Oct 27, 2006

こわれもの

 なんだか、疲れていた。その疲れ加減が、何か悩ましい。不器用。そんな言葉が頭に浮かぶ。私は不器用といえるのか。この世界には、私とは質的にちがった不器用さをもっている人がいるという感じがした。そして何が不器用で、何が器用なのか、はてしなく考えて、気が遠くなる思いがした。その他に、なぜ私は他の人の生きている様子を見て「つまらない」と思う権利があるのだろうかなども考えたりする。主観にすぎないのだが、主観というのは色んな意味で、こわい、つわものである。それと同時にほとんどどうしようもなくもろい気もしたり。
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Oct 25, 2006

巣鴨の地主

  安達哲「バカ姉弟」1~3巻を仕事が終わって帰ってから、読了。マンガ。姉弟は地主の子であることが、じょじょにわかってくる。どこか不思議なパワーをもった子どもたち。地主という設定が、非近代的で、超時代的である。しかも名前まで「地主」なのである(笑)設定は巣鴨だが、巣鴨というのは行った事ないので、どんな感じかわからない。どんな町だろう?だけど、知らないのに「ふーん、巣鴨なんだな」と妙に納得してしまう不思議さがある。懐かしいけど、どこか乾いていて、そこに味がある。この著者、やはりただものではないようだ。4巻まで出ているようだが、しかも大人編まであるというではないか。いい短編を読んだような読後感がある。
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Oct 24, 2006

道ならぬ恋

 今日、買い物に行ったついでに、すごく久しぶりに、文芸誌を手に取りました。一時期、図書館などで、読んでいたことはあるのですが、大変疲れるのでやめていました。ひとつの論考(加藤典洋「太宰と井伏」)とエッセイを読んだだけです。論考のほうは、何か、この人にしては、調べものがちゃんとしていないなと思いました。もちろん批評家は考証史家ではないのですが、種本が猪瀬直樹にほとんど限られているというのはいただけません。でも、加藤には、独特の倫理的主題があって、思う人は、「ああ、まだ戦前と戦後の対比やってんの」という感じかもしれませんが、太宰がなぜ、死んだのか、ということに、今までにない取り組みをしている点では興味深い。最初に離婚した女性や、戦争の死者に対して心痛めて彼が自殺したのではないかというのは、事実との整合性は別にして、新たな視点だと思った。少し、加藤の倫理のためにされている点はあるのだけど。そこがいつもひっかかるけれど。
 あとびっくりしたのは車谷長吉のエッセイで、エッセイなのに「上述の愛人と「道ならぬ恋」をするようになったのだった」と書かれており、それが最後の行で、太宰の話の後だったので、びっくり。エッセイで、こんな終わり方はすごいなあ。連載なのだろうか?
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Oct 23, 2006

おばあちゃんの様子

 今日は雨の中をカフェに行ってきました。カフェで腹ごしらえをして帰ったら、詩誌の感想のはがきが届いていました。
 ネットでは足立和夫さんや、木村和史さんが灰皿町に感想を書いてくれています。お便り、メールを送っていただいた方、感想うれしいです。ありがとうございます。
 父が昼にこっちにきて、お米と鯖のきずしをくれました。夜にぎりにして早速食べました。あぶらがのっていて、おいしかったです。
 〆切が近く、一作、詩を書きましたが、できは充分とは云えず、もう少し直さねばと思います。
 父がおばから、聞いた話によると、母方のおばあちゃんは、胃にチューブをいれる手術が成功したそうです。少しずつ、呼びかけに大して反応がかえってくるようになって、チューブを通す前より、少し状態がよくなったようです。
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おばあちゃんの様子

  雨です。雨の中をカフェに行ってきました。
 腹ごしらえして、日記を書いています。詩誌を送ったところ、けっこう好評で、ウェブでは、足立和夫さん、木村和史さんが灰皿町で感想を書いてくれています。お便り、メールなども、来てありがとうございます。
 今度、詩誌に参加するので、何を書こうかなと思っていますが、詩は一作書けましたが、まだもうちょっと直したいです。プリンターの用紙を買ってこないと。
 母方のおばあちゃんは、無事胃にチューブをいれる手術が成功したそうです。おばの話によると、呼びかけにこたえたり、少しずつ元気になっているようです。
 昼一人というのはけっこうさびしいなあ。
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Oct 22, 2006

バカ姉弟

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  今日はドードーの公開合評会に行ってきました。楽しかったです。様々な方とスムーズに話せてる気がしました。私が、古谷実のマンガが面白いというと、「バカ姉弟」というマンガが面白いといってくれた方がいました。それから帰ってきて、「容疑者室井慎次」を見ました。これは去年ふらりと見に行ったのを覚えています。
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Oct 20, 2006

おいしい食卓

 晩飯は、とろろ入りオムレツを作りました。たまごに擦った山芋をいれて、塩、コショウ、砂糖で味付けします。お好みでいいのですが、甘すぎず辛すぎずがいいみたいです。それをかきまぜておきます。切ったしいたけを軽くゆでます。適当な大きさに切ってください。あと納豆も用意してください。フライパンを熱し、サラダ油をたらします。そこにとろろ卵を流しいれてください。そして、しいたけと納豆をまんなかに入れてください。あとは、オムレツを焼く要領でやってください。けっこうやわらかいので、型崩れに注意してください。焼きあがったら、お皿にのせて、お好みなのですが、軽くしょうゆをたらして、マヨネーズをかけてください。かけるのはお好みです。お好み焼きとも、オムレツともちがう面白い食感が味わえます。具も私はヘルシー風にしました。これもお好みで。
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Oct 19, 2006

元気ですか。

 今日カウンセリングから帰る道すがら、電車に乗っていて、布施あたりだろうか、乗ってきた女の子は、ゴスロリ系の黒い服を着ていた。河合隼雄の「対話で探る「新しい科学」」は少し古いけど、読んでいて、とても面白い対話集なのだけど、その女の子の服は胸もとが結構開いており、驚いた。私はこういうファッションの女の子をあまり見ない、地味な生活を送っており、でも、ゴスロリの娘も、そうなのかなと思ったり。少し、エロい格好をしているわけだけど、本人の意識はちがうかもしれない。何云ってんだろう、私。
 元気ってなんだろうと考えていて、カウンセリングで自分のからだが活性化してきているという話をしていた。ただ話をした後は必ず疲れがくるので、昨日仕事をしたのもあって、帰ってからけっこう疲れがきました。で、野口晴哉の「整体入門」を気晴らしにパラパラめくっていたら、火事場のバカ力の話が出てきて、野口さんは、そういう力はもともと人間にあるもので、普段出してないだけなんですみたいなことをいっていて、元気とは自然に出るもんだ、でもそれが抑圧されとるみたいなことをいっていて、こういう文章を素直に読めるようになるだけ、全体的には、元気のなさがマシになってきたのかなと感じた。あまりにも元気がないと、素直に読めないもんです。
 「対話で探る新しい「科学」」の鶴見和子さんの、南方熊楠の使う「縁起」という言葉の説明が面白かった。縁起の「起」は何かと何かが出会って、それをきっかけに何かがちがう方向にいくことをさすことらしい。例えば子どもの頃友達と寄り道なんて、そうですよね。ちがうかな。元気は変化を生むのですね。文脈を変える力というか。
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Oct 18, 2006

上野樹里

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 ドラマ「のだめカンタービレ」に出ている娘は、荻原浩原作ドラマ「僕たちの戦争」に出ていたひとだったのか!上野樹里さん。うーん、どっかで見たことあると思ったけど映画もたくさん出てるのね。演技がうまいなあ。
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「僕の歩く道」2話を見る

 どこまで、リアリティを求めるかみたいなことになってくると思います。設定、人物像全てです。見る人によって、求めるリアリティの計りが変わってきます。障害者を描くのは、難しい、という感覚があります。なぜ難しいのかな。それは、見るものだけでなく、作り手もそうだけど、その人と障害者の関係性にあるのではないでしょうか。しかし、それはどんな対象を描くときもいえるでしょう。そしたら、何がということになります。ひとことで「偏見」と云いますが、本当に様々な立場があると思います。私は成人の、クサナギくんがやっているような感じとは少しちがう、何人かの自閉症の人の主に生活面でのお手伝いというのをやっていました。だから、就労のほうは何ともいえないのですが…もっと、全身で表現するのではないかと思ったりします。仕事で辛くて寝れないシーンがあるのですが、何度もトイレに立ったり、声を出したりしないのかなと思ったりしました。でも、あるいはそういう人もいるのかもしれません。私の情報も限られています。色んな家庭があるので、なんともいえませんが、お金がありそうです。そういうことは、とても大事で、私も仕事のときは、なるべくご家族がどんな感じか知りたいと思いました。家族だけが知っている情報があるからです。私は結構お母様方と話すほうだったと思いますが、本当に目からウロコだったり、そうでなかったり、色々です。いずれにしても、大切な情報でした。ご家族の状態というのは本当に当人にとってかなり大事です。
 クサナギくんは相当勉強したと思いますが、もっと、意外なことが、そしてつまらないことがあっても、いいような気がします。自閉症の人は単なる規則遵守の人ではないと思いますから。
 ドラマは、状況をドラマなりにデフォルメしまして事実の感触を伝えます。一番の理解者のマジメな幼馴染が趣味の悪い人と不倫してたり、お兄さんの意見がわりと即している感じとか、いろいろ嫁姑が大変とかは結構うまく描けているんじゃないかなと思います。
 なんだかまとまりのない話になりましたが、少しだけ、これからも行く先を見て、このドラマの志しがどう伝えられるのか見ようと思います。単なるショーに終わってもそれは仕方ないかもしれません。でも、飼育係で働くことになったので、作り手はより困難な道を歩くでしょう。 
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Oct 17, 2006

レヴィナス入門

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 昨日は何か少し悩みモードになっていた。朝になった。そういうときは、不思議にうれしいお便りが届き、私を勇気づけてくれる。詩誌が届いたという感想のお便りだった。何か不思議な力で人はつながっているのだろうか?
 スガシカオばかり聴き、熊野純彦「レヴィナス入門」を読了。熊野氏の、ひたむきな、粘り強い論述にはげまされて、わりかたスムーズに読み終える。とはいえ、いくつかの点で、少し不満もあったが。それはさておき、「実存から実存者へ」は読んで、生きることそのものの「疲れ」に心ざわめいて、震撼された思い出がある。レヴィナス自体の本は、なかなか晦渋なのだけど、この本を読み終えてから「存在の彼方へ」(「存在するとはべつのしかたで」という訳し方があって、こっちのほうが好きだ)のパッセージをいくつか読むと、すっかり見通しがよくなっていたりする。
 ハイデガーが不安とよんでいたことがらを、痛みや苦しみ、さらによろこびでさえも、その身に引き受け、引き寄せられ、その事柄から遅れて、感じるだけしかない「感受性」と呼んでいることがレヴィナスの肝のように思った。「感受性」はどこまでも受け身なもの(受動)であるから、どこまでも他者に遅れる。私には受難、受苦という言葉が浮かんだ。レヴィナスの「責任」というのも、たぶんに「受け身」な概念であって、声高に正義を語るというのとは全然ちがうと思った。むしろ何かに全身で苦しむこと、呼びかけにたえずさらされている感覚、自分は何も悪いことしていないのに、それでも、それだからこそ、心に迫ってくる感覚、その描写はリアルというほかない。そこには「他」があらわれているのだ。「顔」についてはこないだおばあちゃんに会ったので心に迫ってくるものがあった。老いの哲学でもあったのだ。弱さが弱さに出会うことなのだ。
 レヴィナスのいう「感受性」は私がいじめを受けていた昔の感覚に近いものかなと思った。ある種の災厄に出会って、語りがたい感じ。そんな甘いもんじゃないかもしれないけど。また、「責任」はよせてはかえす強迫観念に描写が近いと思われた。実際「強迫」という言葉を調べたら使っていた。レヴィナス自体は健康な哲学者なのだが、生を悲劇であり、しかし悲劇でなくという感じでよじれていく感じは、20世紀の精神と思えたし、そうでもなく超時代的であり、超個人的とも思えた。
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Oct 15, 2006

帰ってきました

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 昨日の晩帰ってきました。で、今日は寝ていました。そんなにしんどくはないのですが、やはり少し疲れたようでした。
 母方のおじいちゃんは亡くなっているのですが、玄関にこんな風に、帽子がかかっています。おじいちゃんの懐かしい歩く姿がしのばれるようです。
 おいしいもの、たくさん食べました。鮎や、さんまのお寿司や、お好み焼き(金時豆が入っています!)、うまかったなあ。
 空もきれいでした。夜って、ちゃんと暗いもんなんだなあ。当たり前か。それが当たり前でもなかったりしますね。
 母方のおばあちゃんに会いました。おばあちゃんは病気ではなくて、別に痛いとかはないみたいです。でも、意識というか認識というか、そういうものは少し遠くなっていて、うつらうつらしていました。しじゅう口をもぐもぐしていて、少し痩せて小さくなっていて、もう85才なのですが、私は切なくいとおしく、その姿を感じました。けして、上手に生きていけるタイプではなく、ひとの気持ちを逆なでするような、物言いもありました。だから、いろんな人に嫌な気持ちをさせた人かもしれません。私はそのようなおばあちゃんを子どもの頃から、なんか素直な人じゃないなとか思ったりしたこともありました。こうして、会ってみて、おばあちゃんなりに、おじいちゃんが亡くなってから、さびしかったんだなとも感じました。しかし、苦しそうではありません。それで、とても安心しました。大変だろうけど、また会おうねと思いました。私が手を握ると、少し目が大きくなって、こっちを見てくれたんだなと思いました。これからが大変かもしれません。そういうことが私にはきちんとわかっていないかもしれない、そう思いながらも、会えてよかったと思うのでした。
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Oct 12, 2006

おばあちゃんに会いに行く

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 仕事でした。ちょっと、暑かったです。ノドが乾いたな。
 明日から、母方のおばあちゃんに会いに行くので、2、3日くらい留守します。メールの返信等遅れるかもしれないので、あらかじめ報告しておきます。なぜか、今日、帰ってきてから、スガシカオの歌う”夜空のムコウ”を聴いていたら、ぐっと来ました。なんでかな?もともとは、このアルバム(↑写真)では”ぬれた靴”がとても好きだ。そんなこんなで、いってきます。
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拾い読み「小林秀雄対話集」

 今日は仕事でした。明日も仕事です。
 なんかですね、久しぶりに、「小林秀雄対話集」を開いておりました。帯には「近代日本の最高の知性が語る美の真実と人生の妙味」と書いているのですが、中にあるのは、今の文芸雑誌にはのらないような、全然気取りのない対談だと思います。私はしかと小林秀雄さんの全貌というか、なにがしかを把握しているとはとてもいえない立場にいるのですが、ハスに構えてないですね。論理の運びこそ、何だかアイロニカルというか、モダーンな感じなのですが、「そうかな?」とか「そうかね」といっている感じが、やっぱり文学者も生きているなあと思うのです。坂口安吾をいなしている感じとか、なんか正しいとか間違っているとかそういうレベルを超えとります。ぱらぱらしか読んでいないのですが、正宗白鳥がすごいですね。脳がぐらぐらしてきます。以下括弧内は引用です。

 正宗「文学って、それは何か知らんけどな、僕はまあ、ヤソなんかに入ったこともあったが、僕は文学なんかどうでもいい。人間の生きる悩み、どうして生きるか。この世に人類というものが発生した苦労だな。そういうようなところに、いつも惹かれるんだな(中略)」
 「どうでもいい」ってすごいな。また、こんなのも。
小林「藤村という人はまずいですか」
正宗「まずいな。それは徳田秋声なんかの小説よりまずいですよ。(中略)(「破戒」、「東方の門」「夜明け前」は:石川註)自分の呟きをネチネチ、ネチネチ書いとるな。」
 そしてこんなことも。「あれはヘタなところがいいんだな。下手でこつこつ苦労してたんだな。あの女の関係だってそうだ(中略)」

 キリがないのでやめときますが、今の時代には見られない、率直な感覚があります。大きな感覚で藤村に対しています。「人間の生きる悩み」も藤村に対する感受です。文学って、こんなんだったんだなあ。深沢七郎とのつきあいでも思いましたが、白鳥さん、すごいです。小林さんの「まずいですか」というツッコミもいいですね。

 *「小林秀雄対話集」講談社文芸文庫2005より引用
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Oct 10, 2006

 お昼寝をした。それから、郵便局に行き、冊子小包を送った。そして、コーヒー豆を買いにいった。マイルドブレンドを200g。本屋により、何冊か本を買う。次に書くネタを探しているのだ。レヴィナスのことが、頭にあったり、ニーチェだったり、色々浮かぶのだが、何しろ、独学なのと浅学なので、もっとちがう切り口も考えてみたり。
 ニーチェは今の人間存在を「超人」へと至る「橋」つまり過渡的なものと規定していただろうか。うろおぼえだが、たぶんそうだったと思う。これはカフカの「橋」という短編と符号するのではないかと考えたりする。「ぼくは硬直し冷たかった。ぼくは一個の橋だった。ぼくは深淵の上にかかっていた」。存在するということ。それは過渡的であること。深淵の上にかかることではないか。このことをもしかしたら、掘り下げることができるかもしれない。
 SMAPのクサナギ(字が出ない。御免)くん主演の「僕の歩く道」は自閉症の人が主人公のドラマだ。自閉症の描き方よりも、彼を取り巻く様々な人の描き方がいいなと思った。障害とは関係性の中で、現れてくるし、その中で、どうつきあっていくかということだ。そういう意味で関係性ということを捨象して、独立の「自閉」というものを想定すると、途端に理解不能になってしまう。偏見のない状態というものはない。あったら、それは不自然な社会だろう。ある種の弾圧がある社会はそうかもしれない。自由な社会は、それぞれの偏りを認める。その中でどうしていくかだと思う。今、啓蒙されたり、想定されたりしているより、わたしたちはより多様な付き合い方を障害を持つ人たちとできるのではないかと思い描いてみたりする。政府の政策的な歪みにもかかわらず、そうできるかもしれないと私は思ったりする。
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隣り合わせ

今日はあまり何もしていない。空が雲が美しい、そんな日であった。まさしく秋、秋である。昼は私が焼きそばを作った。何だかおなかが減るのだが、ここは我慢。夜は西京焼きと豚汁を食べる。それから、古畑任三郎を見る。SMAPと共演した再放送だが、けっこう古びてなくて面白い。知人からメール。体調を崩されているようで心配。人はつねに病と隣り合わせだな、などと、当たり前のことなんだが、感じる。
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Oct 08, 2006

犬の散歩、ぽえざる

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 昨日は、彼女の実家の犬と遊んでいた。ひざに初めて乗ってくれて、うれしかった。たくさん、かわいいかわいいした。
 そして今日はぽえざるの日だった。前の晩に薬を飲まないで寝てしまったので、ぼんやりしたまま、参加する。われらが「かたつむりずむ」は好調な売れ行きであった。現代詩フォーラムの人たちの何人かとは(大覚さん、六崎さん、清野くん、窪さん、佐々さん、麻村くん)会えたが、ミチヨさんとは、すれちがってしまったようだった。残念!お友達ともしゃべる。(木谷さん、果歩ちゃん、河上さん、湊さん、りっとさん、佐々木さん、イジー、藤井五月さんなどなど)犬飼愛生さんから新詩集をいただいた。私のブログに来てくださる高野五韻さんと会うことができた。うれしかった。ちょっとしんどかったので、2次会はパスした。今日、様々なご縁でお会いできた皆さまありがとうございました。会えなかった方、すいませんでした。
 田中宏輔さんとお話できたことがとてもうれしかった。宏輔さんはかっこいい。だいぶお痩せになっていて、ちょっと心配になったりもしたけども。
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Oct 06, 2006

湧いてくる

 今日、デイケアに行った。午前は習字で、午後は、自主活動。私は読書することにした。昼休みは何かだるくて少し横になったりしていた。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」をちびちび読みながら、色んな音が聞こえてくる。(「世界の終わり」の「私」は35歳なのだ。自分が35歳になったら、何か大きな変化の前か後にいるかもしれないという予感がした。)話し声、窓の外の音、ビル・エバンスのJAZZ。途中、職員さんにmixiのことを説明したりする。あるメンバーさんが、ロックについて、語っているのを遠くで聞いて、私はなぜかポップスが聴きたくなってしまった。なぜか、わからない。それで、好きな曲を歌っていた歌手の名前を必死に思い出していた。そんなこんなで、デイケアはお掃除をして終了して、私は帰り道、名前がフィル・コリンズだったことを思い出した。中古屋に行き、フィル・コリンズのアルバムを安く買った。私の好きな曲が入っていた。Another Day In Paradiseだった。今、フィル・コリンズを聴く人は少なかろうと思っていたら、mixiのコミュに彼のファンのコミュがあって結構な人数だったので、驚いた。それから、ポップであることはどういうことかとか考えながら、ビーチボーイズのジャンルを超越した”ペットサウンズ”を聞いたりもしていた。いくつか考えが湧いてきて音楽はいいなと思うのであった。思考の触媒となることがある。  
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Oct 05, 2006

おばあちゃんの現実

  私の母方のおばあちゃんは、自力で、ものを食べられなくなったそうで、管を通す手術をして、そこから、栄養をとることになったと何日か前に父から聞いた。最後まで、自分で食べさせてあげたいと私は思ったけど、それは、あるいは私の身勝手な考えかもしれない。どこまで、現実が進行しているか、私は、今度、親とおばあちゃんのもとに行って、その一端を目の当たりにすることになるだろう。母方のおばあちゃんはけして、性格のいい人ではないけど、私の今生きている、たったひとりのおばあちゃんです。今年の5月におばあちゃんのいたグループホームに会いに行ったときは、半分眠っていたけど、私のほうを見てくれたことを覚えている。今度、会ってどう感じたかを書くかどうかはわからない。
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Oct 03, 2006

先生が笑った

 今日も少し疲れが残っていたようで、診察に行って血圧を測ると、上が100を少しきっていた。先生に最近の様子を伝えて、私の詩が掲載された詩誌「索」を見せた。私の詩を読みながら「発想が面白いなあ」とニコニコしておられたので、あまりお世辞を云うような先生ではないので、うれしく、安心した。以前友達にも見せたが、「野原のデッサン」より元気になってますねと言う。「商品になりますよ」と言ってくださる方もいる。
 電車の行き帰りは、時間がかかるので、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読む。「ハードボイルドワンダーランド」のほうで、計算士の頭の中に「世界の終わり」がインプットされているというくだりが面白かった。何か自分の宿命が意にならないという感覚とでも云おうか、ある種の決定論のようだった。そこから、どうぬけだすのかということなんだろうかと思いながら読んでいる。
 詩の先輩と電話した。
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木村和史さんの小説「ふたつの流れ」感想

木村和史「ふたつの流れ」感想

                           石川和広

 はじめて、木村さんの作品を読ませていただいてから、安易に感想は書けないなと思って間を置いて何度か読んでみました。
 私も3年間、知的障害者と関わったことがあったので、はじめは、主人公の障害者とのかかわりや仕事ぶりといったものに目が行きがちでした。そう読むのも、題材からして無理からぬ面があるような気がします。むずかしいことですから、色々そういう意味で意見のある方も読者の中にはおられると思います。しかし、仔細に眺めてみると、いくつか感じられることがあります。
 仕事をすることは、世界や人にある仕方でかかわることです。かかわる中で、その人が世界や人をどうみているかということがあらわになっていきます。知らず知らずの間に、固定観念を自分の中に作ってしまい、それに無意識のうちに縛られていくという事があると思います。この小説の中では、「自閉症やダウン症の人」の気持ちがわからない、また、相手も主人公の気持ちをわからないだろうと感じる形で、あらわれてきています。主人公はそうでない健常者に対しても、少し壁を感じているようです。
 私は、障害者に対する壁というのは、ある程度解体できるのではないかと思っていますが、それは、「もっと障害者を理解しよう」ということではありません。いくら障害者に対する壁が解体されたとしても、何かまだ残るものがあると思います。両者に対する主人公の持っている壁というものは、生きている中で、健常者/障害者という枠をこえて、その人が獲得した傾向なのではないかと思います。それは善悪という評価を超えたものであって、私は木村さんが「通じあえなさ」とか「どうしようもなさ」を描こうとして、主人公にそれを託したのではないか、そう思うのです。そこにこの小説のミソがあるのではないか。
 この主題はもっともっと引延ばすことができると思います。私の職業的勘からは、修さんが段差をとびこえてきてくれたとしても、そこに安んじたままではいられないと思います。その意味でこの小説は大きな流れの中のあるプロセスだと思います。木村さんも、もしかしたら、同じようなことを感じておられるのかもしれないなと思います。
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ぽえざる出店します

 10月8日ポエムバザールに友人たちと「かたつむりずむ」という詩誌で出店いたします。近くにお立ち寄りの際はぜひ。
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Oct 02, 2006

スガシカオと槇原敬之を歌う

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 今日も疲れが出ているなと思う日であった。うとうとしたりしながら、時を過ごす。本もあまり読まなかった。少し元気を出そうとカラオケに行った。スガシカオをたくさん歌った。槇原敬之も歌った。スガの詩には毒がある。しかも歌うのは難しい。その点、槇原の歌は、毒がきれいに抜かれて純情可憐な歌になっていて、素直な気持ちで歌いやすい。これは全て個人的感想だ。しかし、スガのアンバランスなバランス感はすぐれていると思うのである。毒と言うのはスパイスとして、とても大事で、あまり歌われないだけに趣がある。槇原はとびぬけているところがあって、あまりファン以外には理解されていないのだが、大切なシーンを取り入れて、すっと胸に入ってくるのである。両者とも、技術的にとても高いミュージシャンだと思っているが、両者とも生き方という点でとても不器用なところがいい。この二人が両方とも好きな人というのは、あまりいないのだが、言葉を届ける人としてすばらしい。これもあくまで個人的感想です。歌ってて歌詞が入ってくるのです。調べてみると槇原の愛犬が亡くなったらしい。
 両者の好きな詩人の違いも面白い。スガシカオは荒地派の鮎川信夫が好きで、槇原敬之は四季派の立原道造が好きだ。何となくわかる感じでしょ。
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Oct 01, 2006

戦争が遺したもの

 今日は疲れていて家でじっとしていた。アマゾンからメールが届いて、住所の記載が不十分だったようで、ペリカン便に連絡した。しばらくして、2冊の本が届く。藤井貞和「物語理論講義」と、鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二「戦争が遺したもの」。「物語理論講義」のほうはじっくり読むとして、先に「戦争が遺したもの」を読むことにした。これがけっこう面白い取り合わせで、鶴見にずばずば聞いている。小気味よい。だけど、心臓の悪い鶴見には堪えたものも、あるだろうけど、死ぬ前に言い尽くしておくように鶴見は語っているようで、凄まじいものが流れていると思った。3者に対して私は好き嫌いもあるのだが、それは置いといてよい縣談になっていると感じた。がんばって読もう。「物語理論講義」も楽しみだ。
 小説の感想を書いたと、書いたが、その方からメールが来た。喜んでいただけたようでよかった。木村和史さんの小説についてであった。
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親になる準備

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 今日Mくんと飲んだ。彼は、今年結婚して、奥さんが妊娠している。高槻で飲んで、話をした。昔、職場が同じで、仲良くなった。彼は保育士をしているのだが、親の虐待があるそうで、心を痛めていた。そんな親が時々あるのだという。自分は何ができるだろうと彼は云っていた。プライヴェートまで、立ち入る事はできないからだ。彼は子どもが本当に好きだ。その彼に子どもができる。でも、未熟児で産まれる可能性が高いようで、奥さんはNICUのある病院に転院した。奥さんは実家に帰っているようで、さみしそうだった。もしかしたら、危険な状態で、子どもが生まれるかもしれないという可能性と不安を彼は話していた。
私はまだ親にはなっていないけど、お互い時には冗談を言いながら、彼に「今、心が父親になる準備をしているんだろう」と言った。色々ナイーブになっているのは、そのためで、不安になったり考えたりすることはわるくないと。今度また会う約束をして別れた。楽しかった。自分はどれだけのことを聞けたかわからないし、大口を叩いていたのかもしれないが、彼の力に少しでもなれたのなら、それでいいと思う。
 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んでいる。100ページをこえて少しずついい感じになっている。
ある人の小説の感想を書いてメールした。気持ちが届いているとうれしい。
Posted at 00:35 in nikki | WriteBacks (9) | Edit
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