Feb 01, 2006

石垣りんについて少し所感(ハルキ文庫より)

 石垣りんの詩集を読んだ。全体的に、一生懸命言葉を投げかけている印象があった。多少雑だとしても、言葉が生きるというのはこういうことかと思った。僕のおじいちゃんくらいの世代の人で、その中で、何かを代表して書き続けたように思える。戦後を批判的に、見届けた人だと思った。経済が優先される中、彼女は銀行で働きながら、暮らしをどこまでも手放さず、社会と個人、いいや世界と個人のかかわりを見つめた人であると思った。これは、稀有なことではないか?詩人として。

*「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
 数字へのこだわりというものがある。この詩集で、個人も含めた歴史の証言の鍵になるものである。
原爆を扱った詩に「25万のやけただれのひとつ」と言う言葉がでてくる。死者を数字に還元するのは、抵抗があるだろう。しかし、彼女はしている。そこに「顔」があらわれてくる、不思議な詩である。顔とは、その人に固有のものだが、それが数字と同居している逆説がある。数字でしか語られない悲しみというものがここには、あって、彼女は醒めている。その一方で、「眠り」が深く描かれている。この辺りに詩的な生命力の強さが、ある。眠りをも深く見つめている、覚醒した眼がそこにある。「その夜」が病者の群れの中で覚醒した眼になってあらわれる。それは「顔」という詩に現れる、「その交替をあざやかにみている眼」である。この眼は、だれのものかわからない。しかし、彼女が名を上げる弱いものの眼ではないだろうか?そこからこれも珍しいが「国家」というのが、単純に左翼的ではなく、一切を奪われた「顔」「結核患者と黄変米」の側から告発されている。その元には「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」にある、女の前にある「火」が置かれている。「火」は人間が囲むものの原型だろう。
 家族に対する愛憎を含んだ眼は「きんかくし」「夫婦」に描かれているが、どこか美しいものにも、醜いものにも流れていかない、鋭い眼があって、それが平易に書かれている。
 平易さは、彼女の美点だろう。初期には、平易さが逆に奥深い空間を作り出している。
その中で、どんなものにもごまかされず醒めているという過酷な位置に彼女は置かれた。

*「表札など」以降
 初期のするどい告発は薄れている。文体としても、あまり複雑さをうかばせなくなった。
戦後の復興という奇妙な安定が彼女に作用したのか。それでも、どこか「ごまかされない」というスタンスは保ち続けているように思う。
 彼女は「仲間」という詩で、「行きたい所のある人、/行くあてのある人、/行かなければならない所のある人。/それはしあわせです。」と書いている。彼女には深い孤独があった。それを生きた結果のようなものがあらわれていたましい。あるいは自足か。「藁」では、「子守唄のようなものがゆらめき出すと/私の心はさめる。/なぜかそわそわ落ち着かなくなる。」と書く。どこかで、眠ってはいられない。ずっと醒めていけなければならないという感覚かもしれない。それは「表札」という詩に現れている。自分の居場所を守る感覚であり、居場所は、ずっと具体的な「忘れない」という記憶であり、それは、日本が負けたということと母を失いつづけたことではないだろうか?それが、あてもなくひっぱられている。どこか安住の地がないという感覚。それがばねになって強い。だからこそ、生活の匂いを記録しようとしたのではないか。「洗剤のある風景」から、そんな感覚を受け取り、せつない。どこか生きる現場が失われたという感覚が彼女にはある気がする。後期には、ひたすら喪失が嘆かれている感があって、それが単調さ、文体のネリの足りなさにつながっている。初期モチーフはあの時だけ書けたということか。あるいは、モチーフを持ち続ける事がたいへんなのか。それでも、好きな詩はいくつかある。
 初期はきわめて骨太である。こういう詩人がいたと言うのは、今の我々には大事な事ではないかと思う。ぎりぎりのところで生活を守っている感覚。今は失われつつある戦後の感覚かもしれないし、それを言葉にしている。単なる貧困がテーマではない。
感想はこれにとどまらない。もっと多角的に読めると思う。とりあえず覚書として。読書会で、いろんな人の意見を聞いたら修正されるところもあるだろう。ただ、生活が失われていくという危機感は「家族の桎梏」への複雑な感覚を超えて、現代の危機を予見していた。そこに普遍性があると思う。「人間」の叫びなのだ。そこから色んなものに語りかけている。どこかで「死」に呼びかけられ、立ち止まり、仲間を求めている。「弔詞」で、「あなたはいま、/どのような眠りを、/眠っているだろうか。/そして私はどのように、さめているというのか?」それは「夜毎」の「もどかしい場所」につながっている。
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