May 13, 2006

キースは一応退院したと言うことで、

よかったよかった。

先日観劇した遊戯空間の舞台など見ると、
詩を運ぶもののことを考えます。

詩はもちろんそれ単独で存在するものですが、
別のなにかと一緒になって、人まで届く方法もあります。
主であるのは音楽。
それに演劇の中で俳優の声から、
そしてリーディング、
また詩集や絵本、写真集などの形もあります。

先日見た演劇では、音楽が詩を運ぶように、
俳優の声が詩を運んでいました。
演出家の方は、和合さんの詩作品の中から、
ただ出来のいいものを選ぶのではなく、
演劇にして効果のあるものだけを慎重に選び出し、
劇化していました。

俳優の演技と共に送った方が、文字で読むよりも真意が伝わりやすい詩があり、
同じように音楽にのせた方がいい詩があります。
また、もっと他の方法がいい詩もあるはずで、
その方法は詩の数だけあるのかもしれません。
勿論余計な事をせず、紙に印刷したものを読むのが最もいいものもあります。

私は現在、文字で読む詩に集中して書いていますが、
その中でも、一つ一つの詩にふさわしい場所はあるのだと思います。
沢山の人の詩の中に存在した方が良かったり、
詩集の中に存在した方が良かったり、
また詩集の中でも、一番最初に置かれることがふさわしい詩があり、
最後に置かれることがふさわしい詩があり、
それを間違えると、詩はその力を存分に発揮できなくなってしまうと思います。

どこにあってもどんな伝え方でも、いい詩はいいのだ、とも言えるかもしれませんが、
例えばイチロー選手だって、大リーグに行っていなかったら、
また野球ではなく、間違ってサッカーをやっていたら、
あれだけの身体能力の持ち主ですから、それなりに成功はしたかもしれませんが、
しかし今以上ではなかったでしょう。
イチローは、自分が最も輝ける場所を探す天才でもあると思います。
極端な例えでしたが、そういうことです。

そして一緒に送るものがわかったら、
それに対しても充分に気をつかわなければならないと思います。
遊戯空間の公演では、その充分に気をつかったものを見せてもらいました。
演出家さんの手腕、俳優さんたちの研ぎ澄まされた演技力があってこそ、
和合さんの詩はそこに明らかに出現できたのだと思います。
少しでも手を抜いたものであったなら、
難しい試みだっただけに、
見るも無残なものになっていたのではないでしょうか。

私の場合、今までは詩を書くことが自分の欲望の八割方であり、
何処に出るか、どのように見せるかは、それほど気にしていませんでした。
しかしせっかく書いたものですから、ひとつひとつの詩に、
一番際立つ服を選んでやることも必要かなと思い始めています。
さて、詩手帖6月号に掲載される詩のゲラが送られてきました。
ここでは沢山の先鋭詩人の中に挟まれた所に、詩の居場所があります。
一応、それを考えて詩を選んだつもりですが、果たしてどうだったでしょうか。
心配…。
Posted at 01:14 in n/a | WriteBacks (2) | Edit
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おひさしぶりです

どうもお久しぶりです。
もう、ゲラがでたって。。。
こっちはまだ一行も書けてません。
どうしよう・・・。

ではまた。

Posted by kutanikiji at 2006/05/14 (Sun) 18:25:14

やや、久谷さん!お久しぶりです!
有名人に来てもらえるのは嬉しいですね。

その後、お元気でしょうか。
詩のほう、どうですか。
いま日曜の夜ですが、書いている頃かな?

勉学にバイトに、忙しい日々を送られているようですね。
詩集のほうも予定されているようで、
目の回る日々だと思いますが、
体には充分気をつけてくださいね。

次回の合評会の時にはお会いできるでしょうか。
また豪快な笑い声を聞かせてください。
楽しみにしております。

Posted by 小川三郎 at 2006/05/15 (Mon) 00:01:03
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