Apr 02, 2006

現代詩手帖4月号を購入。

今号は、急逝された茨木のり子さんの追悼特集。

茨木のり子さんの詩に私は「もの言う詩」という印象を持っていました。
読むと、真っ直ぐこちらにむかってものを言ってくるのです。

詩というと、内に向った言葉で書かれることが多く、
しかも外に向った詩の言葉は大抵疎まれるものであるのに、
茨木さんの詩の言葉は、容赦なくこちらに向ってものを言ってきます。
極めて個人的な感慨を言っているものも茨木さんの作品には多いですが、
それでもやはり言葉はこちらに向ってきます。
ときに辛らつなもの言いで「むっ」ともしますが、
すぐに「うーん」となってしまいます。

はっきりと読み手に向って言われる詩の言葉は、
大抵は恨み言になってしまったり、説教になってしまったりしますが、
そうなるのは恐らく言葉が自分勝手だからなのでしょう。
茨木さんの言葉は、辛らつであっても自分勝手ではなかったと思います。
だからすぐに「うーん」となってしまって、
次の言葉へと読み進まずにはいられないのでしょう。

不勉強なことに私は「倚りかからず」しか持っていないのですが、
どこかで未読の茨木さんの詩を見かけると、どうしても最後まで読んでしまいます。
考えてみるに、私は茨木さんの名前を見るたび、
無意識になにかものを言って欲しくなっていたのかもしれません。
そんな私のような弱い人、あるいは心に弱い部分を持つ人が求めずにいられなくて、
「倚りかからず」は売れたのではないでしょうか。
勿論本人は、そんな連中にものをいう気などさらさらなかったのでしょうが。
亡くなられたことはとても悲しい出来事ではありますが、
詩集八冊ぶんの鮮やかな「もの言い」を残してもらったことを、
いまは感謝すべきなのだと思います。

しかし詩手帖に追悼文を寄せられた人の中に「お会いしたことがなかった」
または「十数年もお会いしてなかった」という人がとても多いのは、
凡人の目にはなんだか胸を締め付けられることでした。
しかしそれが、茨木のり子という詩人だったのでしょう。
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