May 26, 2006

窓を開けて、

ブログを書けるいい季節になりました。
昨日は大雨でしたが。

とある科学雑誌を立ち読みしていると、
蛾の口の拡大写真が載っていました。
赤く渦巻きみたいになっていて、
なんだか前衛芸術を思わせる形でした。
幻想的とか別世界とか、
またある意味グロテスクと言っていい形でした。

それを見てて思ったのですが、
現代美術などの20世紀芸術は、
ものを近くで見すぎていたのではないでしょうか。
現代美術もまた、グロテスクと言う形容をよくされると思いますが、
心とか人間性とかそういうものを、人間的な視点よりもっと、
顕微鏡で見るように、不自然なほど近くで見てしまって、
あのような理解し辛い様相になっていったのではないでしょうか。

また、宇宙などの写真を見ると、非常に魅力的な形がたくさんありますが、
そんな世界も、人間の目から見ると顕微鏡で見た世界に似ている気がします。
ミクロの世界もマクロの世界も、非常に興味を惹かれる世界ではありますが、
人間的な視点の位置とは言えない気がします。

いま、私たちが普通に眺めているこの世界は、
恐ろしく複雑に見えています。
周りの景色も、人間関係も、一人の人をじっと見るときでも、
とても言葉では言い尽くせないほど複雑に見えています。
それに対して、顕微鏡や望遠鏡で見た世界は、
見た目、非常に単純に見えます。
絵に描いてみようとすれば、両者の違いは明らかです。
人間の視点とは、
人間の複雑な脳に合わせた位置に置かれているのではないでしょうか。
これだけ複雑なら、研究者も芸術家も、一生掛かってもその全ては征服できません。

などと感じて、ふと詩のことを思うと、
やはり人間的な視点から見た世界を詩にすることが、
一番難しいように思います。
不自然なほど近づいたり遠ざかったりして描くのは、
寧ろ簡単なことなのではないでしょうか。
勿論、近づいたり遠ざかったりというプロセスは、
非常に複雑で時間の掛かる経緯を辿らねばなりませんが、
しかしその結果見えるものは、人間的な視点から見えた世界よりも、
ずっと単純なものであるように思います。
更にその向こうにあるものは、人間のためのものではないでしょうから、
人間には理解できず、理解する意味もないような気がします。

と言いながら、
私も近くに行ったり遠くへ行ったりしたいと思ってしまうのですね。
その向こうにあるものがなんとか見えないものかと、
目を凝らそうとしてしまいます。
普通の世界が一番複雑で美しい、とわかっていても、
芸術家も研究者も、別世界にどうしても惹かれてしまうのでしょう。
一種の逃げなのでしょうが、
これはもう本能であると思います。
すると人間の本能とは、人間ではないものを目指すことなのでしょうか。

私も前衛芸術は好きですが、
しかし前衛芸術は結局何も生み出さなかったと思います。
蛾の口のどアップは凄く面白いけれども、私たちに知ることが出来るのはそこまでで、
その向こうに決して進めないのではないでしょうか。
グロテスクとは、あんたはそこから先に行っちゃいけないよ、
というサインかもしれません。
あるいは、その先に行っても構わないけど、
まともなやつは誰もついてきちゃくれないよ、というサインかも。
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