Mar 31, 2006

電話と「ヒゲとボイン」

 今日は何もしないで、彼女とミュージックステーションとか、セリーグ開幕戦を見ていた。彼女は午後5時まで仕事だった。
 ミュージックステーションは20年もやっている。巨人は、横浜をめためたにしていたので、チャンネルを変えた。(ヤクルトが勝ったのはすごいと思う。つーか古田がすごい。悪いやつだけど)Bzの松本はいくつだろうか?高校時代ユーミンのかかっている喫茶店で、サボってたといってた。ユニコーンが「ヒゲとボイン」を歌っていて感動した。(関係ないが和田アキ子はもっとソウルを歌うべきだと思う)自分が介護をしだしたときの歌を聴いて、ずいぶんまえだなあと感じた。変な感じだった。最近のことなのにね。
 3時ごろデイケアのスタッフから電話がかかってきた。ちょっとドキッとした。「だいぶマシになりました」と伝えた。5日にデイケアの花見にいくことにした。行けるかなあ。大丈夫かなあ。来週は、何度か外へ出なきゃいけない。まあぼちぼちと。

 当たり前のことをなぜなのか考えるのは大事だと思った。実際結構調べられていない事がある。最近勉強してないし、研究者でもないけど。それは知られていていいことだったりするのだ。でもマニアックにならないようにしなきゃとなぜか思う。それでいて普遍的なつもりが、変なところをうろついていたりする自分が見える気がする。矢部史郎がマルティチュードは「マイナー」であらねばならないみたいにいってたけど、(マルティチュードって概念も、ちょっとわからんが)マイナーってなかなかなれるもんじゃないよ。詩だってそうだ。「痛い」というのを批評的に使えば、痛くても普通が「マイナー」ではなかろうか。見る人によるが。立岩真也のサイトを見て、そんなことを思い出していた。「なぜ簡単には発展至上主義の社会じゃなくならないのか?」というのは大事な問いだと思う。みんなそういうけどそうならない。社会はまだ悪い意味で発展しようとし、その体制はアメリカから輸入され、北欧型みたいにはならない。福祉現場で北欧がいいといわれているけど、簡単にはならない。まあ、単純にはならなくていいと思うんだけど。それが日本か。
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Mar 30, 2006

外へいく

 橋龍はお金、歯科医師会からもらってんじゃないかなあ?

 自立支援法は、申請したのにまだ書類が届いていない。制度だけ先行してて、実務はどうなっとんじゃ!というわけで反対意見公式見解を両方リンクする。

 槇原敬之と江原啓之は表情筋の使い方が似ている。どちらもある意味、ちょっと痛い世界観をもっている。美輪好きでも共通。とかいいながら江原はちょっと気になっている。槇原もきらいじゃない。江原とかかわりの深い本で「魂は死なない、という考え方」はどんな本だろう。

 しばらく引きこもっていたけど、今日は診察。天王寺から茨木までクリニックに行く。診察待ちは7時代7番目。そのあいだに、来ると必ずいくラーメン屋で腹ごしらえ、メモ帳に今日診察で言うことを書く。

 *話したこと
 ここ二週間だいぶ精神状態はマシになってきた。外へはまだ出にくい気持ちでデイケアに行ってないけども。今は内面を見つめて、過去の記憶を整理するときか。朝眠気が残る。自立支援法は、まだ書類が届いていない。

 先生は、自立支援法は手続きが遅れていて、届いていない人もたくさんいるのだとか。眠剤は半分にして試してみてとのこと。あと、先生は、無理にデイケアに行けとはいわなかった。それで安心する。怒られるかなあと思っていたので。あくまで慎重である。家の中でやれることをやってくださいとのこと。
 帰りマクドでコーヒーを飲んで、ポテトも食べてしまう。食べすぎだ。でも、久々に外出して気持ちいい。寒かったけど。

  駅で本を売っているキオスクに入り、南淵明宏「ブラックジャックはどこにいる」という医療エッセイを買う。著者は、現役心臓外科医。僕は医療のエッセイが好きだ。ケアとキュアはまったくその技法がちがうけど、臨床の緊張感という点では通ずるものがある。プロな感じが。でも医師は人の命を直接に預かっている。心臓外科医ともなると、手術に対する恐れに率直なことが伝わってくる。謙虚さがモチベーションになっているのかもしれない。小学生の頃は医者になりたかった。理数系は全然ダメだったからやめたけど。考えてみれば僕の先生も、一日何人もの患者にアドバイスしている。すごい集中だ。あなどれない。プロだ。でもどこか余裕を作っているんだろうか。全力でやるというのが力だろうか?他、角田光代と佐内正史の本、佐藤愛子のエッセイを買う。
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Mar 29, 2006

飛行

「悩んでいます」という場所の
奇妙な安定感
むさぼる後ろ向きの安逸
それらに苛立つ
しかしそれははじまり
冷たい風がふく
ゆっくり歩いている
スタンバイする
内観する
飛行へ

からっぽがふくらんで
大きく大きく風がふいていく中を
降下していく鳥
鳥たち
わたしたち
ぼくは過去におそわれている
おそわせている
大いなる生きることの限界まで
落ちていく
ぼくは鳥
生きている
ウィルスをまきちらす
ウィルスのように広がり
繁殖し多数になること
抵抗すること
やわらかくあらがって迎え入れる空間を作ること
でも届かないかもしれない
詩人の
そしてその外へと
詩へと

とんでいく
風にもまれている
届けばいい
詩人の
詩人の
そしてその外へと
詩へと
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父との電話

 スタニスワフ・レムが亡くなった。昨日書こうと思ったんだけど、忘れていた。僕は「虚数」が好きだ。人間の知能をはるか追い越してしまったゴーレムという人工知能の傲慢かつクールな進化論が面白かった。

 姉歯元建築士の奥さんが自殺した。どんな苦しみか想像を絶する。姿をみせていない姉歯元建築士も、どこにいるのだろう。勝手に心配になる。

 彼女の旅行も三日目。楽しんで帰ってくるのだろうか?さすがにさみしくなってきた。

 詩人福島敦子さんの日記の書き方はほれぼれする。サイト「永遠狂い」の中にある日記。短く、すきっとしていて、詩人というものを相対化している。そして詩人への愛もある。女性週刊誌の記述とか、好きなCDとか共感できる。

 昨日の「踊るさんま御殿スペシャル」は面白かった。



 父から電話。田舎に帰省していたようだ。すっかり忘れていた。父方の祖母の七回忌。帰ればよかった。母方の祖母もかろうじて父の名前は覚えているものの、僕のこと覚えているかなあ。しばらく会ってないし、だいぶ弱っているらしい。父が五月に実家の整理に行くのでついていこうと思う。
 父と電話していて、久しぶりにいっぱいしゃべった。最近、過去の失敗で落ち込んでこもり気味の僕に「お父さんはそんなんすぐ切り替えるからなあ」と云っていた。それで僕は、今は「過去を整理して、そこから学ぶ、学びの時期だ」といったら、「和広、賢すぎるわ」と言われた。わかった事は

 ①僕は父によると母方の血を引いていて、すぐ内にこもりやすい。それから、しんどくなってくると、自分だけで処理しようとして、自分を追い詰めてしまう。
 ②父は昔僕が東大阪に住んでいた時、だいぶ心配してたらしい。それで、僕が全然電話しないうちにしんどくなって、仕事を辞めて(4年前)やばくなってきてから連絡がきたこと。
 ③要はやばくなる前に相談してほしいということ。

 父の言ってることは、③に尽きていると思う。僕もそうしたいのだが、ギリギリになるまで、自分でやろうとしてしまっていた。昔は、本当に家族には相談しなかった。自分で決断して失敗するのは学びだと思う。でも、失敗が重なるといろんな面で自信を失ってしまって、次が出にくいことになってしまう。



 また整理してカウンセリングで話せればと思う。でも失敗も魂にとっては学びだと思う。自分の課題を解決しようとしているのだから。自分の人生はもっと大きなものだと思うようにしよう。大きな旅だ。自分だけの。自立するまでの失敗だと思う。変な風にまとめないで、仕事辞めたことも、家族との関係、元彼女との関係、自立できなかった事、そのくせいろんな人に納得行くまで相談しなかった人間不信というより恐れ、慢心。昔の自分の限界。そういうもの全部の破綻だろう。それは新しく生まれ変わるためにあったと思える日がくればいいな。      
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Mar 27, 2006

サリン事件から11年

 今日、松本被告の控訴が東京高裁で棄却された。もう11年。おそろしいほど裁判に時間がかかるなと思った。松本氏は、拘置所の中で、オムツをしているという。何がそんなに彼を現実から遊離させているのか?この11年、彼の否定性はずっと闇の中で、そしてもうすぐ死に至るかもしれない。死刑になるかもしれない。巻き込まれた様々な人は、どんな気持ちだろうと思った。それぞれの気持ちがあるだろうけど、簡単にわかりますといったら無責任のような気がする。
 11年前、僕は、大学四回生だった。全然、就職活動どころか何も手につかなかった。だから、この11年とは、自分が社会になじめるかの繰り返しだったろう。オウムの起こした事件は、この世界を否定するという考えが、どこまで行くかを見せ付けられた。僕は、いろんな意味で、世界とのつながりを恐れ、拒否する傾向がある。だから、このようにブログで自分の考えを述べたり、詩を発表したりというのは11年前では思いもよらなかったことだ。
 自分が世界を否定しているのではなく、恐れたり、自分との不整合が原因で(自己と自己自身は一致する事はないのだが)たじろいで、つっかかっていると気づいたのは、介護体験なしに考えられないだろう。というかずっとまっすぐになれなかったのが、はじめてまっすぐになれた経験。なぜ手放してしまったのだろう。この問いから離れられない。
 それで目先のデイケアになかなか取り組めてない。自分にとって何がいいのだろうか。
 自立支援法はまだ書類とかが届いていない。どうなっているのかな。なんか、昔介護をしてたときに問題になった「支援費制度」を思い出す。名前も似ている。PSE法は事実上だめになったけど、あれは強い反対があったからか?そのほかの事は、通るとなれば、すごく強引に通っていく。
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ジャズー与世山澄子

 世界フィギアを見ていた。でも、メダルの重圧があればあるほど、いい演技はできなくて、挑戦していく人がいい結果を出していた。これで、もう春なんだなと思う。

 今日は彼女が旅行へ行って、まったく一人きりだった。さみしいとかいうよりも、いつもいる人がいないというのは、少し気楽でもあり、逆に覚束ない感じがする。それで一日中テレビばかり見ていた。
 ウルルン滞在記も面白かったし、ドラマ「輪舞曲」も風間家の骨肉の争いが興味深かったけど、「情熱大陸」が面白かった。ジャズシンガーの与世山澄子を紹介していた。歳の話をするとおかしいけど、66歳。僕の父の四つ上である。沖縄の米軍キャンプで歌ってた人で、80年代にはアメリカでアルバムを作っていたが、沖縄で喫茶とバーをやりながら、歌い続けてきた人だ。東京とかには一年に二回コンサートに行くだけらしい。最初は東京の海が「沼」みたいに見えたらしい。波がないからだ。
 僕が興味を引かれたのは、創作者として、いる場所を動かさないでも、人が集まり、作り続けられるということだった。彼女が、きっと大変な人生を歩んできたから、伝わってくるものがあるんだと思う。創作の母のような人だ。ライブも大まかに決めてやる。
 本場の、しかも命を賭けている人の前で、歌をとどかさなければいけない。それで、ベトナムとかにいって消えていく人を前に歌っていたのは計り知れない悲しみがあったんだろう。三十数年ぶりにキャンプへいく様子が映されていた。
 すごい話とか聞いてくれそうな方だなと思った。沖縄そばもおいしそうだった。ひどい方向音痴というのがなんかわかるような気がした。いつか聴いてみたい人である。  
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Mar 26, 2006

お知らせ

初期田村隆一について批評をアップしました→こちら
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◎田村隆一の「腐敗性物質」について少しー初期の田村の詩世界





*講談社文芸文庫版「腐敗性物質」は田村隆一の自選詩集で、「四千の日と夜」、「言葉のない世界」、「腐敗性物質」、「恐怖の研究」、「緑の思想」が抜粋で入っていて、「奴隷の喜び」が 全編収録されている。



 田村隆一をはじめてみたのは、NHKの特集だった。パジャマ姿で、晩年だったが、寝そべって語る。その語り口が面白かった。あと雑誌で、人生相談をやっていた。それから「宝島社」の「おじいちゃんにもセックスを」のポスターで、コート姿で出ていたのがかっこよかった。
 僕は、田村ではなく、親交の深かった北村太郎から詩に入ったので、田村の詩世界から、ちょっとずれた位置から入った。とはいえ、「荒地派」である。両者とも、スマートな表現者だが、北村のほうが哲学を感じる。でも両者とも生き方の美学を形象化した点では同じだ。
 挫折という視点から読むと、北村のほうが、実生活は深刻だった気がする。妻や子の死。しかし、文明論的に、みれば、田村のほうが、深刻に大戦の影を、斜めからではなく、正面から受け止めているように思う。あくまで、「文明論としての大戦」だが。そういう構えのようなもの、概念性は堅固だ。また鮎川を入れると別なのだろうけど。 詩を挫折という視点から眺めたくなったのは、自分がここ数年挫折の連続だったからだ。田村は、僕はキーワードでいうと、「叫び」、「心」、「部屋のない窓」というのが気になった。戦争で「人間的なもの」が壊れたときに、どう人間の自由の領域を守るか、というのがテーゼになっているように思う。いわば文明の挫折を一身に引き受けた。「四千の日と夜」はゲルニカを思わせる絵のような詩だと思う。一大絵巻のような。ゲルニカが絵画として、戦争に対するテーゼとして、両者から興味深いように、田村の詩も、芸術としても、文明論としても、両者から、味わえる広さを持っている。

 で、谷川俊太郎(「旅」における)との共通点が、詩と詩でないものの分割線が、明瞭に引かれていること。けど、俊太郎は詩を超えるものとして、自然がポジとして描かれているけど、田村の場合、「ネガ」(見えないもの、聞こえないもの)として、「叫び」や「心」が描かれている点だ。これは、巨大な危機に対する反応だったと思う。ヴィトゲンシュタインがそうであるように、主体の届かない「沈黙」の領域を残したのだ。この点で、両者の対比は興味深い。田村の詩の外部性は、大きな影としての「人間」「声」だったろう。
 田村の場合、詩は「部屋のない窓」、つまり内部のない入り口としてあって、詩の世界を克明に描かず、空白として描く。これは、田村が「世界」を守ろうとする気持ちから、とられた手法だろうと思う。どちらかといえば「情」で書いていた人だと思う。知的に処理していって、仕切れないものをぎりぎりのところで書いている。それが記号としての「言葉」の拒否につながっていると思う。やわらかな「情」が、硬い形式を選んでいった気がする。そこから「自然」への愛が出てくると思う。女性へのナイーブさも現れていると思う。思ったより素直な表現だと思った。「死体」という表現も出てくるが、否定の、さらに否定の核に、柔らかな肯定があると思う。戦争から離脱して読めるという意見があり、そうだろうと思った。実際の戦争体験は思ったよりないし、表現も独立して読める。それでも、戦争がなければ田村は書く必然を覚えなかっただろうと思う。危機があるから、独立した表現空間を作ろうとした。そして、戦争詩という枠を超えて残った。そういうことだろうと思っている。戦争は危機に瀕しているという表象であり、それが表現を要請したし、表現が危機に瀕しているという表象を必要とした。そういう感がある。オリジナルに危機を彫りつけ自由な表現というものをきたえようとした。そう思う。



◎気に入った詩―「四千の日と夜」では「叫び」、「Nu」。「声」の領域を残すような書き方。叙情的な詩がいいと思った。「言葉のない世界」では「見えない木」「言葉のない世界」対照的だけどどちらも世界に対して熱いと思った。それが素直に表れたり、(見えない木)激しく表れたりしている。「緑の思想」では「水」「枯葉」などが素直でいいなと思った。
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女王

 今日は女子フィギアの世界選手権を見た。コーエンがいいなと思ったら、1位だった。やっぱり表現する力が全然違う。ミスするかしないかとは違う次元で戦っているなと思った。

 最近、白石一文の「僕のなかの壊れていない部分」を読んでいる。最近行っていないが、デイケアの人がいいといっていたのだ。最初は主人公の言動が傲慢に思えたのだが、だんだん違ってきた。主人公は、人が犯すあやまちに寛大なのだ。そこがいいかなと思った。でも神経質だし、寛大ではない部分も大きい。この主人公に「虚無感」みたいなものを乗っけるには、キャラの器が小さすぎる。そこがすごくしんどい。文章から見ると比べるのもひけるが、春樹さんとちがい、格段に下手だと思う。そういうところで、狙いとするものと文章がつりあっていない。でもいまいちな小説を読むのも勉強である。自分が日々いまいちだし、えらそうなことはあまり言えない。小説書けないし。すぐれたものを探す能力がちょっと減ってきた気もする。精神がビビッドでないためか。

 フィギアを見たあと、さんまの「恋のから騒ぎ卒業スペシャル」を見た。なんか最近テレビばかり見ている気がする。スペシャルでは、ジャスミン(光岡)という女の人がいいなと思っていたら、彼女がMVPになった。東大の大学院で哲学を学んでいるそうだが、ちょっと空気は変なのだが、ああいう番組で品を保っている。「ニーチェはみんな踊るといったのよ」といっていたが、哲学理解も間違ってないみたいだ。で、ダンサーになりたいといって、さんまの歌にあわせて、変なダンスを踊っていた。「本をたくさん読んで、一億文字を超えると文字が躍るの」といっていた。まるでサルトルの「嘔吐」だ!

 今週は何を書こうか迷っていた。正直内面的なことを書こうかと思ったが、止めた。無理にまとめる必要はないなと思った。思えば、ずーっと反省しているのだった。でも反省的意識で自分をのぞいてもキリがない。やはりなぜ介護をやめたのかというのは大事な問いになりそうだ。あれだけ社交的になり、外へ向かっていた時期は稀有だった。まだ内面が追いついていない部分もあったが、内向的だからこそ、にじみ出るものがあり、それが人を見つめる目につながっていたと思う。あの時期がなかったら、詩をつづけることはできなかったと思う。挫折は生産的でもあるなと思う。もっと遠慮せず前へ進めばよかったかもと思う。

 彼女がスキーへ行く。
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Mar 23, 2006

迷惑メール

 最近、出会い系サイトから、たくさん迷惑メールが来る。困ったもんだ。大体文面も見当がつくけど、時々、名作も来たりする。克明に、日記風に書かれている。まあ、見てもあまり楽しくないというか、女性をこんだけ貶めるというのは気持ちが悪い。
 彼女が、昨日、今日お腹が痛いといっている。昨日の晩飯は僕が作ったので、僕のがダメだったかなあとか思ったりすると、すぐ良くなっている。昨日の炒め物は辛いといわれた。確かに味付けが濃かった。僕は身近な事を詩の題材にすることが多いのだけど最近あんまり書く気が起きない。長く続くと深刻だが、今は何も前向きではなく、引きこもりがちなので、仕方がない。大体この時期は毎年調子が出ない。

 友達が家にいるのが辛いらしい。大変だなあと思う。僕は家を出て、もうだいぶ経つけど、こないだ親から電話かかってきたけど、親は変わらないなあと思う。それが安心の根拠だったりもするのだが悪いほうに出ると過干渉とか、悪い意味でほったらかしとかなってしまう。いろんな親子関係の乗り越え方がある。自分は親になってないので、ずーっと子供の目線で物事を見ているのかなあとも思う。でも、そんな単純じゃなくて、人の接し方とか構えとか、案外親に似てくるのが不思議である。でも、親は親の課題を乗り越えて生きているので、僕はもっと違うレベルの課題があるんじゃないかと思う。僕はあんまり子供時代、学校とかでいい思い出はないんだけど、大事にされてたよなあと思う。それを当たり前と思っているからしんどくなる。
 WBCで、あんまり盛り上がるのもどうかなと思ったりする。野球は好きなんだけど、イチローの「屈辱的な負け」という発言。韓国に対して、ちょっとまずくないかなあ。裁判所長の親父狩りで捕まった人は、みんな冤罪みたいでかわいそうになってくる。それより真犯人はどこいったんだと思う。あまりにも捜査でメンツとかにこだわりすぎるとこわい。いい加減な捜査もいかんけど。
 もうすぐしたら、彼女がスキーに行く。
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Mar 20, 2006

子どもの詩

 ドラマ西遊記が終わった。ちょっと拍子抜けの最終回だった。今日は詩を一本書いた。先週の土曜は田村隆一の読書会だった。人数が多かった。だけど、あんまりしんどくなく過ごせてよかった。少しいい感じになりつつあるのかもしれない。色々な面で。田村については感想をアップしようか迷っている。
 以前ニートと労働について書いたので、反響のメールをいただいた。とても、貴重な文章だった。お返事をさしあげたら、「正確に読み取っていますね。読んでいただいてありがとう」とお返事をいただいて、とてもうれしい。それから高野五韻さんから、これからについて丁寧なコメントをいただいた。とてもうれしい。
 少し子どもの詩を読む機会があって読むと滅茶苦茶面白い。というか、負けてられない。その人の精一杯の感受が出ていて、それぞれに読ませる。小学4年くらいなのだが、リアリティが出来てくる大事な時期だと思った。正直こんな文章は書けないと思った。紹介できないのが残念です。
 ぼくの詩の批評を湊さんが書いてくれました。→こちら
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Mar 16, 2006

挫折を深く生きる

  一日中雨が降っていた。弱かったり強かったり、最近の僕の心境をあらわしているようだ。午前中はカウンセリングに行ってきた。夜は診察。最近焦っていた。発表の場について、もやもや考えていた。過去の失敗が思い返された。でも、今日は半ば、強いて、二つの場所に行ったので、気分転換になった。夜来たメールに泣きそうになった。内容は、いつもきついこと言ってごめんねというものだった。そのやさしさは胸にせまるものがあった。診察帰りの駅だった。
 心が硬くなっていた。本当に心というものは、ほっておくと、固まってくる。それがわかった。僕は頑なな心を持っているのだった。今日カウンセリングで、前の仕事は向いていたのになぜ辞めたのかと問われた。やはり人間関係だった。関係の持ち方といってもいいと思う。どこかほめてもらいたいとか思うのだった。今だって変わらない。でも、それ自体は変なことじゃないといわれた。どこか、自分より上の人に抱きとめてもらいたい、わかってほしいとなるのだ。前の上司との関係がそうだった。それと過大なプライドを持っている。何か身を守るため。「何を守っているの?」と問われた。わからないと答えた。何だろうか?
 診察では、人間関係はすぐどこがいけないかわかるものじゃないからゆっくりやりなさいといわれた。そうしようと思った。昔のようなすごい落ち込みではないよといわれた。安心した。
 いずれにしても時間のかかる事ばかりだ。ブログでは、全部書ききれない。でも、今日はちょっと心がほぐれた。ミクシィの人から丁寧なメールを頂いた。発表の場をどうするか相談した、その答えだった。ありがたかった。
 田村隆一は、何年か挫折した僕の視点から読めればいいなと思った。昨日はなげやりなことを書いて失礼したと思った。詩を「挫折を深く生きる」という視点から読めればいいなと思った。読みがいろんな人に対して深くなると思った。心は錯綜体だからだ。たくさんの時間がもつれている。日記もそう書ければいいなと思った。絡まる糸が見えてくる歴史みたいに軌跡が残れば良いなと思った。
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Mar 15, 2006

投稿から

投稿という段階を経て、次、どういうステップを踏んだらいいのだろうか?
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思い返す

 ごろごろしているのである。過去の失敗を思い返しては、なんて愚直なあほなんだと自分を思うのである。そういう姿が思い返され、彼女に「ここ数年の俺は何しているんだろう?」というと、「何事にもまっすぐ立っていた」と云ってくれるのである。
 やはり外へ出たくないときがあり、近くの食堂で食べたりしている。今日は自分でチャーハンを作った。外へ出たくないときは、出たくないときの必然性があると思うのである。それは、長い流れでみれば、こういう時期もあって、もし就職したら、あんな時代もあったねという暇もないほど余計な事を考えられない日がくればいいと思うのである。ネガティブでも、思い返すというのは大事だ。でも、楽しい事は浮かんでこない。なんでかな?
 ああ、田村隆一の詩を読まねばならない。田村さんは晩年鎌倉での映像や人生相談の先生をしていたのは知っている。とても面白く、ある意味ズルイ人(キャラクターがいいので得していた?)だとも思うのである。カッコいいし。そういう人にどうなれるのか?
 今日はぬくくなりつつある。こんなだらだらしててお医者さんに怒られないか心配だ。明日は診察&カウンセリングです。
 最近詩も書いてないな。
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Mar 13, 2006

あの日

言葉が固いということは
からまりよりも厄介で
陸橋を渡る
空が雲をつきぬけて
彼方へとすべっていく
だから
ぼくは
うたうことを
禁じたのだ
あの日に

あの日は
診察室で
舌を透明手袋でなぜられて
大丈夫ですよと云われた日で

そんなはずではない
ぼくは舌ガンだと
強く
感じた
かたまりが
マグリットのように
夏の空をこわしたので
病院のくらい天井が
世界の全てだと
とらえられたので
ぼくは異常だった

愛を送る
あの日に

迷いながら
つま先をトントンしながら
唯物的な日々
神よ 汚してくれ

愛を送る
あの日の
ぼくに



*詩の雑誌ミッドナイトプレス31号「詩の教室」掲載
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自分を追い詰めない

 先週の金曜日はデイケアに行ってきた。習字教室だった。何人かの人と話した。焦らないように、しようと思う。自分を追い詰めないこと。ほっといてもしゃんとしないといけない時期がいつかくるのである。
 日曜日は「いのしか会」の会合で、梅田へ。佐々木浩さん、湊 圭史さん、河上政也さんと集まって(Izzyさんは欠席)、今後について話した。いい感じで詩を語れるあつまりになればいいと思った。というか、他の人の様々な活動の様子を聞いて、刺激を受けた。みんなありがとう。自分は、媒体への発表とか、そんなに、あせって、やろうと思うと空回りしてしまうので(過去にうまくやれなかったこともあったので、それはいえてよかった)、ゆっくりやろうと思った。詩の友達が出来たのがうれしい。チャンスはいつか来るのである。それから辻征夫さんが書いていたように一生無名でいる覚悟で、自由詩は書いていくのが本筋らしい。そんなこと云っても内心は焦っていたりするのであるが。
 ミッドナイトプレス31号の詩の教室に載った。松下育男さんがコメントしてくれたように、乗り越えるべきは過去の自分の作品なのである。要は自分との戦いである。そこから道が開けていけばいいのだが。もう投稿のレベルは超えているようだ。プレスはそう遠くなく復刊するようだ。朗報。
 やっぱり自分は気持ちばかり焦っては、動けなくなるから、無理に考えと実践をあわせていく必要はないのだと思う。焦るな自分。といいつつ今日もだらだら過ごす。時間の流れが詩を作る。その時だけ自分に厳しくあれ。僕は世界からずれている。そのことを肝に銘じて。今日は大阪は春の雪だ。

 *詩をアップしました。
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Mar 10, 2006

お知らせ

m.qyiさんのサイトマガジンに僕の詩が紹介されました。
マーガリン猫さんとチアーヌさんの文章の中に出てきます。
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Mar 09, 2006

やる気の出ない(うつ?)日々の中で、できることと「ニート」について思う事

 一昨日の日記では、前向きな事を書きすぎて上滑りしていた。よくないことである。いろんなことがいやになってるときは、正直にそう書いたほうがいい。はっきり云って、ここ半月は風邪もあったが、引きこもりがちである。デイケアもしんどくていけなかった。
 なぜか無理に前向きになろうとすると空回りしてしんどくなるのである。これは、詩にもいえる。書きたい気持ちだけだと実態がついてこないのだ。。

 朝は、ミクシィの人にメールした。マイミクになっていただくのにお手数をかけてしまった。ごめんなさい。昼は近くの食堂で、「とりから定食」を食べた。そして今日は父に電話した。どうもやる気がでないと。そうしたら、とりあえず市民税の申告書を出しに行ったらと云われた。それから、できることをひとつでもしたら、と云われた。なぜかというと、僕が暗くて、何もしないでメールが来ないとか小さなことでぶつぶつ言ってると、彼女にそんなんいやといわれて愛想をつかされそうになるのだ。それは悪循環で非常にやばい。それで、書類を作っていた。僕は障害厚生年金2級をもらっているから、非課税なのだけど、とりあえず、それを書いて、郵便で良いそうなので、出しに行った。それから、本屋に行きミッドナイトプレス31号を探したがまだ並んでいなかった。それで、大航海という雑誌を買った。「ニート」が特集だった。ああとうとう「大航海」まで。思わず買ってしまった。ああなんか踊らされている。メンタル的に余裕のない社会に。それはまた書く。それから、掃除をした。風呂とトイレと床を。また、雑誌にのめりこむ。今日はちゃんとやったよと彼女にいえそうである。家事については、僕がしんどがってやらないので、それも、あきらめられている。
 万事悪いペースにはまると、あれもこれもいやになって、そういう僕を見ている彼女も、げんなりしてしまうのでやばい。だから、どうするというわけではないが、勇気を出して掃除をやったのである。別にほめられた話ではないが、そうやって少しずつでも這い上がれたらと思う。なんかグズグズしてると家全体に、しんどいオーラをはなってしまうからだ。今日は彼女が帰ってくるのはおそくなるみたい。

 で、「ニート」(無職じゃだめなのか、まあ無職だと啓発できないわな)のことなのだが、(僕の偏見でいっぱいだが)関係ないが、僕も病気になる前、といっても、そのときも妄想に襲われて、がんで死ぬと思っていたのだが、派遣のバイトが長続きしなかった。あまりにキツイ職場だったが体力は半年でメキメキついた。その前は卒業間際まで、就職活動どころか、対人恐怖になって、頭もまとまらず卒論に苦しんでいた。そういう自分を7年前、知的障害者グループホームはよく雇ってくれたものだと思う。そういう個人史がある。
 それがニートとどうつながるかわからないが、「何で働かなければいけないのか」という原理的、マルクス主義的(資本主義に加担をするな)な問題にとりつかれてもいた。今でもそう思っている。こんな豊かな社会で働くって何なのか?次の課題が出てきてるのではないか。ひきこもり→ニートの変遷には、「社会参加できない」から、「しない人」をどうするかという問題の移行が見られた。それと右も左も「働け」の大合唱になりつつある。でも、それは原理的な問題「なぜ働くのか」の先送りになっているだけだと思う。ただ働くことにつくより、豊かになった社会では、やりがいみたいなものが大事である。僕の場合、よくないことに過大なプライドが邪魔している(なんとかしたい)が、今は病気療養中なので、そういう表層の議論には邪魔されたくない。もし、ニートなり、ひきこもりなりの論者が原理的な問題に立ち戻って話をし始めるのなら、耳を傾ける余地がある。
 みんな生きていることに精一杯だ。そういう尊重の感覚ではなく、みんなで「あいつはサボっている」といいあう社会の一部の風潮はどうかしている。働かない人をかばっている人もどんな意図があるのだろうか。それとは無関係に、しぶとく生きて、つながりを広げて成長している人が、金の多寡でなくいるとすれば、僕はそういう人に、敬意を持つ。友達にもいる。そういう人はいい顔している。自分がそうなれるかわからないけど、僕が介護してたときどういう顔をしてたんだろう。
 僕の場合、ブランクが長いのをどうするかだけど、今は目の前の事に目を向けようとして精一杯である。
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Mar 07, 2006

固い頭、弱ってるときはお互い様

 ひさしぶりにデイケアのスタッフのかたとお会いしてきました。
診察のとき、僕は文書を書いて先生に読んでもらって、アドバイスを受けるのですが、それを見せました。正直はなしていて、どう人付き合いのストレスをいいものに変えていけるかと思いました。
 本格的にしんどくなる前に自分の気持ちを伝えられたのが、よかったです。デイケアでは、みんなと苦しみを、そして、楽しい気持ちを分かち合えればと思うのですが、そこは大人同士のつきあいなので、自分の気持ちをどう伝え、かつ関係を良いふうに保っていくかが、課題だと思います。
 それから、将来的に、仕事を目指していくかも考えどころです。もちろん就職できれば、それに越したことはないのですが、あまり仕事、仕事と思いつめると逆効果になります。それから、詩をあくまで趣味にしていくか、一つの仕事と考えるかでも大分違ってきます。
 もちろん発表の場がまだあまりないので、これから、作れるかどうかですが、ここ4年多くのものを失ってきたので、自信があまりありません。要は持続的に人と付き合えるかだと思います。その中で、いかに自分を成長させ、人間として大きくなれるかだと思います。

 今日は松下育男さんのブログに行ってきました。カキコミをしたら、はげますレスがあり、うれしかったです。高野五韻さんのブログにも行きました。ミクシィで、詩の仲間とメールのやり取りをしました。詩にとらわれるのではなく、詩に素直に向き合えるようになりたいです。もっと。もっと。というより、生活を充実させていくこと、やわらかくあることだと思います。固い頭になりたくないです。でも、30過ぎて、人付き合いもあまりなく、青二才のままなので、少し固くなってるかな?
 絶望の淵からは這い上がってきました。まだまだこれからです。
 やわらかくいろんなことに向き合いたいけど、僕の頑なさは、もった業だと思っているので、例え世界の片隅からでも発信してゆきたいです。
 もう少し余裕が出来たら介護の勉強がまた出来ないかと思っています。

 さっき大学時代の友人から、メールが届きました。昨日も来て、移動先の職場で、悩んでいるようでした。「君なら乗り越えられるよ」と書きました。それで、「愚痴ってごめんね」と今日来ましたが、弱ってるときはお互い様です。その精神を忘れないようにしたいです。「弱ってるときはお互い様」
Posted at 23:38 in nikki | WriteBacks (0) | Edit

Mar 06, 2006

お知らせと仲間について

 詩をアップしました。

 そう、ミッドナイトプレスが休刊して、投稿の場がなくなったような気がして、落ち込んでいます。
 でも自分だけで何か動かしていくのは、なかなか気力がいります。「場」というものは、失われてしまうと、日頃見えなかった大切さが見えてきます。
 僕は、ここ数年嵐のように病気になって、たくさんのつながりを失いました。かわって、新しいつながりが出来つつあります。
 こないだ、友達と何年かぶりに飲んだら「石川さん、全然変わってないから、大丈夫です」と云われました。そういわれて、かなり安心しました。それと、今度詩の仲間と集まりがあります。そういうのは、大切だなあと感じます。
 以前発表の機会をいただける場面で、「お金がないから」とことわったのが、堪えます。自分で選んだ事なのだけど…なんか、詩は最初は無心で書いていて、発表とか考えませんでした。それが、長く続きました。でも、評価されると、もっととなってしまうようです。自分の目標設定というかプライドが出てきたのでしょうか。だから、それは一方で困った事で一方はよいことです。他に打ち込めるものがないのかという人もいますが、自分の性質上出たら、引っ込められません。それがこまったことであり、ある意味では進歩だと思います。
 信頼できる仲間とメディアに出会いたいです。あせっても仕方ありませんが
 今見たら、今日アップした詩、現代詩フォーラムで8点になっていました。なんか、やっぱり評価される事はうれしいです。
 明日はデイケアいって、スタッフのかたと話してきます。いい感じに日常が送れたらと思います。
Posted at 18:31 in nikki | WriteBacks (0) | Edit

三月

歩く すきまだらけのからだに
すぐさま
圧倒的に
言葉の貝がらが入ってきて
それは ひとのにおいがして
たいそう悲しい春先の光となる

光だけだと寒いから
あなたは空とつながって
どうか言葉の貝がらを拾ってほしい
ぼくは寝ているから
ぼくは少しの間死ぬから
嵐の後の砂漠のように
見知らぬ女の子が泣いていた

いのち みたい
それに春先の光が当たって
あなたがまだ少しだけ足りない



呆けたおじいさんは熱い湯船につかった
シルバーシートには会社員男性が
つかれてねむっている



三月
もの憂げな戦い
もうなにもないかのような
あふれる季節だろう
Posted at 18:30 in poem | WriteBacks (0) | Edit

Mar 04, 2006

ニュースと昨日のコンサート

 詩の雑誌ミッドナイトプレスが31号で休刊するとホームページで発表された。いい雑誌で、僕も「詩の教室」に投稿してた縁もあり、とても残念です。さみしい。岡田さんが心配である。

 風邪はだいぶマシになりました。来週はデイケアに行けるかなあ。

 昨日は加藤登紀子コンサートに行ってきた。高槻現代劇場。一時間くらいかかった。ラーメンを食べていった。一発屋といって、高槻でもおいしいラーメンをだすところ。寒かった。
 彼女がチケットを当てたのだが、いってよかった。テレビで見る以外縁のない方だと思っていたのだが、そして客層も、40以上の方が多くて戸惑ったのだが、若い頃歌っていた曲や、シャンソンがとてもよかった。最初は、声が出にくそうで心配だった。しかしさすが40年(今年で40周年らしい)歌っている方で、ステージングが落ち着いている。もっと説教臭いことをいうのかと思っていたら、ちがった。旦那さんが亡くなった後、農場をついでくれる若い人が出てきたことをさらりと喜んでいた。
 曲は詩がいい。もちろんリズムもいいのだが、心象風景を、克明に描き、それを声に出す点、詩人だなあと思った。最後は大盛り上がりで、日本酒を飲みながら四曲アンコールを歌った。最後にみんなが立ちはじめるのは、僕が行くような民生のコンサートとかと全然違う。サポートのバンドが長年やっているのか、しっかりしていた。ギターがとてもいい。そして「紅の豚」のうたは学生運動の歌だったのがびっくりした。表現者としての落ち着きは勉強になった。あんまりノレナイと思っていたのによかった。
 昨日デイケアの人に街で出会った。うれしかった。今日は昔の仕事仲間とのみに行く。
Posted at 16:11 in nikki | WriteBacks (2) | Edit

Mar 02, 2006

カウンセリングと診察と

 ここのところ、ずっと外へ出られなかったのだが、今日は、二つイベントがあり、とても助けられました。なんか世界が灰色だったのが、マシになった感じ。体力的には、風邪なので鼻つまったり、咳したりしながら、寒かったけども、いい助言が得られた。

 朝はもそもそ起き出したけども、末木文美士「仏教VS倫理」を読みながら、近鉄電車に乗っていると、なんか本が面白かったです。著者(仏教学研究者)の師である田村先生が、戦時中、学徒出陣の時に、先生は、「法華経」信仰が篤い人だったけれど、上官から「天皇が上か法華経が上か」といわれて、「天皇が上」と答えざるを得なかった。それで、それが辛くて悔しくて研究の原点になったと書かれてあったのが興味深かった。それで田村先生を本当に信頼できると感じたと書かれてあったのがよかった。著者の問いも、仏教を疑いながら、真摯に仏教を問い直していくのでカッコいい。これは仏教への応援歌ではないかと思った。
 それでカウンセリングに行ったのだけど、やっぱり、病気中に失った友達とか人間関係の傷が、残っていると感じました。だから、デイケアも人間関係の場所なので、疲れていたんだなと思いました。長い事、面と向かって人と持続的につきあう場所から離れていると、その離れた分だけ、リハビリがいるんだなと思いました。
 それと、診察で僕が「デイケアでどこで自分を出すか抑えるかわからない」といったら、先生から云っていただいたんだけど、「他人か自分か」の発想になっていると云われました。(さっきの話じゃないけど、自分に極端な問いを突き詰めてしんどくなってた。)なんか例えなんだけど、二人で、一つの食べ物しかない時にどうするかと先生は云った。他人に全部あげちゃえば、他人を喜ばせてうれしいが、自分は食べられない、自分が全部食べちゃえば、お腹はいっぱいになるけど、相手に悲しい思いをさせて自分の気持ちもしんどくなる。そういう時どう分け合うかです。例えば半分にすれば、半分しか満腹にならないけど、相手との関係も保てて気分もいいといっていました。
 僕は、失敗や、相手を傷つけることを恐れるばかりに、ずいぶん、余計な気を使っていたけど、それは、自分か相手かになっていたんだなと思いました。緊張で目先が狭くなっていた。
 先生に「今のままでも、仕事は出来る。でも疲れる大半は、やっぱり人間関係、それがそこそこできるようになれば、大丈夫」と云っていただいた。就労を焦って考えたりしていたので、そこも助かりました。
 なんか、素直になるほどと思えた一日でした。あとは実践がついてくるかです。
 明日は彼女とコンサート行きます。リフッレシュしてきます。
Posted at 21:45 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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