Oct 09, 2006

連休真っ直中

に更新です。

私は今まで、所謂ビジネス文書と言われるもの以外、
人目に触れるところに文章を書く機会がありませんでした。
しかし最近では、書評などの文章を書く機会に僅かながら恵まれ、
すると、これも僅かにですが文章について考えもします。

私は、ほとんどの場合、キーボードで文章を打ちます。
その方が手書きより断然早いことと、推敲が楽であることがその理由です。
しかし日本でワープロやパソコンが普及する以前は、
当然ながら誰もが手書きであったわけで、
そしていまもそういう方は多くおられます。
その場合、原稿用紙に文字を書きつけていくわけですが、
長年書かれている方は、10枚という依頼であれば、最初の一行から書き始め、
10枚目の最後の一行できっちり終わる、という技術を持っている方も多いと思います。
所謂キーボードの世代には、この感覚は全くないのではと思います。
勿論私もそうです。

私の書き方は、まず思うままに、文法や順序などを気にせず文章を打っていき、
自分の中のものを全部出しきったところで、推敲に入り、体裁を整えていきます。
考えてみればこのやり方は、手書きで書かれている人から見れば、随分幼稚な、
作法と言うよりパズルに近いやり方でしょう。
大体、筋道を立てて考えを文章にしていく、ということを全くやっていません。
考えてみれば、私は筋道を立てて長く話すということが出来ないのです、昔から。
例えば資料などを見ながら、その一つ一つを説明したり、質問に答えたりすることは出来るのですが、
自分の意見を長い時間述べるとなると、喋っている内に支離滅裂になって、
言わねばならないことが抜けたり、逆に言わなくていいことを長々と喋ってしまったり、
まあとにかく喋るのが下手で、頭の中もじつに混沌としている人間です。
スピーチなどもってのほか。
だからこそ、詩という奇妙な表現を使うようになったとも言えるのですが。

こういう人間は、まず根本から頭の中を鍛えなおすべきなのですが、しかしそんな人間ですら、
キーボード入力だと、推敲さえちゃんとすれば、それなりに文章がかけてしまいます。
それは悪でもありますし、救いでもあります。
多分私はキーボードがなかったら、詩もその他の文章を書いてはいないでしょう。
とりあえず私は恩恵にあずかりましたが、それによって失ったものの事も、
考えるべきなのかもしれません。
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