Jun 23, 2006

じわりじわりと、

暑くなってまいりました。
既に部屋ではTシャツに半ズボン。
今年は何処まで冷房を使わずに過ごせるか。

先日高田昭子さんと、高橋順子さんの著作を貸し借りしました。
私がお貸ししたのは、先日ここにも書いた「雨の名前」。
高田昭子さんも22日付けのブログで紹介されています。
私と違って、ちゃんとした紹介文です。
是非、見てみてください。
そして私がお借りしたのは、「水を編む人」と「高橋順子詩集成」。
分厚い「詩集成」はいまじっくりと読み始め、読了はまだ当分先でありますので、
今日はもう一冊の方。

「水を編む人」(愛育社)は泉豊さんの、水をモチーフにした写真に、
高橋順子さんが短い詩をつけた、美しい本です。
この本を見ていて単純に思うこと、
やっぱり水の写真ていいなあ。
眺めていると、実際の喉ではないですが、
体か心かの何処か乾いた部分が潤される感じがします。
水の写真に潤されて初めて、
そういう部分があったと気付いたりします。
大きな木の枝が、たっぷりとした川の流れに沈んでいる様子など、
「ごくごくごく」という音が、体か心の何処かから聞こえてきそう。
実際に膨大な水を前にすれば、
それこそ全身に浴びて、喉の鳴る音などないのでしょうが、
写真という不完全なものであるからこそ、
そんな部分に気付かされるのかもしれません。
こう見ると、一瞬を捉える写真には短い言葉が合いますね。
あらゆる一瞬からは、微かな、しかし無限へと繋がっていく言葉が、
常にこぼれ出ているような気がしてきます。
世界が、水のあるところと水の無いところに分けられるとしたら、
水のあるところには生命があって、ないところにはないのでしょう。
自分の体は水のあるところにあるのだけれども、
自分の心は水のあるところにあるのだろうか。
自分の詩は、水のあるところにあるだろうか。
なんてことを考えつつ、今日はこの辺で。
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