Nov 30, 2007

David

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  今日NHKを見てたら、David BowieのPVが流れていた。 "Heroes"という曲。全訳までやってくれているのだった。何かと思ったら英会話の番組。番組に出ている人の動きは何かしょうもないのだが、佐藤良明という研究者がかなりの音楽好きで、けっこう勉強になった。
 僕はDavid Bowieはまるで詳しくありません。この曲は77年で、自分は3才だったから、リアルタイムでは知らない。"Heroes"は、ベルリンで作ったそうな。壁のある分断された街で作ったんだね。「みんなバラバラ」みたいな歌詞があったり、「銃が向けられている」といったような言葉もあり、何となく人々を分ける壁を想起させると解説の人はいう。 そこで、抱き合うことで「僕らは一日だけヒーローになれる」というんだね。この「一日だけ」というのがシビアで刹那的でちゃんと緊張感があると僕も感じた。
 ある瞬間、自分が何かの真ん中にいられるという感覚。僕は真ん中にいたということはあまりない人生だけれど、これは「誰かから見た」真ん中ではないんだろう。この曲を知れてよかった。でも、冷戦ってもうだいぶ古い言葉になってしまった。歴史を感じます。

 僕のはじめて見たDavidBowieは「戦場のメリークリスマス」に出ている人。子どもの頃あの映画には脳天をガツンとどつかれてしまった。子どもがなんでガツンとなるかわからないのだけれど、たぶん、あの映画に描かれていた兄弟の様子にやられたのだ。
  David Bowie扮する青年は寄宿学校に入っていた。彼には弟がいた。弟は背が大きくならない病気で声変わりもしない。美しい少年の声で歌うことができる。そのことで、ある日校内の庭でひどいいじめに遭うのだ。David Bowie扮する兄はそれを窓からじっと見ている。そういうシーンがあった。
 やがて兵士になったDavid Bowieは、その罪悪感に苦しめられることになるが、僕の実際の兄弟関係とはまるでちがうのに、不思議だ。  これも"Heroes"と実はそんなに遠くないんだと思う。舞台は日本軍の捕虜収容所もそうだし、弟のこともそうだけれど、人の中にある「隔たり」だと思うんだ。物理的にもそうだけれど、人の仕組みや心の中に「うまく近づきあえない」何かがある。David Bowieは、弟への果たせなかった愛が促して、何とか他者に近づこうと収容所でいろいろやらかして、最後には首だけ出して「生き埋め」の刑にされてしまう。
 簡単にわかりあうことができたら、生きているってそんなに面白くないんだろうと思う。「一日だけ」っていうのは、そういう甘くなさが言い当てられているような気がするし、けれど少しでも近づくことができたらなという声もあるんだと思う。
 かくいう僕もDavid Bowieのことをこれまであまり意識していなかったし、なんだか気味の悪い人だなあと思っていた。(化粧とか)けれど、まあ聴いてみないと本当のことはわからないわけで、ちょっと聴いてみようかなと思ったんだ。(もう60歳らしい)
Posted at 08:51 in nikki | WriteBacks (3) | Edit

Nov 09, 2007

風塵

けっこうそれは近いのだ
もし呪いだとしたら
あまりにも空白であり
ところで私は充たされているのだ
あまりにも空白であり
公園の側の枯れた並木を通る
あまりにも空白であり
ところで私は充たされているのだ

死を見たと

空の姿
その思い
電線の、看板の看板
すきまの空は空気ではないだろう
物理的宇宙を滅却して
ものは現われを過ぎこして
あまりにもここにありすぎる

建物の
茶色の建物の
ところで私は充たされているのだ
それは空白であり
そこにいるようであり
すばらしい幼児のフードつきの
母親のかげろうの、幼児の叫ぶ声の
あまりにも見ることができる
知ることのない

あなた、かなたであり
知らないうちに
ポカンと
切り抜かれたあなたが

街頭をどんどん光らせていくようで
寒くなっていく

けっこうそれは近いのだ
もし呪いだとしたら
あまりにも空白であり
ところで私は充たされているのだ
それが根源的な罪であり
そして街頭はまぶしい

見ることができる
この世界にあらわれる全てのもの
霧になり夜風になり
私は歩いた
ここにいて、歩いた
見つけて見つけて

ひきとめることのできない
遅さの中で
ひとつひとつの光が
どうしても星になれず
それが喜びのように
満ち足りたように
あなたを感じることができた
という
ささらさら
あまりにも
無闇で
どこまでも光で
静かに
それは息苦しかった

大きく息を吐いた
木々がざわめいた
いつまでも無からさらに無へ移行して
風が波になり光が風になり波がおりかえして
ゆるやかな人影をつくり
また会うことができるように
大きく微笑んでいた
Posted at 22:42 in nikki | WriteBacks (1) | Edit

とうとう実習通知が…

ここ何日か朝起きると、ちょっとだけ胸が苦しい感じがします。もしかして、また病気(心の)かな?と思ったんですが病気がひどかったときはもう苦しいなんて次元ではなかった。だから季節的にも物憂い時期なんだろうかと思って様子見てます。

 ここしばらく更新していなかったんですがそれは夜すぐ寝てしまうからです。別に疲れるようなことはあんまりしていないので、身体が現実逃避しているのか、単に眠いだけなのか?

 昨日、掃除の仕事から帰ってきたら、郵便受けに通信教育の学校から手紙が来てました。透けて見えるんですね。そこには「実習通知」という文字が…。昨日、家で実習そろそろかなーといっていた矢先。予知能力だろうか。
 開けてみたら来年の1月半ばから2週間。特養で。ガーンですね。昨日は愚痴の嵐でした。なんでガーンとなるのかという疑問があるだろうけれど、私、こういうの非常に緊張します。常日頃レポート書いているだけでも、「なんで社会福祉士の通信教育を受けたんだろう」と泣いていますから。けれどレポート終わった後は今回もいい勉強になったなあとケロっとしているんですが。
 通信の三本柱は、レポート提出。スクーリング。実習です。これを一年半で、何とか修了したら社会福祉士の国家試験の受験資格が得られる。だからこれは修行というか福祉職のトレーニング期間です。資格がなくとも働けるわけですが現今では大変。
 学校で勉強して更に受験ってメンドクセーって感じる方もいるかもしれない。私もそう思ったりもする。けれども、私の個人的な例ですが、試験の結果はともかくとして、これくらいはやり遂げないととてもこれから世の中の厳しい荒波に立ちむかえないんじゃないかと思っています。それでなくとも怠け症なので、少しは自分を追い込まないと。
 あと、働いていたときに「制度の勉強しなさい」と上司にいわれたことがあって、その時そんなの知らねと思ってたんですが、やっぱりそのあたりの勉強は大事かと。これはいやでもレポート書くうち思いました。自立支援法とか冗談じゃねえなと。
 あと、これが一番大きい。自分の中で正直福祉やりたいかどうか、定まってないところがある。この受講期間にダメだと思ったらそれは向いてなかったんだと。だから自分との賭けです。だから冷静に書いているのだけど心臓バクバクなんですよ。

 レポートでは、自分の主張ばっかり書いてしまっています。優等生作文を書こうと思ったのですが、それだと気が狂いそうになったので。なるべくテーマ内でおさめていますが「もうちょっと客観的に書いて」という講評もあります。その講評も私が意見を書くことは肯定していただいているので、ありがたいです。
 昨日はレポートに要るので岩波新書の『児童虐待』という本を買いに行きました。地元の本屋はどこも売り切れで(誰か買い占めてる?)梅田の清風堂に行きました。ここは、左翼っぽいラインナップですが、面白そうな本がいっぱいあって、我慢して『児童虐待』だけ買いました。

 日曜日は、松尾スズキ作『クワイエットルームにようこそ』という映画を見ました。うまく感想はいえないけれど、主演の内田有紀さんも脇役も皆さんイキイキとしていて、ただ単純に明るい映画なわけではないけれど、良いなあと思いました。この映画について馴染めないもの(精神病院の話なので。当事者なんでなかなか冷静に見られない)も感じた部分も少しありましたが、松尾スズキは人を動かす何かをもっているから人気があるんだろうなあと。内田さんはこんなにいい役者さんなんだって再認識しました。庵野秀明や、ハリセンボンの細い方の方もいい味出している。(実はファンです。この映画では精神科の患者さんの役でした。この人のほうが『自虐の詩』の原作キャラに似ているような気が)宮藤官九郎さんも快心の演技でした。
Posted at 08:28 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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