Mar 24, 2006

私はカメラと言うものに、

不思議なほど興味がありません。
自分のカメラを持ったことはないですし、欲しいと思ったこともありません。
シャッターを押した記憶すら、殆どありません。
と言っても別にカメラが嫌いというわけではなく、
ただ、不思議なくらいに「写真を撮る」という行為に対して、興味がないのです。

にもかかわらず、写真を見るのは好きなんですね。
マニア、というわけではありませんが、荒木径惟や川内倫子、
植田正治やなんかはわざわ作品集を買ったりしますし、
岩合光昭の動物写真なんかも好きです。

「アサヒカメラ」と「日本カメラ」というカメラ雑誌がありますが、
私はあれを良く見ます。
と言っても、毎月買っていては散財なので、古本屋で一冊百円で売っている奴を、
時折3,4冊買ってきて眺めます。
巻頭には、有名な写真家の新作が並び、それはそれで興味深く見るのですが、
それよりも私が好きなのは、投稿欄という奴です。

カメラ雑誌の投稿欄には、実に様々なアマチュアカメラマンが作品が犇めき合っています。
カメラを始めてすぐの人から、恐らくプロを目指しているであろう人まで、
またスナップ写真から、思い切り演出を施したものまで、
色々な被写体や状況の写真を見ることが出来ます。
カメラ人口は膨大なので、素人といえどもかなりのクオリティを持ったものが多く、
それだけでもかなり楽しめるのですが、その中でも1,2ヶ月に一枚ぐらい、
奇跡的と思えるほど凄い写真に出くわすことがあります。
明らかに撮影者の実力を超えたもので、それはもう技術うんぬんというよりも、
写真の神様が舞い降りたような偶然によって傑作となっており、
思わず切り抜いて額に飾りたくなるほどです。
その衝撃を目当てに、私はカメラ雑誌を買うのですね。

カメラ素人の私がいうのもなんですが、
写真と言うのは、非常に偶然性の高い表現手段だと思います。
その日の天候、光の具合、撮影者と被写体の気分、予期せぬハプニングなど、
様々な偶然的要素が一枚の写真に色濃く反映されます。
私はその偶然性というところに、とても惹かれてしまうのです。
プロの撮った写真であっても、勿論偶然性はあると思いますが、
それはプロとしての経験と勘が、偶然を嗅ぎつけるのでしょう。
素人カメラマンには、そういうことはあまりないはずです。
だからこそそこに現れた偶然は、混じりけのない純粋な偶然で、
そういうものに出くわすと、なんだか奇跡に立ち会えたような気すらしてくるのです。

考えてみれば写真に限らず、私は偶然性にばかり惹かれてきた気がします。
音楽の一期一会性には強く惹かれていますし、文学や詩の場合も、
計算ではなく奇跡のように現れた言葉に惹かれます。
絵画や彫刻、映画などを見るときでも、私が求めているのは技術よりも、
偶然性であった気がします。
ある意味、最終的に作品を作品足らしめるのは、偶然性なのではと私は思っています。

以前にも書いたような気がしますが、写真と詩は、なんとなく似ている気がします。
似ている要素については様々なものがあると思いますが、
そのひとつに、偶然性があるのではないでしょうか。
もちろんまず技術は大いに必要でしょうが、
端から端まで計算づくだったり、僅かなブレもない作品では、
幾らよく出来ていても、やはり面白くありません。
たったひとつだけでも、作品の中に奇跡や偶然が起こったとき、
詩にしても写真にしても、作品として成る(歩が金に成るように)のではないでしょうか。

そういえば以前思潮社の編集の方に、現代詩手帖の投稿欄にはマニアがいる、
ということを聞いたことがあります。
詩を投稿するマニアではなく、投稿欄の作品を読むほうのマニアです。
変わった人がいるもんだなあと思ったものですが、
考えてみれば私も写真を撮ることには興味がないくせに、
投稿欄の素人の写真ばかり見て喜んでいるのですから、
相当変わっているのかもしれません。
Posted at 01:27 in n/a | WriteBacks (2) | Edit
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