Jan 08, 2006

去年は一度も

展覧会というものに行かなかったことに気付きました。
一昨年は幾つか行った気がするのですが。

私は展覧会で絵を見るとき、
その横にある解説文のようなものを読みません。
あれを読むと余計な先入観が出来てしまって、
絵を純粋に見られなくなってしまうのです。

絵描きさんは、
解説文と一緒に見てもらうようには絵を書いていないはずです。
絵描きである限り、
絵だけで伝えるべき全てを表現しているはずですから、
その絵が完成しているのであれば、
付け足すものなど何もないはずです。
だから一切の説明なしにその絵と対峙するのが、
私は正しい鑑賞法だと思うのです。

そして私は一枚の絵を見るごとに、
その絵から自分なりに何かしらの言葉や感情、
また物語のようなものを引き出さないと、
気がすまないたちなのです。
ですから一枚の絵を鑑賞し切るまでにかなりの時間を要し、
展覧会を全て見終わる頃には、へとへとになってしまいます。
最近展覧会から足が遠のいているのは、
体力的な所為もあるかもしれません。
二十代の頃は展覧会のはしごもしていたのですが、
最近はその気にもなりませんね。

そういえば、前は一年に一度か二度は必ず行っていた「川崎市岡本太郎美術館」にも、
去年一昨年と行っていませんでした。
あそこに行くと、なにか自分の中で澱んでいたものが、
全部洗い流されるような気がします。
素人とはいえ、表現などというものをしていると、
いっちょ前に行き詰まりのようなものが出てくるのですが、
そんなものも太郎の絵は、ひょいとリセットしてくれるのです。

岡本太郎の絵については、多くの見方があると思いますが、
私は単純に美しいと思います。
この言い方を太郎は絶対に拒否すると思いますが、
いつもそう感じてしまうのだから仕方ありません。
太郎の絵は無造作に描かれているようで、
しかし実はものすごい技術の上に成り立った無造作であることは明白です。
鮮烈な黄の一線を描き出すために、画面全体にその色を際立たせる色が、
天才的に組み合わされて広がっていたり、
描き出された物体の質感も、寧ろ現実よりも生々しい、
本質的な姿で画面に浮遊していたりします。
それを、見るものに「上手い」という印象を与えず突きつけられるところが、
まずは太郎の凄いところでしょう。
太郎は「下手でいいんだ」と言いますが、
それは完全に血となり肉となった技術と勘を持つ者だけが、
口に出来る言葉ではないでしょうか。

と、そんな面倒臭いこととは関係なく、
太郎の絵は見る者にパワーを与えてくれます。
改めて見回してみれば、
そういう絵は世界的に見てもそうはないのではないでしょうか。
などと書いているうちに、またあのどでかい画面で、
太郎の絵が見たくなってきました。
やはりあの絵は、実物でないと意味がありません。

「川崎市岡本太郎美術館」は、
小田急線の「向ヶ丘遊園」駅下車徒歩約20分、
生田緑地公園内にあります。
まだ行ったことのない方は是非どうぞ。
癒されるのではなく、息を吹き返させられますよ。
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