Jul 19, 2006

やあ、今日あたりは

大分涼しくて過ごしやすいですね。
みなさま、どのようにお過ごしでしょうか。

少し前になりますが、町田康の「告白」(中央公論新社)を読み終えました。
町田康と言えば、以前は町田町蔵の名前でバンド活動もしていて、
「イヌ」というバンドをやっていた頃から私は好きでした。
北澤組とのアルバム「腹ふり」は名盤です。
彼が作家になってからすぐの頃は、なんだか筒井康隆の影響バリバリだなあ、
なんて思っていましたが、いまではすっかりそれを脱却して、
町田ワールドを存分に炸裂させています。

「告白」は、ある意味集大成のような作品。
河内音頭にもなっている明治時代に起こった10人斬り事件をモチーフにして、
町田康独自の文体で怒涛の670ページを突っ走ります。
私はけっこう飛ばし読みする方なんですが、話は勿論、文体がとにかく面白いので、
全然飛ばし読みできずに、随分時間をかけてこの本を読みました。
やはりミュージシャンということもあって、リズム感が抜群、
それに関西弁の小気味よさをそのまま文体に使っていて、
音楽を聴いているように読まされます。

しかしこの独特の文体を読みながら思うのは、これは外国語に訳したらどうなるのか、
このニュアンスを伝えることはできるのか、
そもそも外国の人はこのニュアンスを理解することが可能なのか、と言うことです。

例えばヘミングウェイの小説、私は正直あれがよくわかりません。
もちろんどういう話かは理解できますし、なんとなく格好いいなあとも思うのですが、
どの話も別に書くほどのことではないような話に思え、どこで思いを深めていいのかわかりません。
それがヘミングウェイが町田康のように、その国で感受性を育ててきた人間でしかわからない言い方で書いているからなのであれば、そのニュアンスを翻訳で伝えるのはもう不可能に近いでしょう。
ウッディ・アレンの映画を絶賛する評論家はたくさんいますが、ニューヨークにある暮らした人でなくては、ウッディ・アレンの本当の良さはわからないとも思います。
また、日本のお笑いコンビ「ダウンタウン」の笑いも、
日本で生まれ育っていないと直感できないニュアンスが多分にあります。
だからダウンタウンの笑いは、同じ日本人でも、まだ経験の少ない子供には全く人気がありません。

きっと原書で読めるだけの語学力があればヘミングウェイだって理解できるのでしょうけれど、
悲しいかな私には日本語しかわかりません。
ランボーの詩なんかも、やはりフランス語で読むからこそいいのでしょうし、
三好達治の「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ…」なんて詩句も、
外国人が聞けば「はあ……??」てなものでしょう。
村上春樹や吉本ばななが欧米で受け入れられるのは、
そういう地域独特の感覚が殆どないからに違いありません。

生まれ育った環境、世代、性別など、人間は無数の溝に囲まれて存在しています。
自らの背負った特異性を保ちながら、なんとかその溝を飛び越えて行きたい、
というのは無謀な欲求でしょうか。

ま、とにかく町田康の「告白」は面白いですよ。
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