Sep 30, 2006

現代詩手帖10月号

が届きました。

今号には斎藤恵子さんの第二詩集「夕区」のレビューを書かせていただきました。
紙媒体に載る初めてのレビュー、改めて読むと拙いですね…。お恥ずかしい。
詩集の売れ行きに響かないか心配です。

特集は「現代詩手帖賞を読む」。
歴代の受賞者の受賞作品が一挙掲載され、井川博年さん、瀬尾育生さん、井坂洋子さん、
城戸朱理さんがエセーを寄せています。
歴代受賞者と選考者の名前を見ると、さすがに錚々たるメンバーですね。
受賞者の方は、こう見ると圧倒的に女性が多いです。
伊藤比呂美さん、倉田比羽子さん、白石公子さん、河津聖恵さんなど、
現在も一線で活躍される詩人さんの名前も。
注目すべきというか、特に1999年以降の受賞者の方々は、
もう全員現在活躍されている方々ばかりです。
一方選者さんの方は、こちらは何故か圧倒的に男性が多い?
成り行きでしょうが、とにかく名のある詩人さんは殆ど名を連ねていると言っても
いいくらい、豪華なメンバーです。
投稿欄というものは、選者さんによって、かなり傾向が違ってくるものですが、
リストを見ると、1966年に投稿していた人はきつかったですね。
何しろ選者さんが、黒田喜夫、堀川雅美、寺山修司、ですから。
そして受賞者は「該当者なし」…。

以前にも書きましたが、私も去年の初め頃まで、三年という長い期間、投稿してました。
入選、選外佳作には何作か取り上げられるも、残念ながら詩手帖賞には遠く及びませんでした。
しかし投稿していたことは、非常に良かったと思います。
入選することは、結構麻薬です。
やはり自分の作品が詩誌で活字になる、と言うことは誰でも嬉しいことでしょう。
一度活字になれば、なんとかもうひとつ、なんて頑張ってしまいます。
入選落選で一喜一憂し、落選すれば、こういうことが足りなかったんじゃないか、
じゃあこんなのはどうだ、なんて試行錯誤して、それが毎月ですから、いい特訓でした。
なんでもそうですが、一番重要なのは、やり続けることだと思います。
どんな不器用でも、やり続けていれば、それなりになるものです。
それに入選を何度かしたことによって、編集部や選者さんに名前を覚えてもらって、
私はそれで、詩手帖賞をとってもいないのに、詩集を出すことが出来ました。

思潮社では八月の終わりまで、現代詩新人賞という賞への公募を行っていました。
今号ではその一次選考通過者の名前と作品名がずらりと並んでいるのですが、
なんか既に知られている人の名前もちらほら…。
灰皿町では、海埜さんの名前もあったりして…。
んー、私も出しておけばよかったかな、なんて。
とにかく実力者が多く含まれて最終選考に突入と言うことで、
かなりの激戦になるかと思います。
来月号の発表が楽しみですね。

最後に八木忠栄さんの詩作品「雪はおんおん」
日本的な旋律が聞こえてくるような、「うた」を感じさせる詩です。
これを読んでいたら、「うた」とは本来、なにを伝えるためのものだったのかなあ、
なんてことを考えてしまいました。
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Sep 27, 2006

やーっと、

パソコンが直って帰って来ました。
マザーボードとCPUの交換という大掛かりな手術を経たものの、
約一ヶ月ぶりに元気な姿で帰宅。
なによりよかったのは、ハードディスクが無事だったこと。
なにせここ一年ぐらいで書いた詩が、ぜーんぶ入ってたんですから。
あぶないとこでした。
あとパソコン購入時に、3000円払って補償に入っていたおかげで、
今回の修理代三万数千円はタダでした。
入っとくもんですね。

先週の日曜日は、恒例の合評会。

今回はあまり発言することが出来ませんでした。
というのも、これはいつものことなのですが、この合評会に参加されている方々は、
みな詩人としてのキャリアを多く積んでいる方ばかりなので、それぞれが大変個性的で、
しかもクオリティも高い詩作品を毎回提出されています。
するともう、どこどこをこうした方がいい、とか、そういうことはなかなか言えなくなってしまいます。
欠点と言えなくもない部分でさえ、その人の個性と捉えることが出来、そして実際そうなのですから、
それを言うのは野暮、ということになって、すると結局、それぞれに褒めあってお仕舞いになってしまい、
それはそれで気持ちよくはあるのですが、考えてみれば、
それでは合評する意味があまりないのではとも思います。

それぞれの素晴らしさを認めたうえで、さらに突っ込んだ読みをし、様々な立場、
角度から意見を言うことが必要なのですが、私はそれが出来ていませんでした。
反省です。
合評会の中心メンバーのTさんは、そういう詩の読み方をし、意見を述べられています。
彼のばあい、前置き抜きにして、いきなりかなり深いところに突っ込んでしまうので、
周りがついていけなかったり、反発を受けたりするのですが、作品を書いた者にとっては、
そういう意見が実は一番有意義であるのでしょう。
実際私も、自分の作品に対しての彼の意見は、非常に参考になります。

まず充分鑑賞し、そして批評していく、という姿勢。
純粋な読み手としては、鑑賞だけで充分なのでしょうが、書き手同士、互いを高めあって
いく場として合評会があるのだとしたら、それだけでなく、書き手だけが持つ目を持って
批評しあっていくことが必要でしょう。

とは言うものの、今回のみなさんの作品はみんな良かった…。
ほんと、これ以上何を言えばいいの?というくらい。
でもそれぞれに壁を前にしていることも確かなんですね。
合評会として、ひとつ山を越えるべきところに来ている気がします。
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Sep 23, 2006

ちょっと前に、

伊坂幸太郎の本を数冊紹介しましたが、
相変わらず読んでいるもんで、続き書きます。

「アヒルと鴨のコインロッカー」(東京創元社、2003年)
長編作品。
舞台は伊坂作品共通の仙台。
生まれて初めて一人暮しを始める主人公の部屋に、奇妙な隣人がたずねて来て、
いつの間にやら本屋を襲う手伝いをさせられる羽目に…というところから話が始まり、
過去と現在が交錯しながら、見事に両者がつながっていって、最後は思いがけない
どんでん返しが待ち受けているという、非常に質の高いミステリー作品です。
のほほんとした雰囲気でありながら、あまりに緻密なストーリー組み立てである上、
全ての要素が最終的にひとつにまとまっていくので、内容は書けません。
読んでください。
「ダヴィンチ・コード」よりずっと面白いです。
来年映画化の予定だそうですが、映像化はかなり難しい内容かと…。
吉川英治文学新人賞受賞作品。

「チルドレン」(講談社、2004年)
「小説現代」に掲載された作品をまとめた連作短編集です。
常識破りな家裁調査官と、抜群の推理力を持つ盲人を中心に、
ハートウォームなミステリーが五篇。
殺人はありませんが、さすがに一筋縄ではいかないストーリー展開であり、
あちこちにトラップがしかけられていて楽しめます。
いままでの長編では結構ハードな心理が描かれていましたが、
この初短編集ではずいぶんと砕けた心理が描かれ、希望がテーマといってもいい内容。
全ての作品に共通することですが、伊坂幸太郎は人間を描くのが非常にうまいと思います。
この作品もまた出てくるキャラクターがみな魅力的で、これだけでお仕舞いになって
しまうのがなんとも残念。
読めば絶対続編が読みたくなります。
今年の五月、WOWOWで映像化。

「グラスホッパー」(角川書店、2004年)
書き下ろし長編。
一転して重いです。バンバン人が死にます。
主要な登場人物は三人ですが、何せそのうちの二人が、いわゆる殺し屋。
殺し方は読んでのお楽しみですが、一人はかなり変わっていて面白い。
こんな殺し屋見たことないっす。
しかしまあ重いといっても、ハードボイルドというわけではなく、
村上春樹的な柔らかさを保ってはいるのですが。
そう、村上春樹が好きな人は、この著者の作品は気に入るかもしれません。
そして伊坂幸太郎作品の特徴のひとつに、
哲学的な要素がセンスよくちりばめられていることがあるのですが、
この作品あたりからだんだんとその傾向が強くなります。
著者は哲学書、文芸書にかなり精通しているようで、
場合によってはちょっと鼻につくかもしれませんが、
ファンとしては、それも持ち味とすることにいたしましょう。

「死神の精度」(文藝春秋、2005年)
「オール読物」に掲載された作品をまとめた連作短編集です。
これは単純に面白い!
300ページ弱なので、一冊気軽に何も考えず読みたいとしたらこれでしょう。
主人公は音楽好きで一寸ずれてる妙な死神。
こいつの行動を見ているだけでも非常に面白いですし、
もちろんストーリーテラーとしての伊坂幸太郎の才能も存分に発揮され、
また人間群像劇としても、非常に質の高い作品です。
とにかく死神のキャラクターが面白く、前出の「チルドレン」と同様、
絶対続編が読みたくなります。
いまのところはないようですが、期待。
日本推理作家協会賞短篇部門受賞作品。

「魔王」(講談社、2005年)
書き下ろし長編。
またまた一転して重いです。
というか、政治が大きく絡んでくるという意味でも、
伊坂幸太郎作品の中では、かなり異質の作品。
これは決して一番最初に読んではいけません。
この著者を誤解してしまう可能性大です。
伊坂幸太郎が持つ哲学や思想がかなり大ぶりに表現され、
あるいは辟易してしまうかも。
伊坂幸太郎が好きになってから読むことをお薦めします。

今回紹介した作品は全てハードカバー、値段は1500円ほど。
本格的なものを一冊求めるなら「アヒルと鴨のコインロッカー」、単純に楽しめるもの
を一冊求めるなら「死神の精度」がいいと思います。
実はこのあとの作品「終末のフール」も読了しているのですが、
それはまた今度、残りの二作品といっしょに書くことにします。
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Sep 18, 2006

ご厚意により、

「エズラ・パウンド長詩集成」城戸朱理訳編(思潮社)が手許にあります。
内容にはまだ目を通していないのですが、この本の表紙のイラスト、
当然パウンドの肖像であるとは思いますが、二十世紀前半に活躍したイタリア人指揮者、
アルトゥーロ・トスカニーニにそっくりです。
…パウンドはアメリカ人でもイタリア系なのでしょうか。

トスカニーニは、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュなどと並び、
二十世紀を代表する名指揮者です。
芸風は、上記二人が楽譜を大きくデフォルメした曲線的な演奏であったのに対し、
ほぼ楽譜の指示通りに演奏する直線的な演奏。
しかしだからと言って杓子定規のつまらない演奏ではなく、疾走感に溢れ、
歌い上げるようなカンタービレがとてもかっこいい。
日本では圧倒的にフルトヴェングラーに人気が集中しているようですが、
私はトスカニーニの方が好きです。

このあたりの指揮者の録音は1920年代から50年代までですので、
音が悪いのが難点ですが、フルトヴェングラーを一度聴いてみようと思うなら、
私はそれよりも先にトスカニーニを聴くことを薦めます。
というのは、演奏される曲が本来どんな曲なのかを予め知っているのならいいのですが、
そうで無い場合、フルトヴェングラーの演奏は非常に特殊であるため、いきなり聴いても、
曲の元形が十分わかっていないと、なにがどうすごいのかがわからないと思います。
私の場合、クラシック音楽を積極的に聴き始めた頃、「運命」とか「田園」とか「第九」
などの超有名曲は流石に知っていましたが、しかしその程度でした。
で、なにかの本でフルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第三番「エロイカ」の
ライブがすごい、というのを読んで、早速CDを買ってきて聴いてみたのですが、
何処がすごいのかよくわかりませんでした。
なにせ「エロイカ」は元々非常に複雑な曲である上、フルトヴェングラーはこの曲を
思いきりデフォルメして演奏しているのです。
それからしばらくして、今度はトスカニーニで「エロイカ」を聴いたのですが、
こちらの演奏は曲の輪郭がはっきりと掴め、「エロイカ」という曲がどういう形をして
いるのかがわかりやすく、初めてこの曲がいい曲だったことを知りました。
そのあたりから私はトスカニーニのCDを随分と買い集め、トスカニーニでまず曲を
知ってから、他の人の演奏も聴いてみる、という感じでクラシック音楽を聴き進めて
きたのですが、多分正解だったと思います。

トスカニーニは始めチェロ奏者でした。
彼は極度の近眼であり、譜面台に置いた楽譜が見えなかったため、楽譜を丸暗記していました。
ある公演旅行の際、オーケストラの指揮者が急病となり、急遽代理の指揮者が必要になったのですが、
そう簡単に見つかるはずもなく、するとオーケストラの仲間が
「あいつ、楽譜全部知ってんだから、指揮も出来るんじゃね?」
ということでトスカニーニが指揮台に立つことになり、やって見ると公演は大成功、
それからトスカニーニは指揮者に転向しました。
彼はそれからオペラを中心にぐんぐんと名声を上げ、イタリアの国民的指揮者にまでなっていきますが、
時はファシズムが台頭する1920年代。
ファシズムを毛嫌いしていたトスカニーニは、自分の音楽が政治に利用されることを拒絶し、
政府に対し猛烈に抵抗、結局アメリカに渡ってしまいます。
直線的なかっこいい演奏をするトスカニーニはアメリカで大歓迎され、
ニューヨーク・フィルの主席指揮者に就任、アメリカ国内だけではなく、ヨーロッパ遠征などもこなし、
精力的に演奏活動を展開します。
1936年、69歳のとき、高齢を理由にニューヨーク・フィルの主席指揮者を退きますが、
カムバックを求める声は高く、今度はNBC交響楽団と言う、当時普及し始めたラジオ
放送を中心に活動をする新しいオーケストラの主席指揮者に就任、演奏活動を続けます。
この時期彼は数多くの録音を残しますが、1954年、トスカニーニ87歳のとき、
コンサート中、ワーグナーの曲を演奏している際、突然彼に異変が起こります。
いつもは自信に溢れた姿で演奏するトスカニーニが、曲の途中で急に自信なさげな様子になり、
目は宙を泳ぎ、指揮棒を持つ手は機械的に振られるだけ。
実は、完璧に記憶されている筈の楽譜が、トスカニーニの頭から突然すっぽりと抜け落ち、
真っ白になってしまったのです。
なにしろ87歳と言う高齢、楽譜を失念してしまうのも無理はないのでしょうが、
記憶力に絶対的な自信を持っていた彼にとって、これ以上のショックはなかったのでしょう。
演奏が終わると、その場で彼は聴衆に向かって引退を宣言し、二度と指揮台に登ることは
ありませんでした。
1957年、89歳、家族に看取られて永眠。

CDは現在、NBCの演奏がBMGジャパンから、
ニューヨーク・フィルの演奏がNAXOSから出ています。
繰り返しますが、音は非常に悪く、当然モノラルです。
どちらかといえば年代の新しいNBCの方が聴き安いかと。
またNAXOSは3~40年代中心でありながら一枚1000円という廉価、
商業録音の聡明期の雰囲気が知られるという意味でも、面白いかもしれません。
もひとつ、SPレコード復刻専門レーベル「Opus蔵」からも、数枚のCDが出ています。
Posted at 00:59 in n/a | WriteBacks (4) | Edit

Sep 14, 2006

私は小さい頃、

とても怖がりでした。
何故か怪談話は好きだったのですが、肝だめしなどあると本当に恐ろしく、
ホラー映画などもってのほか、ドラキュラとか狼男の陳腐な映画ですら、
恐ろしくて見られませんでした。
また、祖父母の家に泊まりに行って、これが結構古い屋敷のような家だったのですが、
夜中トイレに行きたくなって、隣に寝ていた姉貴に、「トイレに行きたい」と言うと、
「行け。生首が転がってるぞ」
これだけでもうトイレに行けませんでした。
それがある時期を境に、どうやら自分には霊感の欠片もなく、幽霊とかは見ないらしい、
と納得してから、ほぼ恐怖は克服され、夜中の墓場でも平気で歩けるようになりました。

しかし、高いところは昔から現在まで苦手です。
極度の高所恐怖症ではないので、歩道橋ぐらいの高さならなんともないのですが、
高層マンションの上の方とかになると、ぞっとします。
随分昔、スペインのサグラダファミリアの一番上までのぼったことがありますが、
まあ恐ろしかったこと。
あれ、窓とかにも柵とかガラスとかなくて、そのまんま穴なんです。
つまり、そのまま外に出れば落っこちてしまうという。
もちろん出なけりゃいいわけですし、出やしないのですが、高いところが苦手な人間は、
自分が落ちてしまうのを瞬間的に想像してしまうんですね。
見ただけで落ちている気分になってしまう。
だから人が落ちようと思えば落ちる事の出来る穴があいているだけで、もう怖いんです。

例えばデパートの階段で、中心の僅かな空間が、
上から下まで吹き抜けになっているものがあります。
あれ、人が落ちようと思えば落ちられるので、覗きこむと力が抜けます。
それから高層ビルの上の方で、
外壁が一面ガラス張りになって景色が一望できるようになっているところ、
あの場合、分厚いガラスがあるので、近くに寄っても一向に大丈夫なんですが、
たまに、窓拭きや外壁の掃除などの作業をするためでしょうか、
外に出られるドアがついている場合があります。
あれが怖いんです。
「開いたらどうしよう」
それだけで、もう近寄れない。
馬鹿馬鹿しい話ですが、誰かと話などしながら何気なく寄り掛かって、
ドアが開いちゃって、あああああああああ↓
みたいなことを瞬間的に想像してしまうのです。
阿呆ですね。
コントじゃないんだから、そんなことあるわけないんですが、でも治らない。

ま、怖がりなのは想像力が長けている証拠ということで…。
Posted at 01:10 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Sep 10, 2006

蒸し暑い…。

今日は小説家の乙一のことでも。
この人は、ほぼ天才と言って差し支えない人じゃないでしょうか。
確か17歳ぐらいでデビューしてライトノベルを中心に活動し、
その後「GOTH」「ZOO」などで、一般にも名前が知られるようになりました。
「ZOO」は既に映画化され、「暗いところで待ち合わせ」も今年映画化されるようです。
ヒットした「GOTH」がホラーであるため、ホラー作家のイメージが強いですが、
SFっぽいのとか、青春っぽいのとか、ジャンルを限定せずに書いています。
ある意味、今日の筒井康隆でしょうか。

まあ、とにかくうまいですね。
現在恐らく27、8歳だと思いますが、10代に書いた作品を読んでも、
うーん、と唸らされます。
ライトノベル出身ということもあって、重厚な文章ではなく、
サクサクと流れるように読んでいける文体ですが、しかしそれでもぞっとする人間の怖さ、
それに乙一の最大の魅力でもある「切なさ」が表わされ、ここらへんもとてもうまく、
また、これは絶対映像化できないな、と思える小説的トリックが至るところに出てきたりして、
活字で物語を読んで行く楽しみを存分に味わえます。
どちらかと言うと短篇中心、長編にしても300頁弱ぐらいですので、
じっくり読むより、空いた時間を潰すぐらいに読むのが、ちょうどいいかと。

私は確か「ZOO」あたりで彼を知り、やたらと大袈裟なコピーがついていたので、
なんぼのもんじゃい、と言う感じで、大いに偏見を持って読んだのですが、
その凄さに思い切り凹まされ、その後はほぼ全てに近い作品を読んでしまいました。
まるでエンターテイメント小説を書く為に生まれて来たような人です。

上にも書いた通り、映画化もされていますが、私はまだ見ていません。
というか、あまり見る気になりません。
多分原作以上ではないと思えてしまうのです。
「ZOO」は恐らく映像化を前提に書かれたものではないと思いますので、
活字で読んだ時に最も効果があるように全てが構成されています。
そういうのは、他のジャンルに置き換えても、原作を超えられない事が殆どです。
現に「GOTH」が漫画化されたものを私は読んだ事がありますが、
全然面白くなくなっていました。

乙一の作品は殆どが文庫化されていますから、手を出し安いですね。
最近「ZOO」も文庫化されましたし。
興味がありましたら、とりあえず「ZOO」がお薦めです。
そう言えば、そろそろ新作が出てもいい頃…。
Posted at 01:14 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Sep 05, 2006

さて、九月ですね。

私のパソコンはいまだ入院中、
以前に使っていた98を引張り出してこれを書いているわけですが、
98とDOS/V機ではキーボードが少し違うので、勝手が違って戸惑います。
一文字消そうとしたら、ページがロールアップしたりしてイライラ。
きっとこのキーボードに慣れたころに退院してくるんでしょうね。

詩人の竹内敏喜さんが第六詩集「ジャクリーヌの演奏を聴きながら」(水仁舎)を、
八月半ばに上梓しています。
これは165冊しか制作されていない、私家版と言ってもいいものであり、
残念ながら入手は困難であると思います。

内容を通読すると、私は合評会をご一緒させて頂いている関係上、
既に読んだものが多く見られました。
単独で読んだ時には、その書き方に疑問に思ったものも中にはありましたが、
こうして一冊の詩集に、同じ作者の作品群の一篇としてあるのを見ると、
意外な程その姿が違って見え、収まるべき所に収まったな、と言う印象を受けます。

この詩集は、単なる作品集と言うより、三十三篇の作品をひとつにまとめる事によって、
一人の詩人そのものを表現する事を目的にしたものです。
ですから一つ一つの作品を独立して観賞するのではなく、
全体で一人の詩人の体であると考えて観賞すべきだと思います。
内容は個人的な経験を軸に展開しており、それについての個人的な価値感が語られますが、
このような詩、または詩集は、読み方から自由度が奪われることから、
見方によっては一方的な作品に見え、敬遠されることも多いかと思います。
そこのところを承知しているからこそ、詩人は私家版という形をとったのでしょう。

しかしこれもまた、詩という表現方法のひとつであることも確かです。
流通を目的にするのではなく、一人の詩人によって著された詩集を、
「ある存在」として、そこに置くこと。
そしてそれが置いてあるところまで行って手を伸ばし、ページを開いて読み通すこと。
その存在について、思うこと。

詩人竹内敏喜は都会の真中に棲み、世間の至るところから聞こえてくる現状、
メディアから流れてくる洪水のような情報を、否応なしに受けとって行きます。
それらに対しての思いが起こり、しかし何らかの主張をするかといえばそうではなく、
詩人は途方に暮れています。
自分の経験や知識を持って、なんとか現状を説明、納得しようとはするのですが、
それに至らないまま呆然とするうち、やがて詩の言葉がこぼれ出します。
そこに詩人竹内敏喜の存在意義とも言える小さな泉が出現し、この詩集の底を形成しています。

また詩人は、日常に体を撫でて去る他愛もない出来事にも、同様に向き合っています。
平坦な言葉で表わされる日常がふと震える瞬間、
詩人はその向こうにあるものを見通そうと、それが業であるかのように目を凝らします。
そこにかいま見えたものは、言葉では到底表現出来ないなにものかであり、
しかしあえて詩人はそれを滲み出させようと、言葉を丁寧に削り出しながら、
少しずつその感覚へ近付いて行こうとします。

彼には最近姪が生まれました。
彼女について、この詩集のハイライトと言うべき連作が収められています。
彼女と、彼女を囲むまわりの人たちの様子を見つめ、そこに人の存在の原点を掴もうとしています。
実に気負いなく書かれたこれら連作は、柔らかい雰囲気に満ちており、
ハッとする印象ぶかい言葉も多く見られます。

機会があれば、是非一読を。
Posted at 01:48 in n/a | WriteBacks (6) | Edit
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