Sep 17, 2007

秋の空、夏の空気

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 外出先で見上げた空。とてもきれいな秋に近づく空。気温は夏に逆行するみたいに高い。今日は朝から部屋の掃除をして、ジョーシンでCDデッキをやっと購入。これでレンタルして色々聴ける。僕はダウンロードってやったことないや。まあいいか。
 ジョーシンで、なぜか醤油をもらう。???それで犬のところへ遊びに行く。犬と遊ぶのは楽しいなあ。人と会うのとは違うエネルギーのもらい方をする。だいぶ、奴が何を言いたいのかわかるようになってきた。なぜかこの座るポーズが流行っているようで、お気に入りの定位置もあるようだ。今日、麻生太郎のマネをマスターした。聞きたい方は連絡ください(嘘)非常に似ていません!
 さいきん、いしいしんじ、星の王子さま、天然コケッコーと「ほのぼの」路線で来たが、裏読書は計見一雄『脳と人間』、『吉本隆明歳時記』である。計見さんの本は統合失調症についての論なのだが、脳のこともよくわかるし、医者の本音もわかるし、非常に個性的で独創的な言葉の組み合わせ。中井久夫さんのように繊細でなく、春日武彦さんのようなバランス感覚でもなく、木村敏さんのように過度に哲学的でもない。計見さんは救急をやっていたからか、救急というのはプリコラージュ(器用仕事)なのだと思った。パッチワークとおんなじで発想を組み合わせていくような面白さがある。そろそろレポートの準備をしなくては。
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Sep 14, 2007

天然コケッコーの感想

 山あいの小さな学校に転校生がやってくる話。なんか、この映画は見ているあいだ、ずっとニタニタしていた。最近楽しいっていうのは素敵なことだと思っているので、そういう極私的な基準でいうと良いな。作っている方が充実していることがわかるのである。それはちょっとしたセリフとセリフの間や、その撮り方からわかる。非常に厳密に撮っているからこそ、さりげないものや危うい感じもするものが非常に意味を持つ。意味を持ってくるんだけどさりげない。そのバランスはすごく微妙で、受け取る人によってまったく違う絵をこの映画は人に与えるだろう。しかし非常に肯定的な雰囲気を感じる。肯定的っていっても単なるポジティブシンキングとちがう。作っている人がとことんまで大きく深く考えているからこそ、それを上回る形で見ている側が楽しくなれるような。あるいは演じている子ども達がドキドキできるような。そのドキドキがものすごく伝わってくるのだけれど、作っている人が酸いも甘いもある程度噛みしめているんだろうな。だからちょっととぼけたようなきらきらした人たちを撮れる。非常にささやかな恋愛未満であったり、思いやりであったりするものが僕にはすごくうれしかった。きっと作っている人が愛があるんだろうな。と思ったら僕より年下の監督でこりゃ参りました。ストーリーやいろいろは見てのお楽しみ。日曜に見たのに頭がもやもやし、しばらく感想が書けなかった。御免。 070427_kokekko_main
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Sep 08, 2007

天然コケッコーを

 見に行く予定です。mixiでの知人、友人の評判がいいっていうのもさることながらスタッフがいい。「リンダ リンダ リンダ」を撮った山下敦弘監督。あの映画は静かなシーン(夜)がいいし、すごく心に残って後からしみじみいいなーって気持ちになった。
 それから脚本が「ジョゼと虎と魚たち」の渡辺さん。「ジョゼ」も僕は好きです。主題歌も「ジョゼ」のくるり。「ジョゼ」のあの曲…「ハイウェイ」も、胸に迫ってきました。全体の音楽はレイ・ハラカミさん。うお、豪華だ!!
 今年の夏は暑いのと勉強と詩で、映画からは離れとりました。というか、ずいぶんご無沙汰してました。実は「夕凪の街 桜の国」もまだ見ていない…。たしか、まだやっているところがあったので、これも見に行きたいと思います。
 なぜか今、侯孝賢の「非情城市」を思い出しました。あの映画、静かな映画だったな。激動の話なんだけど。僕はいつも余計なことをしゃべっているような気がしますが、優れた芸術というのはどれだけにぎやかでも「(事柄以上に)しゃべりすぎていない」気がします。だからその佇まいに耳を傾けようとするのかなと思います。「天然コケッコー」もそうであればいいなと思います。
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Sep 07, 2007

何か面白いものがあったはずだし、あるかもしれない

 19世紀ヨーロッパの画家の間で評判になった浮世絵っていうのは、どう日本から伝わったかっていう話を聞いたことがあります。赤瀬川原平さんの「名画読本」で知りました。
 ゴミだったんですね。伝わった浮世絵っていうのは。どういうことかっていうと、日本から陶器なんかを送る。陶器って言うのは割れ物です。だから、箱の中になんか詰め物をしなきゃいけない。で、もう流行を過ぎた浮世絵を丸めたり、ちぎったりして、詰めた。それで、フランス人とかびっくり!になったわけです。
 この話がほんまかどうかということは、わかりません。赤瀬川さんは、尾辻克彦といって小説家でもありますから、よく出来たお話かもしれませんね。だけど、想像力を刺激します。
 江戸時代には、相当な商品経済の発達があって、まあお金がある人しか買えませんけど、諸国で浮世絵を売っていた。アイドルのポスターみたいに流行の役者や、美人を画家達は腕を競って描いた。そしてどんどん刷る。この辺は消費経済で、今とあんまり変わらないかも。さらにすごいのは、流行らなくなると詰め物にしちゃうと。この辺の節操のなさというか移ろいのやすさも現代的です。今だったらお宝になるかもしれんからとっておこうとなるかもしれません。
 いいのは、日本でゴミだとしても、ヨーロッパの人にはゴミに見えなかった。色だって、構図だって、新鮮。最初に発見した人はパズルみたいに必死につなぎ合わせていたかもしれません。僕は現代アートには詳しくないんで、あまり突っ込みませんが、ゴミだって芸術っていうのは、まあアリですね。便器を美術館において、芸術だって言った人はいますが、これなんかも、場所が変われば価値が変わるということかもしれません。でも、これは、あまりいい例ではないですね。一回、捨てられたものが甦るっていうドラマが僕なんかの心をくすぐります。
 僕らの毎日は、何かの形でいろんなものを捨てて行きます。捨てるっていうのは、深い行為です。喜捨っていう言葉は喜んで捨てると書きますが、面白い言葉です。単に移動させてゴミ箱に入れるだけじゃなくて、自分の世界から次元を変えてしまう感じもします。
 脳だって、当面必要のない情報は処理して、保存するか、どれくらい置いておくか、「忘れる」ことにするか決めます。だけど、捨てなきゃ良かったなあとか思うこともある。でも、もうゴミ収集車が持っていってる。浮世絵の場合、まさに「捨てる神あれば拾う神あり」。この場合の神っていうのは価値を与えるものって意味でしょうか。
 でも、同時に誰にも拾われないまま消えていったものっていうのの、せめて痕跡だけでも大事にしたいと僕は思うことがあります。僕も忘れちゃうんですけどね。だけど、何か、あれよかったかもっていう感覚は持っていたらいいんじゃないか。どっかで聞いたのですがフーコーが、云ってました。キリスト教をつくらなかったけど、そういう発想をもって何もいわず死んでいった人がいるかもしれない、日本だったら、俳句をつくらずに放浪して野垂れ死んだ芭蕉みたいな人とか。ちょっと変わった発想ですけど。フーコーの場合は価値の土俵にさえ上っていない人ですが、いずれにしても、何か面白いものがあったはずだし、あるかもしれないっていう感覚をもつっていうのがいいかなと。そうすると歴史だって人だってものすごく、深く、面白く感じられるかもしれないから。目の前にあるものがもちろん大事なわけですが。
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Sep 05, 2007

詩と思想9月号の詩誌評

 海埜今日子さんが担当しておられる詩誌評欄にて、拙作がその中に紹介されていました。詩誌「索」終刊号に掲載されたものです。海埜さんは、4月号でも拙作に触れてくださっていました。索も終刊したので、終刊号に掲載された『台風の夜』を全文掲載します。自分では評価がなかなか難しい作品です。

 台風の夜

         石川和広

 人の話し声、車の音、美しいものもあるかもしれない、この町で。
 空は晴れている。小さい雲が流れる。やっと春が来たようだ。
人のいない家には、人のいない匂いがして、ここに人がいないことを感じる。無を感じるというのだろうか。からだはこの部屋にいるのだが、死んだおじいさんとおばあさんの住んでいた家にお邪魔する。しばらく、本当の体はからっぽになる。留守にして、留守にお邪魔する。庭に木が植わっている。生垣が見える。ここがおじいさんがいた茶の間だ。悲しいというのではない。あそこには、おばあさんがぶつぶついいながら、家事をしていた。夏であり、台風が来ていた。こわかった。ドキドキした。おじいさんが、パッチ姿で、風呂から上がってきた。おじいさんの兵隊に行ったときの写真。美しい馬のようだ。限りなく限りなく夜は続いていくように思える。雨戸ががたがたする。わたしは弟と、お父さんの間で布団に入っていた。おじいさんは早く寝て、おじいさんと同じ空気を吸っているのだと思うと安心した。居間で母がテレビを見ている。風の音が鳴り、いやな気持ちになり、しばらく目を開けて天井の模様を見ていた。やがて眠った。
 からだが半分くらい戻ってきてタバコを吸った。



 このブログのコメントの仕方がちょっと変わりました。スパムコメント対策のため詳しくいえませんが、書いてくださる方はこれから、ちょっとご注意ください。追記として…無事、ふたつの〆切もなんとかクリアできました。8月は忙しかったので今は放心状態。いしいしんじさんの『ぶらんこ乗り』はひさしぶりにドキドキ読んだ小説でした。いしいさんの『トリツカレ男』も読んでみましたが、『ぶらんこ乗り』の方が僕は好みです。
Posted at 23:35 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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