単位でもって現在地を知らせており、
本来なら触れることすら出来ない次元から次元へ、自由に飛び渡っていく気がします。
まるで銀河鉄道の車窓から、外をぼんやり眺めているよう。
あるいはガラスのマントをつけた、風の又三郎の視線でしょうか。
そんなここは中空であるのに、草と土の匂いが色濃くします。
また、人間のあらゆる感覚から流れ出る涙の匂いも。
温度は冷たく一定で、鉱石の温度です。
時に行に段差がつき、身を揺すられたりもしますが、不安はありません。
それは実に自然な揺れ、というかざわめきであり、
しかしそこには絶妙なバランスを保つ力がはたらいています。
言葉は相変わらず流れ続けています。
最早何処にも、知った顔はありませんし、馴染みの事物もありません。
すべてが白く、新しく、しかしずっとそこにあったのに、
ちっとも気付かなかったもののようです。
この詩集は、人間の手で作ったもの、と言う感じが、不思議なほどしません。
そういう空間がどこかにあって、それを忠実に再現しているよう、
この詩集を読むということは、その空間を体験するということのように思います。
そんな世界に浸ってみたい方、是非この詩集を手にとってみてください。
他では決して出会えない、新しい経験がそこにあります。
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Jun 27, 2006

梅雨で雨ですが、

結構過ごしやすい温度ですね。

24日は、思潮社の新詩集シリーズ「新しい詩人」の刊行記念パーティーに、
お呼ばれしてきました。

今回は刊行第一弾として、小笠原鳥類さんの「テレビ」、キキダダマママキキさんの「死期盲」、
そして手塚敦史さんの「数奇な木立ち」の三冊が既に書店に並んでいます。
今後も、九月刊行予定の、三角みづ紀さん、石田瑞穂さん、コマガネトモオさん、
斉藤倫さんを始め、総勢12人の新鋭詩人の詩集が約一年の内に続々と出版されていく予定。

さて、パーティーの方ですが、新宿の某メキシコ料理店で行われました。
参加者は3~40名ほどでしょうか。
有名どころでは、野村喜和夫さん、城戸朱理さん、田野倉康一さん、福間健二さん、
杉本徹さんなど、そして今回刊行されるお三方は勿論、杉本真維子さん、石田瑞穂さん、
斉藤倫さん、永澤康太さんといった、今後刊行される方々、
他にもあちこちでお名前を見かける方々もたくさん居られました。

野村喜和夫さんの朗読を始め、有名詩人の方々のスピーチなどがあり、あとは会食。
何人かの人とお話させていただきましたが、
今回初めてお話した詩手帖編集長の高木さんには、私の筆名の由来をぴたりと当てられて吃驚。
様々な知識に精通されている方です。

一次会は二時間ほどということであっという間に終了、すぐに二次会へ。
ここでは、かねてからとてもお話したかった斉藤倫さんとじっくりお話しが出来ました。
詩の世界では珍しく、私と同い年と言うことで、非常に話がはずみました。
上でも書きましたが、斉藤さんの詩集は九月に刊行予定、絶対面白いのでよろしく。
ほかにも、杉本真維子さん、杉本徹さんなどとお話し。
横では、酔った福間健二さんと野村喜和夫さんのやり取りが行われていて、
これはとても面白かったです。

時間を忘れて楽しんでいると、気がつけば終電が終わっていました。
もう朝までいるしかありません。
でも次の日が日曜だったので、あまり気にせず三次会に参加。
ここでは城戸朱理さんと野村喜和夫さんが中心となって、詩壇のコアな話で盛り上がり、
それに思潮社の社長さん、森川雅美さん、小笠原鳥類さん、石田瑞穂さん、
久谷雉さんなどが加わるのですから、いろんな意味で非常にディープ、
私はただ眺めているだけしか出来ませんでしたが、とても面白い話が聞けました。

ということで、朝4時まで飲み会は続き、最後に始発までマックでコーヒーを飲んで解散。
帰るのが同じ方向ということで、杉本徹さんと話しこみながら帰路に着きました。
どなたさまもお疲れさま!
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Jun 23, 2006

じわりじわりと、

暑くなってまいりました。
既に部屋ではTシャツに半ズボン。
今年は何処まで冷房を使わずに過ごせるか。

先日高田昭子さんと、高橋順子さんの著作を貸し借りしました。
私がお貸ししたのは、先日ここにも書いた「雨の名前」。
高田昭子さんも22日付けのブログで紹介されています。
私と違って、ちゃんとした紹介文です。
是非、見てみてください。
そして私がお借りしたのは、「水を編む人」と「高橋順子詩集成」。
分厚い「詩集成」はいまじっくりと読み始め、読了はまだ当分先でありますので、
今日はもう一冊の方。

「水を編む人」(愛育社)は泉豊さんの、水をモチーフにした写真に、
高橋順子さんが短い詩をつけた、美しい本です。
この本を見ていて単純に思うこと、
やっぱり水の写真ていいなあ。
眺めていると、実際の喉ではないですが、
体か心かの何処か乾いた部分が潤される感じがします。
水の写真に潤されて初めて、
そういう部分があったと気付いたりします。
大きな木の枝が、たっぷりとした川の流れに沈んでいる様子など、
「ごくごくごく」という音が、体か心の何処かから聞こえてきそう。
実際に膨大な水を前にすれば、
それこそ全身に浴びて、喉の鳴る音などないのでしょうが、
写真という不完全なものであるからこそ、
そんな部分に気付かされるのかもしれません。
こう見ると、一瞬を捉える写真には短い言葉が合いますね。
あらゆる一瞬からは、微かな、しかし無限へと繋がっていく言葉が、
常にこぼれ出ているような気がしてきます。
世界が、水のあるところと水の無いところに分けられるとしたら、
水のあるところには生命があって、ないところにはないのでしょう。
自分の体は水のあるところにあるのだけれども、
自分の心は水のあるところにあるのだろうか。
自分の詩は、水のあるところにあるだろうか。
なんてことを考えつつ、今日はこの辺で。
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Jun 20, 2006

昨日は恒例の合評会の日。

詩誌「repure3」が出来上がり、
水仁舎の北見さんより、各同人へ配られました。
今回のイメージカラーは青、
ちょっとクールビューティーな仕上がりです。
私は今回は「成就」という作品を掲載。
他にも10人の同人が作品を競い合い、
今号も充実した詩誌になっています。

合評会はメンバーちょい欠けの9人。
しかし相変わらずの佳作ぞろいに、3時間目一杯を使った合評となりました。
私は最近2ヶ月ほど、なかなか納得の行くものがかけず、
ちょっとズルして少し前に書いた作品をもって行ってしまいました。
これは同人の方とちょっと話したことですが、
この季節は若干詩を書く人の手が鈍るようです。
考えてみれば、春真っ盛りのころには私も結構書けていた気がするのですね。
しかし5月6月とどうも…。
あるいは、季節を強く感じたときにだけ、詩人の手は動くのかもしれません。
ということは、きっと夏になればまた書けるに違いない。
なんていうのは、単に書けない口実だったりして。

メンバーのひとり、手塚敦史さんの新詩集「数奇な木立」がいよいよ発売になります。
思潮社の新詩集シリーズ「新しい詩人」の第一弾として、
小笠原鳥類さん、キキダダマママキキさんの詩集とともに発売になるのですが、
詩集を普段置いている本屋さんには、
軒並み平積みにされるのではないでしょうか。
見かけることがあったら、是非手にとってみてください。

二次会はいつものとおり久谷雉さんが合流。
みんなでげらげらと騒ぎました。
騒ぎすぎてつぶれてしまった人もちらほら。
しかしこのメンバーで飲むと楽しい事この上ないです。
5時ぐらいから飲み始めて、11時近くまで飲むのですが、
信じられないくらいに時間が早く経ってしまいます。
私も若干の二日酔い…。

*PSPメンバーの方へ業務連絡。

灰皿町に新しくPSP用の掲示板が出来ました。
メンバーのトップページにある「PSPC掲示板」からいけます。
簡単な連絡用に使えそうです。
お暇な時や、伝達事項があるときに書き込んでみてください。
よろしく。
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Jun 17, 2006

梅雨真っ盛り。

靴を乾かすのが大変です。

一番好きなヴォーカリストはと訊かれれば、
たくさんいますがとりあえずジョー・ストラマーと答えます。
この人は1970年代の後半に活躍したパンクバンド、
ザ・クラッシュのヴォーカリストです。
英語の曲なので、歌っている内容は未だになんとなくしかわかりません。
しかし私は、この人の声がとても好きなんですね。
パンクなので絶叫系、ものすごく怒っているんだけど、
同時にやるせなく深い悲しみが滲んでいて、
何百回聴いてもぐっと来ます。
男だねえ。
クラッシュのアルバムは1stから3rdあたりが最高、
特に2枚目の「GIVE‘EM ENOOUGH ROPE」は泣けますねー。
未だによく聴きます。
しかし残念ながら2002年に49歳で他界。
この人も早死にでした。

ついでにもうひとり、ルー・リード。
この人は60年代中盤に、ヴェルベット・アンダーグラウンドという
サイケデリック・ロックバンドでデビュー。
その後ソロ活動に転じ、現在まで精力的に活動を続けてます。
リードの声は、激怒する直前の冷静、という感じ。
叫ぶ曲もあるのですが、何処か恐ろしいような冷たさを保っていて、
またバラードの時も、何処か冷めた緊張感というか、強い怒りを常に感じます。
ぞくっときます。
この人は傑作と駄作の落差が激しいです。
いいアルバムは最高ですが、悪いのは聴くのが苦痛なぐらい。
だから雑誌の企画とかで、ロックの名盤ベスト10、なんていう企画があると必ず入るのに、
逆にワースト10を選ぶと、また入るという。
しかし波が激しいのは天才の証ですかね。
ちなみに人間的にもかなりイタくて、
重度のドラッグ中毒の上にSM愛好家、おまけにハードゲイです。
今は大分クリーンになったようですが。
しかしこういう人に限って死にませんね。
そろそろ還暦を迎えたはず。
まだまだ頑張ってもらいたいところです。
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Jun 14, 2006

負けちゃいましたねー、

サッカー。
凹んだ方も多いのでは。

では気を取り直してといった意味も含めまして、
今日は和やかな本でも紹介しますか。

長谷川摂子著「人形の旅立ち」(福音館書店)

この本は、対象年齢が小学校上級以上とされている、
所謂児童文学書というやつです。
本文もわりと大きな文字で、ふり仮名も多く振ってありますから、
一見大人が読む本ではないようですが、しかし馬鹿にするなかれ、
実は大人でも充分に楽しめる良書です。

この本は「ユリイカ」に連載されている竹西寛子さんのエセーに取り上げられていて、
それで買ってみたのでした。
著者の長谷川摂子さんのことを私は殆ど知りませんが、
確か児童文学専門の作家さんで、普段はそれこそ小学校低学年向けぐらいのものや、
童話などを書いている人、だと思います。
その人が、児童文学の形をとりながらも、
昔子供だった大人に語りかける作品を書いたという感じ。

話の舞台は数十年前の、日本海に近い田舎町。
そこで主人公の女の子が、様々な不思議な出来事に遭遇する、
寓話的な短編集です。
単純に泣かせたり楽しませたりの話でなく、
風に薫るようなノスタルジーと悲しみが満ちていて、
なんとも気持ちを動かされます。
病気の妹が出てくる話があるのですが、
大きな声ではいえませんが、
この話を読むと、いつも危うく泣きそうになります。

この本のもうひとつの大きな魅力は、版画家金井田英津子さんによる挿画です。
金井田さんには「猫町」「夢十夜」「冥土」などの作品を版画化した本もあり、
本屋さんではよく見かけるので、見覚えのある方も多いのではないでしょうか。
挿入された版画はどれも非常に美しく、それを見るだけでも、
この本を手に取る価値があると思います。
頁全体に渡って挿画がされているものもあり、本文と一体となって、
本を作り上げています。
文章と画が同時に存在している、幸福な例ではないでしょうか。

この本、なにかしらの賞を取ってはいるはずなので、
あるいは結構有名な本かもしれませんが、
なにしろ本屋で児童文学のコーナーなど覗くことがないもんで、
よくわかりません。
でもいい本ですよ。
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Jun 11, 2006

昨日の夜はW杯の

ドイツ対コスタリカを見てました。
あまりサッカーを観戦しない私でも、
ドイツの選手が放つシュートが凄いことはわかりました。
なんとかという選手が打ったミドルシュートはデイフェンダーをすり抜け、
ポストをかすめつつ右上一杯に弾丸のように突き刺さる。
別にドイツを応援しているわけではないのに、
シュートを打った選手を知っているわけでもないのに、
「おお、すげえ!」と思わず唸ってしまいました。
うーん、華がありますね、やっぱり。

ド素人が見ても、はっきりと凄いことをやっているとわかること、
これがプロとアマの違いじゃないでしょうか。
ぱっと見「俺でもできんじゃねえかな」
と思えてしまうプレイでは、見る人は食いつきません。
世界中探しても、この人しかできないんじゃないか、と思えるようなプレイを見たときに、
人は心を奪われて「また見たい」と思うのではないでしょうか。

野球のイチローや松井、野茂や佐々木にしても、
大リーグで誰よりもたくさんヒットを打つ。
大リーグのピッチャーからホームランをかっとばす。
大リーグの強打者相手に三振をたくさん奪う。
と非常にわかりやすく凄いです。
野球を全く知らない人が見ても、はっきり凄いことがわかります。
バント職人や、中継ぎ投手、堅実な守りをこなすショートなども、
勿論素晴らしいですが、見る人の目がそこまで到達するには、
まず、わかりやすく凄い活躍をする選手がいてこそだと思います。
Jリーグや日本のプロ野球の人気が、一時期よりも陰りを見せているというのも、
華のある選手がいなくなってしまったことが、原因のひとつではないでしょうか。

スポーツだけでなく、小説を読んでいたり、音楽を聴いていたりするときも、
同じようなことを思います。
こんな歌い方を出来る人は他にいない、こんな文章書ける人はこの人しかいない、
そう思わせる技量を持った表現者が、まず人を惹きつけるのだと思いますし、
鑑賞者がそのジャンルにのめりこむきっかけを作るのだと思います。
もちろん華だけではすぐに飽きられてしまいますから、奥深さも必要ではありますが、
もとより華々しさとは、奥深さからしか生まれないような気もします。

その点、詩は随分華に欠けているような…。
一般的に詩を読んだ人の感想は、「なんか俺でも簡単に書けそう」であるような気がします。
難解な詩に関しての感想は「適当に思いついた言葉ずらずら並べてるだけじゃねえの」
ではないかと思います。
そう思ってしまうと、更に読もうという気は起きませんし、
自分にも簡単に書けそうな気がするものを、
わざわざお金を出して買って読む人は少ないと思います。
実際に書ける書けないは別にしても、そういう風に見えてしまうのは、
やっぱり華に欠けるからなのだと思います。
しっかり読めば、無限の世界が広がっていく詩もありますが、
入り口がなければ、入っていくことも出来ないのではないでしょうか。

石垣りんさんや茨木のり子さんの詩集は、
他の詩人の詩集よりも売れていると思います。
売れる理由は、言葉がわかり易いということもあるでしょうが、
お二方の作品に接した多くの人が
「この詩句は誰にでも書けるものではない」と直感したからではないでしょうか。
ド素人でも、凄いことをやっていることがわかる詩です。
谷川俊太郎さんもそうかもしれません。
いま難解な詩を読んだり書いたりしている人も、
その入り口は谷川俊太郎だった、という人も多いはずです。

上に挙げたお三方の詩は、現代詩では軽く見られる傾向があると思いますが、
こういう華を持った書き手がいなければ、
一般から現代詩への入り口は閉ざされてしまい、
そして現在、彼らの役割をする人が現代詩には見当たるかというと、
その技量を持っている人は思い当たりますが、
正当に評価はされていないと思います。

先鋭的で読む人を限定する詩も必要かとは思いますが、
W杯級選手のシュートのようにわかり易く凄い詩が、
現在最も必要とされているのではないでしょうか。
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Jun 08, 2006

ちょいと告知を。

池田實さんの個人詩誌「ポエームTAMA27」に、
拙作を載せていただきました。
ネットでも読めますので、よろしかったらどうぞ。
http://www.hinocatv.ne.jp/~planet/

多数ある私の欠点のひとつに、集中力の欠如があります。
なにしろ飽きっぽく、ひとつのことを長く続けることが出来ません。
周りに人の目があったり、明確な期限を決められているときは集中できるのですが、
ひとりの時はてんで駄目ですね。

例えば本を読むのにしても、ひとつの本を長く読んでいることが出来ないため、
いつも3冊ぐらいの本を順繰りに3,40頁ずつ読んでいくという呆れた読み方をします。
それも同じジャンルの本では飽きてしまうので、
ノンフィクションの次はフィクション、重いものの次は軽いものと、
取り混ぜながら読んでいきます。

音楽を聴く場合も、ひとつのジャンルに集中できず、あれを聴いたりこれを聴いたりです。
一時期ジャズにはまっていたかと思うと、急にクラシックを聴き始めたり、
それに飽きたらロックに行き、飽きたらまたジャズなんて、目茶目茶な聴き方です。
結果、私の知識は広く浅いものになってしまいました。
だから間違っても、論考なんて書けません。
本当はひとつのことに凄く詳しいほうが格好いいと思うのですが、
どうもこの性格は治りません。

詩を書くときも、乗っている時は、がんがん書いていけるのですが、
ふと飽きてしまうと、もう書く気が起こらず、
本を読み出すなりなんなり別なことを始め、
それに飽きるとまた詩を書き、飽きたらまた別のことをと、
非常に駄目なやり方で書いています。

と書きながらこのブログの様子を見ても、
私の集中力のなさを表しているような支離滅裂さ。
治さねばと思いながらもその一方で、
この飽きっぽさだからこそ書ける詩もある、
などと自分に言い聞かせ、あっさり納得しているのですから、
多分、死ぬまで治りません。
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Jun 05, 2006

寒いんだか暑いんだか、

良くわかりませんが、
みなさま風邪などひかれませぬよう…。

ちょっと前の話ですが、先日のPSPの時、
桐田さんとブルースの話で盛り上がりました。
桐田さんが以前ブログにアップされた写真の一部に、
とあるブルースのレコードジャケットが写っていて、
それに対してコメントしたところ、
「あんな古いレコードを知っている人がいるとは!」
と驚いていらっしゃいました。
私は後追いで聴いたのですが、
桐田さんはリアルタイムで聴かれていたんですね。
羨ましいです。

私は中学生ぐらいの頃からローリング・ストーンズに懲り、
そのルーツを探るうちにブルースに辿りつきました。
80年代のスタイリッシュな音楽を、同時代の音楽として親しんでいた私は、
まだ電化されたばかりだった50年代の黒人音楽の、
力任せとも言えるパワーに衝撃を受けました。
スピーカーから飛び出した途端、
あたりの空間を全て埋め尽くしてしまうような、でっかくて野太い声。
そしてあのぶっとい指でなければ叩き出せないギターの、
胸倉を掴んでくるような暴力的な音。
絶対に白人や日本人には出せない、
黒人でなければ不可能な音にやられてしまいました。
マディ・ウォーターズ、アルバート・キング、フロイド・ジョーンズ、
Tボーン・ウォーカー、オーティス・ラッシュ、マジック・サム、
ジョニー・ギター・ワトソン、ブラインド・ウィリー・ジョンソン、
レッドベリー、ロバート・ジョンソン…他にもたくさん。

ロバート・ジョンソンといえば、
1930年代に活躍した伝説のブルースマンですが、
この人の、ストーンズもカヴァーしている「ラブ・イン・ヴェイン」
という曲がの歌詞のなかに、
 Blue light was my baby,
 And red light was my mind.
という一節が出てきます。
男が恋人との別れを思い出している歌なのですが、
駅で恋人の乗った列車が去っていき、それをホームで呆然の見送っていると、
列車の後ろに赤と青のライトが点灯していたことを思い出し、
青いライトは俺のベイビーで、赤いライトは俺の心だったんだ、と歌うのですね。
ここのところに中学生か高校生ぐらいの私は、
生意気にも何故だか矢鱈とはまってしまいました。
その後、もし自分が恋愛小説集など出すことがあったら、
絶対この歌詞をタイトルにしよう、なんて妄想していましたが、
それはどうやら果たされそうもありません。

ブルースの歌詞はワンコーラスがとても短くて、書いてしまうと二行ほど、
これを繰り返して一曲を成立させます。
少ない言葉に限られているからこそ、
そこに多くの感情が表現されている歌詞が多く、
非常に情緒豊かで魅力的です。
なんだか短歌とか俳句に似ている気がしますね。
ブルースは殆どが失恋の歌、あとは仕事の辛さを歌ったり、
自分のふがいなさを嘆いたり、それから所謂スピリチュアルもあります。
生活そのものを歌にするんですね。
そこら辺も短歌や俳句を思わせます。
ただ、そこに漂う強烈な体臭は全く異質ですが。
しかし人間というのは、言葉や肌の色が違おうとも、
つまるところ、考えることは大体同じなのかもしれません。
Posted at 00:08 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Jun 01, 2006

先日、大手新古書店で

単行本500円セールが行われていて、
何冊か買い込んできました。(新刊で買え)
そこら辺のことを。

「雨の名前」(小学館)高橋順子・文 佐藤秀明・写真

これはオールカラーのとても綺麗な本で、
内容、装丁、タイトルを見ると、一時期流行った「○○の名前」シリーズのバッタもんか?
と思わずにはいられませんが、なかなか読み飽きないお得な本です。
春夏秋冬、それぞれの雨の名前がなんと422語も紹介されており、
写真も148点、それに詩人高橋順子さんのエセーが35篇も載っていて楽しめます。
しかしこれほど雨に名前をつけたのは日本人ぐらいではないでしょうか。
どれも個性的で、名前を見ただけで、あ、あんな感じの雨かな、
とわかってしまうぐらいセンシティブです。
私は子供の時は雨が好きだったのに、毎日電車に乗るようになったり、
スーツを着るようになったりすると、いつの間にか雨が嫌いになっていました。
急な雨に降られると、空に向って口汚く罵ってみたり。
雨と言うのは、この地球の上ではごく自然なもので、
やはり文明と言うのはそういうところから離れていくことなのでしょうか。
全ての雨には名前がある、と考えれば、雨が降るのも待ち遠しくなりそうですね。

「生きているのはひまつぶし」(光文社)深沢七郎

これは私の大好きな作家、深沢七郎氏の未発表エセー集です。
オビには女性の服をめくり上げておっぱいなど露出させ、
ご満悦の深沢氏の写真が使われていて、いかにもです。
内容はどうもインタビューを文字に起こしたもののようですね。
大体この人の言うことは無茶苦茶で、
「ケネディが死んだときには赤飯を炊いた」だの、
「ヌードを見るってことは、ごはん食べたり水飲んだりとおなじ、当たり前の事」だの、
あと人類滅亡教なんてのをぶちあげていたり。
言うことはいちいち世間の道徳に反することで、
中にはかなり不謹慎と思える発言もするのですが、
しかしこの人がいうと笑ってしまうんですね。
あはははは。最高最高。
どんどん読めてしまいます。
しかしひまつぶしで生きている割には、帝劇でギター弾いたり、
小説書いて有名になったり、田舎で畑仕事に夢中になったり、
今川焼き屋の親父になったり、この本に書かれているようなことを喋って笑っていたり、
それで食っていけるのですから、やはり天才だったのでしょう。
羨ましい。

「月とアルマジロ」(講談社)樋口直哉
「愛でもない青春でもない旅立たない」(講談社)前田司郎

「群像」の5月号(多分)に新鋭作家特集があり、
面白い人はいないかな、とざっと読んでみたところ、
上記の二人が面白かったので、購入しました。
両者とも、軽い感じの作風で、まあ今風ですね。
重厚さや深刻さはありません。
でも面白いです。
樋口氏の方は、阿部公房とカフカを混ぜてミネラルウォーターで割った感じ。
いい意味で。
この人は「さよなら、アメリカ」という作品で群像の新人賞をとってデビューしたのですが、
日常を、奇抜な事物がぐにゃりとまげて、現実と非現実をくねくねしながら話が進み、
理不尽な結末にたどり着くという作風です。
この作品もなかなか面白いとは思いますが、今後もっと面白くなっていく気がします。
前田氏の方は、本職の方で劇団の作・演出を手がけられているそうで、
言語感覚は抜群です。
あくまで、今風の言語感覚ですが。
舞城王太郎あたりの感じですが、私はこちらの方が、なんか自然で好きです。
劇団で書いているだけあって、内容が無いようでいて実はちゃんと整っています。
読後感もちゃんとあります。
この人はもっとマルチに才能を発揮していくのではないでしょうか。
正直、くだらない小説と言ってしまえばそれまでですが、機会があったら是非どうぞ。
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