Feb 25, 2006

2月16日付のブログで、

「宮沢賢治の詩が直筆原稿で読める本ってあるのでしょうか」
と書いたところ、
それを見た桐田真輔さんが、
「イヴへの頌」(詩学者)という大判の本を貸してくださいました。
内容は、堀口大学から長田弘まで総勢75人もの詩人の、
肉筆原稿によるアンソロジーです。
ひとり一篇ずつとは言え、
多くの詩人の肉筆に接することができるとても興味深い、読み応えのある本です。
ここのところ家に帰るたび読み返しているのですが、全く飽きません。

当然のことながら筆跡は十人十色、ミミズののたくったような字もあれば、
デザイン的な字もあり、また読めないぐらい達筆な人がいれば、
小さくて細い繊細な字の人もいて、色々な筆跡を眺めているだけでも、
時間を忘れてしまいます。
私の好きな黒田喜夫や岡本潤の肉筆が読めたのは嬉しかった。
金子光晴の字はあまりの乱雑さにちょっと読めませんね。
やっぱりな、という気はしますが。
草野心平の字はものすごくぶれていて、これは屋外で書いたのでしょうか。
鮎川信夫はちっちゃくて丸っこい女性的な字。
秋谷豊さんは角ばったデザイン的な字で、額に入れて飾ったらきっといい感じです。
磯村英樹さんはペン習字のお手本のような、整然とした字です。
吉増剛造さんは、彫刻刀で彫りつけたような格好いい字。
他のどの詩人も、味のあるいい字を持たれています。

言葉が人間から外へ出るとき、ひとつは口調として現れ、
ひとつは文字として現われます。
口調がその人の性格を強く表しているように、
やはり書き文字も、その人のことを強く表すのでしょう。
そして人は自分の口調を聞きながら思考し、
また書き文字を見ながら思考するのでしょうから、
やはり肉筆には、その人の詩の所以の一部があるのではないでしょうか。
ならば生身の詩人を感じるには、下手な研究書なんかより、
こうして肉筆の文字で詩を読むほうがいいように思います。
こういう本が、もっと手軽に手に入るようになるといいですね。

今回この本の中で気になったのは、磯村英樹さんと鈴木喜緑さん。
二人とも、知らなかった詩人でした。
磯村英樹さんは、オキアンコウのオスとメスが登場する物語的な詩作品で、
ちょっと井伏鱒二の「山椒魚」を思わせる、とても面白い作品でした。
鈴木喜緑さんは、死のうとした母へ向けた詩で、やさしい言葉と文字ながら、
人の残酷さを鋭く突きつけてくる詩です。
今後著作を探してみようかと思います。

それと、ふらんす堂ホームページ「詩のリレー」のバトンが、手塚敦史さんから、
先日の合評会でご一緒した森悠紀さんに手渡されています。
「一語もないまま、あいている(ハコ)」を取ったようですね。
手塚さんの詩にあったしっとりと濡れた空気を受け継ぎながら、
さらに浮遊感の強い作品になっています。
是非、一読を。
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