Dec 28, 2005

ねじれていたい

消えたイメージ

もうそこには
いられない
あたたかい
わたしたちの胸には
消え残る
スケープ
展望の
ささやかな
望みだけがある
のだろうか?

白鳥が舞う
山の端を
そして
悲しい
悲しさは
禁じられようとしている

そして貧しさは
笑われる
電脳の
首相の
次官の
時間の薄笑い

公園の
ブランコの向こうから
牛乳が運ばれてくる
みんな
どうしているの
誰?
誰?
誰?
手をかざしている
天皇の
悲しみの
届かない
爆撃
そして
料金不払いの
冷え冷えとした空間
雲っている
わたしたちは
手を
しどけなく
垂らしたまま
水平飛行に
入る
地上が見える頃には
哲学者がむかえ
うたがいながら
もうすぐ着陸します

そう
語ってはならない
のだろうか?
難しいことを
語っては
ならない
のだろうか?

わたしが生きているのは
醒めた
古ぼけた大地で
金が死に
かわいそうな
お母さんたちがまっている
女の子が絵をかいている
逮捕された外国の人は
偽名を使っていたが
逃げるだけの
何から?
少し涙する
人の
なんでそうなるのだろう
そして
子は
どこへ行ってしまった
安置の
さむい言葉の
もしかすると
弱い者は
さらに
哀れまれ
守られようとして
更に
暴力の
地平に
たたきつけられ
うばわれ
間を裂かれ
もう友達になれないのか?

詩は
詩は
そのなかで
どうしてか
ブラックボックス
とおまきに
あるいは
直線に
行こうとするのか

やめなさい
せめて
ねじれていたい
戦後の山の
重なりの
その
遠く
ねじれていたい
批評なり

明日から今日へ
そして明日へ
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